02-1.かつて手放した大切なもの
メイヴィスにとってセシル・オルコットは初恋だった。
それは前世では皇帝陛下の一存により決められたアルベルト第一王子との婚約により心の奥底に沈めなくてはならない恋心だった。
叶うことのない恋心を抑えなくてもいい日がくるのならば、メイヴィスは自分の心に従って振る舞おうと決めていた。その結果が自らの命を絶つことだったとしても彼女は満足だった。
……あの頃は殿下の支えになるのならば、と思っていたけど。
同い年の第一王子を支えることが公爵家に生まれた者としての役目ならば、それを果たさなくてはならない。その為ならばメイヴィスは与えられた責務を果たしてきた。それは公爵令嬢としての誇りを守る為だった。
その結末を思い出す。
前世の記憶を所有する限りは忘れることはないだろう。メイヴィスは命を絶つことに対して戸惑いはなかった。それがアルベルトの心にはなにも影響を与えないだろうということも理解しており、家族がそれを望んでいないこともわかっていた。ただ、自分自身の誇りを保つ為だけの死だった。
……今はその必要もない。
メイヴィスはアルベルトと婚約をするつもりはない。
公爵家にとってその婚約は意味のないものだとわかっているからこその選択だった。メイヴィスのことを溺愛している父と母もメイヴィスの我が儘ならばそれを受け入れるだろう。皇帝陛下もメイヴィスがこの国から離れることがなければ無理に婚約をさせようともしないはずだ。
彼女は自分自身の価値を正しく理解している。
「メイヴィー?」
「なに?」
「いや、黙っているから心配で。立っているのもあれだからさ、座らない?」
「セシルから離れるつもりはないけど」
「え、それって! ……いや、あのさ。嬉しいけど、そういうのは、婚約者以外には言っちゃダメだって兄上が言ってたんだけど。……その、俺たちはまだそういう関係じゃないし……」
メイヴィスの言葉にセシルは顔を赤くした。
セシルよりも少しだけ背が低いメイヴィスを抱き締めているのはセシルだ。それを離れようと言葉では言ってみせても説得力はない。
「セシル、熱でもあるの?」
「は? ないけど」
「そう。じゃあ、鍛錬したばかり?」
「え。……もしかして、汗臭い?」
セシルの腕がメイヴィスの背中から離れる。
それと同時に強引にメイヴィスを引き離して、自分の服の匂いを確かめる。
「わかんねぇ。でも、鍛錬したばかりだし、汗臭かった? ちょっと、待ってろよ、すぐに水被ってくるから」
「私は臭いがするとは言ってないけど」
「いや、だってさ、鍛錬したばかりかって聞いたじゃねえか」
「それは体温が高かったからだよ」
慌てて伯爵邸へと戻ろうとするセシルの腕を掴む。
似たようなやり取りは何度もしたことがある。それすらも愛おしく感じる。
「セシルは良い匂いがするよ。優しい匂いだ」
メイヴィスはセシルから少しだけ離れる。
メイヴィスよりも少しだけ背が高いセシルを僅かに見上げ、嬉しそうに笑いかける。その表情に見惚れたのだろうか。セシルの頰は赤く染まったまま、動きが止まった。
「セシルはここに座って」
セシルの手を掴み、椅子のところへと誘導をする。
そして強引にそこに座らせた後は反対側に置かれたままになっている椅子のところへと歩き、背もたれを両手で摑む。母の趣味で着せられているドレスだからだろうか、思うように力が入らなかったものの、メイヴィスは椅子を引きずってセシルの隣にくっつける。そして、満足そうな笑みを浮かべて座った。
メイドを呼べば動かしてもらうことはできただろう。
それはメイヴィスが思うようにはしてもらえないかもしれない、と、彼女は思ったのだろう。満足そうな笑顔を浮かべているメイヴィスの言動を見ていたセシルは笑っている。
「言ってくれたら俺が動かしたのに」
「いいの! 私がそうしたかったんだから」
「腕は痛くないか? メイヴィー、か弱いんだから無理はするなよ」
「か弱くなんかないよ」
「細い腕をしててなにを言ってんだよ」
「弱くないよ。私はセシルを守れるくらいには強いから」
十三歳の誕生日を迎えたばかりのメイヴィスの様子はおかしかった。
それはセシルも分かっていることだろう。
「ねえ、セシル。私は十三歳になったんだよ」
メイヴィス宛の誕生日プレゼントは山のように届けられていた。その中にはセシルから贈られたものもあることを知っている。真っ先にセシルから贈られた箱を開封し、思わず、笑ってしまったのは今朝の話だった。
前世と同じものが贈られてきた。
それは前世ではメイヴィスが死を迎えたその日まで身につけていたものだった。今だってドレスの下にはセシルから送られてきたバラを模ったネックレスが付けられている。ドレスに隠すようにして身につけるのは癖になっているのだろう。前世ではそのようにして身に付けなくてはいけない理由があった。
今はそのようなことをしなくてもいいと分かっていた。
それでも、メイヴィスは前世から逃れることができない。
「結婚だって許される年齢になったんだよ。バックス公爵家の子どもは私だけだから婚約もまだしていないけど、それだって、この年齢になればいつまでも続くわけじゃない」
前世と同じような道を辿るつもりはない。
それはセシルと再び巡り合った時に決めたものだった。
「いつか、私が婚約をすることになれば、こうして二人では会うことはできなくなるよ。それがわからないセシルじゃないでしょ? ――セシルは優しいから、私の為を思って身を引くんだろうね」
想いを押し殺して生きてきた日々を思い出す。
それはメイヴィスにとっては数年先の未来の自分自身の話であり、過去の話でもある。前世の記憶に振り回されているのはバカげたことだと思いつつも、そうすることしか出来なかった自分自身に同情してしまう。
……セシルは私が婚約をしたら離れる覚悟ができていたのかな。
前世ではメイヴィスが婚約を結んだ数か月後にはセシルは騎士養成学校に編入していた。望まない婚約話を進められ困惑していたメイヴィスが見たセシルの顔を思い出す。覚悟を決めたかのような表情を浮かべていたセシルに対し、メイヴィスはなにも言うことができなかった。それから何年も手紙のやり取りをすることもなく、月日だけが流れていた。
……そこは前となにも変わらないんだね。
それは空しいだけの日々だった。
ようやく許された再会を喜んだのはメイヴィスだけだっただろう。取り残されたセシルがなにを考えていたのか、それはメイヴィスにはわからないことだった。
……やり直しならばそうなるのが正しいことなんだろう。
婚約者に捨てられ、罪を着せられ、自ら命を絶つ。
それがメイヴィスに与えられた役割だというのならば、それを快く受け入れてしまうことが正しいことなのかもしれない。
……でも、そんなのを受け入れるつもりはない。私を転生させたエドワルドの為にも、私は同じことを繰り返すわけにはいかない。
今世ではエドワルドには会っていない。
その行方すらも掴めないままである。それなのにもかかわらず、義弟だったエドワルドがなにを考えていたのかわかるような気がした。それは家族として過ごした前世の日々が告げている。
同じ人生を繰り返せば、エドワルドは何度でも、運命を変えようとするだろう。
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