第三部「ハレの日の雨」
scene3.1
真っ白な入道雲が空に浮かび、風が夏の香りを運んできた。
翌日に期末試験を控えた、6月29日。
この日、勇太と白鷹空は町内で数少ない喫茶店の一つ「
古民家を改装した店内はぬくもりを感じさせるデザイン。店内に響くのは軽やかリズムのボサノバ。窓から見える里山の風景は、日本の原風景を思わせる。
だが勇太と空の視線は、机に置かれたノートパソコンに注がれたままだ。お互いに死にそうな目をしてモニターと睨めっこをしている。
勇太がカチッとマウスをクリックした。
「あー……白鷹。これでどうだ? ここのつなぎ方、おかしくない?」
「あ? ああ……いいんじゃね? 大丈夫」
「おい。白鷹。ちゃんと見てるのか」
「いや、見てるけど。もう何回もこの映像見てるから、なにがいいのかわかんなくなってきてんだよ。まあ、漫画の原作書いてても同じこと起きるし。これはアレだな。一回家に帰って寝たほうがいい」
「おい。ざっけんな。寝るな。横になるな。死んでいったテスト勉強の時間のためにも頑張れ」
「誇るようなことじゃねぇよな。それって」
そう言って空は目柱を押えた。眼が疲れたのだろうか、クイクイと動かす。
本来であれば今日、翌日の期末試験に向けテスト勉強をしなければならない。
勇太としてもそんなことは分かっている。だが、そうにもいかない事情があった。
かおるとの一件があったあと、演技イップスにスケジュールを大幅に乱されながらも撮影は進んでいった。その中でかおるは演技イップスを解消するには至っていないものの、初めの頃に比べるとその症状は軽減されているようだった。
ただ、あらかたの撮影が終わったのがテスト週間に入る直前。コンテスト締め切り日を考慮した結果として、こうしてテスト勉強をほっぽり出して編集に取り組んでいる。
つまりいまやっているのは、数か月をかけて撮影した映像を切り貼りして、映画予告作品として完成させる過程だ。
「よし。あとはBGMだ。コンテストサイトに貼ってるやつは勝手に使ってもいいらしい。どうするよ」
「あ~。もうあれだ。ミ〇チルっぽい曲探してぶっこんどけ。そうすりゃ恋愛映画の予告っぽくなる」
「おっけ。じゃあ……この音楽で。ファイルをダウンロードして貼り付けて……サビがラストにくるように合わせて……よし」
勇太はマウスから手を離し、大きく息を吐いた。
「一応……完成だ」
「お疲れさん。……よかったなー。テスト前に一応、出品できる状態にできて」
空が伸びをしながらそう言った。
「ま、舞台のシーンとキスシーンが残ってるけどな」
勇太は腕組をして、再生されている映画予告映像を見直す。
ただし、まだ完全には完成したというわけではない。実はあと2つ撮り切れていないシーンがある。
1つは、あの日撮り切れなかった『舞台の上で三波が心中を叫ぶシーン』
ただ、このシーンについてはかおるとの一件があった際、時間があれば撮影する約束なのでいまはどうしようもない。だから問題はもう1つのシーンだ。
「……なあ勇太。マジでキスシーンって撮影すんのか。つか、わざわざ祭りに行って撮影しなくてもいいだろ」
空は嫌そうな顔をするが、勇太は「ダメだ」と語勢を尖らせた。
もう1つ撮らなければならないシーン。それが『主人公とヒロインのキスシーン』だ。
一週間後の期末試験最終日。その日、空の住む地域で祭りがある。その祭りを訪れ、そこでキスシーンを撮影する予定になっていたのだ。
だが、空が懸念するのはわかる。
なんたってこのシーンは主人公演じる空と、ヒロイン演じるかおるが本気でキスをする。したふり、などではない。本気でキスをしてもらう。
「主人公とヒロインがキスするシーンは絶対に欲しい。ベタだけど、キスシーンがあれば他の作品に差をつけられる。それに、祭りでキスするって展開は白鷹が書いたんだろ」
「お前、他人事だからってひでぇな。祭りに参加している通行人に見られるんだぞ」
「かおるは全然かまわないってよ」
「そりゃ犬山さんは……そうだろうけど。つか、」
空が頭の後ろを掻いた。
「勇太はいいのかよ。俺と犬山さんがキスしても」
「あ? どういう意味だ?」
勇太がそう言うと、空はスッと眼を細めた。
「だからお前。犬山さんのこと――」
と、そのとき。空の言葉を遮るようにして、喫茶店の扉がチリンと音が鳴った。
勇太が何気なしに顔を向けてみれば、2人連れの男が入店してきたようだった。2人の男は店員に案内され、そのまま席へと向かってゆく。
「すまん。で、白鷹。かおるのことがなんだって……白鷹?」
勇太は遮られた会話を再開させようと空に顔を向ける。だが空の視線は、先ほどの来店した男2人組みに注がれたままだった。
「なあ、白鷹。どうかしたのか?」
「いや……」と言って空は眉を潜めた。
「あの男……たしか、監督なんだよ」
「監督?」
勇太は訝し気な顔になる。
「映画監督だよ。
空が指さした先を辿れば、髭面の中年男性が椅子に座っている。ニット帽を目深にかぶり、むすっとした顔。なにやら気難しそうな男だと勇太は思った。
「いや、知らないな」
「知らなくても観たことくらいあるだろ。『雫こっちむいて』とか『ぱちもん』とか『俺たちピスタチオ』の映画を撮った監督だよ」
「え? マジでか」と勇太は声を上げる。
空に言われた映画はどれも観たことがある。基本的に面白かった記憶しかなく、なによりそこそこのヒット作ばかりだ。
「すげぇな。てか。なんでそんな人がこんな場所にいるんだ?」
「さあな。ちなみに監督と一緒にいるのは俳優だったはずだぞ」
空が指さしたのは、一誠の真向かいに腰を下ろしている男。なにやら遠目でもわかるくらいのイケメンだった。
「ふぅん。ちなみに名前は?」
「知らん。俺は映画のスタッフ方面は詳しいけど、俳優は詳しくない。でも、わりと売れっ子だったな」
「へぇ。売れっ子ねぇ。変装しなくても大丈夫なのかよ」
「あのよ、勇太。ここをどこだと思ってんだ。ド田舎だぞ。有名人が歩いてても、そもそも人がいないから騒ぎにすらならない」
「……うーん。確かに。悲しいことにその通りだ」
「ねぇ~。アンタらいつまで居るつもりなの?」
突如、上から声がかかる。勇太が顔を上げてみれば、そこにはぷりぷりと頬っぺたを膨らませている女の子がいた。
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