第6話

 日暮れから夜明けまでパーティは雪と氷の中を延々と移動し続けた。小高い山を越え、深いクレバスを渡って歩み続けた。時には氷を踏み抜き、深淵に身を落とす者もいたが、途中で何とか氷壁にしがみついて這い上がり、助け合いながらひたすら前進し続けた。

 吹きすさぶ疾風ほどの速さは出ないにしても、パーティは大地を吹き渡る風に負けないくらいの速度で、来る日も来る日も、ただひたすらに移動した。だが、それでも一晩で五十キロも進めればいいほうだろう。

 いずれ慣れてくれば睡眠時間すら削り、完全遮光で昼間の――曇りや雪嵐ブリザードで陽の光がなければどんなにありがたいことか――移動も視野に入れなくてはならなくなる。

 当初は軽口をたたきあいながら元気に移動していた一行だったが、時折襲い来るアクシデントを除き、何の変哲もない真っ白な世界を歩き続けるだけの行程は彼らから体力と気力をみるみる削り取っていった。

 そんな中、パーティの男子たちは、空に厚くて大きな雲があろうものなら、夕方前に早起きして危険な雪潜りスノー・ダイブ陽踏み地獄デス・サンシャインのような子供の頃から禁止されている遊戯を女子に内緒で行ったし、女子は女子で、疲れ切った男子が寝静まる朝遅くには、年ごろの娘らしく、ちょくちょく朝更かしどころか、昼更かしまでして秘密の雪語りスノー・パーティを開いては楽しいヒソヒソ話に興じることもあった。

 だが、それらも辛い日々の行程の微々たる息抜きにしかならないというのが動かし難い現実だった。


               *

「そう言えば、最近は雪潜りスノー・ダイブはやらねぇのか、男どもは?」

 日暮れから、そう時間が経たないうちからチョウヨウが仲間に無駄口をたたくのは珍しい。

「どうなんだい、タンゴ?」

「な、何だよ、唐突に……」と、チョウヨウに虚を突かれたタンゴが、どぎまぎして応じた。

「先週、誰かさんは怪我してたみたいだからな」

 言われたタンゴは無意識に右手で包帯が巻かれた左腕をさすった。

「僕は、そんなドジじゃないよ。あれは陽踏み地獄デス・サンシャインで……」

「ほら、やっぱり」と、ミソカが心配そうに顔を向ける。

「だって霧氷が崩れて陽が急にさし込んできたから……」

「おい、タンゴ!」タナバタが我慢しきれずタンゴを制すると、チョウヨウに言葉を投げつけた。「もういいだろ。今日はやけに突っかかるんだな、君は」

「突っかかるなんて、とんでもない。あたいたちは、馬鹿な男どもの心配をしてるだけ」

「『あたいたち』って。ナナクサやミソカも……」と、タンゴ。

 タナバタは「僕は『馬鹿な男ども』というのが引っ掛かるな」と、意味ありげな視線を隣で歩を進める薬師くすし仲間のナナクサに投げかけた。チョウヨウは応えに窮するナナクサに一瞥をくれるとタナバタになおも畳み掛けた。

「賢いはずのあんたまでが馬鹿なことを、いつまでもやってるなんてねぇ、ナナクサはそう言いたかったんだよ、きっと」

「わたしは、ただ……」と、言いかけたナナクサに溜息混じりのタナバタの声が被さった。

「君まで非難するのかい?」

「ただの文句なら良いんだけどね」と、ナナクサが応える前にチョウヨウが吐き捨てた。

「ふん。生憎、僕はタンゴやジンジツの保護者じゃないんでね」

 タナバタがむっとして応じると、チョウヨウの声が更に大きくなった。

「大したもんだよ。男どもの保護者が不在に、リーダーも不在かよ」

 星を見ながら、遥か先を先行していたジンジツが、その言葉を耳にして大声で応じた。

「何だ?! リーダーがどうかしたか?!」

「あんたは馬鹿だって言ったんだよ!」

 チョウヨウの即答に、片手を振って白い歯を見せるとジンジツは自分の仕事に戻った。束の間の沈黙の後、今度はミソカが消え入るような声で話し出した。

「やっぱり、みんな危険なことは、しちゃいけないよ。デイ・ウォークはただでさえ危険なんだから……」

「じゃが」と、ジョウシがはじめて口を開いた。「我れら一族の生涯に危険は付きものぞ、ミソカ」

「だからって、冒さなくてもいい危険を冒す必要があんのか?」と、詰問口調のチョウヨウ。

「それは、その通りじゃが……」

「だったら男どもを庇うなよ、チビ助」

「庇うてなどはおらぬ。じゃが、たまに息抜きも必要であろう。我れら女も男どもとは違った形でしておることじゃ」

 そう言うと、ジョウシがチョウヨウをキッと見据えた。

「それにしてもじゃ」

「どうしたの?」と、ナナクサが小さな仲間に目を向けた。

「何だよ?」と、チョウヨウも反応する。

「我慢してやってはおったが、『チビ助』との、お前の日々の物言い。やはり気に入らぬぞ」

「我慢してもらってたなんて、そりゃ、悪かったな……」

 チョウヨウが更にジョウシを挑発しようとするのを直感したナナクサは、再び彼女の『チビ助』という揶揄が出る前に話をさっきのことに差し戻した。

「ミソカが言ったとおり、危険と背中合わせの旅をしてるんだから、怪我でもしたら仲間全体に迷惑が掛かるわ。私たちは、それを知ってほしかっただけよ」


               *

 曇の日中を利用して軽装で行われる雪潜りスノー・ダイブは三十歳以下の児童や、それより年長の子供たちに人気の遊びだった。ただ目標地点を誤って雪上に急浮上した時、厚い雲が途切れでもしていると大火傷を負うことがあるので各村では禁止されていたし、陽踏み地獄デス・サンシャインに至っては自然の遮光物を使って行われる肝試しチキン・レースのようなもので、実際、ナナクサの村でも失明者を二人も出すほど危険な遊びだった。しかし、危険だからといってスリルを味わいたい若者の心を大人たちが納得させることは、どの村でも未だかつて出来たためしはなかった。

「悪かったよ。でも退屈さを君たち女の子のように朝更しのおしゃべりで紛らすことができなかったんでね」

 流石に単調な日々は、冷静沈着なタナバタの心をも蝕んでいたのだろうか。ナナクサが収めたはずの話を、こともあろうにタナバタがまた混ぜ返した。そして彼は言わなくていいことを口にしてしまったことに気付かなかった。それは鎮火しつつあったチョウヨウの苛立ちに再び火が付けた。

「賢いお兄ぃさんは、盗み聞きが趣味なわけ、あたいたち、か弱い女の子の?」

「君を、か弱いなんて思ったことは、これっぽっちもないね」

「へぇ。あんた、あたいに喧嘩売ってんの?」

「どっちが喧嘩を売ってるんだか……」

「何だって!」

「よし! 荷物持ちジャンケンじゃ! さあ、みな止まるのじゃ!!」

 突如、タナバタとチョウヨウの間に割って入ったジョウシが誰にも有無を言わさない口調で皆に宣言した。

「何をしておる?! みな早くせぬか!」

「いったい何を突然、言い出すかと思えば……」と、虚を疲れたタナバタ。

 チョウヨウも事の成り行きに目をパチクリとさせている。

「荷が重いのじゃ」立ち止ったジョウシが、その場にどさりと荷物を投げ落とした。「タナバタよ。ひと月前と同じように、そなたに荷物を持ってもらおうと思うてな。さぁ、皆も何をしておる?! 今日は皆でやるのじゃ! さぁさぁ、チョウヨウも入れ!」

 ジョウシの強引さに頭を多少なりとも冷やされたタナバタとチョウヨウに続き、仲間たちは一人、また一人と彼女の元に集まると自然と円陣を組んだ。そして「どうかしたか?!」と、皆の処に駆け戻りかけたジンジツには「そなたは道を間違わぬよう、星をしっかり見て、皆を導いてくりゃれ!」と叫ぶと、荷物持ちジャンケンが開始された。

 結果は、仲間の中で一番体力のないミソカの一人負け。

 しかし、気まずい空気に凍りついた皆の中で一番最初に動いたのもミソカだった。彼女は荷物の数々に視線を落とすと、一瞬顔を強ばらせたものの、手近にあった一番大きなバッグに手をかけ、大きく息を吸い込んで一気に肩に担ぎ上げた。そして荷物の重さでバランスを崩さないように二番目の荷物に手を掛けた。その時、その荷物をジョウシが横から奪い去った。

「やめて! 何するの?!」

 デイ・ウォークを始めて五週間。大人しいミソカの悲鳴に近い非難の声を仲間たちは初めて聞いた。それは幼馴染みのナナクサも聞いたことがないくらい激しいものだった。

「わたしだって、これくらい持てるのよ! これくらい……」

「じゃが……」

 口を開きかけたジョウシをミソカは怒りを隠そうともしない視線で見据えた。

「あなたが、やれることは、わたしにだって出来るの」

 小柄な二人の間の沈黙は永遠に続くかと思われた。

「こんな時」と、タンゴが溜息混じりに口を開いた。「始祖様の力があればね。荷物なんて全部担いで、さっと空をひとっ飛びなんだけどなぁ」

 もちろん、当のタンゴは意識していなかったに違いないが、彼の幼子のような一言はミソカとジョウシの思わぬ反目だけでなく、その場にいた他の仲間たちをも救うきっかけとなった。

「子供みてぇなこと言ってんじゃないよ、タンゴ」

 ほっとした表情を見せたチョウヨウは、さっさと自分の荷物を雪上から拾い上げると、タンゴを軽く小突いて歩き去った。

「そうそう。空をひとっ飛びなんて迷信さ、お兄さん」

 タナバタも自分の荷物を担ぎ上げると、ジョウシの荷物を手に取り、それを幼馴染の身体に押し付けた。

「もう行くぞ、ジョウシ」

 タナバタとジョウシが輪から抜けるとナナクサはミソカが握り締めている自分の荷物に手を伸ばした。そして少し毅然とした調子で幼馴染に語り掛けた。「私の荷物をちょうだい」と。

 ミソカの瞳が一瞬、揺らめいたように見えた。しかし、抗うことなく彼女は荷物をナナクサに手渡した。ナナクサは心配そうな視線をミソカにちらっと送っただけで、先に歩き始めた三人の後に黙って従った。

 やがてミソカも自分の荷物を拾い上げると大きなバッグを担いでいた方とは反対の肩にそれを背負い、少しよろけながらも歩きだした。

 何かぶつぶつ呟いていたタンゴも、少し遅れて皆の後を手ぶらで追いはじめた。次の休憩まで彼の人一倍大きなバッグはミソカが一所懸命に運び続けた。

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