#75 ぎゅー
──最近は何かと忙しい。
昨年末から大ブームを起こしているバーチャルユーチューバーコンテンツは2019年になっても勢いが衰えることはなく、むしろ日増しに天井知らずの伸びを見せていた。
流行り始めた頃はインターネット掲示板で連日のように「こんなの一年もしたらみんな忘れてるw」「オタクはすぐ目移りするから寿命短いよ」と書き込まれ続けていたのに、今や夜のニュース番組でVtuber特集が組まれるぐらいの人気になった。
そういえば当時はまだわたしもデビューしていなくて時間が有り余っていたこともあって、毎日のように掲示板でレスバしてたなぁ。
いやだってVtuberブームは絶対続くって確信があったし……。
若気の至りってやつだよ。
まあ、そんなこんなでVtuber活動がとても忙しい。
今日も休日を利用してスタジオで季節限定ボイスの収録があるし、来週も雑誌のインタビューを受けなきゃいけない。
本来土日は学校がお休みの日だというのに、企業Vtuberは文字通りVtuber活動がお仕事なせいで土日に収録や配信をしてしまうと実質的に休み無しの日々を送ることになってしまう。
一応、放課後に収録へ行けば土日の休みを無理矢理捻出できるんだけど……、学校が終わってから電車に揺られて移動するのって凄い面倒なんだよなぁ……。
そういう後回し癖のツケが土日に回っているんだから、甘んじて休日を返上するしかない。
逆に、大学生組や
大学生は高校生と違ってある程度自分でカリキュラムを組み立てる事が出来るし、最悪サボっても自己責任として処理される。
と言っても、あるてまに所属している大学生組は真面目な人が多いのでちゃんと単位を取得していたり休みの日に来てると思うけど。
でもこれって多分、まだまだ忙しくなるんだろうなぁという予感があった。
なにせわたしは今年で高校3年生、つまり受験の年だ。
まだ志望校は決めていないし勉強だって全然していない。
学校では毎日のように各教科の先生が「そろそろ危機感を持ったほうがいいぞ~」とか言っているが、わたしは帰宅すると配信して休日も収録に勤しんでいる。
Vtuber活動だけで手一杯なのに、ここに受験勉強が追加されると思うと今から戦々恐々でスタジオへ向かう足が重くなってくる。
──いっそ、進学せずに専業Vtuberとして活動していこうかなぁ。
そんな思考が一瞬頭を過ぎった。
行きたい所が無くても取り敢えず大学は出ておいたほうがいい、とはよく言うけど、現状配信者としてある程度成功しているなら無駄に四年間通うのも時間とお金が勿体ない気がするのだ。
特に学びたいものがある訳でもないし、友好関係を築きたいとかそういう意欲も一切ない。
今のVtuberブームを見ればあと数年は配信者としても安泰そうだし、一生分のお金を稼いで廃れた時はきっぱり引退すれば後は遊んで暮らせるかもしれない。
あれ、考えれば考えるだけ大学行くの無駄じゃない???
進路希望には「配信者として食っていく」って書いて提出するか!
そんな未来へ思いを馳せているうちに事務所へと到着した。
入口側のコート掛けへ上着を掛けて、時計を確認する。
スタジオの予約時間にはまだ余裕があるし、今のうちに移動疲れを癒やすためにソファでダラダラしよう。
この事務所はライバーかたまにマネージャーが出入りするだけで、今日は上着の数を見るに誰もいないから思いっきりくつろぐことが出来る。
先週、偶然居合わせた
ソファに深く腰を下ろしてぐでーっとした状態でエゴサをする。
特になにも考えずに脳死でファンアートをRTしたり、なんかいい感じのこと言ってる人のツイートやリプライに
あぁ、もう一生動きたくない……。ここで一生を過ごしたい……。
仄かな暖房と疲れた身体に虚無の時間は段々とわたしに眠気をもたらしてくる。
このままお昼寝をしてしまいたいけど寝たら絶対に予約に遅刻するから起きなきゃいけないんだよなぁ……
うぅん………。
「いでッ!?」
ウトウトしながらエゴサをしているとスマホが顔面に落ちてきた。
地味に効く鼻の痛みに涙が思わず溢れてしまう。
「うぅ……」
じんじんと痛む鼻を押さえながら地面に転がってしまったスマホを拾うために立ち上がる。
完全に気を抜いていたところに来た不意の衝撃は、あの心地よかった眠気もどこかへ吹き飛ばしてしまった。
いや、まあ、寝たら遅刻確定だったから目が覚める分にはいいんだけど。いいんだけど、やっぱりやるせない……!
ソファの下へと滑り込んだスマホを屈みながら手を伸ばしてどうにかこうにか回収しようと、
「……なにしてるの?」
「ふぇ!?」
入口の方から急に声を掛けられてびくっと身体が反応する。
「あだぁっ!?」
ソファの狭い隙間へ手を突っ込んでいたせいで、跳ね上がった腕とソファが接触を起こしてまたしても強烈な痛みが今度は腕に奔る。
「だ、大丈夫?」
「へ、へいき……」
声の主は暁湊だった。
入口で怪訝そうな表情をしながらも心配してきた彼女はコートを掛けながらこちらへやって来た。
「で、事務所でお尻突き出してなにしてたの?」
「ッ!?」
慌てて──今度は周りに注意しながら──立ち上がる。
どうやら手を伸ばすことに熱中しすぎて、普通に屈んだ状態からいつの間にか四つん這いになっていたらしい。
湊は簡易キッチンの置いてある電気ケトルでお湯を沸かしながら、「あっ」と言った表情を浮かべ、
「共用の事務所にえっちな本隠さないでね?」
「違うよ!?」
いくら物を隠せそうな隙間があるからって、そんな思春期男子みたいなベタなことしないが!?
てかベッドの下にも隠したことないよ!
生暖かい目をした湊の誤解をなんとか解きながら、今度こそ慎重に手を伸ばしてスマホを回収する。
画面には傷一つ無くて取り敢えず安心した。
「ふぅ……」
対面のソファに湊がコーヒー片手に座る。
その表情は少し疲れ気味だった。
「どうかした?」
「ん、ボイスの収録って体力使うなと思っただけよ。何度経験しても慣れることないし、収録が終わっても公開されるまで緊張は続くから大変だなぁって」
「とてもよくわかる……」
どうやら湊は直前までボイスを撮っていたらしい。
わたしも湊もこの業界に入るまで、声を売りにした活動をして来なかったから大変さは痛いほどよく分かる。
他所の企業では募集要項に配信経験が必須だったりすることもあるし、あるてまだって熱意が大事と言いつつも歌ってみたや配信経験があるライバーが何人か所属している。
まあボイスって歌や配信とはまた違うスキルが必要だから一概になんもと言えないけど、やっぱり業界未経の身からすると収録って疲れるなぁ、と思う。
「湊も今日はバレンタインボイスの収録だよね?」
「そ。この後はラジオの収録もあるから大忙しよ」
「大変だね……」
そんな感じで湊がコーヒーを飲んでいるのを眺めながら、まったりと過ごしていると時間になってしまった。
あぅあ、今から収録だと思うと緊張でお腹が痛くなってきた……。
「かえ」
「ダメ」
「うー、うー」
最近は「帰っていい?」と言い切る前に返事をされることが増えた気がする。
まだ出会って一年も経っていないというのに、なんだかわたしへの対応が日に日に上手くなっているというか、雑になっているというか。
「湊はもっとわたしを甘やかしてもいいと思う」
「えぇ……」
「なんか最近雑だもん! 前はもっとよしよし休んでいいよ~~~って言ってくれてた!」
「言った覚えないけど」
いいや言ってたね!
わたしの中のイマジナリー湊は言ってたね!
「やだやだ帰りたーい。もっと優しくしろー」
「駄々こねないの」
「むぅ……」
「はぁ、仕方ないわね。こっち来なさい」
ちょいちょいと手招きされたのでソファから立ち上がって近寄る。
なんだろ、飴でもくれるのかな。
疑問に思っていると、湊はおもむろに両手を広げて、
「はい、ぎゅー」
「!?!?!?」
「元気出た?」
「…ッ……っ………!?」
抱き締められた。
それはもう思いっきり、お互いの胸がつぶれるぐらいの距離感でぎゅーっと。
あまりの出来事に両手をピンっと伸ばした直立不動の姿勢で、混乱する頭で至近距離の湊の顔を見る。
なんでもないような口調だった湊はよく見るとその顔を赤く染めて、閉じられた瞼はピクピクと震えていた。
あまりの密着具合にお互いの心臓の音が微かに感じ取れるのだが、湊の心臓は聞いているこっちが心配になるぐらい速く鼓動していた。
「ごめん、自分でやっておいてあれだけど言っていい?」
「ど、どうぞ」
「凄い恥ずかしい」
「わ、わたしも。恥ずかしい……」
「うん、聞こえてる……」
う、うぅ。
湊の心臓の音が聞こえるということはわたしの音も聞こえているということで……隠したいことが全部筒抜けになるぐらい、今のわたしたちは赤裸々だった。
それから多分、一分ぐらい。
お互いに無言で顔も見ずに抱き締めあってからようやく解放された。
まだ身体には湊の感触と体温が残っている。
「疲れが溜まってたのかな。深く考えずにやっちゃった。ホントごめん。おかげで元気出た。って元気あげようと思ったのに私が元気もらっちゃったね。あ、そろそろ時間だから行かなきゃ。ほら、今宵もあんまり遅れないようにね。じゃ、バイバイ」
口を挟む間もないぐらいの早口の後、湊は早足に、大きな音を立てて事務所を後にした。
残されたのは身体の熱が冷めてきたわたしと、すっかりぬるくなったコーヒーだけだった。
「う、うわぁぁぁぁああ!?!?!?」
誰もいないことを確認して、ソファに思い切り倒れ込む。
いや、今までお風呂に入ったり密着したことはあるけど、あんな不意打ちめっちゃ恥ずかしいんだが!?
クッションに色んな感情をぶつけながら身悶えていると、唐突にガチャッと扉が開く音がして、
「あ」
「あ」
きっと、頭がいっぱいいっぱいでコートを持っていくのを忘れたのだろう、湊と目が合った。
再び、事務所には気まずそうな顔の湊と、ソファでのたうち回っているわたし。
「コート、忘れただけだから……」
「あ、うん……。えと、ばいばい」
「うん……」
今度は静かに、事務所の扉が閉められる。
「……ふぅ。……収録、いくか」
この日の収録はいつになく完璧に終わった。
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