全力投球
おじん
全力投球
右手の中指の先を撫でる。
痛い。
持っていたペンを置く。私語厳禁の自習室でも椅子を動かす音にドアを開け閉めする音、ノートや教科書が擦れる音は聞こえてくるはずだが今は私の制服が擦れる音しか聞こえない。
周りを確認すると自習室を使っている生徒は私だけになっていた。自習室の時計を確認すると一時間以上経過したようだ。学校指定のスクールバッグに使っていた参考書を押し込む。
自習室の電気を消すのはいつも私だった。
それなのに。
教室に水筒を忘れたことを思い出して教室に戻る。三年 アドバンスクラス。色々なコースがある学校の中で勉強に重点を置いたクラス。壁には一枚の掲示物が貼りだされている。先日の実力テストの結果が貼りだされている。
上位五人の名前が誇らしく印刷されているが、その中に私の名前は無い。今までならば一番上に私の名前が書いてあった。
手は抜いていなかった。毎日勉強して淡々と努力を重ねていた。しかし努力をしても伸びなくなってきたのだ。担任の先生は気にすることはないと言ってくれたけど一気に順位を落とすなんて。
水筒を持つ手に力が入る。現状を打開するには更に努力するしか無いのは分かっていて何を落ち込んでいるのか。
近代的な校舎を出ると隣接している整備されたグラウンドが見える。このグランドは部活動のために用意された施設で体育でも使ったことがない。私立の学校は生徒を呼ぶために部活動にも力を入れているのだ。遠くから練習の掛け声が聞こえてくる。視線は自然とそちらに向かう。遠くで派手な色のユニフォームを来た生徒が練習をしている。
帰り道を進もうと視線を戻したときに壁に何か乾いたものがぶつかる音がする。立ち止まって音の生まれた場所を探る。校舎の裏側だとすぐにわかる。すぐに次の音が届いたからだ。
もしかして……いじめとかかしら? 放置しておくわけにもいかないわ。
恐る恐る校舎に体を沿わせて確認する。そこにはひとりの女子生徒がボールを持って荒い呼吸をしていた。
「……誰?」
しまった。バレてしまった。
「あの……ごめんなさい、何してるのかなって思っただけで」
どう説明するのが正解なのか悩んで素直に答えることにする。
「あ、朝倉さんだ!」
私の苗字を呼ばれた。何故知っているのだろう。
「えーっとあなたは……」
相手の全身を良く見る。こんがりと日焼けした肌に短く結われた二つ結び。そして地味な色のジャージを着ている。
思い出す。アドバンスクラスに来る前、つまり一年生の時に一緒だったクラスメイト。ハンドボール部の子だったということまで思い出す。
「思い出したわ、牧田さん」
失礼な返しだったかもしれない。
「ひどいよー朝倉さん」
残念そうな顔をしているがそこまで悲しんでいないようにも思う。そういう子だったことを思い出す。いつもへらへらと笑っていて私の半分くらいの点数しかテストで取らないのに気にしていないようだった。正直言ってあまり好きではない。
「皆と一緒に練習しないの?」
いつもだったらここで話を切って帰っているはずだが何故か今日は話を続けてしまう。
「私ね……スタメンじゃないんだ。実はケガしちゃって練習できない時期があって」
へらへらとした顔はもうそこには無かった。
「そうなのね……」
一年生の時に楽しそうに部活のことを語る牧田さんのことを思い出す。
「あのね、ソフトボールってチームワークが重要だから今年の夏は諦めてくれって言われちゃって。だからここでひとりで投球練習をしてるんだ」
壁には大きなターゲットマーク。そこに向かって投げ込んでいるのだろう。私だったら耐えきれなくて練習なんて出来ないかもしれない。
「それはそうと朝倉さんこの時間まで何してたの?」
確かに不自然だろう。
「自習室で勉強してたわ。最近、点数が落ちちゃったから」
何故わざわざ弱みを話したのか。牧田さんにだけ弱みを出させるのが悪いと思ったからだろうか。
「え、朝倉さん努力してるのに」
頭が良いではなくて努力してる。牧田さんの話を聞いていなかったら怒っていたかもしれない返答に妙な嬉しさを感じる。
「ありがとう……」
牧田さんの練習を邪魔するのもよくないと思って離れようとすると再び、呼び止められる。
「ちょっとバットを持ってみる? 練習付き合ってよ」
少しだけ考えて地面に放置されたバットを握ってみる。カバンは汚れないように端っこに置いておく。
指示を受けて移動する。
「ここに立っていればいいの?」
ターゲットマークの横。つまり私がバッター。
「じゃあ行くよ」
ボールが飛んでくる。不思議と怖くはない。牧田さんはあんなに悲しい表情をする程練習に打ち込んできたのだから、私にボールが当たるようなことはないだろう。
「打てるなら打っていいから」
挑発されているのかも。ボールが来るたびにバットを振ってみるが重さに振り回されて体の軸がブレるだけでかすりもしない。
途中何度か散らばったボールをカゴに戻した。しかしボールは当たらない。何度かアドバイスをして貰う。
バットを振った腕と手のひらに強い衝撃が加わる。
「当たったわ!」
思わず喜びの声が出てしまう。前には飛ばず、その場に落ちて留まっているボール。一粒の汗が滴っていることを認識する。いつの間にか真剣に当てようとしていた。
「すごい、当たった」
投げ続けで疲れたのか牧田さんは水筒を取りに行く。私も取りに行こうかと考えているうちに牧田さんが私の分もくれるみたい。
「朝倉さんなら絶対にてっぺん取れるよ、だから元気出して」
私の落ち込んでいる気持ちを読み取ってくれていた。差し出された水筒を勢いよく飲むこむ。
「当然じゃない」
明日も努力を重ねよう、牧田さんみたいに全力投球で。
全力投球 おじん @ozin
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