第4話 ドラッグストア店員の叫び
あぁ、嫌だ。仕事に行きたくないよ……。私はいつもの朝に気が重くなった。私の職場は、市内では大型の部類に入るドラッグストアだ。
マスク不足が報じられ、会員カードを持っている近所のお客様以外にも、遠方から来たであろう
求める物は皆同じだ。マスクなんてある訳がない。医療従事者や介護の現場でさえ、在庫切れの危機に陥っているのだから。
それでも、お客さんはやって来る。
最初のうちは、まだ良かった。皆軽く見ていたんだ。
「済みません、マスクってありますか?」
「申し訳ございません。品切れで……」
「ですよねー。早く入荷しないかしら」
処が、あれから一か月半も経つと、顔が分かる常連客でさえも、鬼の
そもそも、インフルエンザピークが過ぎても、花粉症シーズンに突入するから、マスクは売れ筋だ。だから、メーカーも問屋もポンコツ店長だって、品切れしない様にコントロールしている。だけど、今回は、原料供給からストップして、私達にはどうしようもなかった。
「ねぇ! マスクはまだなの?」
「申し訳ございません」
「いつ入荷するのよ! 消毒薬もないの?」
「申し訳ございません」
「いつ来てもないじゃないの! 自分の分は持ってるんでしょ?」
「申し訳ございません」
「うちには病人がいるのよ! 何とかしてよ!」
「申し訳ございません」
……こっちが心の病気になるわよ。何とかして欲しいのは、私の方よ。
毎日毎日、頭を下げ続け、それでも文句を言われる。私の仕事は、販売ではない。謝罪だ。
仕事に行きたくない。誰にも逢いたくない。もう閉店して欲しい。
テレワークって何? 羨ましいわ。売り場に立たなくて済むなんて。
遠目からでも分かる行列。嘘でしょ? まだ開店まで四十五分もあるのに。朝一番に並んでもマスクなんて入荷しないから! もう勘弁して!
私は、並んでいる客に見つからない様に、裏口から店舗へ入った。
スタッフルームでは、皆ストレスから、チョコやスナック菓子を食べてしまう。人間らしい生活を送っていないので、TVもネットニュースも観ていなかった。どうせ新型ウイルスの感染者増加といつまでも店頭に並ばないマスクの文句しか取り上げられない。
オープン前で、留守番電話設定になっている今が一番幸せだ。留守電が解除されると、不毛な電話応対が待っている。かかって来るのは、在庫確認と入荷確認の電話だけだ。そして、クレーム電話の様に、最後はガチャ切りされる。
「外の列、何なの?」
「また、マスクないかって聞かれて、キレられる」
「早く入れる? 寒い中いつまで待たせるんだ、って言われない?」
「ダメ。後から来た人が、開店早くされたから売り切れた、って言うよ」
「もう、嫌だー!」
昨日、売り場で過呼吸になったスタッフは、もう泣いている。だけど、時間は無情だ。
私達は、頬を引き攣らせながら、店をオープンした。
並んでいた人達は、マスクコーナーなど一瞥もしなかった。代わりに、カートを押しながらティッシュ売り場に殺到した。
大量にティッシュ類を積み込んだ客がレジに来た。レジは出入り口の近くにある。新しく入ってきたおばさんの怒声が飛ぶ。山積みカートを睨みながら。
「ちょっと! どうして数量制限してないのよ! こんな早く来て、買えなかったらどうしてくれるのよ!」
「え?」
「ほら、さっさと会計してよ。私が買っても良いんでしょ?」
売り場スタッフが顔を見合わせた。そういうことか。今度は紙製品に殺到しているんだ。
「だから! 早く数量制限しなさいよ。あんた達それでもプロなの? 分からないの?」
プロだから、分かっている。マスクと違って、紙製品は国内で十分生産・流通している。ここだって、沿岸には有名な製紙工場が毎日煙を立てている。工場が津波に遭わない限りは、紙製品がなくなることはない。だが、目の前の人達は、客じゃない。最早、津波だ。
一旦店内のラックが空になり、ストックから補充する前にポップを設ける。
『お一人様・一点まで』
ストックから、品出しをするカーゴに手が伸びてくる。売り場へ向かって、移動途中なのに。
「申し訳ございませーん、お一人様・一点までです」
「三人で買い物に来てるのよ! ほら」
ほらって言われても、お連れさんなんて分かりません。
中には、何往復もしてる人が居たが、構っている暇もない。というか、そんな常識ない人達に関わっても、碌なことがない。
「本当に在庫ないの? あるんでしょ?」
「自分達の分は確保してるんでしょ? 出してよ」
「転売で儲けるつもりでしょ? 信じられない」
睡眠不足と謝罪疲れ。もう目の前の人達の言葉は、日本語にすら聞こえなくなっていた。
「お前らが、買い占めるからなくなるんだよ!」
私は、心の叫びを口から出さない様に歯を食いしばった。
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