第72話
娘のリリィにはどうやら私と同じもの、予想線が見えている。私の場合は教えてくれる人がいなかったのでその意味を理解するまでに時間が必要だったのだが、リリィには私がいるので、色やその長さの意味などを教えてあげることができた。
ただし、私たちは自分の色を見ることができない。だからこの力のことを知っている者に協力してもらい、学んでもらうのが一番教えやすい。
「お母さん、この色は?」
「これはお父さんがリリィを大好きって色ですよ。この色が伸びている人は、見ている相手のことが好きです」
エクトルの頭上にある薄紅色を指して尋ねる娘に答えた。恋愛感情を含まない好意を示す色なので、これがある相手は少なくとも自分の敵ではないことが分かる。
「やたらと親切な人にこの色がない時は気を付けましょう。よくないことを考えている時は、そういう色が見えますが……お父さんの上にその色がでることはないですから」
以前は物騒なことを考えているような時もあったけれど、最近のエクトルは幸せいっぱいと言う感じで、明るい色ばかりが見えるのだ。私たちの周囲にはカイオスが気を配ってくれているのか、よからぬ思考をしている人間も見かけない。平和そのものである。
「うん。……じゃあ、となりにある、こっちの色は? 好きの色に似てるね。いつもこの色がいちばん長い」
リリィが続いて指したのは、エクトルの頭上に伸び続ける恋の色だ。彼女の言葉で何の色か察したらしいエクトルは、ちょっぴり羞恥の色を伸ばしつつ照れくさそうに笑っている。
「これは恋の色です。特別に好きな人がいると見えますし、これが長いほどその人のことが好きです。もしこれが何本も出ている人がいたら絶対に信用してはいけません」
「うん。……お父さんの特別はお母さん?」
「そうですよ」
「っ……」
子供の純粋な質問に答えているだけなのだが、自分の感情を説明されているエクトルはそっとこちらから目をそらして顔を赤くし始めていた。
私がリリィに予想線の意味を教える邪魔をしてはいけないと思っているからなのか、それとも単に羞恥ゆえか、彼はずっと無言で耐えている様子だ。
「じゃあ、お母さんの特別はお父さんなんだね。お母さんもこの色、長いよね」
「……自分の色は見えないので、知らないんですけど……私のも長いんですね。どれくらいですか?」
たしかに自分の感情を相手から告げられるというのは恥ずかしいかもしれない。これを受けいれ続けてくれている、エクトルの懐の深さをありがたく思う。
「お母さんのも上にいっちゃってるからよく分からない」
「ああ……私のも天井を抜けていますか」
「うん」
エクトルの恋の色は常に天井を突き抜ける長さであり、天辺が見えない。それに慣れていたし、そんな彼の愛情を重く感じることのない私も似たようなものだろうという予想は出来ていたので驚きはなかった。やはり、と思うだけである。
「私もお父さんを深く愛していますから、そうだろうと思っていました。こんなに愛せる人は他にいません」
「ぅ゛ッ」
「……お父さん大丈夫? 変な音したよ」
「…………大丈夫だよ……」
呻き声を漏らしたエクトルは、娘に奇妙な顔を見せまいと俯き気味に片手で顔を覆っている。そんな彼の頭上には勢いよく橙色の線が伸びていき、リリィはそれをじっと見つめていた。それが嬉しさを示す色であることはすでに教えてある。
「……お父さん、すごく喜んでる?」
「そうですね、すごく喜んでますね」
「……ごめん、今日の勉強会はここまでにしない……?」
複数の長い予想線から、彼が大きな感情の波に襲われているのは分かる。嬉しいが娘にもいろいろと知られるのは恥ずかしい、というところか。
この勉強の協力者に負担ばかり強いる訳にもいかない。今回はこのあたりで引き上げるべきだろう。
「お父さんは今、心の中が大変なので今日は終わりにしましょう」
「うん。お父さん、がんばって」
「……うん……」
俯いて顔を覆いながら深呼吸をし、気分を鎮めようとしている彼をそっとしておくべく、リリィを連れて建物を出た。裏口から出ると眼前に広がる薬草園は、太陽の光を受けて鮮やかに輝いて見える。
私と同じようにリリィも薬草類に興味を持っているからか、彼女はじっと花を咲かせている薬草を見つめていた。
「でんかの頭のうえにも、特別な好きに似た色があるの。でも、うすいからちょっと違う……あれはなに?」
「あれは……まだ特別を自覚していない時です。未来の感情はいつも透けているでしょう? 特別の好きも同じですが、無自覚の場合も透けるんですよ」
リリィにもライニスの幼い恋心が見えている。色恋について教えるにはまだ早い気はするが、軽いうちから説明しておいた方が、理解できる日も早くなるはずだ。
私には教えてくれる人がいなかったから、エクトルとの距離感が分からなくて困りもしたが――まあ、今ではいい思い出だ。
「……でんかの特別は、わたし?」
「……今はそうだと思います。でも、子供の時の気持ちは大人になれば変わるかもしれませんし、変わらないかもしれません」
初恋は実らない、とも限らない。少なくとも私とエクトルの初めての恋は叶って、夫婦となり幸せに暮らせている。
桃色の花を見つめている娘の頭を優しく撫でた。彼女もいつか恋をするのだろう。その相手を信じられるかどうか、悩むだろう。
「数年後、どうなっているかは誰にも分かりません。私たちの見ている未来も、簡単に変わるんですから。……だからリリィ。じっくり考えて行動するんですよ。貴女がいつか、誰かを特別に好きになっても焦ってはいけません」
「……お母さん、むずかしい」
「そうですね、まだ早かったですね。……今はただ、見えることも、傷を治せることも、私とお父さんと、リリィだけの秘密だということだけ、気を付けましょう」
リリィは先日、ついに治癒魔法を発現させた。それを決して人前で使わないことを、何度も言い聞かせる。私の親がそうしてくれたように。
「もし、悪い人に見つかったら……攫われて、二度と家に戻れなくなってしまいます。だから、いけません」
「……うん、わかった」
「魔法使いは本当に信じられる相手でなければ好きになってはいけないんです。……けれど大丈夫、リリィはきっと、本当に信じられる誰かに出会いますよ」
その相手が誰であれ、私は親として応援するのみ。その相手は幼馴染の騎士かもしれないし、まだ出会わぬ誰かかもしれないし、初恋をこじらせた王子になるかもしれない。未来の可能性は広がっているばかりで、どうなるかは分からない。
「私もお父さんも、リリィの幸せを願っています。……貴女が大人になって本当に信じられる人ができたなら、お父さんも文句は言えないはずですし……」
「……?」
「とりあえず……殿下の気持ちについては、私とリリィの秘密ということで」
「うん、わかった」
娘の小さな手を引いて、そろそろ落ち着いているだろうエクトルのもとへと戻った。
父親のおかしな様子が治ったのか確認するために近寄ってきたリリィを嬉しそうに抱きしめている彼の前では言えない話ができたので、ちょうどよかったと思う。
ライニスの初恋を知ったらまた「娘はやらん」と言い出すことは間違いないので、これは私とリリィだけの秘密にしておいた方がいい。……カイオスは気付いているだろうが。
(時々遊びに来るようになったあの王子様の気持ちがいつまで続くのやら。……初恋は、拗らせると重くなってしまうし)
天井を突き抜ける恋の色を見上げながらそう思った。……まあ、私も人のことは言えないのだげど。
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