第12話 時魔法

 私と御者のロクロがグレンヘッドに到着した頃、辺りは既に真っ暗だった。たしか、グレンヘッドは運河を中心に栄える街のはず。だが、今は付近に人気ひとけがない。

 私は、薄暗がりの中、グレンヘッドの入口でロクロの馬車を降りた。頭上には、アーチ状の看板が立てられ、宙に浮かぶあかりが、看板をぼんやりと照らしている。その看板には、グレンヘッドへようこそ、の文字が描かれておるようだ。

「いいんですか? ここで?」御者のロクロが名残を惜しむように、私に話しかける。

「大丈夫だ。悪かったな」

「いやあ、悪いなんてこたぁ、全然ねえんですよ。むしろ礼をしなきゃならないのはこっちの方で」ロクロが後頭部をさすりながらお辞儀する。「生憎、これはあっしの薬じゃねえもんで、ほいそれとお渡しすることはできねえんでさ。でも、礼はいつか必ずさせて頂きます」

「気にするな」私は言った。

 すると今度は、ロクロが言いづらそうにこう話した。

「まあ、旦那には、この後も、一緒にいてもらいたかったんですがねぇ」

「悪いが仕事があってな」

 そう。私の本業は、今のところ、魔力の宅配便だ。

「しょうがねぇですな」そういって、ロクロは残念そうに口を閉じる。「そいじゃあ、宅配、頑張って下せえ」

 ロクロが軽く鞭を鳴らし、すっと手を振る。

 私は「ああ」と軽くうなずき、片手を挙げ、ロクロに応える。

 ロクロは、この後、宿でも探すのだろう。サボンを厩舎きゅうしゃに預け、食事に向かうかもしれん。 

 荷馬車の後ろ姿をしばらく見届けた後、宿を探す必要もなければ、空腹というわけでもない私は、そのまま、サレスへ向かって歩き始めた。


 ここグレンヘッドまで来てようやく道程も四分の一を越えたのではなからろうか。残り四分の三となれば、昼も夜も歩き続ければ三日ほどでサレスへ到着するだろう。

 うむ。三日か。なかなかの苦行であるな。


「おや。そこに見えるは、魔王のダンテじゃないか」

 近頃、耳にしたばかりの爽やかな声が静寂の中に響く。

 私は歩みを止め、首を九十度曲げる。アーチ状の看板を照らす光が、まだすぐそこに見えておる。

 暗がりの中に明かりが灯る。ライティングと呼ばれる初歩的な魔法だ。

「そんなところで何をしている?」

「何って、それはこっちのセリフだよ」勇者がにこやかにいう。「こんなところで何してるのさ」

「サレスへ向かっている」私は正直に答えた。

「どうして逃げなかったの?」


 逃げる? そんな腑抜けたことができるわけなかろう。


 私が黙っていると、勇者が「そんな怖い顔しないでよ」といった。

「貴様、まさか、私をわざと置いていったのではあるまいな?」

 私は勇者に鎌をかけた。

 あの広場で勇者は魔法でエウロパをサレスへ連れて行った。私も共に連れて行けばよいものを、どういうわけか、私だけあの広場に置いていった。

「いや、まあね」視線を逸らす勇者。「女神様が、どうしてもっていうからさ」


 つまり、わざと置いていったということか。


「何のためだ? この私が逃げ出すとでも思ったのか?」

「逃げるって言葉はちょっと良くなかったかな。ごめん」そう言って勇者は頭を下げる。「でもさ、せっかく自由になれたのに、サレスへ向かうっていうのは、すごいなって思ってね」

「魔法をもとに戻したいからな」と私は言った。


 しかし、勿論それだけではない。残党の逆境を知り、私の禊として、配達に取り組む姿勢を改めたつもりではある。それに、エウロパに花を送ってやらんといかん。だが、そんなことをここで発露するわけにはいかん。勇者や女神を喜ばせるために、この立場に甘んじておるわけではない。


「ああ、そっか。そういうことね」勇者が何度もうなずく。「でもまあ、ちょっとだけ言い訳させてもらうと、僕の魔法で移動させることができるのは、一人だけさ。どっちにしろ、ダンテには、あそこで待っててもらわないといけなかったんだよ」

 それは初耳だった。

「得意のとき魔法であろう」

「そうさ。時を止めて、さらに自由に動くと、魔法の消費が著しくてね。丁度いいのが二人くらいなんだ。こんな風にね」

 ――と、気づいた時、私は先程までとは違う場所に立っていた。

 私は、驚いた素振りを見せないよう努力した。

 勇者と戦っている時に散々見せられたとき魔法だったが、自分が移動するとなるとまた、違う。

「一瞬だったろ」

 隣に立った勇者が私に笑顔を見せている。

「そうだな」

「ちなみにちょっと説明しておくと」

 勇者がごほんと咳払いする。

「時を止めると、速度は無限になるよね。時間がないんだから、時速も秒速も存在しない。だから、速度は光速より速い無限大。どこへでもひとっ飛びというわけさ」

「そうか」私は頷いた。「だが、そんなにべらべらと話して大丈夫なのか?」

「もちろんさ。今度はダンテに同期魔法について語ってもらうよ」

「ふん。まともに魔法は使えぬがな」

「今はね」勇者が口角を上げる。

 勇者の爽やかな眼差しを受け流し、私は周囲に目を向けた。

 陰鬱な雰囲気の空間が、あたりには広がっていた。

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