第13話 ジークタリアス:クソ野郎どもと緊急クエスト

 

 ーージュゥゥウ


「あ゛がぁあ゛ァァアア……ッ!」

「オーウェン、しっかり押さえて」


 血塗ちまみれの路地で、聖女マリーは尽きぬ霊薬瓶をかたむける。

 一刻も早い治癒のため、傷口に狙うように治癒の霊薬をかけなくてはいけない。


 手を粘性の赤に染めて、17秒後。

 究極の霊薬を、大量にうけて到底普通の手段では叶わないだろう回復劇は、ここに終幕した。


「あぁ! はぁ、はぁはぁ、はぁ……!」

「これで平気なはず。治癒だけじゃなくて、解毒系の成分を錬成しておいたから、もしあの魔物の爪に毒があっても、今すぐ死ぬことはないはず」


 マリーは額の汗を拭い、じわじわと中身のかさが増えていく『丈夫な魔法瓶』が満タンになるのを見届けてから、腰のベルトに瓶をくくりつけた。


「はぁ、はぁ、マリー、なんで、すぐ助けなかった……」


 アインは顔を手で覆いかくし、疲れきった声で問う。


「ごめんね、痛かったよね。でも、わたしが倒れる訳にはいかないから……」


(それに、まさか、アインがあんな派手に負かされるとは思わなかったし……でも、言ったら怒りそう。それにしても、お腹から臓腑ぞうふがこぼれそうになるなんて、このレベルの大怪我は久しぶりだなぁ)


「……俺なら死んでかまわないってことかよ。俺は、魔剣の、英雄。リーダー、一番大事なのは、俺の命だろ……!」

「……ごめんね、アイン」


 マリーは胸のなかでモヤモヤした気持ちを抱きながら、必死に自分をおさえ、辛く、苦しかっただろうアインの気持ちをわかろうと試みる。


「辛かったよね。痛かったんだよね。もうすこし楽にしてあげれたら、よかったんだけど……」

「全然、足りない」


 アインの冷たい言葉に、マリーは黙して謝罪の意を伝える。


 指の隙間から紅瞳をのぞかせ、アインは凶悪に顔を歪める。


「マリー、そんなんじゃ全然足りねぇって、言ってんだよ」

「っ!」


 横たわるリーダーの横で、申し訳なさから慈愛の表情で膝を折る聖女の細い肩を、アインは強引に引き寄せ、彼女の唇に自身の唇をかさねた。


 マリーは驚き、急速に湧いてくる不快感に、思わずもがき叫ぶ。


「ッ、嫌、離し、ん、嫌だ……!」

「お前のミスだろ、責任を取らないって言うんならーー」


 そのまま、覆いかぶさろうとするアイン。


 そこへ、オーウェンが割ってはいる。


「アイン、そんな事してる場合じゃないだろう」

「っ、ゲホっ!」


 オーウェンはアインの脇腹を蹴りあげて、強引にマリーから引き剥がさせた。


 彼はそのまま、恐怖に涙を浮かべるマリーの傍らで膝をおると、彼女の顔の汚れを、手拭いでふいていく。


「ぃ、痛ぇ、なにすんだよ、オーウェン」

「悪いな、アイン。話は後でゆっくりしよう。ただ、今のお前は冷静じゃないように見えた。やるべき事がある。お前が選ばれし【英雄】であり続けるために、役目を果たさないといけないだろう?」


 オーウェンはマリーの肩に手を添えたまま、一言二言、耳元で何かをささやき、そっと肩をたたいた。


「……確かに、すこし興奮してたかもな。【英雄】としてやるべき事。さっきの魔物ことか。倒しに行くんだな?」

「それもそうだが、それより大事な役目がある。あれを足で追うのは不可能だ。討伐のためには、計画的かつ、より多く戦力が必要になる。どのみち、ギルドに報告するのが優先だ。まだアレが街中をうろついてるなら、早急にボトム街を封鎖して、ここで始末する。森に逃げられたら、それこそ討伐は困難だ」

「言われてみれば、たしかにあのクソケモノは、厄介だな。この俺でさえ油断したら、一撃屠れる″脅威度″だ。よし、大勢の命を救いにいくぜ!」


 アインは起きあがり、手のひらを中空にかかげた。


 すると、彼の手のなかに『魔剣アイン』が赤い魔力の粒子とともに出現。


 伝説の大剣を背負いアインは走りだそうとし……立ち止まる。


「ん」


 振りかえり、アインはマリーへ向き直った。


 言葉をうしない、完全に怯えきった様子のマリーは何も言わず、ただ自分とは違う生物を見る目と、嫌悪を露わにした表情で、アインを見つめるばかりだ。


「悪いな、マリー。すこし取り乱した」

「……」

「あー、その、確かに

「……」

「……ぁぁ、えっと、はは、笑えよ、笑顔のほうが似合ってるぜ。それに、″マリーは聖女だろ″。そんな顔しちゃ、役目を果たせないだろうに」


 アインは気安い様子でウィンクして、「あ、デイジー頼んだぜ」と言って、走りだした。


「……ぅぁ、ぅぅ」


 アインがいなくなると、マリーは震える膝をくっし、恐ろしさと緊張が解けて、滂沱ぼうだのごとく涙を流しはじめた。


(怖かった、恐かった、何も、出来なかった……! 気持ち悪い、きもちわるい、気色悪いのにっ!)


 優しくも気の強い普段のマリーなら、容赦なく蹴り飛ばすところだが、相手はレベル125の【英雄】だ。


 逆上して顔を殴られただけで、おそらく即死。


 その恐怖は、計り知れない。


「ぅぅ、ぅ、ぁぅ」

「……はぁ、順序があるだろうに」


 泣き崩れる少女を、困った顔で見下ろし、オーウェンは頭を抱えた。


 オーウェンは思う。


(マリーとアインの関係悪化は、このパーティ全体の損失。アインの奴め……それに何よりもーー。はあ、計画とは上手くいかないものだ)


 オーウェンはデイジー優しく抱えて、ちゃんと息があることに満足げに微笑み、歩きだす。


「マリー、君の強さを信じてる。このパーティの崩壊は、みんなの不利益だ。……俺も辛いんだ。少しの辛抱だから、我慢してくれよ」


 実に身勝手、自分のことだけを考えた言葉。

 オーウェンでさえ、マリーの味方ではない。


 しかし、マリーには、聖女にはどうする事もできない。

 ゆえに頭をかかえ、トボトボとオーウェンの後を追いはじめるのだ。



         ⌛︎⌛︎⌛︎



 意気消沈したマリーが、大螺旋階段の最下に腰を下ろしている。


 ギルドへの応援はアインにいかせ、マリー、デイジー、オーウェンはもしもの場合にそなえて、赤い魔物がうえへ上ることがないように、ここに残ることにしたのだ。


 数時間が経過して、冒険者ギルドの職員と、複数のパーティーをアインが引き連れてきて、それにともなってか細く生きている街の統治機能を活用して、都市の封鎖がはじまった。


 それから2週間、ボトム街では参入した多数の冒険者が犯罪・トラブルに巻き込まれながらも、彼らが魔物に惨殺される民間人を助ける、街の垣根をこえた救出劇が繰り広げられた。


 やがて、『グレイグ』と名付けられた強大な赤い魔物の姿は、ボトム街から消えさっていた。


 何も恐れずに人間の勢力圏に入りこみ、無用な戦い、勝てない戦いと見越せばすぐに逃げる判断力を持ち、奇襲、待ち伏せ、逃げたフリまで使う高い戦術眼をもった高知能生命体。


 何よりもドラゴンを堕とす【英雄】すら寄せつけない、圧倒的なまでの強さ。


 今回、グレイグに与えられたのは脅威度『ナイン』、これはドラゴンを上回る極めて高い値とされる。


 ゆえに、痕跡を追えなくなって1週間後、都市の封鎖は解除され、冒険者ギルドでは『グレイグの討伐』という緊急クエストが発令された。


 こんなモノを、みすみす野放しにしておけば、ボトム街が壊滅することは目に見えていたからだ。


 ジークタリアス行政の間では、犯罪組織の支配する区画の崩壊で、間接的にチカラを削げることや、彼ら自身が保有する武力に対処させることで、直接的にチカラを削ぐことが検討されたが、そのために犠牲になるボトム街の市民の命は、あまりにも多すぎるということで、かの魔物と犯罪組織の相殺を狙う作戦は却下された。


 こうして、ジークタリアスは『あかけもの』グレイグとの全面対決にいどむことになった。



           ⌛︎⌛︎⌛︎



 全力で、走り、走り、走り、日がな1日走りつづける。


「もうだいぶ走った気がするが、ジークタリアスはまだか? この川は一体どれだけ長いんだ?」


 言葉にしてみても、答えが返ってくることはない。


 春の心地よい日差しと、遠くで聞こえる魔物の声が、あの白い6本足の魔物が現れなくなった地域との差を確かに感じさせる。


 ここは冬じゃない。

 それは、確かなのに、あの森で確かに2年目の冬を迎えていたこともまた事実。


 冬に出発して、春になるまで歩いていた。

 それが今わかっている事実だ。


 俺はやがて、走るのをやめる。

 ひとつの嫌な予感が頭をよぎったからだ。


「これは……まさか、帰れない、のか?」


 ーーパチン


 味のしなくなった果実をひと口かじり、俺は久しぶりに頭を働かせてみることにした。


 自分に何が起きているのかを、調べるために。

 それを克服して、必ず前へ進むために。

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