scene1.3
「ねぇ、犬山さんって前はどこに住んでたの?」
「東京ですね」
「えっ? もしかして生まれも育ちも東京ってこと?」
「はい。そうなります」
「すごーい。始めて見た! てかなんで敬語なの? 同い歳だしタメ語でいこーよ」
「あはは、そうだね」
「てかさー。ここに来てびっくりしたでしょ? すっごい田舎で」
「ふふ。たしかに。あ、そう言えば近くにコンビニある? ちょっと用事があって」」
「コンビニ? ああ、それなら車で30分くらいかな」
「へ?」
教室後方で繰り広げられているやり取りを、勇太と空は椅子に座って眺めていた。
あの後、始業式のなかで担任教師は土佐先生だと発表され、分校長からのお話があったあと教室に戻りHLを受けた。そのHLもつつがなく終わり、あとは帰宅するだけとなっている。
「なあ、どう思う? あの女」
勇太は隣の席に座る空の顔を窺った。
「どうって言われてもなぁ……あ。おい勇太。いまお前のこと見たぞ」
「え、嘘だろ」
勇太が視線を向けてみれば、かおるは胸の前で小さく手を振っていた。
かおるの周りにいた女子生徒たちは「あれ? 鏡川と知り合い?」「え、そういう関係なの?」などと口走る。
「よかったなー勇太。お前、いまラブコメ漫画の主人公みたいだぞ。羨ましー」
「変わってやろうか?」
「すまんな。俺は主人公の友人が好きなタイプなんだ。ああいう脇役っていいやつ多いんだぜ」
「くっそ……覚えてろよ」
勇太は席を立ち、鞄を手に取った。
「なんだ? 帰るのか?」
「いろいろ怖いからな。撤退だ」
すると空も席を立ち、鞄に手を伸ばす。
「なら原田商店で駄菓子でも食おうぜ。ついでに新しい漫画の脚本読んでほしい」
「いいぞ。ビンラムネ奢りだ。3本」
「2本だ。行くぞ」
勇太は空と共に教室を後にしようとする。
とりあえず、犬山かおるという女の子から一刻も早く距離を置きたかった。まあ、宗教勧誘ってのはまずありえないだろうけど。
ところがそこで。
「ああ、よかった。まだ居たんですね鏡川くん」
勇太が教室の扉の前まで来たとき、扉が開かれ土佐先生が姿を現した。
「鏡川くん。ちょっとお時間いいですか?」
そう聞かれた勇太は、はあ? といった感じで首を傾げる。
「いいですけど。なんか用ですか?」
「ええ。鏡川くん。春休み前に提出期限だった進路調査書、まだ出していないですよね」
「進路調査書?」
と言いつつ勇太は、春休み前にそんなものが配られていたことを思い出した。
進学なのか就職なのか。進学であれば大学なのか短大なのか専門学校なのか。就職であればどんな職種に就きたいのか。そんなことを問われた質問用紙だ。
だが、そこに何を書けばいいのか分からなくて、そのまま提出しなかったのだ。
「すいません。先生。家に忘れました」
「それはつまり、まだ書いてないってことでしょ?」
土佐先生は小さく「うーん」と唸った。
「確かに、進路は簡単に決まるものではありません。ですが鏡川くん。君がどういう道に進みたいと思っているのか。それを私は知りたいんです」
「奇遇ですね。僕も知りたいと思ってたんです」
「親子さん呼びますか?」と、土佐先生に睨まれたので勇太は黙ることにする。
「大学に行きたいとか。この仕事に就きたいとか。明確なことを教えてくれとは、今は言いません。でも、こんな感じの道に進みたい……というような、形になっていない夢でも構わないので教えて欲しいんです。それを知らないと、どんな進路であれサポートのしようがありませんから」
「……なるほど。じゃあ僕が先生みたいな教師になりたいって言ったら、先生はサポートしてくれます?」
「たぶん鏡川くんには教師は向いてないので考え直してください」
「先生こそ教師に向いてないのでは?」
「とりあえず、新しい調査用紙を渡しておきますので早めに提出をお願いします」
土佐先生から進路調査用紙を渡され、勇太は小さく溜息をこぼした。
土佐先生には誤魔化して言ってみたが、これを前にすると憂鬱な気分になる。
これからどんな道を進むのか。いや、自分はどんな道を進んでいきたいのか。それが分からない。きっとこういうとき自分と同い年くらいの人間は、日頃から情熱を注ぎ、それをゆくゆくは仕事にしてみたいという道を選ぶのだろう。
だが、鏡川勇太という人間にはそれがない。
「それと白鷹くん。君は進路調査書を再提出です」
「えっ?」
その声に顔を上げてみれば、びっくり顔の空と、額に青筋を立てている土佐先生。
「君が漫画家になりたいという夢を持っていることは知っています。でも、進路踏査書の回答を漫画絵で描くのはやめてください」
「えー……わかりやすいと思ったんすけど」
「この書類は分校長や他の先生方にも見せたりするんです。なのに……こっ、こんなエッチな女の子の絵を書いている。私の身になってください」
「わりと時間かけて描いたすけどね。わかりましたー。次はもう少し控えめのエッチな絵にします。あ? それとも土佐先生をモデルにして書きましょうか? おっぱい2割増しで」
「白鷹くん!」
そんなやり取りを見た勇太はつい笑ってしまう。だけどすぐに、胸の内にジリッを嫌な感覚がよぎった。
「――いいよな。夢があるやつは」
つい、そんな言葉が口をついて出た。
だが、その言葉は空にも土佐先生にも聞こえてはいないらしい。だから余計に嫌な気持ちになった。
――みんながみんな、自分がやりたいことを持っているわけじゃない。
「ところで鏡川くん。君に一つお願いがあるのですが」
突然呼びかけられた勇太は、はっと我に返る。
顔を向けてみれば、困り顔の土佐先生。仄暗い考えを断ち切り、気分を切り替える。
「はぁ。なんですか?」
「はい。実はしばらくの間、犬山さんのサポートをしてあげて欲しいのですが」
「はい?」
「ええ、実はしばらくの間、犬山さんのサポートをしてあげて欲しいのですが」
「いや、聞こえてますって。てか、え? え? どういうことですか?」
勇太が「意味不明だ」と顔を向けてみれば、土佐先生はニコリと微笑んだ。
「犬山さんのお家は、鏡川くんが住む地域と同じなんです。だからこれからしばらくの間、犬山さんのことを気にかけてあげて欲しいんです」
「なるほど」
「差し当たっては、登下校時は一緒にいてあげてください。犬山さんはこの町に来たばかりで、道にも詳しくありません」
「なるほど。ちなみに拒否権は?」
「ありません。進路調査書を出し忘れたペナルティです」
「なるほど。不当なパワハラでは?」
「では、さっそく今日からお願いしますね。犬山さんには既にその旨を伝えてありますので」
「あれれ? おかしいな。先生、僕の声聞こえてます?」
「では、さっそく今日からお願いしますね。犬山さんには既にその旨を伝えてありますので」
そう言い残すと土佐先生は、テクテクと廊下を歩いて行った。
その場に残された勇太は、チラリと白鷹空を見た。
「なあ、白鷹。ちょっと」
「断る」
「まだ何も言って」
「断る」
「なあ話を聞いて」
瞬間、空は駆け出した。だが勇太は空の腕をガッとつかむ。
「頼む頼む頼む! やばい宗教に入るときは一緒だ! 俺たち親友だろ!? 何年来の付き合いだと思ってんだ!」
「ざっけんな! この町じゃ小中高が同じなんて奴珍しくねーだろ! 親友の定義が付き合った年数なら、このクラスの奴らほとんどが親友だ! てか、勇太は小学生の頃に転校してきたから、付き合いだけで言うならそんなに長くねぇぞ!」
「ああっ!? さっきの親友って言葉は嘘だったのかよ。あーいいぞ! 白鷹が中学生の頃に見せてくれた漫画の内容ここで言いふらしてやろうか! 確か主人公は白鷹にそっくりで、右腕に封印された黒龍が疼いて――」
「ああ?! てめぇぶっ殺すぞ!」
「ねぇ、鏡川くん」
そのとき、勇太の背中に声がかけられた。ビクッと肩を震わせ、ゆっくり振り返ってみれば……
「犬山……さん」
犬山かおるが、勇太の真後ろに立っていた。
気持ち悪いくらいのニコニコ顔。だが、その瞳の奥は全く笑っていなかった。
「ねえ、昨日会ったよね。神社で」
「覚えてないな」
「私は覚えてる。ねえ、なんで逃げたの?」
「……」
「……ひどい」
「えっ、おい」
勇太はそこで気が付く。
「なんで泣いて……」
かおるは笑顔のままツツっと涙を流していた。
「ねえ……ひどいよ。私、道に迷ってたのに……見捨てて帰るなんて。ぐすっ……」
「いや、それには理由があってだな。てか、泣くほどのことでも」
「……許さない」
「はい?」
「許さない。私、許さない。あの後、どれだけ苦労したことか。絶対、目にもの見せてやるだから」
かおるは涙を引っ込め、憤怒の色を眼に宿した。
すると、先ほどまでかおると話をしていた女子生徒数人が、勇太らの元へと近づいてくる。
「あれ? 犬山さんって鏡川と知り合いだったりするの?」「あははっ。やっぱそうなんだ。さっき手振ってたもんね」そう問われたかおるは勇太を見て、意味ありげにほくそ笑んだ。
「ううん。違うよ。鏡川くんとは知り合いなんかじゃない」
「へえ、じゃあなんでさっき手を――」
「私、鏡川くんに脅されてるの」
「「……へ?」」
「盗撮されて脅されて、おもちゃにされてるの」
その瞬間、勇太の周囲にいた女子生徒がザワっとどよめく。
いったい、この女はなにを言い出すのか。勇太は刺すような視線を一身に受ける。
「違う。俺は犬山さんの写真を撮っただけだ」
「無防備な姿を無理やり撮られた」
「おいいい! 紛らわしいこと言うじゃねぇ! ちょっとだけ事実かもしれないけど、でも違うだろ。本当のことを言え!」
「写真をバラまかれたくなかったら、身体と引き換えだって」
「んなこと一言も言ってねぇ!! なにが目的だお前は!」
これ以上あらぬことを言われぬよう、勇太はかおるの腕をつかんだ。すると、
「いやあああ! みんな見て! これが証拠よ! 助けて犯されるぅぅぅぅ!」
かおるは鬼気迫る表情で必死に抵抗する。その表情と動作は冗談などでなく、本当にそうだと思わせるような必死さがあった。
だからだろう。周囲にいた女子生徒たちは、本気で先生を呼びに行こうとしていた。
「私は一生、鏡川にもてあそばれるんだわ!」
「てめぇ犬山!」
勇太は腕を掴み、かおるを引きづってゆく。
「触らないで! 粘膜接触で妊娠しちゃう!」
「よーし! 赤ちゃんの名前はなにがいいかなー!? ちょっと来い!」
勇太はかおるの口を抑え込み、そのまま2年A組の教室を後にした。
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