#132 起きたら……
「ん……」
目が覚める。
重たい身体をのそりと引きずるようにして起き上がり、暗い部屋の中で枕元のスマホを探す。
枕の下に潜り込んだのか、それともベッドの下に落ちたのか。
目当てのものはなかなか見つからず、寝起きに手間を掛けさせられた苛立ちが徐々に募っていく。
面倒だけど部屋の電気を付けようか、そう考えたところで、
──……あれ、なんでこんなに暗いんだ?
今まで眠気で回らなかった頭が、急速に思考を開始して状況を把握しようとする。
えっと、たしかわたしは天猫にゃんとコラボ配信の準備を深夜までしていて、明日も学校だから少しでも寝るためにベッドに横になって……、いや違う。これは朝方の記憶だ。
そうだ、今日は寝不足のまま学校へ行き、放課後に駅前で買い物をして夕食の時間まで仮眠をとろうと……、
「あ!」
思い、出した。
慌てて行方不明のスマホを探すと、何故か枕元ではなく足元に転がっているのを発見。
多分寝ている間に無意識で手に持って、そのまま布団に巻き込まれる形で足元まで蹴飛ばされたのだろう。
暗闇の中、目が痛くなるのもお構いなしにスマホで時間を確認する。
「一時間前、セーフっ!」
寝起きだというのに額から溢れ出していた冷や汗をぐっと拭う。
体感で言えば丸一日眠って翌日を迎えた気分だったから焦った。
これで配信開始時間を過ぎていれば自分からコラボに誘っておいて~とか、問題児としての自覚が~とか、リスナーや天猫に裏でネチネチ言われていたに違いない。
ましてや一歩間違えれば翌日まですやすやと爆睡していた可能性もあるかと思うと、そんな未来恐ろしすぎて想像もしたくない。
と、そこでスマホの通知を確認すると天猫からメッセージが来ていたことに気づく。
昨日解散したときはリアルの都合があるから集合時間については後で連絡すると言っていたので、それだろう。
送られてきた時間を見ると、ちょうどわたしが眠りについてから数分後に来ていたようだ。
で、肝心の内容は。
【Discord】
17:43:天猫にゃん 集合は一時間前でお願いします
17:47:天猫にゃん 黒猫さん?
17:50:天猫にゃん おーい
17:51:天猫にゃん もしかして寝てますか?
18:00:天猫にゃん ……遅刻はしないでくださいね
以降、三十分おきに生存確認のメッセージが続いている。
……やばい、完全にこっちの行動が見透かされている上に、今の今までメッセージに一切気づかずにすやすや寝てしまっていた。
もしかしたら足元にスマホが転がっていたのは通知音で一瞬だけ目が覚めて、うるさいから投げ捨てた可能性がある。
というか、言い訳をするならいくらコラボ配信だからといって一時間前集合は早すぎると思う。
こういうのは十五分、早くても三十分前集合が定番で、たとえ案件配信でも一時間前から準備なんてしない。
日頃から常に通話をしている相手とか、ゲームのマルチプレイをするためとか、そういう目的なら分かるけど別に天猫にゃんとはそんな関係じゃないし。
だから、そう、わたしが油断して一時間前まで寝ていたのは別に何も問題なかったと言いたいね!
むしろ仮眠直後に集合時間を伝えるほうが悪いまである。
……まあ、今回は運良く起きれただけで、もしかしたら寝過ごしてた可能性も充分あったけど。
それよりも、Discordを確認すると既に天猫にゃんは通話に入って準備を終えていた。
これ以上待たせれば配信前に何を言われるか分かったものではないので、わたしはまだ寝起きで重たい頭のまま通話に参加した。
「おつかれさまです……」
第一声は誰が聞いても寝起きと分かるもにょもにょした声だった。
段々冴えてくる頭とは裏腹に、喉はまだ仮眠状態から覚めていないみたいだ。
「お疲れ様でーす。五分三十四秒の遅刻ですね」
「いやいや、集合時間が早すぎるんだって。スタジオ収録の機材チェックかってぐらい早いじゃん」
「甘いですね黒猫さんは。いいですか? 喉はある程度動かしておかないとちゃんと開かないんですよ? ほら、カラオケに行くと最初の曲より後のほうが声が通るようになるじゃないですか、あれと同じです」
「まあ、知ってるけどさ」
その辺は配信者の常識だ。
「だから事前に喋っておいたほうが本番で本調子になると思ったので一時間集合にしました」
「それにしてもなぁ……」
「あと黒猫さんってスロースターターのイメージがあるので。最初はコミュ力が低いのに、段々テンションが上がるにつれて声やトークの調子も出てくるタイプですよね」
「あー」
オタクあるあるね。
自分のテンションが上ったり自分の得意なことでは急に饒舌になるやつ。
よく見てらっしゃる。
「天猫にゃん的にも今回のコラボ配信は突発だとしても、いえむしろ突発だからこそベストな状態でやりたいんですよね」
昨日のうちに建てておいた待機所には一時間前だというのに結構な数のリスナーが待機をしていた。
そして誰かと会話をするわけでもなく、それぞれが思い思いの配信前トークを繰り広げている。
:待機。今日の配信楽しみ
:初絡みの時からコラボ待ってた。伝説見せてくれ
:昨日の今日でコラボ配信とかビビるわ!でもそれでこそこの2人だわ
:炎上記念カキコ
:今日の格付けチェック会場はここですか?
:待機。前々から期待されてるコラボなのに告知から24時間経たずに配信とかやっぱ猫猫コンビは他と違うな
:もっともったいぶってリスナーに媚びろ!いや猫だから正しい姿なのか?
……不安になるチャットがほとんどだけど、それでもみんなが今回の配信を色んな意味で楽しみにしていることに違いはない。
個人VTuberである天猫にゃんとしては何が何でも配信を成功させて、人々の記憶にその名を深く刻み込みたいのだろう。
「というわけで仮眠は頭がスッキリするのでグッジョブ! です。でもその寝起き声は早く直してくださいね?」
「あ、はい」
夜更かしをしていたのは天猫にゃんも同じだったはずなのに、それを感じさせないバイタリティーだ。
これでわたしだけが腑抜けた状態だったら言い訳もできないし、何よりリスナーに顔向けできない。
とりあえず、
「ご飯取ってきていい? ほら、寝起きだし天猫風に言えばお腹満たしてる方が最高のパフォーマンスを発揮できる的な?」
「いいですよ、私も積んでいる作業を片しておくので」
というわけで、一旦通話をミュートにして冷蔵庫に入れておいた弁当を取りに行く。
今日はコラボ配信のためにちょっと奮発して、駅前のお洒落なスーパーで鮭やエビフライやハンバーグその他色々が入ったデラックス弁当を買ってきた。
しかも夕方だというのに値引きシールが貼られていないやつだ。わたしってばお金持ち。
ウキウキ気分でレンジにお弁当をインして、そこで気づく。
……本来なら配信二時間前に食べる予定だったからガッツリしたものを買ったけど、一時間前にこの量を食べたら流石にヤバいのでは?
配信初心者だった頃のわたしなら後先考えずに完食していただろうけど、日々成長しているわたしはレンジで温める前に鮭とエビフライとウィンナーと唐揚げ、その下に沈んでいたスパゲッティと付け合せのきんぴらごぼうをお皿により分けた。よし、レンチン開始。
そして出来上がったのは……、うん、ただのハンバーグだけ弁当だこれ!
ま、まあ配信中にお腹いっぱいで苦しくなったりトイレに駆け込むよりよっぽどマシだろう。
見るも無惨な姿になってしまったデラックス弁当を片手に、自室へと戻る。
「ただいまー」
「おかえりでーす」
カタカタ、カチカチと途切れることなく聞こえる作業音をBGMにハンバーグ弁当を口に運ぶ。
もぐもぐ、カタカタ、カチカチ、ごっくん。
「………」
「………」
き、気まずい……ッ!
お互いに相手の食事と作業に気を遣って無言が続くせいで、マイクが無機質なキーボードとマウスの音をひたすら拾って気まずいのなんの。
これが親しい仲だったら無言も気にならずに、むしろ心地よい空間になるんだろうけど生憎と天猫にゃんの好感度はその領域に達していない。
だからといってここでわたしが逆に「このお弁当おいしー」とか言おうものなら、相手も無理に乗っかってきて「何食べてるんですかー?」と特に発展性のない会話が始まることだろう。
しかしそれも一言二言続くだけで、最後に待っているのは最初の比ではない無言地獄だ。
そうなると今度こそ取り返しがつかないレベルで気まずくなって、配信中もギクシャクと妙な空気を引きずることになりかねない。
というか、そんな会話が成立すればまだマシな方で、最悪はわたしの独り言として処理されて続く言葉がないときだ。
そうなったら最後、わたしのテンションはデラックス弁当の名を冠するハンバーグだけ弁当の如く空虚なものと成り果てて、今日のコラボ配信は延期することになるだろう。
だから天猫、なんか喋れ! 手遅れになっても知らないぞ!
「んんっ」
やがて無言に耐えられなくなった天猫から聞こえた咳払いはひどく虚しかった。
天猫の性格を考えたらこっちが話せないときは会話を振ってくれると思うんだけど、それをしないということは食事中だから気遣ってくれてるんだよね……。
ごめん、さっさとハンバーグ食べるわ。
「ご、ごちそうさまでした」
うっ、寝起きにハンバーグを食べるだけでもそこそこ重かったのに、急いで食べたからお腹が苦しい……。
時計を見れば既に配信開始三十分前、結局普段の集合時間と特に変わらない時間だ。
「さて」
天猫がついに口を開き、同時に気まずい空気も霧散する。
ふぅ、ようやく新鮮な空気を吸えた気分だ。
「今日の進行についてですけど、黒猫さんがメインで大丈夫ですよね?」
「あ、うん。わたしがメインで、天猫に色々質問していく感じでやろっかなって」
昨日遅くまであーでもないこーでもないと話し合って考えた企画は題して【天猫にゃん大解剖スペシャル】、ぶっちゃけて言えば【VTuber100の質問】だ。
まあ、VTuberの初コラボでよく見るやつだね。
だってさ、一夜で用意できるものなんてたかが知れているんだから、これでも無い頭振り絞って頑張ったほうだと思う。
いちおう配信画面をコラボっぽくお洒落にしたり、質問カードを天猫指導の元イチから自作したり、小手先の小細工はしておいた。
ほら、天猫も自分で考えて実行するのが大事みたいなこと言ってたし?
既視感のある企画でも努力が大事なんだよ。
「質問企画は天猫にゃんをよく知らないリスナーにとっては色々と知れる機会ですし、既存のリスナーにとっても新たな一面を発掘出来るので良い選択だと思いますよ」
わたしの一夜の努力をフォローするように天猫にゃんが言う。
「問題は黒猫さん目当てのリスナーですけど、そこは黒猫さんが存分に司会で盛り上げて満足させてあげてください」
「うっ、がんばるます……」
盛り上げるけど、でも暴走しないように頑張らないと。
え、むずくね?
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですって!」
不安になっていると天猫にゃんが明るい声で励ましてきた。
「ほら、今回は別にテンプレートに沿った質問じゃなくてオリジナルがメインなんで進行が飛んでも誰も気づかないですし? 最終手段としてリスナーから質問を募集すればどうにかお茶を濁せますって。ほら、リスナーって配信に参加してる感が増すと大抵のことは気にしなくなるんで」
「その言葉配信で天猫リスナーに聞かせてやりたいよ……」
「うちの子たちは鍛えられた精鋭なのでそれぐらいじゃへこたれませーん」
天猫はどこ吹く風とばかりにカラカラと笑った。
いちおう、100の質問と言っても本家本元のテンプレートを使うわけではない。
テンプレ形式って次の内容がわかる楽しみがある分、逆に見飽きていると興味を失う可能性もある。言ってしまえば諸刃の剣だ。
だから今回はリスナーの興味を最後まで引き続けるために、個人的に天猫に対して気になっている事やネットで囁かれている噂をメインに質問していく予定だ。
で、進行がグダりそうなときやネタ切れのときは質問募集タイムと称して休憩を入れる。
……最後はリスナー頼りって他力本願もいいところだけど、こういう企画はむしろリスナーから質問を募集してこそだからセーフということで。
うん、付け焼き刃にしては頑張ったから多分大丈夫だ。いけるいける。
「っと、その他細かい打ち合わせは昨日のうちに済ませましたし、後は軽い確認だけしましょうか」
「ん」
そんなこんなでわたしたちは時間になるまで確認を行った。
そして、天猫にゃんとのコラボ配信が始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます