06-5.咎人は犠牲の上に生きている
エドワルドは扉を開けた。
目の前に広がるのは散乱とした状況だった。一部が欠けてしまっている木の机は引っくり返り、椅子は足が崩れてしまい使い物にならないだろう。備蓄品を集めてある場所には黒い炭のようなものしかなく、屋根が崩れている部分からは満月の光が漏れていた。孤児院はお世辞にも綺麗だとはいえない場所ではあったが、これほどに荒れてはいなかった。
孤児院の惨状に眼を見開いたエドワルドだったが、部屋の中へと足を踏み入れる。孤児院が荒らされたことを憤慨している暇など彼にはなかった。
一つしかない共有空間の中央にリリーは立っていた。
八歳の少女の足元に転がっているのは誰かの右腕だった。引き千切られたのだろうか。有り得ない方向に捻じ曲げられた右腕が一つだけ落ちている。リリーの手には床に落ちている右腕と同じ生地を身につけた左腕が握られている。
エドワルドはリリーの足元へ視線を移す。
そこには両腕を引き千切られた痛みで気を失ったのだろうか、セツが横たわっていた。まだ生きていることは僅かに上下している身体の動きが訴えていた。それも時間の問題だろう。まともな処置を受けることができないダーティ孤児院に居続ければセツは近い将来、その命を失うことだろう。
セツはリリーのことを気に掛けていた。
同じ孤児院に住む者として度々リリーに声をかけていた。以前、リリーが行方不明になった時も誰よりも先に気付いたのはセツだった。恐らく、セツはリリーが戻ってきたことを喜び、誰よりも先に彼女に声をかけたのだろう。リリーが正気でないことも気付かず、彼女によって両腕を引き千切られてしまったのだろう。
「……リリー」
リリーを呼ぶ声が震えてしまう。
正気を失っていることへの憐れみもある。それよりも大切な人たちを傷つけられたことに対する怒りの方が大きい。エドワルドの声はリリーの耳には届いていないのだろう。彼女は振り向くこともなく、手にしていた左腕を床に放り投げた。軽い足取りで歩き始める。リリーの眼にはなにが映し出されているのだろうか。迷うこともなく、恐怖により腰が抜けてしまい、怯えている子どもたちへと手が伸ばされていた。
「止めろ! リリー!」
エドワルドは大声をあげる。
慌ててリリーのいる場所まで走っていき、子どもたちに伸ばされている手を掴もうと右腕を伸ばした。
「【落雷(サンダーボルト)】」
リリーの口から紡がれたのは異国の言葉だった。
イルミネイト王国の共通語ではない。共通語を基準として学ばれている属性魔法や血統魔法とは異なる異国の魔法が唱えられ、エドワルドの制止を振り切るようにしてリリーの右手から魔法が放たれたが、エドワルドの右手はリリーの腕を掴み、力の限り、後ろへと引っ張ったことにより狙いが狂い、近くの壁へと衝突した。急に後ろへと引っ張られたことによりバランスを崩したリリーの身体は後方へと傾き、そのまま、膝から崩れてしまう。座り込んだリリーは痛みを訴えることもなく、再び、口を開いた。
「【落雷(サンダーボルト)】」
再び呪文が唱えられる。
今度は先ほどよりも大きな光を放っていた。
「止めろ。それを放てばお前は人殺しになるぞ!!」
それは反射的に叫んだ言葉だった。
リリーはユージンを殺している。正気ではないとはいえ、それは許されるようなことではない。既に彼女は人殺しである。
今更、それを訴えたところで止まるとは思えなかった。
それでもエドワルドはリリーの腕を掴んだまま、彼女の眼を見つめて言い放った。正気に戻ってほしいと願う気持ちもまだエドワルドの心の中にはある。
「……あは、あははははっ」
「リリー!」
「あははははははっ!!」
リリーの頭上には放たれるだけとなった魔法が浮かんでいる。
大きな音を立てながらもリリーを守るように雷の魔法は膨張していく。
……術者の正体さえわかれば。
正気ではない。それはリリーが何者かに操られているからである。
エドワルドはリリーを守るように膨張し続ける雷の魔法を見て、背後にいる術者の存在に気付いた。リリーのように微弱な魔力を持つ者は魔法を発動させることは難しい。それも異国の言葉を用いたものを発動させるのは不可能といっても過言ではない。
……他の子どもたちを守ることができるかもしれない。
すぐに魔法を放たないのはエドワルドの様子を窺っているからだろうか。
それとも、その魔法を放つ方法を理解していないのだろうか。
「リリー。君は操られているだけだ。魔力を身体の中に戻すんだ、今、発動をしている魔法を放てば君の身体は持たない。死にたくないのならば魔法を解除するんだ。聞こえているだろう? 君は操られているだけだ」
意味がないとは分かっていながらも語り掛ける。
身内もなく引き取り先もないダーティ孤児院には教養のある者はいない。エドワルドのように魔法に優れている者はいない。それがリリーを操っている術者の考えならば、エドワルドの言葉に違和感を抱くことだろう。
……術者を引きずり出す。
リリーを通して孤児院の惨状を見ているだろう。
エドワルドの存在を知らなければ術者は優れた手駒を手に入れる為に姿を荒らすだろう。エドワルドの存在を知りながらも、このような暴挙に出たのならば、挑発を続ければ術者の正体に辿りつける可能性もある。
どちらにしても術者の尻尾を掴まなければならない。
そうしなければリリーを術者から解放することはできない。
「手荒な真似はしたくはないんだ」
語り掛ける。
リリーの眼には光はない。その眼にはエドワルドの姿が映し出されているものの、認識が出来ているのか、わからない。
「リリー」
名を呼ぶ。
エドワルドはリリーのことを気に掛けていた。
今世では父親に売り飛ばされてしまった妹と同じ年のリリーが懸命に生きようとしている姿はエドワルドの心を刺し続けた。転生魔法を発動させなければ、元気に走り回っていただろう妹はいないのだとエドワルドに訴え続けるかのようだった。それでもリリーのことを邪険に扱えなかった。
妹と同じ年の子どもには幸せになってほしかった。
それを望む権利はエドワルドにはないのかもしれない。それでも、エドワルドは願わずにはいられなかった。
「セツが苦しんでいる。ミッチェルが泣いている。キャロルもチェリーもロアも怯えている。わかるだろ。聞こえるだろ」
説得をするかのような言葉の上に魔力を乗せる。
魔法を発動させるわけではないが、その方がリリーの心に届くだろう。
「お前がみんなを苦しめているんだ。それはお前の望むことじゃないだろ」
ユージンの命を奪ったリリーを許すことはできない。
感情のままに殴りたい気持ちはある。ユージンを返せと感情のままに声を荒上げることができれば、幾分か心は楽になるだろうか。
「リリー。操られたまま死ぬつもりか」
正気を失ったまま、命を手放してしまえばリリーはなにも知らずに一生を終わらせることになるだろう。操られていたとはいえ、見知った少年を殺してしまったと知らずに死ぬことができるだろう。
それはリリーにとっては救いかもしれない。
しかし、それではユージンは浮かばれない。
それでは誰も救われないのと同じなのかもしれない。
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