第14話 マヴィアナ国の本当の姿

 兵士たちが教えてくれたのは、辿り着いた住宅街をさらに抜けた先、街の入り口から一番離れた区画だった。


 通りの様子や建物、行き交う人々を見てもそう違いがあるようには思えない。変わらずに整った、石造りの美しい街並みだわ。けれど、この区域は他と明確な違いがあった。



「ここ……、ほとんど魔力が感じられないよ」



 クシェも気づいたみたいで、不審そうな顔で周囲を見渡している。それを聞いたカリオが、僅かに警戒を強めた。



「魔族の街で、魔力を感じないことなどあるのか……?」


「そんなこと言われても、本当に感じないんです!」


「分かったから大声を出すな。信じてないとはいってない」



 ムキになるクシェと鬱陶しそうなカリオ。もうこの二人も放置した方がいいのかしら?



「ルシオン殿と違って、クシェ殿は真面目だろう。ルシオン殿と違って」



 カリオは二方向に喧嘩売るのやめなさいったら。


 急に矛先を向けられたルシオンが苛立ったように口を開きかけたけど、これ以上時間を奪われたくないから、強引に会話を遮った。



「さっきの兵士さんが教えてくれた、怪しい場所っていうのがここね」


 三人には本当の質問を隠して、ただ怪しい区域だということだけ伝えてあるわ。カリオは私の同行を渋ったけれど、私と別行動するのも嫌だったらしくて、結局全員で行くことになったわ。



「ここなら魔力探知もうまくいきそうね」


「そうですね。やってみます!」



 クシェが意識を集中させて、すぐにぱっと顔を輝かせた。



「……見つけたっ。こっちです!」



 もう見つけるなんて。これは、思っていたより早く解決しそうね。良かったわ。


 クシェが先導する後ろを着いて歩く。ケンディムの街に来て最初に見た大通りのような賑わいはないけれど、穏やかで平和な空気が流れているわ。泥棒をするような人がいるとは思えない。



「不思議だったのですが」



 カリオがそんな風に切り出した。周囲には聞こえないように声をひそめて、



「魔力を持っている魔族が、なぜ魔石を盗む必要があったのかと。彼らが所持しているという魔貴石は、魔族であればその重要性を理解しているのでしょう? まあ嫌がらせにはなるかと思いますが、それなら初対面の相手から魔石を奪う理由にはならない」


「そういえば……」



 クシェが同意したのを確認してから、カリオは続ける。



「ならば、魔石の用途など魔力の利用に限られるでしょう。装飾品としては、純粋な宝石には劣りますから。そうなると、魔石を盗む理由が分からないのです」



 それはきっと、犯人を捕まえれば語ってくれると思うわ。少なくとも私が答えるわけにはいかないから、カリオの意見に同意するように頷いておく。



「大通りの街灯に魔石が取り付けられているのを見たわ。だから、この国でも魔石を使う文化はあるのでしょうけれど……」


「ええ。それは私も確認しました。ですが、それにしたって腑に落ちない。魔石を利用して一儲けしたいのなら量を確保するでしょうし、魔石一つ分の魔力が欲しいだけなら自分の魔力を使えばいい」



 得体が知れません、とカリオは言う。気を張ってるのはそのせいね。



「その理由、何となく分かる気がします。だってこの場所、人から魔力を感じない。さっきまでと全然違います」



 答えたのは私ではなく、クシェだった。



「ここの人たち、多分……、魔力を持ってない」


「え、なんで!? ここは、」



 魔族の国のはずなのに、とでも続けようとしたらしいルシオンの口を、カリオとクシェが勢いよく塞いだ。うん、今ここで叫ばれる訳にはいかないものね。



「どういうことかは分からないけど、ここには魔力を持たない人が集まってて、それが当たり前の場所みたい。道を見て、ルシオン。等間隔に魔石が埋まってるでしょ? 多分あれ、ここに住んでる人たちを守るための保護魔法がかけられてる」



 口を塞がれたままのルシオンは、それでも顔全体で混乱を表していた。


 魔力を「生成」「保持」できるのが魔族。魔力を持たないのが人間。そしてここは、魔族の国マヴィアナ。


 だけど、国民全員が魔族だなんて、誰も言っていないわ。


 本当に人間は、魔族のことを何も知らないのよ。



「魔力がないなら、魔石を欲しがるのも当たり前……。だけど、どうして人間の住む場所があって、ちゃんと守られてるのか。それが分からない……」



 クシェは不安そうな顔をしていた。もしかしたら、何かに気付き始めているのかもしれないわね。私が望んでいることを、彼女は叶えてくれるかしら。


 拘束を解いたルシオンは、そんな幼馴染に対して朗らかに笑った。



「大丈夫だよ、クシェ。何があっても、僕がいるんだから」


「……そうだね」



 だけどクシェは、ノルデオの街を出た後のように、すべての憂いが無くなったような笑顔は見せなかった。あんなに無邪気にルシオンを信じていたのに、今は曖昧に微笑むだけ。


 そして、彼女は一つの建物の前で足を止めた。大通りからは少し入り込んだ、日当たりの悪い場所。見た感じ、どうやら家賃の安い集合住宅のようね。窓の位置から察するに、部屋も小さそうだわ。



「ここの二階から、魔石の魔力を感じます」



 クシェはまっすぐに、薄暗い窓を見上げていた。






 魔石泥棒は、私たちが部屋を訪ねるとすぐさま魔石を差し出して土下座した。



「悪いっ、悪かった! 魔が差しただけなんだ、許してくれっ!」



 随分と小心も、いえ、小物っぽ……、潔いわね。


 だけど、この様子を見る限り、根っからの悪人というわけでもなさそう。もともとそのつもりだったけれど、事情を聞いてみましょうか。



「どうして魔石を盗んだりしたの? 追われるなんて分かりきったことじゃない」


「旅人なら諦めるかと思ったんだ……。まさか、この区画まで追ってくるとは思わなかった……」



 項垂れる泥棒は、私の隣に立つカリオの眼光に怯えてるみたいだった。


 いえ、それだけじゃないわね。目の下に隈があるし、心なしか頬もこけてるように見える。ずっと眠れていない人の顔だわ。



「あなた、名前は何というの?」



 私が対話の姿勢を見せたからか、三人が、主にルシオンが驚いたような顔をした。ルシオンは聖剣の柄に手をかけないで。選択肢が攻撃一択ってどういうことなのよ。


 ルシオンほどではないにせよ、カリオも魔石を奪い返して終わりだと思っていたみたい。ものすごく渋い顔をしていたけれど、泥棒の様子も気になったみたいで、無言のまま私を庇える位置に移動した。



「お、俺は……、デム。ここに住んでるから分かるとは思うが、あんたらと同じ人間さ」



 いまだに剣の柄から手を離さないルシオンを見上げて、デムは自嘲気味に笑った。



「俺は昔から、要領が悪くてね。碌に仕事も続かず、今じゃ見ての通りの貧乏暮らし。魔力代わりの魔石を買おうにも、その金がない。最近は変な輩が増えてるし、魔石を持ってないのが不安で、それで思い余って……」



 クシェが見るからにやさぐれた顔になったわ。そうね、多分クシェたちの村よりはいい生活してそうだものね。


 だけど確かに、この部屋はところどころに荒れた空気が漂っているわ。まるで住人の心を反映しているみたい。掃除が行き届いてないだけかもしれないけれど。



「だからって、普通は盗もうなんて思わないよ。前の仕事はなんで続かなかったの?」



 へそを曲げた勢いのまま、クシェがデムに問いかけた。デムの方も、すっかり萎びた声でそれに答える。



「これでも、前は兵士だったんだ。寮に入れるし、最低限の暮らしができると思って。だけどな……。やっぱり、魔力がなきゃ無理だよ。いくら魔石が支給されるとはいっても、魔力持ちの魔族には敵わねぇ。使える魔法の数も、魔力操作そのものだって段違いさ」



 なるほど、兵士だったから魔力探知の訓練を受けているのね。どうして私たちが狙われたのか分からなかったけど、謎が解けてすっきりしたわ。魔石を持っている人間に目を付けたのね。


 目の前に同じ人間がいるからか、それとも一度愚痴を吐いてしまったからか。デムはそのまま頭を抱えてうずくまってしまったわ。



「ああ……。なんで俺だけ、人間として生まれたんだろうなぁ……。兄貴も妹も、今じゃ立派に王城で働いてるのに……」



 あら、ご家族がリダールのところにいるのね。なんて呑気な感想を抱いたのは、私だけだったみたい。カリオもルシオンもクシェも、驚愕の表情を隠しきれていないわ。


 こちらの様子には気づかずに、デムはぶつぶつと恨み言を吐き続ける。彼は、正真正銘このマヴィアナ国で、魔族の中で生まれ育ったのよ。


 魔族からは人間が生まれる。魔力を持つ夫婦の間から、魔力を持たない子供が突然生まれることがある。


 そんな人たちを守るための法律や仕組みは用意されているわ。この区域だって、人間を隔離するための場所じゃないのよ。魔法が当たり前のこの国で、魔力を持たない彼らが快適に暮らせるように、いろんな工夫と守りが施されているの。


 魔族だから、人間だから。この国ではそんなことは関係ないわ。少なくとも、生まれたばかりの赤ん坊を殺したりなんかしない。



「魔族から人間が生まれるということは……、その逆も、ありえるわよね?」



 ぼそりと言葉を落とすと、クシェが見る見るうちに真っ青になった。



「そん、そんな。それじゃあ、リリーお姉さんの家の、エレナちゃんは……」



 前に言っていた、家を爆発させた赤ちゃんのことかしら。魔族の取り換え子と呼ばれる、魔力を持って生まれた子供。魔族に取って代わられたのだと言われて殺された子たちが、実は本当の子供だなんて、なんて残酷なの。


 だって、魔族の子が魔力を暴走させるのなんて、ごく当たり前のことなのに。どうして生まれる国が違うだけで、こんなにも惨い結果になってしまうの。


 ……そんなことを、今ここで言っても仕方ないけれど。



「デム、といったな。答えろ。人間の中に魔族が生まれることはあるのか?」


「そ、そりゃああるよ。常識だろ」



 厳しいカリオの問いに、デムは不審そうに顔を上げた。ちょっと怪しまれてるかしら、不味いわね。どうやって疑いを躱そうかと思考を巡らせていたその時、ルシオンが爆弾を落っことした。



「僕らはパンデリオ王国から来たんだ」


「ルシオン殿!?」


「何言ってるの!?」



 本当に、何を言ってるの、ルシオンは。


 正体を隠さなければいけないと、あれだけ言ったのに。何も分かっていないの? それとも、何も考えていないだけ?


 私には、ルシオンが理解できない。もしかしたら、この先ずっと理解できないままかもしれないわ。



「いったい、なにを……」



 ルシオンは、「まあ待ってくれ、僕に考えがあるんだ」みたいな顔でこちらに手の平を向けた。ものすごく腹立つわ、その顔。



「パンデリオ……、って、え?」



 呆けた顔をするデムの前に屈み、ルシオンは輝かしい笑顔を浮かべる。


 世界のすべてを手にしたような、子供みたいに輝く顔だったわ。



「君も僕たちと一緒に来ないか?」



 もう私たちは、言葉もなく見守るしかない。



「一緒に、って、どういうことだよ」


「僕たちは、魔王を倒すために来た勇者一行なんだ。君は人間だよね? いくらこの国で生まれたとはいえ、魔族に肩入れする必要なんかないはずだよ。そんな風に冷遇されてるなら、なおさらね」


「何言ってるんだ!?」



 デムにまでおんなじ反応されてるじゃないの。



「魔王陛下に逆らうなんて、そんな、馬鹿げてる! あの方は魔族最強なんだぞ!? ただの人間が勝てるわけない!」


「僕らには勝算があるんだ」


「ふざけないでくれ。俺は確かに出来損ないの兵士だったが、これでも陛下を悪く思ったことなんてないんだ。あの方が優しい人だって、マヴィアナじゃ誰でも知ってる!」



 やっぱりリダールって慕われているのね。そんな話を聞くと、私まで嬉しくなっちゃうわ。ルシオンのせいで乱れた心が癒されていく気分。


 半分くらい現実逃避していると、目を吊り上げたデムが立ち上がって、ルシオンを突き飛ばした。



「もう魔石は返した。盗んだのは悪かったよ。でも魔王陛下に楯突くなんて、畏れ多いことはできない。どうせあの方を倒すなんて不可能だがな」



 だからさっさと消えてくれ、と、部屋から追い出されちゃったわ。目的の魔石は取り戻したけれど、もっと大変な事態になってしまった。


 その元凶であるルシオンは、なぜ追い出されたのか分からないのか、きょときょとと瞬きを繰り返していた。


 カリオがすうっと息を吸い込むのを、手で制止する。私だって怒声を浴びせたいのはやまやまだけれど、そんな悠長なことをしている時間はないわ。



「急いでこの街を出ます。カリオの説教はその後で。とにかく、一刻も早くここを離れるのよ」



 さすがにカリオとクシェはすぐに頷いた。クシェがルシオンの腕を抱え込んで、ずんずんと引っ張ってくれる。



「ちょっと、クシェ! 何するんだよ!」


「自分が何したか分かってないの!? ルシオン、敵にこっちの情報を教えたんだよ!? 今すぐ逃げないといけないの!」



 階段を駆け下りて、建物の外に出る。話している間に日は落ち、空には細くて頼りない月が昇り始めていた。



「敵って……、あの人は人間なんだから、僕らの味方だ!」


「それ以上馬鹿なことを言うと、その口を縫い付けるぞ、ルシオン殿! あれは元兵士だ、しかもまだ魔王に忠誠が残っている! このことはすぐ魔王に報告が行くはずだ」



 リダールに報告されるのは問題ないのよ。だってもう知っているのだもの。問題は、何も知らないこの街の兵士たち。デムが誰に報告するにせよ、まずはケンディムの兵士が動くはずよ。とりあえず、追手がかかる前に街を出ないといけないわ。


 もう一つ懸念がある、というより、悪い予感がしている。リダールの言っていた過激派の存在。ノルデオではおば様が、このケンディムでは兵士たちが、近頃は物騒だと口にしていたわ。もし、身近に過激派が迫っているのだとしたら。


 ゆっくりとマヴィアナ国を見て回るのは、もう無理かもしれないわ。リダールのいる都へ、一番安全な魔王城に直行した方がいいかもしれない。


 だけど、そんな思いとは裏腹に、私たちはケンディムの街を出ることができなかったわ。


 日が暮れてしまったから、ようやく探し当てた魔導車の乗り場に「本日終了」の札がかかっていたの。それだけではなく、不審者の出没が増えていることを理由に、夜間の出入りが禁じられてしまったのよ。

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