第6話 ジークタリアス:消えた運び屋
白いレースに覆われた豪華なベッドがある。
部屋は白を基調とした調度品で統一された高級品のインテリアがならんでいる。
ベッドのうえでひとりの少女が寝返りをうち、息苦しそうに掛けていた布団をどかす。
それは美しく、可憐な乙女であった。
白い布地に広がる黄金に髪はさらさらで、海を思わせる
それは、特別なクラスだからこそ。
あるいは彼女だからこそ、特別な役目が与えられたのか。
「……ん?」
少女はおぼろげな表情で目を覚ますと、いつもと違う朝に違和感を覚えたのか、首を傾げた。
「マックスが起こしに来てくれない……?」
彼女のとっての違和感。
それは目覚めの悪い【施しの聖女】が、気持ちよく朝を迎えられるように、ある少年に頼んでいる日課のモーニングコールがこないことだ。
少女はあたりを見渡し、部屋のなかで少年が隠れてないか確認。
ハッとした顔になると、何を思ったのか、ベッドの下を覗きこんだ。
「そこにいるのは、わかってるんだから、マックス!」
返事は返ってこない。
暗がりのなかに目を凝らしても、そこに目的の少年の姿は見つけられなかったようだ。
(もしかして、マックスったら、寝坊しちゃったのかな?)
少女は思いいたり、「これは好機!」と無邪気な笑顔をたたえて、ベッドから飛び降りた。
寝巻きのまま部屋を飛びだして、神官たちが往来する神殿内を走りぬけ、少女は神殿の近くにある武器屋へと一直線に向かった。
今日こそは、わたしがマックスを起こす! そう、決意を固めて、街中の皆が寝巻きの聖女にびっくりするのも、いとわず、少女は少年の住む武器屋へと到着する。
「ウィルさん、おはようございます!」
武器屋から出てきた筋骨隆々のいかめしいおっさんへ、少女は笑顔で挨拶。
「おう、マリーちゃん、おはような。どした、自分から起きてくるなんて珍しい事も、あるもんだな」
「そんなことないってば! 本当はマックスがいなくても、ちゃんと起きれるんだから!」
「はは、そうかい、そうかい」
期待を胸に、少年が寝ているだろう部屋のドアをノック二回。
(あれ? いない?)
もう一度、ノックしても、マリーは少年の寝ぼけた顔をおがむことは出来なかった。
少女の胸の内で、言い知れぬモヤモヤとした影が、じわりじわりと増えていく。
しびれを切らし、マリーは扉を押し開ける。
「マックスー? 入るよー? 返事しないのがいけないんだからねー? ほんとうに入っちゃうからー!」
部屋のなかには誰もいなかった。
ベッドは綺麗に整えられたまま、そのうえに故郷のアルス村からずっと一緒だった少年の姿はない。
「どこ行ったんだろ……最近、買った剣はないし、防具も一式無くなってる。クエスト用の装備で外に行ったってことみたいだけど、今日はオフのはずだし……」
おかしい。
何かが妙だ。
マリーは顎に手を添えて、少年の部屋をあとした。
「ねえ、ウィルさん、マックスがどこへいったか知らない?」
「なんだ、部屋にいないのかよ。今朝は降りてきたような感じはなかったから、珍しく寝坊でもしてやがんのかと思ったがなー」
(となると、もしかして昨晩から帰ってない?)
マリーはおかしな状況に、首をかしげ武器屋のウィリアムへお礼を言って、一旦、神殿に戻ることにした。
「ああ! こらこら、このおてんば娘、またそんな格好で外へ行って!」
神殿に戻るなり、大慌ての老婆が走り寄ってくる。
マリーは彼女の顔を見るなり、うんざりしたようにため息をついた。
「あなたは聖女よ、自分の身を大事になさいって言ってるでしょ。もう、あ、こら、そんな面倒くさそうな顔しない! なんですか、その挑戦的な目は。そんな顔するなら、もう冒険に行かせませんよ? 嫌だ? そう。なら、よろしい。ほら、お部屋に戻りますよ。そろそろ、朝のお祈りが始まりますから、服を着替ましょう」
(誰も好きで【施しの聖女】なんてやってないってのに)
心のなかで悪態をつきながら、マリーは部屋で高位神官の礼服に、白い刺繍と部分的に金属鎧のアレンジが加えられた、美しいバトルドレスに着替えて、神殿に集まった敬虔なソフレト教徒たちのまえに姿をあらわした。
月に数回、クエストがオフの時には必ずジークタリアスの神殿で集まった教徒たちとともに、女神に祈ること。
神殿に住み、高位神官ロージーに口うるさく言われながら、聖女としての役割を全うすること。
これらはマリーが本来なら、なるべきでない冒険者として、数多の戦いに身を投じるための決まりごとだ。
マリーは祈りながら、自身の境遇を
(この身はわたしの物であって、わたしの物でない。わたしは【施しの聖女】、ソフレト共和神聖国でそのクラスがもつ意味はとても大きい。けれど、わたしは自分を哀れんでばかりなど、いられなくて……)
脳裏を少年の姿がちらつく。
日々を与えられなかった才能の研鑽についやす彼。
もはや呪いのような役目。
彼ほど頑張っているのに、報われない人間をマリーは知らなかった。
「そういえば、今日はあの坊や来てませんねぇ」
「どうしたのかしら、珍しいこともある物だわ」
神殿の端でおしゃべりする神官たちの話は、マリーにも気になっていた。
(マックス、どこに行ったんだろ……)
⌛︎⌛︎⌛︎
朝のお祈りがおわり、マリーは祭儀用のバトルドレスから私服に着替えて神殿を飛びだした。
風になびく煌めく金の髪。
前を見据えるのは、透きとおった
女神の祝福が施された美しい百合の剣を腰にひっさげて、走るマリーの姿は見る者みんなを幸せにする。
「あ、聖女様が走ってる!」
「おはようございます、聖女様!」
「マリー・テイルワット様だとぉお!?」
「ぐあああ、尊すぎて直視できないぃい!」
ジークタリアスに彼女のファンは多く、かるく手を振りながら街を歩けば、尊さ測定器が振り切れて、神殿に急患が運びこまれるのはザラにある。
ゆえに、マリーは微笑みかえしたり、ウィンクだけにとどめているが、そのしぐさの愛らしさと、尊さゆえに卒倒するファンがいることを彼女は知らない。
冒険者ギルドに到着したマリーは、さっそくドラゴン級冒険者としての権限をつかって、受付嬢から直接、マックスの行方を聞きだす作業にはいった。
(わたしを起こす大事な職務を放棄するなんて、マックスにはちゃーんと埋め合わせてしてもらわないと。具体的には、今度の休日に2人きりでパンケーキを食べに……)
「マックスさんなら、昨日の晩にギルドに来ましたよ? いつもどおり酔っ払った冒険者たちが喧嘩をはじめたので、そのあとはよくわかりませんけど、たしか裏手のほうに行ったような……。今朝ですか? いえ、今朝はまだ見てませんねぇ」
受付嬢にお礼を言って、マリーはギルドの裏手へとまわってみる。
ジークタリアスの冒険者ギルド支部は、崖下のボトム街を一望できる断崖のうえにあり、その裏庭は気持ちよい風を感じることができる、この街でも一押しのロマンチックスポットとして知られる。
マリーは特に変哲のない、ギルド裏手を見渡して、首をかしげる。
(どうしてこんなところに?)
マリーは昇ってきた太陽に黄金の髪をなびかせながら、なんとなく裏庭のベンチに腰掛けてみることにした。
「はぁ……マックス」
寂しくなると、すぐに彼の名前を呼んでしまう。
(わたしは【施しの聖女】、誰かひとりに特別な感情を向けることなんてあってはならない存在……)
少女のなかでギスギスと、心を蝕む不快な音が鳴り響く。
マリーは目を閉じて、膝を抱え、自分の境遇を強く呪った。
そして、また、呟いてしまう。
「マックス……どこいったんだろ……」
少女の呟きは風にかき消され、誰にも届かない。
ただ、マリーの背後に立ち尽くす影だけが、彼女のちいさな羨望の声を聞いていた。
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