放課後恋愛倶楽部

陸村 無夏

第1章ー1

      1


“恋愛に不器用・不得手なすべての方々へ当倶楽部がご支援します”


かのう君、数学のノート集めてるんだけど」

読んでいた本から目を離して横を見る。クラスメイトの確か矢沢さんだったか、ほとんど面識のない女子生徒がこちらに手のひらを向けている。

 授業終わりにそんな事を先生が言っていたなと思い出し、一度しまったノートを机の中から取り出し彼女に手渡す。

「ありがとう、よろしく」

 彼女はノートを受け取ると、次の席へとライン作業のように移動していく。ふとクラスメイトに話しかけられたのは、いつぶりだろうかと思う。進級し三ヶ月程たったが、二年生になっても変わらず一匹狼となっていた。

 とはいえ、入学した時から友達を作ろうとはせず、教室では空き時間にひたすら本を読み漁っている時点で、そんなもの出来ようがないのは明白だった。

 入学当初は話しかけてくれる、クラスメイトもいたが、あらゆる誘いを断り続けていると自然とそんな人もいなくなる。

 自業自得ではあるが、この現状を受け入れている自分がいて、これはこれで平穏でいいなと思う。友人関係に悩まされることもなく、恋愛に一喜一憂するようなこともない、平坦な日常。

 クラスメイトが夏服から透ける女子の下着に心躍らせていて、今年の夏はどこに行こうなんて話しが聞こえてくる。本に向けられた集中が途切れて、窓の外を眺める。

 もう十日程経てば、学校は夏休みに入る。高校二年の夏休みというのは貴重で、来年は受験勉強が始まることを考えれば、満喫できるのは今年しかない。

 ただ考えてみたが、夏だからと言っても特にやりたいことが思い浮かばない。アルバイトをするなり海に遊びに行くなり、やれることはある。

少し考えたが、結局読書が一番いいなと結論づける。普段と代わり映えしない日常、それは最上級の幸せなのではないかと思う。

 放課後図書室へ行って、夏休みに向けて目ぼしい本を見繕うことにした。


 ところが、平坦で平穏な日常を突如として粉砕する女子がいた。

 断っておくが俺には、特殊能力や超人的な力があるわけでもない。そいつは俺の黒歴史を知っていて、あろうことかそれを利用しようというのだった。邪知暴虐という言葉は彼女の為にあるような言葉だと思う。


 放課後の図書室には、まばらだが何人か読書したり勉強している生徒がいた。

 テスト前になるとテスト勉強をする生徒で賑わうので、テスト前に来ることは避けている、静かじゃない図書室なんて入る気にもならない。

 夏休みに読むなら、いつも読まない長編シリーズでも読もうかと、棚を見て回る。 ミステリやサスペンスの小説が好きなので、自然とその棚に足が向かうことになってしまう。棚を眺めながら、読みたい本がなければ、市の図書館でも行こうと考えていると、視界の隅で女子がこちらに近づいてくるのが見えた。

 人が近くにいると落ち着いて本を選べない、自分が何を読むのかを知られたくないと思うのは俺だけだろうか。

 一度棚から離れようとすると、声を掛けられた。

叶真澄かのうますみ君だよね?」

声の方向に顔を向ける。

 そこには黒髪・猫目・髪にはヘアピンを差した、控えめに言っても可愛い女子がいた。どこかで見たような気がするが、誰だかわからない。

「え、そ、そうだけど」

急に声を掛けられて、動揺している自分がいる。

「私、一条真希いちじょうまき。隣のクラスになったことないから、知らないと思うけど同じ二年生」

ウチの学年は六クラスあり、二クラスずつ三階ある校舎の各階に分けられるので、隣のクラスでないとほとんど会う事はない。

 名乗られて一条を見ても誰かは分からない。見覚えがある気がしたのは気のせいだろう。何の用か知らないが、あまり不躾にするのも悪い。

「そ、そっか。な、何か用かな?」

「ちょっとお願いがあるんだけど、聞いていくれないかな?」

さりげなく周囲をチラリと見回す、誰かがこちらを窺っている様子はない。悪戯の類ではなさそうだ。

 では相談ってなんだ?本ばっか読んでる陰キャにお願いとは。

「叶君?大丈夫?」

一条は困惑している俺の顔を覗き込んでくる。先ほどから思っているが、この子距離感が近い。陽キャにありがちな距離感。

「だ、大丈夫。お、お願いって?」

一条はニコッと大抵の男子は落とせそうな笑顔で言う。

「お願いはね、私の恋の応援をして欲しいの!」

何を言ってるんだコイツは、誰が好き好んで人の恋愛をするんだ。と普通なら思うが、非常に嫌な予感がする。

「ぼ、僕には無理だよ。恋愛とかよくわからないし、女子とも上手く話せないのに」

最初は大きく、段々とボソボソと喋る。

 知らない人間には陰キャムーブを全開にする。これで近づいてくるやつは撃退

もとい諦めてくれる。クラスの厄介事は大体これで逃れてきたのだ。

 二年もやっていると、自然とできるようになるのだから恐ろしい。

成沢なるさわちゃんから、叶君に頼むと良いって聞いたの」。  

「マジかよ」衝撃のあまり陰キャムーブをすぐに忘れた。

「成沢に何を聞いたか知らないけど、俺にできることはない」

「えーそんなことないよ。なるちゃんに聞いた話は凄かったよ!叶君のクラスメイトに自慢したくなるくらい」

一条はニヤリと笑う。なるほどいい性格をしている、こいつの飲むタピオカが全てカエルの卵に変わりますように。

「そんな脅しに屈すると思ったのか」

正直屈する。何せ中学時代の黒歴史が、クラスメイトに知られようものなら、俺の高校生活は平穏ではなくなる。だからといって、そう簡単に引き下がれないのも事実。

放課後恋愛倶楽部ほうかごれんあいくらぶ。いい名前だよね、クラスメイトはどう思うかな?教室で本を読んでいる男の子が元恋愛マスターなんて」

脳内でゴングが響き渡る。こいつは俺がクラスで孤立していることも、目立たないようにしていることも知っている。そして倶楽部のことも。

「わかったよ、話は聞いてやる。だから誰にも、何も、言うな」

うんざりした顔で俺が言うと、一条とかいう悪の権化は笑った。

「オーケーオーケー。余程嫌なんだね、クラスで目立つの」

「お前、黒歴史を人に暴露されることが目立つ程度で済むと思ってんのか」

「意外と人気でるかもよ。試してみる?」一条はしたり顔でこちらを見る。

「うるさい。いいから早く話せ」

「図書館じゃ話せないよ。うるさくなるし、喫茶店行こ。成ちゃんも呼んでるし」

常識だよね、見たいな顔で言われて、ストレスゲージが上がっていく。そして一拍置いてから気づく。

「成沢も来るのか」

「うん。聞きたいこともあるからって」

急に行きたくなくなってきた。平穏で平坦な日常は突然どこかに消えて、憂鬱な現実がのしかかってきた。

 陰鬱な気持ちを抱えながら、図書室を出たところで隣を歩いていた一条がこちらを見て呟く。

「それにしても、口調やら態度やらコロコロ変わるのね。流石、怪人二十面相」

黒歴史が蘇ったとき大声を出したくなるのは、誰も皆同じだと思う。


      2


 俺らが通う浅ヶ丘高校の近辺は住宅街なので、学生が放課後遊ぶには適していない。なので、遊びに行くときには隣駅に向かう。

 今回一条が待ち合わせに選んだ店もそこにある。

 案内された店はパドルコーヒーと言って、俺も入ったことがあるチェーンの喫茶店だった。二階席まである店内は、広々とした空間で居心地のよい雰囲気をしている。

 二階席に上がって席を見回すと、学校帰りの学生やスーツを着たサラリーマンで賑わっていて、空いている席はほとんどなかった。ただ、四人掛けの席に見覚えのある姿を見つけた。

「成ちゃん、お待たせ」

一条が駆け寄ると、成ちゃんと呼ばれた人が、スマホに落としていた視線をこちらに向ける。

「おっす真希ちゃん。それと」視線を俺に向ける。「久しぶりだね、叶」

「久しぶり」

一条は成沢の隣に座り、俺は一条の向かいに腰かけた。

「叶君、何か飲み物買ってくるけど。何飲む?奢っちゃうよ」

「ホットコーヒー」

「オッケー。しばしご歓談を」

「俺も行く」

「いいから、いいから」

そう言って一条は財布を持ち、軽々した動きでレジのある一階へ降りていった。

 二人きりは気まずいので避けたかったのだが。

「全然連絡してこないけど、元気してた?」

「元気だよ。そっちは?清も元気?」

成沢の高校の制服姿は初めて見る。

「二人共元気、部活に明け暮れてる」

「今日はソフト部休みなのか」

「うん、水曜日はお休み。清は部活」

清のことまでは聞いてない。と思いつつも最初に話題に出したのは自分だ。

「叶は部活やってないんだってね。陸上部入れば良かったのに」

「中学までで十分だよ。実力なかったし」

「そう?速かったけど」

「そんなことない」

そこで会話が途切れる。話しながら、成沢は変わらないなと思った。中学の時と何も変わらない。

「そう言えば、中学の時に私のこと一回呼び出して来なかったじゃない?あれ結局なんだったの?忘れてくれとか言ってたけど、今頃なんか気になったんだよね」

「なんだっけな。誕生日プレゼントでも渡そうとしたんじゃない?」

「なんで他人事なのよ。ていうか覚えてないの」

「覚えてないな」嘘を吐いた。思い出したくないから。

あんた人のこと寒空に呼び出しておいて、挙句の果てにはすっぽかしたんだよ。そんな酷いことしておいて覚えてないって」成沢は溜息をつく。

「まぁもういいけど」

不満そうに成沢は手元のアイスコーヒーのストローを嚙んでいる。成沢には悪いが、あの日のことは墓に持っていく。今後誰かに話すつもりもない。


 成沢就葉なるさわしゅうはは中学の同級生で、二人共陸上部だったことからよく話していた。 

 陸上部の顧問は仏のような顔で、鬼のようなメニューを出してくる女性で、鬼女と呼ばれていた。(後にそれがバレて、鬼畜メニューによる合法的体罰を受けた)

 しかしそれによって、部員たちはみんなで頑張って乗り切ろうと、自然と一体感が生まれ、男女分け隔てなく仲が良かったのだ。

 特に成沢は部活に熱心なタイプで、他の女子の部員と違って部活をサボることなんてほとんどなかった。俺もそれに対抗して、部活に懸命に取り組んでいたので自然と成沢とは仲が良かったと思う。

 ただ中学卒業後、俺は都立の浅ヶ丘高校、成沢は私立の栄新高校にそれぞれ進学して、それ以後特に連絡を取っていなかった。

 成沢は中学でも都大会に出場するぐらいには速かったので、高校でも陸上をやるのだと思っていたが、人伝いにソフトボールを始めたと聞いた。

 ついでに、成沢と同じく栄新に入学した、同じく陸上部短距離だった清高貴しんたかきと付き合っていると聞いたのも、この時だった。


「それより、一条に何を話したんだよ」忘れるところだったが、本題はこれだ。

「倶楽部のこと。どんなことやってたとか」

「何で話しちゃうんだよ」今度は俺が溜息をつく番だった。

「そんなに喋られたら困ること?」

「俺からしたら黒歴史だよ」

「馬鹿だねぇ、堂々してればいいのに」

当事者じゃないから、そんなことが言える。とは言えなかった。成沢も半分当事者ではあった。

「お待たせ。何話してたの?」

一条がトレイにコーヒーを載せて持ってきた。

「世間話。コーヒーどうも」トレイのコーヒーを受け取る。

「久しぶりに会ったんでしょ?もっと話しててもいいよ」

一条なりに気を遣っているように見える。初対面にしては気が利く、だが余計なお世話だ。

「別に大丈夫。それより、二人はどうやって知り合ったんだ」

これは地味に疑問だった。

 浅ヶ丘高校にはソフトボール部はないので、部活での交流とは思えないし、成沢の通う栄進高校は浅ヶ丘の近辺にはない。成沢は通学に一時間くらいかかっているはずだ。ちなみに俺や成沢の家は浅ヶ丘の方が近い。

「私、駅の方のレゴリスでバイトしてるんだけど、それで一か月くらい前かな、清君が来てアルバイト始めたの。それで成ちゃんとも知り合ったって訳」

一条は一息に話してコーヒーを飲む。レゴリスとはレゴリスコーヒーのことだろう、あそこもパドルのような喫茶店だった。

「清のやつ、部活辞めたの?」

「ううん、夏休みの間だけ。欲しいものがあるんだって」と成沢が答える。

なるほど世間は狭いものだ。皆、この近辺が地元なので不思議もないが。


「それで、恋の応援って何?さっきも言ったけど、俺にできることなんてないよ」

問題を先延ばしにするのは好きではないので、本題に入ることにした。

「さっき取りあえず、話は聞くって言ってた」

「できることはないけど、話を聞くことはできるってこと」

一条は納得しない様子で息をつく。「とにかく話は聞いてもらうから」

「サッカー部の三年生にね、鷹匠たかじょうさんというイケメン、高身長、スタイル抜群、サッカー上手くて、学力テスト学年十位という完璧超人がいるんだけど、夏休みまでにその人と付き合いたいの」

一条の目が心なしかうっとりしているように見える。その鷹匠を思い浮かべているのだろう。

「それで?」

「付き合いたいんだよね」

一条は念を押してくる。

「告白すれば?」

「こないだ文化祭実行委員の打ち合わせで、初めて話した程度の仲なの。成功すると思う?」

「当たって砕ければいいんじゃない?」

一条はスマホを取り出し、何やら操作を始める。

「今から叶君のクラスの人に片っ端からメッセージ飛ばしていくね」

「オーケー分かった。お互い冷静になろう」成沢が横で愉快そうにニヤついている。

「ふざけないでちゃんと聞いてよね」一条は怒っているが、お互い様だと思う。

「あのなぁ、あまりにも厳しくないか。期限なんてあと十日ぐらいしかないし、そもそもこないだ話したばっかりって」

流石にお手上げ案件、俺が魔法使いでもない限り不可能だ。

「そこを何とかするのが、怪人二十面相じゃないの」

「それ止めてくれ」

自分でも思ったよりも冷たい声がでた、アイスコーヒーすらも凍りそうだ。

「ごめん」

俺が本気で嫌がっていることは表情で伝わったらしい。それぐらいの良心はあるのか。

「倶楽部で基本的にやってたのは、あくまで支援。必ず告白を成功させるなんて、裏技はないんだ。だから付き合いたいって言われても困る」

「・・支援って具体的に何をしてくれるの?」一条は不満そうだ。

「その好きな人について調べたり、デートのセッティング、容姿のアドバイス、行動の仕方をアドバイスする、とかかな。人による」

「敵を知り、己を磨くか」

一条の呟きは的確に倶楽部の活動について表していた。さては頭がいいのか?

「じゃあさ、鷹匠先輩について調べて欲しい。あの人完璧超人だけど、一個疑惑があるのよ」

「疑惑?」

「うん、年上の美女を何人も連れて侍らせてる、らしい」

「へぇ、それは羨ましいことだね」美女を侍らせるなんて、言われてみたいものだ。

「信じてないでしょ。私だって信じてる訳じゃないけど、疑惑は解消しときたいのよ」

一条は馬鹿にしないでと言いたげだ。

「それ疑惑はどこから出てんの?」

「サッカー部らしい、私も人伝いに噂を聞いたから、確かじゃないけど」

「サッカー部員のただのやっかみじゃないの?」

「でも友達にいるのよ、先輩らしき人がスーツ着た美人と二人で歩いてるの見た子」

「なるほどねぇ」

サッカー部員とその友達が手を組んで、先輩を貶めようとしている可能性もあるが、目的がイマイチ分からない。情報が少ないから何とも言えない、だからこそ調べる必要はあるのかと合点がいく。

「どう?できそう?」

「出来ないなんて言ったら、俺は夏休み前か後に地獄を見ることになるんだろ」

夏休み明けに影でこそこそ言われるのはごめんだ。

「じゃあやってくれるのね?」

「やる。でも告白がどうなるかは一条次第。俺がやるのは鷹匠先輩の女事情を調べるとこまでだからな」

「そっか、取りあえずそれでいいわよ」

取り合えずも何もないが。と思ったが、口論になりそうなので止めた。

「それと、人がいないから一条にも協力してもらうからな」

「ええー依頼者にも行動させるの?」

一条は不満気にアイスコーヒーをすする。

「当たり前だろ、自分の為なんだぞ」

「それもそっか。それで何するの?」

切り替えが早い。

「明日、明後日で考えて伝える」

突然の依頼、色々と考える必要がありそうだ。幸い明日、明後日は土日なので考える時間は十分ある。

 ふと成沢を見るとまだニヤついてる。

「なんだよ、さっきから喋らないで」そう言うと成沢は表情を変えずに、

「放課後恋愛俱楽部高校編始動だね」

と嬉しそうに言った。


      3


 夕食を食べてから、食後のコーヒーをマグカップに入れて自室に入った。椅子に座り、机の上のノートを眺めて授業の復習をしようとしたが、昼間のことが思い起こされる。

 怒涛の一日だった。シミュレーションゲームなら、選択肢が表示されてエンディングへの分岐が決まる、そんな一日だった。まさか高校生になっても倶楽部の話が出てくるとは。

 放課後恋愛倶楽部とは、中学生の時に俺と他二人で結成された倶楽部だ。学校のクラブ活動で行っていたものではなく、身内だけで秘密裏に行うものだった。

 主な活動は、一条にも言ったように恋愛相談やアドバイスで、相手の好みを探る為に情報収集なども行っていた。

 中学生にしては、情報漏洩や秘密保持は徹底していて、倶楽部の存在はほとんど表に出ることはなかった。だが人の口に戸は立てられず、どこから漏れたのか倶楽部の名前は都市伝説のように語られていた。

 依頼者は基本的にメンバーの友人か、悩みを抱えていそうな人を逆スカウトしていて、二ヶ月に一人くらいのペースでこそこそと活動していた。

 倶楽部の活動はメインの三人で行っていたが、時には補助として成沢にも手伝ってもらっていたので、成沢も倶楽部については割と詳しい。恐らく、一条に俺を紹介したのも、俱楽部のメンバーで浅ヶ丘に通っているのは俺だけだったからなんだろう。

 倶楽部の活動は中学二年の今ぐらいの時期から始めて、中学三年の冬まで行っていたが、ある事をきっかけに俺から倶楽部活動の停止を提案し、他二人も受験前ということもあり賛成した。

 そして、それ以来倶楽部活動を再開することはなかった。

 俺にとって倶楽部の活動は、楽しい思い出と思い出したくない黒歴史が、混同した複雑なものとなっていて、高校では倶楽部のことなど思い出さずに、ひっそり生きていたかった。

 ふと手元を見ると、マグカップのコーヒーは冷めきっていて、中は井戸の底のように黒く染まっていた。

 ちなみに一条に呼ばれていた『怪人二十面相』は倶楽部内のコードネームだ。そんなものつけてしまうのはない。、中学生だから許して欲しい。


      鷹匠1


 その日、鷹匠は急遽呼び出された。

 先にメッセージを送ったのは自分だが、こうも早く連絡が返ってくるとは思わなかった。夕方から夜へと変わっていく時間帯の駅では、退勤してきたサラリーマンで溢れている。

 こんなに人がいるなら、待ち合わせの場所は変えるべきだったと後悔する。人ごみに疲れたので店に向かおうかと考えていると、後ろに気配を感じて振り返る。

「げっ何でわかったの?」

背後にはスーツ姿のリカが立っていた。

「いやなんとなく。っていうか人の背後で何してるの?」

大方、驚かそうとでもしたのだろうが。

「いい尻してるなぁって」

想像の斜め上の回答に力が抜ける。

「セクハラだよ、それ」

康平こうへいにセクハラなんて、今更でしょ。もっと凄いもの見てるし」

リカは手で眼鏡を作り、鷹匠の全身をなめるよう見てくる。

「もういいから行くよ」

呆れて歩き出すとリカが腕を組んでくる。

「はいはい。ビール飲みたーい」

「リカさんあんまくっつかないでよ」

「えぇーいいじゃーん」

リカを引きづりながら歩く。その時、視界の隅にこちらを眺める浅ヶ丘高校の制服が映った。

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