第2話 シリラ(元吉田さん)

「うぇぇ~ん、ズルズル……」


 俺の目の前には涙を流しながらも、美味しそうに蕎麦をすする変態女がいる。

 なんでも彼女は地獄の魔王ベルゼブブの末娘らしい。

 名前はなんだっけ? 長ったらしくて覚えられなかった。

 たしか……。

 お尻ちゃんだっけ?


「お尻ちゃん?」

「ぶはっ!? だ、誰がお尻よ! 私はシリラ! パパから頂いた名前を愚弄しないで欲しいわ!」


 と、シリラは蕎麦を吹き出しながら怒りだした。

 うわ、つゆが飛ぶだろ。汚いなぁ。

 なるほど、シリラね。覚えておこう。

 さてと、蕎麦も食ったしそろそろ帰るかね。


「それじゃそろそろおいとまするよ。吉田さん、これからもよろしくな」

「ちょっと待ちなさい! なんでそんなにサラッと帰ろうとしてるのよ! 地獄の魔王の娘なのよ! もうちょっと興味持ってもいいんじゃない!?」


 興味? 特に無いなぁ。

 実は俺は小さい頃から霊感が強く、多くの人ならざるものを見てきた。

 幽霊は言うに及ばず、妖怪、地霊の類いも散々見続けてきた。

 夜中目が覚めたら、天井に張り付く三メートルはあろうかという大蜘蛛と目があった時に比べれば目の前にいる変態女などコスプレイヤーに過ぎない。


「え? あ、あんたそんなものが見えるの? おかしいわね……。地球にはそんな力を持った者などいないってママは言ってたのに」

「そういうことさ。別にあんたが魔王の娘でも珍しくはない。あんたには興味は無いんだが……そうだ、一つ聞いていいか?」


 ――ニヤッ


 シリラが笑う。

 

「ふ、ふははは! 調子に乗らないで! 下等な人間ごときが私に質問など百億万年早いわ!」

 

 こいつめんどくさいな。

 話を聞いて欲しかったり、いきなり断ったりと。

 それに百億万年って……。

 小学生かよ。


 なんかムカついたらので、俺はシリラにゆっーくり腕を伸ばす。

 こいつが蝿なら俺の動きは見えないはずだ。


「ん? んきゃあっ!?」


 ――ビシィッ


 渾身の力でシリラのおでこにデコピンをかます。

 シリラは机に突っ伏しておでこに手を当てる。


「ふぇーん、何をするのよぅ……。ま、まさか魔法!? 人間が私に触れることなど出来ないはずなのに……」

「魔法じゃないわ。ただのデコピンだ。お前、本当に蝿なんだな」


 蝿は複眼で物を見る。

 そのせいか、動きの速いものは感知しやすいが、緩慢な動きのものは感知出来ないのだ。


 普段ならレディに対してこんなことはしないが、こいつは人間じゃないだろ?

 多少ぞんざいに扱っても問題あるまい。

 俺はメソメソと無くシリラに向かって……。


「なぁ、なんでシリラはここにいるんだ? 幽霊とかは信じてるけど、魔王の娘がお隣さんってのは衝撃的でさ」


 聞けば彼女は魔王の娘らしい。

 もしかして地球を征服に来たのか?

 そう考えると身構えてしまうが……。

 

「家出」

「家出かよ」


 まさかの答えが帰ってきた。

 魔王の家庭事情は知らんが、親と喧嘩でもしたのだろうか? 

 そして降り立ったのが東京であり、○橋区だと。


「帰れよ。親御さんに心配かけるんじゃない」

「嫌よ! パパったら五月蝿いの! いつもブンブン羽を鳴らしながら勉強しろとか、魔法を覚えろとか、男女交際は後千年はしちゃだめとか!」


 魔王の家庭事情はよく分からんが、娘を心配する普通のお父さんじゃないか。

 だがシリラはそれが嫌で家(魔界)を飛び出してきたそうだ。

 

 他にも色々と聞きたいことはある。

 どうやって家を借りたのかとか、住民票は持っているのかとか。

 まぁこいつは魔王の娘だし、それなりに力を持っているのだろう。


 そうだ、最後にこれだけは聞いておこう。


「なんでキン○ョールを置いてた? お前の弱点だろ?」

「そ、それは……」


 シリラは言いたくなさそうにしている。

 何か理由があるのだろう。

 聞かないほうが良かったかな?


 少し空気が重くなったところで……。


 ――トントンティン トントンティン♪


 おや? 着信音が。

 俺のスマホじゃない。

 するとシリラはさも当たり前に懐からスマホを取り出す。

 魔王もスマホ持ってるんだな……。


「あ、ママだ。ちょっと出るね」


 ――ピッ


『シリラちゃん、大丈夫? 苦労してない? いつまでもヘソを曲げてないで帰ってきて』

「嫌よ! パパが謝るまで帰ってないかあげないんだから!」


 電話から聞こえてくるのは優しい声だ。

 魔王でも娘が心配なんだなぁ。


『でもね、あなた一人じゃ何も出来ないじゃない。それとね……私がシリラちゃんにこっそり仕送りしてるのばれちゃった。私の魔界銀行の口座からは送金出来なくなっちゃったの……』

「な、なんですって!?」


 なんですってって。

 お前、親の金で家出してたのかよ。

 

『ごめんなさい……。それにね、魔力供給も止められちゃった。日本は悪魔信仰の無い国よ。あまりそこにいると、あなたは存在が稀薄になって死んでしまうことになるわ。せめてキリスト教信者が多い国に引っ越すの。そこなら少しは……』

「嫌! 私はどこにも行かない! せっかく憧れの日本に来れたんだもん! 大丈夫よママ! 実は私の信者が一人いるの! それも飛びっきり力の強い人間よ! ほら、あんた! ママと話なさい!」


 え!? なんて!?

 シリラは泣きそうな顔をして俺にスマホを渡してきた。

 こ、これって出たほうがいいのかな……?

 まあ、娘の身を案じるのは人間も魔王も変わりないだろ。


 俺はスマホを受け取る。

 な、何だか緊張しちゃうな……。


「も、もしもし? 初めまして。私、シリラさんの隣の部屋に住んでいる前島と申します」

『あら? 男性かしら? 私シリラの母、フィオナ フォン ベルゼブブと申します。前島さんね? ふつつかな娘ですが、あの娘を信じてあげて下さい……。魔力供給が止められた今、日本でシリラが生きていくにはあなたの信仰が必要なのです』


 信仰? よく分からんが、シリラの存在を信じてればいいんだろ?

 でもそんなに娘が心配なら帰るように説得したほうが良くないか?


 その旨を母親に伝えると……。


『ごめんなさい……。私も何度も説得したんです。でもあの娘は父親に似たんでしょうね。すごく頑固で……』

「はぁ……。そうでしょうね。ま、まぁ気を落とさずに。取り合えず私がシリラさんを信じていれば死ぬことは無いんでしょ?」


『うぅ、ありがとうございます……。本来なら私が娘を魔界に連れて帰らないといけないのに。でも今は主人の命令で魔界から日本に向かうポータルは全て閉じられてしまったのです』


 フィオナさんが言うには日本から魔界に帰る門は開いているそうな。 

 これは父親の作戦だな。

 支援も無く、困った娘は魔界に帰るしかなくなると。

 

「取り合えず俺からもシリラさんが魔界に帰るように説得してみます。だからお母様も気を落とさずに」

『うぅ、ありがとう……。ありがとうございます……。こんな素敵な方も人間界にいたのですね。それとお願いがあります。あの娘は私達の大切な娘、今後悪い虫がシリラに言い寄って来るかもしれません。

 娘の部屋にキン○ョールがあります。もしもの場合は、それを使ってシリラを守ってあげて下さい』


 悪い虫って。

 ヤバイな、虫を追い払うどころか、シリラに使ってしまった。

 部屋にあったキン○ョールは娘を心配する母親が持たせたものだった。


 母さん、今日俺は一つ賢くなりました。

 もし近くにベルゼブブが涌いたら、キン○ョールで退治出来ます。



 

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