scene2.7

「私。病気なの。いまは体調いいかもだけど、そのうち。私……」

「それでも俺は三波のことが好きなんだ。大好きなんだよ」

「わかってない。わかってないよ岳くんは! だって本当に、ホント……に……にっ」

「カット」

 勇太はカメラの録画を停止させた。

 ゴールデンウィーク明けから数日たった日の放課後。

 場所は美星分校の空き教室。

 ここ数日は空演じる岳と、かおる演じる三波の会話シーンを中心に撮影をしていた。

 この数日中に予定していたカット数は約15カット。ところが現時点で、その半分も撮り切れていなかった。

「……ごめん。白鷹くん」

 かおるが肩を落とし溜息をついた。

「いや、いいけどよ。てか、犬山さん大丈夫か?」

「そうですよ。汗がすごいです。タオル使ってください」

 空はかおるを気遣い、灯はかおるにハンドタオルを渡そうとする。

「ううん。大丈夫。それよりもっかいお願いしていい?」

 かおるが弱弱しい視線を勇太に向けた。だが勇太は、

「いや。いまのシーンだけど、編集でかおるが言葉に詰まる前で別の映像につなげば、たぶん使える。だから、とりあえずOKにしよう」

「でも勇太。それじゃ――」

「わかってる。時間があればこのシーンは撮り直す」

「……うん」

 かおるは「納得できない」といった顔をしつつも頷いた。

 いつまでも同じシーンを撮り直すのも得策じゃない。ムキになるより時間を置いたほうが成功する可能性がある。

「それじゃあ次のシーン。三波が舞台の上で叫ぶ場面だから移動しよう」

 勇太は、他三人を引き連れて移動を開始する。

 やってきたのは旧講堂教室。前方に小さな舞台があり、その下にはピアノがある。現在ではどの授業でも使用されていない教室だった。

 勇太はファインダーを覗き込み、構図や画角の調節には入る。

「かおるは舞台の上に上がってもらって……よし、その位置な。で、白鷹は今回出ないから待機で。百万石は……もう少しマイク上げてくれ。カメラに写ってる。よしOK。準備できた。かおるは?」

「うん。こっちも大丈夫。いつでもいいよ」

「よし、じゃあ本番。5秒前、4……3……」

 勇太は2と1は言葉にせずに、スッと手を下した。

 かおるは、いつもよりたっぷりと時間を置いてから動き出した。眼を赤くしていまにも泣きそうな顔をして見せる。むろん、演技だ。

 かおるのその演技に空と灯が息を漏らした。そして勇太も感嘆の息を漏らす。

 それは昔、テレビの中で見た朝霧薫そのものだった。

 彼女が天才子役と言われる所以は、大人顔負けの演技力。そしていま目の当たりにしている、泣くという演技。これが朝霧薫の売りだった。

「私は生きたい。なんのために生まれて、なにをして生きるのか。きっと、私にとってそれは女優になること。だから生きたいの!」

 かおる演じる、三波が心の内を叫ぶシーンだ。

 病気に倒れ、生きることを諦めようとした彼女を主人公である岳が励まし、好きだと告白をする。そんな岳の励ましに応え、三波は自らの存在意義を言葉にする。己が病気であり、余命がいくぶんかもないにも関わらず、それでも必死に生きたい理由を岳に叫ぶ。いま撮影しているのは、物語の中のそんなシーンだ。

 かおるは体を丸め、言葉を絞り出すようにセリフを紡ぐ。

「なにが私の幸せで、なにをして喜ぶのか。それはきっと……きっと……き……きっ……っつ! ああ、もうっ!」

 かおるは投げ出すように腕を振り下ろし、苛立ちを全身で表す。

「おい。落ち着けって」

 勇太は録画を止め、舞台のすぐ下までやってくる。

「イラつくのはわかるけど、どうしようもないだろ」

「っつ――。だけどっ……」

「やめろ。白鷹と百万石が驚いてる」

 勇太がそう指摘してやれば、かおるは視線を空と灯に向けた。心配そうな2人の顔を見たのだろう。しゅんと肩を落とす。

「……ごめん。頭冷やしてくる」

 かおるは舞台の上から降り、トボトボと教室から出て行った。

「すみません。私も行ってきます」

 灯がかおるを追いかけて教室を出てゆく。勇太も追いかけようかと思ってみたが、女同士のほうが話しやすいことだってあると考え思い留まる。

「なあ、勇太」

 勇太に声がかる。振り返ってみれば、真剣な顔つきの空が近づいてきた。

「犬山さんの演技イップス。ここ数日見てきたけど……ありゃ想像以上にヤバいぞ」

「……まあな。でも、仕方ねぇよ」

 勇太は肩を竦めて見せれば、空はあきれ顔を浮かべた。

「気楽すぎだ。正直、このままじゃスケジュールカツカツになっちまう。……つか」

 空がスッと眼を細める。

「犬山さんが演技イップスになった原因とか知らねぇのか?」

 そう言われ、勇太は腕を組んだ。

「……知らないな。で、仮にその原因が分かってたら、どうするつもりだったんだ?」

「いや、だからよ。理由があって演技イップスになったんなら、それを解決してやれば治るかもしれねぇだろ」

「ああ、なるほど」

 ――演技イップスになった原因。

 たしかに、そのあたりの話をかおるはしていない。いや、正しくは彼女が話したがらないというのが正解か。だから、そのことについて知っていることはない。

 ただ、少し分かることもある。かおるの語り口からして、なんらかのきっかけがあって、演技イップスになったのだろうと予測ができる。だからとて、それは予測であり演技イップスになった理由が分かっているわけではない。 

「まあ、聞いてねぇならどうしようもないな。とにかく、スケジュールは気を付けといたほうがいい。それに、そろそろ中間試験だろ?」

 空はそう言って、被ったニット帽の上から髪を掻いた。自分でその単語を言って、嫌そうな顔になるのが面白い。

 でも嫌な気持ちになったのは、勇太とて同じだ。

 約二週間後、ここ美星分校は中間考査に突入する。それに加え、考査一週間前はテスト週間となり部活動などが禁止となる。部活でもなんでもないこの撮影であっても、明後日あたりから試験勉強のため皆が活動できなくなる。だからこそ空は、スケジュールに敏感になっているのだろう。ただそのスケジュール自体、試験や学校行事込みで組んである。

「心配すんなって。コンテスト〆切までは余裕があるさ」

 気楽そうに言った勇太に、空はあきれ顔になった。

「はあ……。マジで油断すんなよ。こういうときは、よく分からん理由でスケジュールが遅れたりするもんだ」

「なんだそれ? 漫画描いてるときの実体験か?」

「ああ、そうだ。いるんだよ。創作には神様だけじゃなくって、悪魔みたいな存在もな」

「気にしすぎだろ。それに、スケジュール管理してくれてるのは百万石だぞ」

 生徒会役員にして、部活では副部長。クラスではクラス委員も務めている。そういう雑務をやらせたら、あれほど優秀な人間もいない。多少のスケジュールの遅れは百万石がどうにかしてくれるはずだ。

「大丈夫だって。誰かが撮影に参加できなくなる、とかじゃなけりゃな」

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