霊能力者紅倉美姫19 薔薇の独り言
岳石祭人
上
伯父が亡くなった。
芙蓉の苦手としていた人だ。
嫌いなのではなく苦手なのだ。
人物はむしろ好いていた。当人はとうていそうは思っていなかっただろうが。
芙蓉はこの人に認められたいと思っていた。今の職に就いて喜んでくれると思っていたが、実際は「そんな怪しげな仕事は辞めろ。みっともない」とけんもほろろの言葉を吐かれた。いかにもこの人らしいと思ったが、やはり寂しかった。
いつかは分かってもらえるだろうと思っていたが、
その機会はなくなってしまった。
とても残念だ。
伯父にはたいへん世話をかけた。
特に高校の時。
芙蓉がある問題を起こして、それは結局まるっきりの誤解と分かったのだが、学校に呼ばれて伯父がやってきた。
何故両親でなく伯父が来たかというと、それは芙蓉の家庭事情にあった。
芙蓉(ふよう)美貴は芸名だ。先生に許しをもらって自分でつけた。
本名は益村(ますむら)美貴。いや、現在は本多(ほんだ)美貴。中一の時両親が離婚し、美貴は母親に引き取られ、母親は翌年別の男性と再婚した。相手の男性もバツイチで、中二の美貴には小四の弟ができた。美貴には二つ上の姉がいて、姉は父親に引き取られ、父親も母に対抗するように再婚した。彼女には一つ年上の兄ができた。両親の離婚後も姉にはたまに会っている。父とは、めったに会わない。別に嫌いなのではなく、これもなんとなく会うのがおっくうなだけだった。
美貴は人が苦手になっていた。
元々独りでいるのが好きな子だったが、それでも姉にはベタベタ甘えていた。この世に姉さえいれば他の人間はいらないとさえ思っていた節がある。
そんな姉と突然引き離された。
ショックだっただろうと思う。
ショックで黙り込んでしまうくらい。
姉とはその後も月に一度くらい互いの路線の交わる駅のファミレスで会っていた。美貴の母が再婚し、姉の父が再婚してから、その回数が減った。ひと月がふた月になり、半年近く会わないこともあった。
特に父の再婚後、姉は変わってしまったと思う。美貴の姉ではなくなった。他人になった。知り合いのただのお姉さんになってしまった。
しかしそれを寂しい、悲しいという感情を、美貴も持たなかった。
美貴も、変わってしまったのだろう。
今になって思う、両親の離婚と、姉との別れは、少女であった美貴の心に深い傷を付けていたことを。
心の傷は時間をかけて表面に浮き上がってくる。傷を付けた相手がとっくの昔に忘れ去ってしまう頃に。
そういう事例を先生の下で働くようになってからいくつも見た。
自分も例外ではなかったわけだ。
美貴は新しい父親になじめなかった。新しくできた汚らしいガキの弟にも。
新しい父の自分を見る目が嫌だった。
中三の時ビデオで「ロリータ」を見た。戦慄した。劇中のランバート・ランバートに新しい父を重ねた。自分は、ロリータだ。
日々「男」に成長していく弟の自分を見る目も嫌だった。
美貴はブラジャーを着けるのが遅かった。級友に注意されて着けるようになった。姉がいれば、もっと早くから着用していただろう。クラスの男たちが自分をどういう目で見ていたか思い至って戦慄した。
美貴は男を汚らしい物と思うようになった。
「ロリータ」を見てから思い立って合気道の道場に入門した。見学をして、きれいな若い女性の師範のいる道場を選んだ。
美貴は合気道にのめり込んだ。高校受験を控えた大事な時期にそんなことを始めて、父も母もしばらく待てと言ったが、美貴は聞く耳を持たなかった。別にグレたわけではない。むしろ美貴は優等生で、勉強は出来た。あからさまに親に反発するような、そんな幼稚な反抗の仕方を美貴はしなかった。美貴は優等生であり続けた。さらにそこに強くあろうという態度が加わった。そして、賢く強い自分は、相手を無視した。それもあからさまにではない、自分の方が優れているということを認めさせて、相手を黙らせるのだ。なんとかわいくない子だっただろうと思う。
当然、美貴は周囲から浮いて、家族から浮いて、孤立した。
望むところだった。
独りで生きられる、独りで生きていくと、そう思っていた。
高校は女子校に入学した。県立の女子校の入試など、頭のいい美貴には楽勝だった。
入学当初汚らしい男のいない女子校は楽園に思えた。
事実楽しかったが、失望もした。
醜く汚らしい人間なら女の中にもいた。美貴は当然無視した。無視し続けるつもりだった。
入学からさほど間を置かず美貴は学校のアイドルとして注目されるようになった。美貴は背が高く目立った。顔は整って美しく、武道で身に付いたキリリとした目つきは少女たちに神秘的に映った。勉強もできた。スポーツも何をやっても上手かった。
あちこちの運動部から入部を誘われ、合気道を理由に断っていたが三年生のしつこい誘いにうんざりし、合気道に近い空手部に入部した。武道系は何故か空手部だけで柔道部や弓道部といったふつうにありそうな部はなかった。
空手部の部員たちは喜んだが、他の運動部からのイジメにあった。弱かったからだ。武道系で空手部だけあったのは型が基本で、柔道部のような汗くさい乱取りがなく、畳もいらず、お嬢様のちょっとした格闘趣味を満足させることが出来たからだ。最初からあまりやる気のなかった美貴だが、その仲良しクラブぶりにはさすがに呆れ返った。自分たちから誘ったくせに先輩たちは本格派の美貴を持て余し、美貴はここでも浮きまくり、すぐに幽霊部員となった。
事件はそうした中、さっそく六月に起こった。
有望な美貴を取られて悔しいバレー部の三年が、美貴を賭けて試合を申し込んできたのだ。空手で。一人中学まで空手を習っていたという三年がいて、彼女と有志四人(未経験者)がチームで団体戦を申し込んできたのだ。既に幽霊部員の美貴のまったく関知しないところでの話であり、形ばかりの顧問にも当然ないしょだった。
美貴が話を知って迷惑に思いながら道場に行くと先輩たち四人がぼろぼろ涙を流してしゃくり上げ、チームの大将の部長は真っ青になってガタガタ震えていた。その時点で四対〇。もちろん空手部チームの全敗だ。相手の素人四人は快勝に大笑いしていた。
美貴は部長に代わって大将として相手の玄人と対戦することになった。
「本多さんは合気道が得意なんだって? わたしは五歳から十四歳まで空手道場に通っていたのよ。もちろん黒帯を持っているわ。ねえ?こんな馬鹿げた試合止して素直にうちに来てくれないかなあ?」
黒帯の元武道家はデモンストレーションに徒手、突き、蹴りの型を披露した。確かにきれいで、速い。美貴はチラリと自分の仲間の四人を見た。頬を赤く腫らしている子がいる。道衣の脇腹を押さえている子がいる。美貴は冷たい目を空手家に向けた。
「有段者が、フルコンタクトですか?」
「まさか。ちゃんと寸止めするように言っておいたわ。でもー、ごめんなさい、こっちは素人だから」
美貴は対戦相手の四人を見た。一応かしこまっているが吹き出すのを我慢している。美貴は空手家を見た。
「わたしが勝ったら今後一切わたしにつきまとわないって約束してください。それと、先輩たちにも今後一切手出ししないと、約束してください」
「いいわよ。その代わりわたしが勝ったら……」
「いいですよ。約束します」
「そのかっこうでいいの?」
相手のバレー部員たちはジャージ姿で、こちらの空手部は道着を着ている。だが美貴は学生服のシャツにベストにスカート姿だ。
「どうぞ」
美貴は見よう見まねの空手の構えを取った。
「部長、審判をお願いします」
すっかり及び腰の部長が泣きそうな声で「はじめ」と言った。
「・・・」
ビュッと黒帯の突きが胸に伸びてきた。しかしそこに美貴はいない。踏み込んだ黒帯の頬にピタリと手の甲が当たっている。美貴自身は黒帯の背後にいる。黒帯の顔に驚愕が走った。
「部長?」
「い、一本!」
空手部員たちから歓声が上がった。
「くっ」
黒帯は美貴の手を払いのけて「キエエエイッ」と、武道経験者しか発し得ない気合いを発して突きと蹴りを繰り出してきた。別に判定を無視したわけではない。技の寸止めを義務づける伝統空手は三本勝負が基本だ。フルコンタクト(直接打撃)ルールなら一本で終了だが……。
美貴はスイスイと足を引きながら黒帯の攻撃を柳に風と受け流している。黒帯は翻弄されて道場をぐるぐるきれいな円で回った。頭に来た。
「逃げ回ってるんじゃないわよ! これは空手の試合よ!」
途端に、トンと、美貴の手が黒帯の胸を押さえた。美貴の伸ばした手に黒帯が自分から飛び込んだかっこうだ。
「バ……」
「一本!」
また空手部員たちから歓声が上がった。
黒帯は憎々しげに美貴を睨んだ。
「お嬢様武道が……」
美貴の修める合気道は通常試合は行わない。もっぱら型の習得が目的で、その技も受け流しが基本だ。「勝つ」ための武術ではない。争いを収めること、それが合気道の目指すところだ。だが……
「バカにするんじゃないよ!」
黒帯は美貴の髪の毛を掴んで引っ張った。美貴もさすがにこの暴挙は予想できなかった。
バシンと黒帯が美貴の頬を張った。
「そら一本!」
バシン!
「また一本! そら!……」
黒帯の体が舞った。美貴の足払いに物の見事にクルンと体が風車のように回転し……
「イタ!…」
黒帯が美貴の髪の毛を放さなかったため美貴も体勢を崩して回転の軸がぶれた。
「グエッ・・・・・・」
黒帯は首から板場に落下した。その上に美貴の体が落ちた。
「・・・・・・・・・」
道場に悲鳴が響き渡った。
救急車が呼ばれた。
伯父が呼ばれてやってきた。
母は末っ子で上に三人の兄がいる。伯父はその一番上で、母とは十二、歳が離れている。
伯父が来たのは母が相談したからだ。学校に呼ばれるなど初めてのことで、おろおろと兄に電話したのだ。伯父は末の母をかわいがり、娘の美貴をかわいがってくれていた。それが……
「この馬鹿者が! 武術なんぞやっとるからこんな暴力沙汰を起こすんだ!」
美貴は伯父に教師たちの前でこっぴどく叱られた。呼びつけた教師たちの方が引いている。
「まあまあ、落ち着いてください」
空手部顧問の歴史教師が言った。以前はちゃんと技術指導の顧問がいたようだが、同好会のような今の部にはおらず、この教師もまったくの素人だ。そもそも部の運営に問題があった上、今回の暴力沙汰で相当頭を痛くしている。
「幸い相手の三年生は首の捻挫だけで済んだようですし……まあこれから精密検査をしてみなければはっきり断定はできないんですが……、ともかく、事情を聞けば悪いのは相手方で、乗せられた本多君も悪いと言えば言えなくもないが……、まあ、仕掛けてきたのは一方的に向こうの方ですから……」
教師の歯切れの悪い説明に、
「だから武術がいかんのだ!武術が!」
と伯父は美貴を叱った。
「武術なんてやめろ! 金輪際、俺が許さんぞ!!」
一方的に言い渡された。
けっきょくバレー部の三年生は捻挫だけで済んだが、精神的にはかなりまいったらしい。元空手部の先輩によるとすっかり人間が変わったように大人しくなり、レギュラーだったバレー部もやめてしまったそうだ。かわいそうだが、自業自得だし、それに空手部も即廃部になったから痛み分けだ。
晴れてフリーになった美貴をまだ二、三勧誘してくる部もあったが、美貴が断ると大人しく引いた。
怖い女、
と、美貴の評判が立ったが、やっつけられたバレー部の三年は陰で「女ジャイアン」と呼ばれる嫌われ者で、少し時間が経つと却って美貴の人気は上がった。人気が下がるのも上がるのも美貴にとっては迷惑なだけだったが。
美貴は相変わらず一人孤高の学園生活を送っていた。
美貴は伯父に言われるまでもなく合気道の道場も辞めた。相手が悪いとはいえケガをさせてしまい、売られたとはいえ喧嘩を買ったのも事実だった。
しかしそれより。
あの黒帯の有段者は決して弱くはなかった。本人も自信満々だったように、相当の実力者だった。美貴はこれまで誰かと闘うということをしてこなかったから半信半疑だったのだが、美貴は強かった。そしてその強さは異常だった。
勘がいいとは自分でも前から気付いていた。それが合気道を通じてより鋭く研ぎ澄まされていった。組み手の稽古をしていると相手の動きが予測されて、視えた。優れた武術家ならそうであろうが、美貴は自分のそれは違う物のように感じていた。
美貴は、霊感が強かった。
祖母、父方のおばあちゃんがそうであったらしい。残念ながら美貴が小学生の頃に亡くなってしまったが。
強いといってもはっきりいわゆる「お化け」が見えるほどのものではなかった。ただ、居る、という風に感じることは多かった。
美貴はその霊的な勘を合気道で磨いてしまったらしい。
武術家として美貴よりあの黒帯の方が数段上だっただろう。しかし美貴には相手の動きが完璧に視えた。もちろん予測できただけでは勝てない、体が付いてこなければやられてしまうが、美貴には先に相手の意識が視えてしまうのだ。武術の本物の達人ともなれば頭の神経より体の神経が勝手に考えてまさに反射的に技を繰り出すものなのだろうが、美貴の特殊な霊勘体質はもともとの運動神経の良さと相まってそのレベル近くまで美貴を高めてしまったようだ。
これは……卑怯だろう?
悪いことをしてしまったと思う。
もっと気をつけていれば相手の髪の毛への攻撃も予測できただろうが、その中途半端さが嫌になった。
伯父の言う通り、武術という場に身を置くべきではないと思った。
美貴は合気道をやめた。
さて、美貴は一気に暇になってしまった。たまにクラスメートのグループに誘われてカラオケやショッピングと、女子高生らしい遊びもしたが、どうしても浮いている自分を感じずにはいられなかった。
そういえば、美貴は地元の一大娯楽施設、ドリームランドも苦手だった。
美貴は千葉県の在住だった。
田舎の方で、目と鼻の先とはいわないが、それでも今や全国の女子高生たちが憧れるであろうドリームリゾートの地元である。美貴だって子どもの頃から何度も行っている。
子どもの頃は楽しかったように思う……両親の離婚前、姉と別れる前は……
今は、楽しくなかった。
これも、嫌いなのではない。自分の心が、この善意に満ちあふれた楽しい夢の世界を、受け入れられないのだ。
苦手なのだ、楽しいことが………
美貴だって悩んだ。それじゃあ、自分は、なんのために日々を生きていったらいいのだろう? と………
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