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 斯くいうオレは、槇に憧れてロニー事務所の門をたたいたうちのひとりだ。槇みたいなアイドルになりたくて、オレは履歴書を自ら事務所に送った。アイドルだった頃、雑誌のインタビューなんかでは、表向きは姉が送ったと言っていたが、あれは嘘だ。

 中学時代の頃、パーマを初めてかけたのは槇の真似をしたかったからだ。パーマが強すぎたのか、思っていたよりもくりんくりんになった頭を見て、オレは中川家のおばちゃんのコントに出てくるオカンを思い出した。美容師は


「似合ってますよぉ」


と言っていたが、オレは納得できなかったし、家に帰ったら帰ったで、姉には「リアルサザエ」と笑いものにされ、母親からはこっぴどく叱られて髪を切られた。一年かけて肩まで伸ばした髪は一瞬にしてスポーツ刈りになった。

 オレが似合わないパーマをかけたのは特別色気づいて粋がっていたわけではないと思う。当時はむしろ真似していないヤツのほうが稀だった。槇は女性のみならず男性からも支持された稀有なアイドル――アイドルの枠を超えた、カリスマだった。

 オーディションに合格して研究生として頑張っていたオレの尊敬する先輩はもちろん槇だった。オレは槇奏流になりたかった。




「……ごめん」


 槇奏流になれないまま30歳を迎えたオレに、研究生内でのグループ結成時から一緒に頑張ってきた池田が頭を下げた。一般企業への就職が決まったのだと言う。

 この告白を受け、オレは当然、言葉を失った。


「……そっか。おめでとう」


 一瞬の沈黙の後、オレの口からは彼を引き留める言葉は出てこなかった。

 我ながら自然に、淀みなく、お祝いの言葉が、考えるよりも先に口を突いて出た。


 オレたちは30歳を過ぎていた。

 つい一ヵ月前には一回り年下のグループZERO+ゼロ・プラスが、先にデビューした。

 同期のみならず、後輩グループがオレたちを追い越してデビューしていったのは何度目だろう?その度ごとに凹む。でも、そのショックやら悔しさやらは回を重ねるごとに薄らいでいき、次こそは自分たちがデビューするんだという意気込みすら持てなくなっていた。

 毎年行っている、研究生ばかりを集めた小劇場での夏のライブの観客動員数は右肩下がりに減っているのも知っていた。オレたちはお世辞にも人気があるグループではない。


 それが、オレたちの現実。


 池田は現実を受け入れて、動いた。そして、退所することを決断した。


 それが、オレの現実。


 そして、オレは――――――


 グループに残ったメンバーで話し合い、解散を決めたのはその一週間後だった。

「解散」という言葉をオレ自身が選んだ時、ファンひとりひとり顔が頭に浮かんだ。ファンひとりひとり・・・・・・・・・というのは嘘じゃない。舞台終わりに劇場の外で出待ちしてくれているファンは常連しかいない。その当時は20人ぐらいだったんじゃないかな。不甲斐ないオレたちのCDデビューという夢の後押しをしてくれていた、彼女たちの残念そうな顔が目に浮かんで、申し訳ないと思った。


 オレは、槇奏流になれなかった。


 CDデビューする夢を諦めたオレは、マネージャーとして裏方からタレントを支える道に進んだ。




「ふわぁぁぁぁぁ……おはよ。琉華、帰ってたんだ。幼稚園は楽しかった?」


「おはよって。奏流……もう三時過ぎてるよ」


 大きな欠伸をしながらダイニングに入ってきた槇の質問はスルーして、琉華ちゃんは冷静な指摘をする。父親である槇に辛辣なのはいつものことだ。五歳の琉華ちゃんが父親のことを「奏流」と呼び捨てにしているのも、初めて聞いたときはギョッとしたが、今ではもう慣れた。

 槇は再び小さく欠伸をしながら、目ヤニのついた寝ぼけまなここすって、壁にかかっている時計を眺めた。肩にかかった長髪は寝癖でぼさぼさで、無精髭が生えている。そこはかとなく生臭い。加齢臭なんじゃないか。


「よく寝たなぁ……長時間寝られるって案外若いよね!……うーーーん!」


 槇が三度目の欠伸をして、大きく伸びをながら首を横に曲げると、ボキッと鳴った。

 カリスマだと思っていた国民的アイドルは、もはや、ただのおっさんだった。


舷太げんたぁ、ライター取ってー。……サンキュー!」


 黙って百円ライターを手渡すオレに礼を言いながら、煙草を持ってベランダに出ようとする槇を琉華ちゃんが見咎みとがめる。


「煙草、もう辞めたら?受動喫煙は子どもの健康によくないんだよ。健康増進法だって一部改正されるし。私のことも考えて。第一、奏流の体によくない。肌によくない。これ以上見た目までボロボロになってどうするの?顎とかたるんできてるよ」


 琉華ちゃんの手厳しい小言がグサリと胸に突き刺さったようだ。槇は咳払いをして


「琉華は、五歳なのに難しいこと知ってるねぇ」


と心なしか震える声で答えた。


「奏流はもう若くないんだし、せめてアイコスにしなさい」


「アイコスねぇ……」


 槇は琉華ちゃんの顔をじっと見つめ、考えを改めたように、一度咥えたものの火をつけていない煙草を箱に戻すと


「舷太、オレにもコーヒー淹れて。うんと濃いヤツ」


と言った。

 琉華ちゃんの横に座って、おもむろに手に取った柏餅にパクつきながら、言葉を続ける。娘に言いたい放題言われているのを聞かれているのが気まずかったのかもしれない。


「コーヒー淹れてくれたらさぁ、いいよ、帰って。どうせオレのスケジュール、白紙なんだし。もうオレのこと追いかけてくるマスコミだってほぼいないし、ここにはいなくても大丈夫だよ」


「……でも。夕飯の支度だって必要でしょう?」


 新しく挽いたコーヒーをフィルタに移しながら、オレは槇に反論した。コーヒーのいい香りがする。カフェケトルでお湯が沸く音がコポコポコポコポッといい感じでしていた。長閑のどかな午後だ。琉華ちゃんが喋らない限りは。


「そんな家政夫みたいなことまでしなくて大丈夫だよ」


 槇が苦笑した。


かしわの手伝いでもしてやったらどう?仲眞なかまは春からまたレギュラー増えるんだろ?」


「でも、その柏さんから言われてますから、槇さんの面倒をよろしくって」


 柏というのは仲眞くんのチーフマネージャーだ。オレはその柏さんから槇の面倒をみるように申し付けられている。柏さんにオレの手伝いはいらない。

 実のところ、ノーマさんからは、槇にはもう専属マネージャーはいらないと言われているようなのだが、柏さんは是非にとオレをつけた。

 アイドル人生の晩節を汚したとはいえ、槇は事務所に莫大な利益をもたらし続けた功労者でもある。いきなりないがしろにするような不義理は事務所に所属している他のタレントに不安を与えかねない。

 それに隠し子を幼稚園に送り迎えする槇の写真がまた撮られでもしたら、仲眞くんの仕事に差し障りがあるかもしれない。

 槇には、碌に仕事も取ってこられない新人マネージャーであるオレを一応つけておくことで、ノーマさんとは話がついているようだった。


「……ふぅん」


 槇はなんだか納得しない様子で柏餅の最後の一欠片かけらを口の中に放り込んだ。


「邪魔ですかね?」


「いや、別に」


 恐る恐る尋ねるオレに槇が答えた。


「助かるかな。オレ、メシつくれないし。琉華に何言われるかたまったもんじゃない」


 笑って答える槇を見て、オレの口角もつられて上がるのに気づいた。

 オレは槇奏流のそばにいたかった。公私混同も甚だしいけれど。

 オレは槇のそばにいたいんだ。

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