11.手を取って歩けば、新しい景色が見える

* * *



 私、エイダはヒロインなの。

 それはなにがあっても変わらないはずなのに。


 何度も何度も手紙を送っても返事がなかったイザベラが登城命令に従ったと、嬉々として教えてくださったローレンス様の言葉は、ようやく止まっていた物語が動き始めたのだと思ったわ。


 まだやり直せると思っていたのに。


 今度こそ、イザベラを死なせたりはしないって、また一緒にいられるって思ったのに。


 ローレンス様とイザベラは仲直りすることはなかったわ。

 なにより、アリア・スプリングフィールドを差し出すこともなかったわ。あの女が生きている限りは私もイザベラも幸せにはなれないのに。


 図々しいあの女は今も生きている。

 それをどうしたら許せるというの?


 それから、なにが起きたのかよくわからなかったの。どうして、ローレンス様はイザベラに剣を向けたりしたのかしら。イザベラはローレンス様を守る女騎士なのに。


 イザベラは味方なの。

 なにがあっても私を助けてくれる優しい騎士なの。


 それなのにどうしてローレンス様は声を荒らげたのかしら。どうして、ローレンス様は皇帝陛下に連れて行かれてしまったのかしら。私にはなにも分からないわ。


 だって、こんな展開は知らないもの。


 まるで、生きているみたいじゃない。

 この世界がヒロインの愛される乙女ゲームの世界ではなくて、みんな、色々なことを思いながら生きている世界みたいじゃない。


 そんなの聞いてないわ。

 だから、そんなのあってはいけないの。


 私の主張を無視した騎士たちによって、お城から追い出されたの。


 信じられる? 


 ご丁寧に手足を縛られて馬車に乗せられたのよ。ええ、その場で捨てられなかっただけでいいだろうって騎士たちは言っていたわよ。覚えていなさい。私はヒロインよ。また王城に戻ってくるわ。そしたら私を乱暴に扱った人たちは解雇よ。絶対に解雇してやるんだから!


 信じられないでしょう、私はヒロインなのに。


 ローレンス様の婚約者として一緒に監禁されるわけでも、罪を犯された皇族の方が収容される時計台に閉じ込められるわけでもなく! 故郷、スプリングフィールド領クリーマ町まで届けてくれたわ。


 何よ、これ。

 私に魔物が襲ってくる治安の悪すぎる町で死ねっていうの?


 街道で立っているわけにもいかなかったから、渋々、私は実家に帰ったわ。パパもママも私がローレンス様の婚約者になるから、その前に一時的に帰宅が許されたものだと思っていて。それで、まあ、盛大に迎え入れてくれたのはよかったけど。私はパパとママみたいに笑っていられるような状況じゃないのよね。


 というかパパとママは知らないのかしら?

 ローレンス様は廃嫡になったのよ。


 私は喜んでいる場合じゃないっていうのになんて人たちなんでしょう!


「……【能力値画面(ステータス・オープン)】」


 これは、パパにもママにも秘密にしていることの一つなの。


 私がヒロインである証拠といってもいいわ。

 ここが乙女ゲーム『皇国恋物語』の世界だって今も信じていられる証拠。


 他の人は自分自身の能力値を見ることができないみたい。

 できるなら学院で習うはずだもの。


 これがある限り私はなにをしても許されるヒロインでいられる。この力を私に授けてくださった神様はこの秘密を誰にも言ってはいけないっていっていたもの。話してしまうと魔法は消えてしまうって、私たちの秘密だって笑ってくださったわ。


 だから、これは私だけの秘密。

 私だけに見えるこの世界の秘密なの。


「ええっと……。『称号 聖女/異世界からの転生者』『属性 光属性/使用可能魔法 【聖女の癒やし(セイント・ヒーリング)】【聖女の奇跡(セイント・ミラクル)】』あ、良かったわ。この辺りは変わらないのね」


 上から読み上げていく。

 独り言だって分かっているのだけどね。こればかりは昔からの癖なのよ。


「え、『【魅了(チャーム)】使用不可』? は? 使用不可ってなによ!?」


 ヒロインの最大の武器が使えないってどういうこと!?


 攻略対象の攻略に必要となってくる登場人物の好感度を上げやすくする為の必須条件。これがなかったら私はヒロインをやっていけないわ。


 だって、聖女だって言われていても、皇族のローレンス様や公爵令息や公爵令嬢に近寄れるはずがないもの。


 それこそ悪役令嬢が言っていた通りよ。

 身分を弁えない非常識な人になってしまうわ。


 その非常識を常識に変換してくれる最大の武器、それが、光魔法の【魅了】なの。


 神様の言葉を借りるなら、これはヒロインでいる為には必要不可欠な魔法なのよ。この力がなければ私はただの村娘として生きていかなくてはいけないの。そんなの無理よ。


「どうしてこんなことに。神様だって有効期限があるなんて言わなかったじゃないの、一度、問いただして……。ダメだわ、どんな人なのかわからないし、何より会えるのは一度だけだって言っていたもの。なんでこんなことになってるの? もうっ! イライラするわ!!」


 使用不可って意味が分からないわ。


 どうして? ローレンス様の攻略に失敗してしまったの?


 いや、それは違うわね。

 ローレンス様は私を愛しているもの。


 私のお願いはなんだって聞いてくれたし、デートの度に宝石やドレスを買ってくれたわ。私がお城から追い出されたと知れば、きっと、探しに来てくれるわ。


 それから一緒に生きていこうって熱烈な言葉をくださるのよ。


 それほどにあの人は私のことを愛しているもの。

 そうなるように魔法を使い続けたんだから当たり前よね。


「……ああ、もう、いいわ。こうなったら、手段を選んでいられないわね」


 この展開は知らないわ。


 知らない展開があるかもしれないってことは、本当は分かっていたわ。ゲームの攻略と同じように進めようとしても違う選択肢があったこともあるし、起こらないイベントだってあったもの。全てが知識通りになるわけじゃなかったわ。


 だって、知識通りになっていれば、私は失敗をしなかったもの。


 それなのに、こんなことになるなんて私は知らない。


 知らなかったんだもの。

 だから、ヒロインである私がこんな目に遭っていいはずがないわ。


 私をこの世界に連れて来てくださった神様だってそう思っているわ。


「【初期化(リセット)】」


 だから、私はもう使わないと思っていた魔法を唱えるの。


 これで全てが元通りになるのよ。

 今度こそ、選択肢を間違えないわ。


「……なんで? 【初期化(リセット)】、【初期化(リセット)】!! どうして発動出来ないのよ!?」


 前は出来たのに。【初期化】の魔法を唱えるだけだったのに!


 それなのにどうして出来ないの? 意味が分からないわ。


「【能力値画面(ステータス・オープン)】! ――なんで、どうしてなのよ!!」


 さっきまでは【能力値画面】を見ることができたのに。そこで確認をすることができたのに。それなのに私の前に画面は現れない。何度も何度も魔法を唱えても現れない。その上、他の魔法の呪文を唱えてもなにも起きない。


 まるで何も力を持っていなかったみたい。


 思わず近くにあったぬいぐるみを床に叩き付ける。


 そんなのことをしても変わらないのは分かっているけど、この理解のできない感情をどうすればいいのか分からない。誕生日に貰ったうさぎのぬいぐるみも安っぽい花のブローチも、いつ買って貰ったのか覚えてもないワンピースも全てを床に叩き付ける。


 なんでもよかったの。


 ヒロインらしくない行動をすれば神様が怒りに来るんじゃないかって、見かねてもう一度だけ機会を与えてくれるんじゃないかって、そう思わなければいられなかった。


「なんで、どうしてよ!!」


 私はこんな展開なんて知らないのに。


 危険ばかりのその日暮らしの生活に戻るの?

 嫌よ、そんなの。無理に決まっているわ。


 どうして、どうしてこんなことになってしまったの?


 私はヒロインなのに。

 それ以外の生き方なんてしたくない。


 なにかあれば【初期化】すればいいはずだったのに。


 私は幸せになれるはずだったのに。


「……私、ヒロインじゃなくなっちゃったの……?」


 この世界に転生をさせてくださった神様が怒っているかな。


 二度も【初期化】しようとしたから、この世界を守っている神様が怒ったのかもしれない。神様はこの世界に住む人間の姿を見守ってくださっているのだって、ママが聖書を片手に読んでくれたもの。だから、ママの言う通り、神様が怒ってしまったんだわ。そうでも思わないと受け入れることもできないもの。


 神様。ヒロインとして生きたいの。

 神様の教えてくれた通り、悪役令嬢を殺すわ。


 みんなから無条件で愛されるヒロインでいたいの。

 だから、お願い。もう一度だけでいいから私をヒロインにしてよ。


「エイダちゃん、ご飯ができたわよー、って、あらあら、どうしたの? 二階が騒がしいと思ったら、エイダちゃん、どうしてお部屋中に色々なものを広げてしまったのかしら?」


「……ママ」


「あらあら、可愛いお顔が台無しよー。どうしたの? 寂しくなっちゃったのかしら?」


 私の部屋に入ってきたママは心配そうな顔をしている。


 あれ、そういえば、私、ずっとママのことをママって呼んでいなかった気がするわ。ゲームでは登場しないからって都合の良い時しか家に戻らなかったし、ママの手伝いもしてこなかったし。


 それなのに、どうしてママは私を抱き締めてくれるの?


「ママ、私、ヒロインじゃなくなっちゃったわ」


「ヒロイン……? ごめんね、エイダちゃん。ママ、エイダちゃんの言う言葉は難しくてよく分からないのよ。エイダちゃんの好きな小説のお話かしら?」


「そう、よね。知っているわ。私にしか分からないことだもの」


 私がこの世界のヒロインだってことは、私しか知らない。


 それなのに私の周りには攻略対象の人たちがいてくれたから。

 だから、私はこの世界のヒロインだって思っていたんだもの。


「ええ、そうねぇ。エイダちゃんはいつだってママの知らないところにいるもの。でもね、エイダちゃん。ママもパパもエイダちゃんの笑っている顔が好きよ。可愛いエイダちゃんには泣き顔は似合わないもの」


 私の為の世界なのだから、私が好きなようにしていいはずなのに。


 どうして、ママはヒロインとしての力を全て失ってしまった私を抱き締めてくれるの? 私は、自分のことだけを考えていたのに。


「……ママ、ママとパパは、私のことを嫌いにならないの?」


 私は、物語のヒロインとして愛されたかったの。


 大好きな人たちに囲まれて幸せになることばかりを考えていたし、イザベラのカッコイイ姿を見たいからって戦争を引き起こしたことだってある。


 彼女が死んでしまったからって世界をやり直しさせたのに。


 【魅了】だって必要ない人にまでかけて歩いたわ。

 大好きな人たちに愛されていると、もっと、もっと愛されたくなってしまったの。


 誰からも愛される物語のヒロインになりたかったの。


 その為には私は何だってしたわ。やってもいないことを悪役令嬢なんだからってあの女に罪を被せたことだってあるわ。


 目の前でローレンス様とキスをしたことだってあるわ。


 でも、いいじゃないの。

 この世界は私のものなんだから、私がなにをしたって許されるわ。


 ……本気でそう思っていたの。


 でも、私、分かっていなかったんだわ。


 この世界はゲームの世界かもしれないないけど。【初期化】してしまえば、ママやパパだって巻き込まれてしまうのに。もしかしたら【初期化】の影響で好感度が下がってしまうのは、イザベラじゃなくて、ママとパパだったかもしれない。


「そうねえ、エイダちゃんがした事は町中のみんなが知っているわ。公爵は私たちを守ってくださったのに、エイダちゃんは、アリアお嬢様の婚約者を奪ってしまったのだもの。それで公爵はお怒りじゃないかって噂されているのよ」


 私を抱き締めながら、ママは、なんて恐ろしいことを言うのかしら。


 言われて初めて気付いたの。


 私の故郷は、スプリングフィールド領クリーマ町。

 国境線近くにある町。

 魔物による被害が領内で一番という不吉な町。


 もしも、私のせいでイザベラが見放してしまっていたら……?


「エイダちゃんは知らないでしょうけど、二週間前にクリーマ町に公爵がいらっしゃる予定だったのよ。でもね、それを急に止めてしまわれたのですって。町長は公爵もお忙しい方だからって言うのだけど……。みんなね、噂をしているわ。エイダちゃんがこの町の出身だって知ってしまったんじゃないのかって」


 この町の領主であるスプリングフィールド家の公爵は、イザベラが就任しているのに。それなのに私はなにも考えていなかったわ。だって、イザベラとあの女は仲が悪かったもの。だから、なにも起こらないって思っていたのに。


 もしかしたら、イザベラはこの町を見放してしまったかもしれない。


 国境線近くにあっても魔物が出没するから、隣国にも見放されているこの町が魔物の被害に遭っても気にもしないかもしれない。そしたら、ママとパパは、今度こそ魔物に殺されてしまうかもしれない。


「いやだわ、エイダちゃん。勘違いしているでしょ? ママもパパもエイダちゃんのことを愛しているわ。だって、エイダちゃんは私たちの可愛い娘だもの」


「……ごめんなさい。私、ママとパパのことを考えていなかったの」


「大丈夫よ、エイダちゃん。さあ、いつまでも泣いていないの。今日はね、ママ特製の美味しいシチューよ」


「うん、楽しみだわ、ママ。ねえ、ママ。明日からご飯を一緒に作りたいわ」


「あら、本当? 嬉しいわー、パパも喜ぶわね」


 私はヒロインとして必要な力がなくなってしまったわ。もしかしたら、【能力値画面】が壊れただけで力は失っていないかもしれない。


 でも、どうでもいいわ。


 あんなに拘っていたのに変な話だけど、ママと話をして、やっと気付いたの。


 私がしたのはママとパパを、家族を傷つけるようなことだったんだって。


 だから、二度と【初期化】なんてしないわ。できないのだけども。ゲームに拘るのもやめるわ。




 ――でも、アリア・スプリングフィールドが幸せに生きることだけは許さない。



 あの女だけは不幸になってもらうわ。

 そうじゃなきゃイザベラが救われないもの。


 イザベラの幸せにはあの女はいらないのよ。それだけは、譲らないんだから!


 待っていてね、イザベラ。

 私、なにがあっても貴女を救ってみせるから!

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