05-4.女公爵はお疲れである

 翌朝、目を覚ますとベッドに寝転んでいた。


 本当にセバスチャンは私を寝室まで運んだのだろう。セバスチャンに抱えられ、話をした覚えはあるが、それもうろ覚えだ。彼の腕の中で警戒心もなく眠る私を運んだのだろう。意識のない人間の身体は重かっただろう。悪いことをした。


「……なにをしているのだろうな、私は」


 やらなくてはならない仕事は山のようになっている。


 それを片付けようと執務室に向かったのにもかかわらず、睡魔に抗うことが出来なかった。その挙句、セバスチャンに我儘を言ったのだ。それに応える彼は仕事として割り切ったのだろうが、一晩眠り、正気になった私には恥でしかない。


 執事に甘えるなんてなにを考えているのだ。

 冷静さを失ってしまってこのような真似をするなんて恥ずかしい。


 セバスチャンが着替えさせたのか、他の者を呼んだのか。いつの間にか寝間着になっている。室内用の楽な格好をしていたのだから、そのまま寝かせても良かったのに。一体、誰が着替えさせたのだろうか。セバスチャンでなければいいが、あの男ならば平然と着替えさせそうだ。私のことをまだ手のかかる子どもだと思っているのだろう。そのように思われているのは屈辱だ。しかし、子ども扱いをされることが嫌だと思えない私も重症だろう。


「お目覚めになられましたか、イザベラ様」


 この部屋には監視用の魔道具でも備え付けられているのだろうか。公爵家の転覆を狙う者からの暗殺などの危機に備え、監視用の魔道具が備え付けられている可能性もあるだろう。その場合、専属とはいえ執事であるセバスチャンが見ることは出来ないはずだ。見ることが出来たとしてもロイやマーガレットくらいだろう。この部屋にそのような設備がされているのか知らないが。


 ベッドから降りようとした途端に扉を開けて、寝室に入ってきたセバスチャンは、寝起きに飲むのが日課となっている紅茶の準備を始めている。私には仕事を休めと言っておきながら、この男は仕事をする気なのだろうか。


「セバスチャン。休みの日にまで仕事をする必要はないよ。住み込みとはいえ、必要がなければ休みの日に呼び出すような真似はしないから、ゆっくり休むといい」


「お言葉ではございますが、私もお休みをいただいております。服装もいつもの執事服ではないでしょう? 随分とお疲れのようですから、いつもよりも紅茶を濃くさせていただきます。どうぞお目を覚まして下さい」


「他人の仕事を取るなと言っているんだ。休みの日は休め。仕事を趣味にしていると過労で死んでしまうぞ」


「ご安心ください。私ではなくディアが傍付きの日があるでしょう? その日に休みをいただいておりますので。私も休ませていただいておりますよ」


 言われてみれば、私服だな。普段の執事服と似た服を好んでいるのか、わざと似たような服を選んだのかは知らないが、紛らわしい。


 差し出された紅茶を飲み干す。


 いつもならゆっくり飲んだ方が良いだとか口煩いことばかりを言うのだが、仕事ではないからだろうか。セバスチャンは楽しそうにしているだけでなにも文句を言ってこない。普段からもそうすればいいのに。


「さて、イザベラ様。本日はどのようなお召し物にいたしましょうか」


「出歩く予定はないから簡易的なもので構わないのだが。……たまには自分で選ぶのも良いな。セバスチャン。どうせ帰る気はないのだろう?」


「はい、そのつもりでございます。お手をどうぞ、イザベラ様」


 差し出された手を取ってベッドから降りる。

 なにをしても楽しそうに笑っているセバスチャンは少々不気味だ。この男に限って何かを企んでいるわけではないだろうが。


「そういえば、ロイから聞いたぞ。お前、また一年以上も実家に帰っていないそうではないか。ラブクラフト子爵からは戻って来いと言われているのだろう?」


 寝室の隣に用意されている衣裳部屋に移動する際、不意に思い出した。


 実家との連絡を取りたがらないこの男の態度に我慢ならず、雇い主である私の元にまで手紙を送って来るような常識外れの子爵だ。私の話し相手としてセバスチャンを雇い入れた父上は相手にする必要がないと無視をし続けたようだが。貴族の生まれでありながらも王城ではなく公爵家で働くことを選ぶ者は、少なくはない。礼儀作法を一から叩きこまなくてもいいこともあり、ロイは働く場所を求めている貴族の子どもを雇い入れることに積極的だ。使用人たちを雇う権限はロイに任せてあるのだが、セバスチャンも子爵から頼み込まれた末に引き受けたと聞いたことがある。子爵家の三男を養う余裕はなかったのだろう。


 母が生きていた頃から公爵家で働いていることを考えれば、子爵家の経営はよくないのだろう。この男が実家に仕送りをしているとは思えない。


「執事長の口の軽さには呆れますね。イザベラ様、ラブクラフト子爵家のことは気にしないでください。貴女様が公爵となられてからは子爵家からの手紙を受け取ったことはないでしょう?」


「ない。私の手元に届く前にお前が破棄しているそうだな」


「お目汚しになるような内容ですので事前に全て破棄させていただいております。子爵程度の人間がイザベラ様のお手を煩わせるようなことはあってはなりませんから。……ディア。イザベラ様のお手伝いをお願いしますよ」


 衣裳部屋に入れば、待っていたとばかりに目を輝かせているディアがいた。何もこの部屋で待機をしている必要はないのだが。


「公爵閣下、おはようございます」


「おはよう。いつの間にかドレスが増えたな。去年のものは処分するようにと言い付けたと思っていたが」


「全て最新作のドレスでございます。男装用の衣装もございます」


「今日はドレスで良い。たまには気分を変えても良いだろう」


 クリーマ町での魔物の襲撃事件のような時には、ドレス姿では動きが制限される。効率的な動きをする為に用意させている男物の服装の種類が増えている。面倒な舞踏会を出来るだけ避けているとはいえ、似たような服装ばかりを増やす必要はないと言ってあるのだが……。


「ワインレッドのドレスを持って来てくれ」


 用意してある椅子に座る。

 ディアの後ろで控えている使用人たちの仕事を取るわけにはいかないのもあるあるが、大量のドレスの中から好みのものを選ぶのは大仕事だ。全て私の好みに合うように選ばれているのだろう。予算内で好きなようにしろとマーガレットに丸投げしたのがいけなかったのか、これほどの量があるとは思わなかった。


「ご自身でお選びになられるのではなかったのですか?」


「色は指定しただろう。そこから適当に選ぶよ」


「結局、いつもとお変わりありませんね。どのようなドレスをお選びなられてもイザベラ様にはお似合いですが、アリアお嬢様のようにお時間をかけると思っていました。やはり貴女様はそういうものへの時間は惜しまれるのですね」


「アリアはそういうものへの拘りが強いからだろう。ところで、セバスチャン。着替えている間は席を外そうと思わないのか?」


 使用人たちの冷たい眼を感じないのだろうか。


 この男は図太いところがある。女公爵として手腕を振る舞う私の側近としての役目をこなすのには、その図太い神経も必要だろうが。流石にこれは図太いのにも限度あるだろう。他人の視線を感じないのだろうか?

 女性が不用意に肌を見せるものではないのは常識だ。それに気づかなかったとでも言いたげなわざとらしい顔を作るセバスチャンを睨みつける。


「いえ、お着替えの手伝いをさせていただこうかと――」


「雇い主に対するセクハラで解雇通知を出されたくなければ廊下で待っていろ」


「廊下でお待ちしております」


 笑顔でなにを言っているんだ。頭が痛くなる。

 普段は気が利いて仕事が出来る男なのだが、仕事が休みだと頭がおかしくなる魔法でもかけられているのだろうか。いや、元々おかしいところがある。あれは元々の図太い神経からくるものだろう。


「……セバスチャンはメイドに手を出しているのか?」


「いえ、そのような噂は聞いた事がございません」


「では、あのような発言は聞いたことがあるか?」


 控えていたディアに聞けば、困ったような表情をされた。

 立場の低い使用人たちに手を出す執事も居たことがある。父の時には被害者の女性だけが解雇されたと聞いていたが、そのような振る舞いをした執事は私が公爵を継いだのと同時に解雇をしたのだ。セバスチャンも屋敷内ではそれなりに立場のある執事だ。命令すれば逆らえない者がいてもおかしくはない。そのような真似をするとは思えないが。


「ディア。なにを隠している。正直に言え」


 同僚であるセバスチャンを庇うつもりなのか。

 ディアは言いにくそうに眼を逸らして、言葉にならない声を出している。


「……正直に申し上げます。昨夜、公爵閣下がセバスチャンに抱き抱えられて寝室へと向かわれる姿を目撃した者たちがおります。本来ならば、その場で事実確認を行うべきでしたが、なにかと言い訳を付けて逃げられておりました。申し訳ございません。私共の不手際でございます」


「それは知っている。謝る必要はない。私はセバスチャンのあのような発言を聞いたことがあるのか知りたいだけだ」


「いいえ、私の知る範囲ではセバスチャンがあのような真似をするのは、公爵に対してだけでございます。その事に関しての憶測まではお伝えする必要はないかと思います。公爵ならばその意図をご理解して頂けるかと存じますので」


 あの男は本物のバカなのだろう。


 ワインレッドのドレスを何着も運んでくる使用人たちを見ながら、思わず、セバスチャンの日頃の言動を思い出してため息を零してしまった。なにか間違いをしたのかと怯えた眼を向けている使用人たちに対しては、ディアが関係のないことだと簡単に説明をしている姿も見慣れたものだ。


「そうか。彼奴も賢いのに愚かな真似をするものだな。……今日はこのドレスにする。装飾品は必要ない」


 母が亡くなり、父が再婚をしてから十年の年月が経った。


 その間、セバスチャンやディアは私の専属として傍に居続けたから分かることもあるだろう。しかし、公爵令嬢だった頃には関わることのなかった使用人たちからすれば、私は父から公爵位を奪い取った女に見えるだろう。致し方なかったこととはいえ、アリアを守る為にローレンス様を廃嫡に追い込んだのも私が関わっている。その噂に耳にしているのだろう。


 だからこそ、私の気に障る行為をすれば解雇されると思っているのかもしれない。ディアが声を掛けても怯えた眼を向けているのは、恐らく、そういった思い込みがあるからだろう。怯えた眼をしながらも着替えの手伝いをしている使用人たちに声を掛けることもせず、仕事に集中させる。


 それは、スプリングフィールド公爵家を維持していく為には必要なことなのかもしれない。個人としての情は捨てるべきである。信用の出来る者たちがいれば、他は同じような人だと割り切るのも必要かもしれない。


 それはそれで寂しいものだ。

 そのように思うことも公爵としては相応しい言動ではないのだろう。

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