第7話 ひと時の邂逅

 殺した狼たちはそのまま残してきた。本当は埋葬したかったけれど、その時間と余裕はなかったわ。


 そうやって幾度か襲撃を受けながらも、私たちはようやく森を抜けることができた。もう日は暮れ始めていて、今夜はどうやら野宿になりそう。


 と、その前に。



「皆様、あれを……」



 崖の上に立って眼下を指し示す。服の汚れを払っていた三人は私が示す方を見て、愕然と目を見開いた。



「そん、な……。これは、どういうことだ……」



 声を漏らしたのはカリオだけだったけれど、他の二人も同じ心境だったみたい。


 私たちの視界一杯に広がるのは、広大な平原。緑溢れる美しくも豊かな土地と、そこに広がるいっぱいの田畑。そして、立派な石造りの建物が立ち並ぶ大きな街だった。


 歴史書では、魔族は人間たちを襲ったけれど数の力に勝てず、実りのない荒れ地に引きこもったとされている。そんな荒れ地で生き続けていられるのは化け物だからだという人もいるくらい。


 だけど真実は違う。確かに魔族たちは荒れ地に追いやられたけれど、魔法の力で土地を開墾し、独自の文化を築き上げてきたの。リダールによれば、恐らく大陸で一番進んでいるのはマヴィアナ国なんですって。当然よね。ほかの国だって魔法を使って便利な生活をしているのだから、それをより自在に扱える魔族の生活が劣ってるなんて、ありえないわ。


 カリオたちは驚いたことでしょう。パンデリオ王国では確かに、国境付近は土地が貧しくて作物も育たず、それが当たり前だったもの。それが森を一つ抜けるだけで、同じ国境近くなのにこの違い。あの街だって、パンデリオの王都までとはいかなくても、他の主要な街と同じくらいの規模はあるわ。


 おっと。ここで彼らと反応を合わせなくちゃいけないわね。



「何があっても驚かないと決めていましたが、これは……」



 小さく俯いてみたりなんかする。ちょっと白々しいかしら? 夕日の照る銀髪の間からちらっと覗くと、最初に我に返ったカリオがぶんぶんと首を振った。



「姫様が気に病まれることではございません。我々は、魔族の力を甘く見ていた。これからは、それを肝に銘じなければ」



 本当に真面目ね、カリオは。だけど人間は魔族の力を甘く見るどころか、魔族のことを何も知らないのよ。


 だから私のような裏切り者を作ってしまうというのに。



「どうして……。あたしたちの村は、あんなに貧しかったのに」



 クシェが悔しそうに顔を歪めている。そうよね。魔族の国が近いから貧しくても仕方ないのだと思っていたのに、当の魔族たちはいい暮らしをしてるのだものね。ルシオンとクシェは、私とはまた違った方向に思うところがありそう。


 だけど、それでこそ連れてきた意味があるというものよね。



「ともかく、今は体を休めましょう」



 あの狼以外では戦闘に参加しなかったけれど、森を抜けただけでも私はくたくた。三人はずっと戦ってもいたけど、さすがに私ほど疲れてはないみたい。やっぱり私は体力的に足手纏いよね。本当に、何度目か分からないけれどお父様は何を考えているのかしらね。


 森から離れた、けれど周囲の視線を遮ってくれそうな岩の影に天幕を張ることにする。何故だか神妙な顔をしたクシェが、気配隠しや隠密系の魔術をかけてくれた。


 天幕の中で休むのは私とクシェだ。カリオとルシオンは交代で見張りをしてくれる。私も見張ると言ったけど、もちろんカリオに却下されてしまったわ。普通の一般人であるクシェに見張らせるのも、騎士であるカリオはよく思わないみたい。ルシオンは「男だろう」の一言で済まされていたけれど。


 森で集めていた枯れ木を使って火を焚き、保存食で簡単に夕食を済ませる。明日は街で美味しいものを食べられるから、カリオはそんなに申し訳なさそうな顔をしないでほしいわ。


 楽しくおしゃべりする気分でもなかったから、食べて早々に天幕に引っ込んだ。クシェはルシオンと話したいみたい。そのためについてきたんだものね。


 一人きりの天幕で、私は毛布にくるまった。早く先へ進んで、リダールに会いたいわ。


 そんなことを思ってたから、優しく頭を撫でられて慌てて飛び起きることになった。



「お疲れ、セレア」


「リダール!」



 叫んでしまって、思わず口を塞ぐ。隣に座っているリダールはくすくすと笑って、私の体をぎゅっと抱きしめてくれた。



「大丈夫だ、外の三人は眠らせてある」



 ほっと胸を撫で下ろして、遠慮なくリダールに甘えることにしたわ。



「会いたいと思ってたから、来てくれて嬉しい!」


「俺もセレアに会いたかった」



 笑いかけると、彼からも優しい眼差しが返ってくる。その視線がすっと逸れて、私が跳ねのけた毛布に移った。ちょっとだけ苦笑いをするリダール。



「いつも寝所にばかり悪い」



 あら、と私はからかい交じりに答えた。



「今頃気づいたの? リダールは私が思っているより目が悪いのかしら」


「そうだな、セレアしか見ていないから仕方がないのかもしれない」


「ふふ。だけど、リダールだから許すのよ。それに私が一人になれるのが、寝所だけなのも事実だわ」


「そう言ってもらえるとありがたいな」



 しばらくぎゅっぎゅっとくっつきあってから、天幕の中で向かい合って近況報告に入った。



「予定と人数が違うみたいだが。女が増えてる」


「私が連れてきたの。本人の意思でもあるけど……。ルシオンの幼馴染なんですって」


「厄介ごとを増やしてないか?」


「多少はね。でも、多分クシェはいい子よ。リダールのお城に着いたら保護してあげてほしいわ」



 ちょっと顔をしかめたリダールだったけど、クシェの保護についてはちゃんと話を通しておいてくれるらしい。これで少し気がかりが減ったわ。


 ああそう、気がかりといえば。



「ルシオンが聖剣で魔獣を倒してたけど、お城の方は大丈夫だった?」


「ああ。セレアたちが森を通るのは分かってたからな」



 私とリダールで作ったあの聖剣には、仕掛けがある。斬った相手をマヴィアナ国の王城に送る、という仕掛けよ。


 いつどんなところで戦闘になるか分からないし、私以外の三人は魔族と敵対している以上、その相手が善良なマヴィアナ国民でないとは限らない。そんな人たちを守るため、戦った相手を殺さずに保護できる方法が必要だったの。


 何が大変だったかって、死んだように見える転送の仕方よ。明らかに魔法で転移したとバレれば、その時点でこの作戦は崩壊するもの。斬っても殺さない方法はすぐに完成したのに。


 ただこれ、体内に魔力を保持している相手なら発動しちゃうから、さっき森で倒した魔獣たちも転送されているはずなの。その心配をしていたのだけど、リダールがその辺りの対策をとってない訳がなかったわね。


 リダールは切れ長の目を細め、美しい顔を綻ばせた。



「部下たちの心配をしてくれたんだな。ありがとう」


「……侮辱になっちゃうかしら?」


「まさか。あいつらも喜ぶさ、伝えておこう。みな、お前が来るのを楽しみに待っているからな。さっきも側近に早く連れて来いと催促されていた」



 リダールだけじゃなくて、その部下たちもとても強いのだと聞いている。会ったことはない彼らも、私がリダールと結婚するのを歓迎してくれている。


 マヴィアナ国の人たち全員がそうだとは思わないけれど、それでも喜んでくれる人がいると聞くだけで、心がふわふわと温かくなった。きっとあのお城に囚われたままだったら、こんな気持ちにはなれなかったわ。


 もちろんそれには、リダールがいてこそなのだけれど。



「早くリダールと同じお城で暮らしたいわ。そうしたら、今度は私から会いに行くわね」


「ん、同じ部屋じゃないのか?」


「ふふ、それもいいわ! 一緒にベッドの上で、お昼までゴロゴロするの」


「そうだな、一日くらい仕事を休んだってかまわないだろう」



 思い描く未来の、なんと甘美なことだろう。本当はリダールと一緒ならなんだって構わないけれど、こうやって二人で同じ未来を見ていることが、今はただ嬉しかった。


 リダールの首筋に懐いて、頬をすり合わせる。リダールの肌ってすべすべしてるのよね、私みたいにお手入れしてるわけでもないのに。ちょっと羨ましいわ。



「そろそろ休んだ方がいい。今日は慣れない森歩きで疲れただろう?」



 私が投げ捨てた毛布を引き寄せて、リダールは優しく肩にかけてくれた。そんなこと言いながら、ちょっと名残惜しげに眉を下げているのが可愛い。普段はキリッとしててかっこいいのに、たまにこういう顔をするの。ほんとにずるいと思うわ。私の心を握って離さないんだもの。



「まだお話ししてたいわ」


「俺もだ。でもそれは、また次の機会に」


「……分かった」



 またこうやって来てくれるみたい。それならちゃんと、その時まで我慢しないとね。


 横になって毛布に潜り込むと、リダールが突然、思い出したように真剣な顔をした。



「そうだ。ここに来る直前に入った報告があるんだ」


「なあに?」


「魔族の中でも人間に対する敵意の強い……、俺たちは過激派と呼んでいるんだが、そいつらが動いているらしい。パンデリオから来たとバレれば狙われるだろう。気を付けた方がいい」


「過激派……。そんなのがいるのね」


「ごく少数だが。人間との戦争を望んでいる者が多いと聞いている。巻き込まれないようにな」


「ええ、ありがとうリダール」



 一番危ないのはクシェかしらね。カリオとルシオンは曲がりなりにも訓練を受けたり、実力を認められたりしてるけど、クシェだけは普通の一般人だもの。いくら魔術師として腕があっても、村で魔獣退治してただけの女の子が鍛えている魔族に敵うとは思えない。まあ、それに関してはルシオンもかもしれないわね。


 ともかく、せっかくリダールが忠告してくれたのだし、ちゃんと気を付けないといけないわね。


 リダールの手が伸びてきて、指先が私の髪を軽く梳いた。愛おしげに見下ろしてくる黒い瞳を見つめていると、不意に距離が近くなる。


 音もなく、言葉もなく重なった唇に、酔い痴れる。


 私を捕らえて離さない、絶対的な魔族の王。強くて、美しく、そして誰よりも優しい人。リダールがいるから、今の私は生きているの。彼のためだったら私はすべて捨てられる。ただ私が私として、彼の傍にいられればそれでいい。


 ねえリダール。あの時私の心を救ってくれたあなたを、この先も永遠に愛し続けるために。実の親も、慕ってくれる民も、生まれ育った故郷も裏切るわ。こんな薄情な私を、どうか受け入れてほしい。



「……魔王城で、待ってる」


「ええ。すぐに行くわ」



 本当は、今すぐにでもリダールについていきたいけれど。それをしないと決めたのは私。クシェが増えたのは予定外だったけど、勇者を連れて魔族の国を旅することに意味があると思うから。


 私の頬をひと撫でして、リダールは小さく微笑んだ。



「おやすみセレア。良い夢を」



 額に触れる柔らかい感触を最後に、私はゆっくりと瞼を下ろした。

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