第6話 聖女の力
パンデリオ王国とマヴィアナ国の国境には、「憤怒の森」と呼ばれる森がある。そのほとんどがマヴィアナ国の領土内にあるからか、凶暴な魔獣が数多く生息している。夜ごと響く魔獣たちの咆哮が、森が怒っているように聞こえるから「憤怒の森」。この森の存在は、国境付近に暮らすパンデリオの国民にとっては厄介ごとの種だった。
魔獣にとって国境など意味はない。たまに腹を好かせた魔獣が村に現れては人を襲うので、この辺りでは魔族よりも魔獣の方が嫌われているくらい。
「この森を抜けて、最短距離でマヴィアナ国の領内を目指しますわ。森に入らず大回りをしていくと村がありますが、そのルートだと時間がかかりすぎますので」
何より、小さな村に立ち寄る意味もないしね。
地面にざっくりと地図を描きながら説明すると、クシェが首を傾げた。
「マヴィアナ国の情報って、ほとんど無いんですよね? 地理が分かるんですか?」
「ああ、いえ。わたくしは何度か来ていますから」
クシェとルシオンが揃って不思議そうな顔をするので、私は小さく微笑むに留めた。だというのにカリオが余計にも口を挟んでくる。
「姫様は幼い頃より、『遠征』を行って魔族を討伐してこられた。我々の中で一番魔族の情報をお持ちなのは姫様だ」
「やめてください、カリオ。わたくしは魔獣の被害にあっている国民を助けただけですわ。確かに魔族の相手もいたしましたが、自慢するようなことではありません」
思い出したくもない過去よ。あまりこの話はしたくない。
「……大変失礼いたしました」
カリオが頭を下げる。このやり取りをどう捉えたのか、ルシオンが感動の面持ちで見つめてきた。
「姫様は、とても謙虚でいらっしゃるのですね!」
「殿下だ、ルシオン殿」
「……殿下」
クシェが加わったところで、この二人がギスギスするのはもはやどうしようもないみたい。
「慢心は油断に繋がりますから。ともかく、今回は『憤怒の森』を抜けていきます。わたくしも森に入ったことは数えるほどですし、魔獣がどれほどいるか分かりませんので、慎重に進みますわ。ルシオン様、戦闘になったらよろしくお願いいたします」
にこりと笑って二人を制する。カリオとルシオンは互いに睨み合いながらも、私には良い子の返事をした。
道中、戦闘が避けられない場合の役割分担は決めてある。前線で戦うのがルシオン、私の護衛につくのがカリオ。クシェは多分、ルシオンの補助かしら。
私が前に出るのは、カリオが絶対に許さなかった。私も戦いたくはないしいいんだけれど、ちょっと過保護がすぎない? 魔族や魔獣に対しては、私が一番強いと分かっているでしょうに。
まあいいわ。私の本当の目的は、何事もなくリダールの元へ辿り着くこと。ルシオンが持つ聖剣にはいくつか秘密があるし、彼が戦闘をすべて引き受けてくれるなら願ったり叶ったりよ。
「もちろん、お任せください!」
頬を染めて胸を張るルシオンに、クシェが唇を噛んで私をちらりと見た。本当に問題しかない面子ね。これ、本当の魔王討伐だったとしたら絶対に成功しないわよ?
様々な不安を抱えつつ、私たちは森に踏み入った。
その途端に感じる、膨大な魔力の渦。私たちの侵入に気付いて、魔獣たちがこちらを意識しているみたい。リダールからは「セレアなら無傷で通り抜けられる」と言われているけれど、こうやって肌で感じるとちょっと身震いしてしまう。
魔術師であるクシェもすぐに感じ取ったみたいで、無意識のうちにかルシオンの傍に体を寄せていた。
「すごい魔力の数……。森全体に、魔獣がうじゃうじゃいるよ」
不安そうなクシェに対して、ルシオンの返答は明るい。
「聖剣の試し斬りにはちょうどいいさ。城では魔石人形ばかり相手にしていて、つまらなかったからね」
対照的に、カリオは私にぴったりとくっついてきた。いつでも剣を抜けるように身構えているのが分かる。そんなに殺気を放っていたら、逆に魔物を刺激してしまわない?
「カリオ、わたくしはよいので、クシェさんを守って差し上げてください」
「クシェ殿にはルシオン殿がついています。私は姫様の騎士ですから、お傍を離れる命令は聞けません」
本当に真面目だ。私としては、クシェを実力のあるカリオに守ってほしいのだけれど。まあでも、ルシオンだってこの辺りの魔獣なんかには負けないだろうし、そう心配することもないかしら。
どうやってもカリオは離れそうにないので諦めて、森を進むことにした。
人が立ち入らない森だから、当然道などない。辛うじて見える獣道を選んで歩いても、木の根や雑草に足を取られる。普段は整えられた場所ばかり歩いてるから、これはちょっときついかもしれないわ。
ところでお父様は、私が長旅に耐えられるかどうかは考えてたのかしら。十中八九、考慮してないとは思うのだけれど。だって最初からこんな魔王討伐作戦をするつもりなら、幼い頃から私を鍛えるはずだものね。
どうにかこうにか木の根を乗り越えながら、遠い王城にいるお父様の愚痴を吐く。いえ、本当に口には出さないけれどね?
「姫様、手を」
「ありがとう、カリオ……」
クシェについていてほしいと言った傍から、カリオの手を借りる羽目になっている。カリオは私をエスコートし慣れているから気にしていないけれど、ルシオンとクシェからの視線をびしばし感じる。すごく居心地が悪い。
何度目かのエスコートで、おずおずと、しかし強い意志を宿した目でルシオンが言ってきた。
「殿下。手なら僕が貸しますから、」
「いいえルシオン様。それには及びませんわ」
正直なところ、ルシオンは悪人ではないと思うのだけれど、あまり好意を抱ける相手ではない。タイプじゃないというか。リダールという恋人がいなくても、ここは変わらないと思うわ。人の好みはそれぞれだから、クシェを否定するわけではないけれど。
だからルシオンとあまりお近づきにはなりたくないの。ああいう熱血的な人って苦手なのよね。
とはいえそれを今言うわけにもいかないから、当たり障りのない理由を述べる。
「ルシオン様には周囲を警戒していてほしいのです。あなたに先頭を進んでいただければ安心できますから」
ルシオンは満更でもなさそうな顔をしたけれど、それでも、と食い下がって来た。
「魔王討伐の暁に、殿下と結婚するのは僕です。こういう時は僕を頼ってほしい」
いやだから、それが嫌なんだってば。
思わず顔が引きつりそうになったけど、心優しい聖女様はそんな顔しないでしょう。なんと言って断ろうか、誤解されるとしてもここはちょっと恥じらう演技でもした方がいいかしら。
しかし可愛らしく顔を隠す前に助け船を出してくれたのはクシェだった。
「そもそも、姫様が行く必要はあるんですか? お辛そうじゃないですか」
「クシェ!」
これ助け船かしら? 私、言外に貶されている気がするわね。足手纏いだって。
多分ルシオンが私に言い寄っているのを見てイラッとしたんでしょうけれど。だけどクシェの言ってることは正論だ。どう考えたって、ちょっと不思議な力を持ってるだけのお姫様が、この旅を普通に乗り越えられるとは思えないもの。
「……陛下と将軍がお決めになったことだ。我々にそれをとやかく言う権利はない」
答えるカリオだって苦々しげだ。そうよね、だってカリオは最後まで反対してたもの。ともすればルシオンから聖剣を奪い取って、一人でマヴィアナ国に突っ込みかねない勢いだった。
出発前に予想してた通り、嫌な雰囲気が溢れてる。仕方ないから場を和ませようと口を開いた、その瞬間。
殺気。
私とカリオが弾かれたように振り返り、一拍おいてルシオンが聖剣に手を掛ける。それを見たクシェが、慌てて杖を引き抜いた。
木立の向こうに、鋭く光る瞳。一瞬で見えなくなったけれど、間違いなく魔獣がこちらを狙っている。
魔獣たちからすれば縄張りを荒らされているのだから、侵入者を襲うのは当然のこと。気づけば周囲は、森に入った時とは比べ物にならないくらいの魔力が満ちていた。
「姫様、お下がりください。クシェ殿も姫様の傍に。ルシオン殿は後ろを頼む!」
「っ分かっています!」
カリオとルシオンが背中合わせになるように立ち、私とクシェはその間に。クシェは青褪めた顔で双方を見比べていたけれど、やがて意を決したようにルシオンと同じ方を向いた。
あっちに援護がつくなら、私はカリオを助けてあげなきゃだめよね。とはいっても、カリオには援護なんていらなさそうだけど。
カリオのことは、子供の時からよく知っている。いくら融通が利かなくて嫌になることがあっても、出会って一か月かそこらのルシオンとは積み重ねてきた時間が違うわ。
さりげなく外套の内側にある杖に手を伸ばしつつも、私はそこまで緊張していなかった。
木々の間を風が吹き抜けていき、緑色の香りを運んでくる。それを大きく吸い込んだところで、周囲の茂みが一斉に揺れた。
見事なタイミングで襲い掛かって来たのは狼だった。相当大きな群れのよう。視認できるだけでも十以上はいる。
真っ先にこちらへ向かってきた狼を、カリオが即座に斬り伏せた。ちらりと後ろを見れば、豪快に聖剣を振り下ろして身を沈めたルシオンの頭上を、クシェが杖で指し示す。
「安寧の破壊者、終わりの始まりに生まれし揺らぎよ。あたしに力を貸して! フラム・プルヴ!」
幼馴染だけあって連携は完璧みたい。クシェのばらまく炎の雨を掻い潜るように、ルシオンが縦横無尽に駆け回る。斬られた狼は、光の粒子を撒き散らしてその場から消えた。
ルシオンの腕が経つのは選抜を潜り抜けたから当然ではあるけれど、クシェの実力も相当ね。あの規模の魔術を使うのに、あれだけ短い詠唱で済ませるんだから。
あちらは問題ないと判断して、カリオの方へ注意を戻した。
カリオの剣裁きは、一見優雅よ。とてもゆったりした動きに見えるのに、隙が無い。右の狼を薙ぎ払ったかと思えば、瞬きすると左の狼を貫いている。
やはりこれなら、私の出番はないわね。そう思った矢先。
「姫様!」
クシェの悲鳴が聞こえて振り返ると、三頭の狼がこちらに迫っていた。どうやらあちらの攻撃を掻い潜って来たみたい。はっとしてこちらへ戻ろうとするカリオに叫んだ。
「カリオ、わたくしは大丈夫です!」
まったく、嫌になるわ。本当は私、この力を使いたくないのよ。
どんな魔族も、魔獣も、私には敵わない。こんな体質を持って生まれた私には。
飛び掛かって来た三頭の狼をひたと見据えて、私は握っていた杖を離した。
「来ないで」
ぴたりと動きを止めた狼たちが、次々と地面に倒れ伏していく。その体がみるみる干からびて、悲鳴を上げる間もなく息絶えた。目の前の三頭だけでなく、カリオたちが相手にしていた狼も。
辺りを取り巻いていた魔力もすっかり消え失せて、後に立っているのは私たち四人だけだった。
「姫様! お怪我はありませんか!?」
さっと剣についた血を払い落とし、カリオが駆け寄ってくる。くまなく私の全身を見渡して、ほっと息をついた。
「さすがです姫様。やはり姫様のお力は素晴らしい」
そのまま流れるように褒め称えてくるカリオから、顔を背けてしまった。彼が真剣なのは分かってるけど、このことで褒められたくはないわ。
一方、ルシオンとクシェの方は同じ場所で棒立ちになっていた。かと思えばルシオンが動き出して、何やら狼を確認して回っている。
カリオがそれを見咎めて、びっくりするくらい大きな怒声を張り上げた。
「ルシオン殿ッ! 何をしている、みすみす敵を通すなど!」
ルシオンはびくりと肩を震わせて、「すみません」と謝った。けれど視線はまだ狼を追っていて、別のことが気になっている様子。少しして、ぎゅっと拳を握りしめた。
「僕たちよりも、多い……」
どうやら討伐数を数えていたらしい。カリオの方が二人よりも多く倒しているから、少しプライドが傷ついたのかしら。
「今、何が……」
クシェが驚いた顔で私を見ていた。彼女には魔力がどういう動きをしたのか分かったみたい。
「狼たちの魔力を奪ったのです。これが、わたくしが聖女と呼ばれる所以。魔王を倒す力です」
認識すれば、その対象から一瞬で魔力を吸い取ることができる。それが私の生まれ持った力だった。生まれてすぐの頃、体を清める湯を用意しようとした魔術師の魔石を消滅させちゃったそうよ。それから何度か近くの魔術師や魔道具の魔石を消滅させて、ようやく私の体質に周りが気づいたんだとか。
この力なら、魔族の魔力を奪って簡単に殺すことができる。
唖然としていたクシェだったけど、すぐに体を震わせて自分の杖を握りしめた。
「さすがは、聖女様……」
ぽつりと零れた小さな声には純粋な畏怖が込められていて、私はなんだか暗い気持ちになってしまった。
視線を落とした先に、皮と骨になった魔獣の亡骸。膝を折ってゴワゴワした毛に触れる。彼らだって、生きるために私たちを襲っただけだったでしょうに。
「……ごめんなさい」
本来ならば、私がうまく立ち回れば、奪われなくてもよかった命。きっと私には謝る資格もないわね。それでも言わずにはいられなかった。
「どうか、安らかに」
ただのエゴにすぎないのに、これで少しでも救われた気分になる自分が嫌だわ。
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