第11話 彼は彼であることから逃げない。

 正直言えば、計画を実行していくプロセスは実に楽しい。だが、それを周囲とどうバランスを取っていけばいいのか、という段になると、やや矛盾した気持ちに襲われるのだ。進まない気分と、逆に開き直った気分だった。


「この計画が成功したら、私は独立へ向かって会社を進めていくよ」


 ある晩、私は仕事の話を一通り終えた後、ナガノにそう言った。

 すると彼はあっさりとこう言った。


「いいんじゃないかな」


 ずいぶんとあっさりとした答えに、何となく私は拍子抜けがする自分に気付いた。だがそんな気持ちは声には出さずに、続けてこう言ってみた。


「その時には君も協力してくれるだろう?」


 問いかけは、YESを前提としたものだった。NOと彼が言うことを私は考えてもいなかった。それは、私が彼を既に必要以上に信頼していたのか、それとも別の問題なのか、そのあたりは自分にも判らなかった。

 私にとって、彼は、確かに人間として、とても好きな存在なのだが、彼という存在を仕事と切り離して考えることはできなかったのだ。

 だが彼の返事は、私の予想したものとは違っていた。


「……できれば、そうしたいね」


 できれば、と私は繰り返した。


「できれば、なのか?」

「そりゃもちろん、僕だって、できることなら、君の仕事の役に立って行きたいよ。ここは僕にとってかなり居心地がいい。ミンホウだけじゃなく、最近は他のスタッフもかなり友好的になっているし。うちの設計のチームはかなり有望株だと思わないかい?」

「だったら何故」


 彼はとん、とそばにあった書類を一つに集めると、テーブルの上に揃えた。


「それでも、僕が僕である以上、長居はできないよ。それは君、判っていると思っていたけど」


 あ、と私は思わず声を上げていた。


「……それだけじゃない。もしも何かの拍子に、僕の正体がアンジェラスの軍に知れたら、僕はその瞬間にでも、ここを離れるつもりだ」

「……」

「そんな顔をしないでくれよ」


 彼はやや複雑な表情になりながら、正面に座る私の頬に手を当てた。一体どんな顔をしているというのだろう。自分の顔は決して自分には見えない。


「まあ今の位置だったら、そう簡単には見つからないとは思う。下手にスタッフの筆頭にでもされたらちょっと困るかもしれないけどね」

「それはさすがに、無理だったし」

「うんそうだろうね。でもイーストベア氏はいい上司だ。ナガノ・ユヘイという若造の意見をちゃんと聞く耳を持っている。彼は重要だよ。手放してはいけないよ」


 私はそれに対しては、すぐに何か言うということはできなかった。話題を変えよう、と私は思った。この話題からは逃げたかったのだ。私のポリシーには反する。だがどうしても、その話からは目を逸らしたかったのだ。


「遊園地の資料だが、よくあれだけ集めたな」

「うん、元から僕の居た研究室に結構置いたままにしてあったからね」

「前に聞いた、過去の小国の遊園地の話は、いまいちそこには見つからなかったが」


 するとナガノは首を横に振る。そして立ち上がると、シャワー使うよ? と言いながら既にシャツのボタンを外しつつあった。そして彼はそのまま話を続けていた。


「見つからない、というか、そもそも資料がひどく少ないんだ。その小国の遊園地の元になった方の、別の大きな国にあった遊園地は、結構長く続いたから、資料も多かったんだけど、その国のその遊園地は、ひどく寿命が短かったんだ」

「短いって言うと」


 私は自分のシャツのボタンも外し始めた。彼の話は話し始めると長い。そして時と場所を選ばない。私はそれにいつも振り回されていた。

 ドリンク・コート伯とは違う意味で、ナガノもまた、人を振り回すタイプだった。だがD伯と違い、彼に振り回されるのは私は嫌いではなかった。いやそれだけではない。結構それを楽しんでいる自分が居た。

 理由は判っている。D伯の場合は、私を振り回すこと自体を楽しんでいる。

 それが私には見えるし、向こうも見えることを知っている。だから私にとって、それは時々苦痛になるのだ。

 「先輩」としての彼に出会った頃は、それに気付かずに、足を踏み外したことが何度かあった。一瞬錯覚もした。だが錯覚は醒める。

 私はそれからはずっと彼には警戒線を張っている。そして向こうもそれを知っている。知っているから、D伯は機会ある毎に私をからかうのだ。その立場を利用して。そして私の経営に関する手腕とは別の所で、彼は私を手元に置くことで楽しんでいるのだ。

 だがナガノの場合、そんな思惑は無かった。

 私が彼に振り回されてる、と思う時は、彼が自分のすることに夢中になっている時だった。建築にしても、会社のことにしても、昔の研究にしても。

 そんな時には、彼は自分の都合も相手の都合も全て何処かに飛ばして没頭するのが常だった。

 そしてそれが、決して私とは無関係でないところであるから、私は楽しくなるのだ。それがミス・レンゲが言った、「子供っぽい」ところなのかもしれない、と私も最近は思う。


「その小国について、君は何処まで知っている?」


 ぬるい湯に泡がたまった、ゆったりとした浴槽の中で、彼は訊ねた。


「大したことは知らない。ただ、今はもう、当時の文化も何もかも、散逸しているとは聞いている。言葉も、書籍も」

「うん。だから結構資料探し自体に苦労した。ウェネイクの大図書館にも文献そのものは見つからなくて、地球を人類が捨てた時点で持ち出した、軽い電子データに変換できたものだけだった。だけどそういうデータというのは、貴重なものから先に持ち出すだろう?」


 そうだね、と私はうなづいた。


「だけどその国の言語自体が、今は使われていないんだろう? よく君、その文献を処理できたな」

「ああ、僕はその言語は知っていたから」


 私は驚いた。


「と言うか、天使種の中には、それを話していた連中が居たんだよ。そして今でも居る。だから、言葉が多少の変化はあるかもしれないけど、彼等は自分達の出てきた国の言葉をそのまま伝えている」


 はあ、と私はうなづき、感心した。彼は苦笑すると、ブラシを手に取って、自分の背中をこすりだす。私は腰のあたりまで浸かった形で、彼と向かい合わせになって、浴槽に身体をもたれさせていた。


「ま、だからそれはちょっと感謝しているけどね。……何で判るんだ、って教授をごまかすのは大変だったけど」

「それで?」

「うん、その大して無い資料を結構探したんだけどね。……最初は、その言葉を教えた第一世代の昔話が、僕の中の何処かにあったらしい。女性だった。彼女はその小国の、その地方の人間だったらしい。その小国の共通語の他に、こういう方言もあるんだ、と言って時々話を脱線させたことがある。僕は彼女は嫌いにはなれなかった。絶対服従、が第一世代に関してはあったけれど、その彼女に関しては、そういうのを強要するのがあまり好きではなかったらしくてね。それがその場所で育った人間の地域性だ、とか言っていて。まあさすがに言うことも半分も、当時は判らなかったんだけど」


 へえ、と私はうなづく。今でも時々、彼は私をこうやって驚かせる。

 当たり前の様に、私の知らない世界を、その言葉の中に見せてくれる。……ひょっとしたら、稀代のペテン師かもしれない。本当は彼の言うことは、全てが嘘なのかもしれない。

 だがそうであったとしても、私はその言葉の織りなす、彼の見据える世界に魅せられてやまないのだ。


「その小国が、自国が地球の中の一つの国に過ぎない、ということを自覚して、五十年かそこら経った頃かな。その都市で、大がかりな博覧会が開かれたんだ」

「博覧会が?」

「まあ当時は、世界的に…… いや、その頃世界を牛耳っていたと思っていた国々の間で、博覧会を開くのが、流行のようになっていた」

「何でまた」

「ねえ君、当時の人々は、例えば地球の、海を渡って、隣の大陸に行くのにどのくらいかかったか知ってるかい?」

「君がそういうんなら、かなり遅いんだろう? 一日かい?」

「いや、もっと遅い」


 彼は頭を横に振った。


「では二日」

「外れ。ねえサーティン、彼等は、船を使って、一ヶ月、とかそういう単位で旅したんだよ」

「何だよそれは!」


 思わず私は前に身体を起こしていた。やっぱりね、と言いたげな彼の顔が前にある。


「だから、そういうことだよ。現在の僕等にとっては、本当に取るに足らない距離だ。何せ今のチューブの駅二つ三つの距離に過ぎないんだ。だけど、彼等にとっては、本当に長い距離だった。つまり、それはどういうことか判るかい? そしてその当時ばらばらだった『国』が多かったことも含めて」

「つまり、そんなに近い距離であっても、別の『国』は別世界だったってことか?」

「そう。しかもそのひどく長い旅にしても、そんなことができる人間は一握りだ。それができるだけの裕福な人間だけ。だから当時の彼等にとっての『つ国』は、僕等が他星系へ行くよりも厄介だったろうね。まあ当時の連中は、考えつきもしなかったろうがね。宇宙へ飛び出すなんて、それこそ考えつく奴が珍しいくらいに」

「じゃあ博覧会というのは」

「そう、お手軽な外国旅行、の感覚だったんだろうね。本当の外国には行けない。まあそんな度胸もない。けど何か向こうの国の不思議なものは見たい。そんな人々の気持ちが、当時の人々の博覧会熱に火を点けたんだろうな」

「当時の人間は、そんなに何処にも行けない状態で、楽しかったんだろうか?」

「それは、生まれた環境によるだろう?」


 彼は浴槽の縁にひじを乗せ、ブラシを外に向ける。ぽたぽた、と外に水が落ちる。


「例えばこの風呂にしたところで、僕は正直言って、未だにそう慣れている訳じゃあない。僕の故郷は決して過ごしやすい環境ではないけど、水だけはふんだんにあったから、こんなふうに浴槽に泡を立てるタイプではなく、外で身体を洗って、浴槽はその湯自体を楽しむタイプだった。つまりは、それが一つの娯楽となり得たわけだ」

「ああ…… そういえば、そういう文化圏もある訳だ」

「逆に寒冷な、それでいてそう水がふんだんではない、例えば歌姫のメゾニイトの様な惑星では、風呂と言えば、蒸し風呂だったりするだろう? そしてそれが当たり前であり、他のものを『風呂』という名でくくるには、言葉はともかく、心の中ではずいぶんな葛藤がある訳だ。それが日常であればあるだけ」

「つまり、彼等にとって、生まれた場所に縛られる生活は、当然であったと」

「そう。そこから海を越える、などというのは、まず普通は思い付かなかったことだろう。鉄道が敷かれるまでは、一生に一度、やや当時にしては遠距離である神地を訪ねるのがせいぜいだったらしい。移動がなければ、土地土地の個性が否が応でも現れてしまう。……だから、その小国が、内部から変わり始めたのは、一般庶民の移動が可能になったあたりだよ」

「鉄道が敷かれて」

「そう。そして、当時その地に、僕が、君とよく似ているな、と思った人物が居たんだ」


 彼はブラシを床に置くと、すっと手を伸ばした。


「無論顔とかそういうのが似てるという訳じゃあないさ。あくまで、行動」

「私に」

「ひどくそれは、僕にとっては魅力的だったんだよ」


 手を取られる。そして、私は引き寄せられていた。



 やがて図面の上の計画は、実行に移された。

 基本となるコロニーの建設は、遊園地の計画段階のうちに建設されていたので、後は「内装」である。

 そしてその「内装」に今回は何と言っても力を入れているのだ。

 その他にも、このコロニーを作ったための、チューブ各線のタイムテーブルの変更、コロニー内で働く人材の確保など、目の前には問題が山積みだった。

 だがこういった山積みの問題というのは、確かに厄介だが、決して嫌いではない。問題がそこにあるなら、それを解いていけばいいだけのことなのである。決して「解けない問題」ではないのだ。

 「解けない問題」は別のところにある。例えば人の心。

 無論日中、仕事で動いている時には、それは決して顔を出すことはない。特に最近と言えば、私室に帰ることが滅多にできない程の忙しさである。

 「遊園地」は、先日の説明の通り、空・水・大地・宇宙をテーマとした四つのエリアと、その中心を貫く塔で成り立っている。四つのエリアは、それぞれ空扇閣・水迷宮・地雲閣・虚天宮と名付けられている。表意文字である中華文字で書かれたそれは、発音の点においてもなかなかにエキゾチックなものを含み、スタッフの間では、好評だった。

 そしてそれを貫く塔である「貫天楼かんてんろう」。ナガノは塔の存在を私にしつこい程アピールした。

 それは彼のイメージするあの小国の遊園地にも塔があったことが理由らしい。


「その場所のその塔も、異国の技術の粋を集めたある塔をイメージして作られたんだ」


と彼は熱っぽく語った。


「その頃の夜はまだ暗かった。そしてその中に、その塔は、きらびやかなイルミナシオンを作り上げたんだ」


 そしてその塔からは、ロープウェイが出ていたのだという。


「高い場所から自分の街を見下ろすという習慣の無かった人々にとっては、それ自体が一つの娯楽になりえたんだ」


 しかしそれは現代の人々にとって、決して娯楽になるとは思いにくい。そういう意味のことを私が言ったら、彼はこう答えた。


「無論、ただ高いところという訳じゃあないさ。僕が欲しいのは、空を飛んでいる様な感覚」


 空を? と私は問いかけた。


「そう。ただ下を見せるのなんて、皆誰でも経験があるだろう? 大事なのは、自分の身体が、空にそのまま浮いている、という感覚なんだ。足元に空がある、その感覚なんだ」


 そして貫天楼の中心には「中天回廊ちゅうてんかいろう」と呼ばれる無重力地帯が出現した。それは貫天楼から続くエレヴェイタのターミナルでもあるのだが、その場で客は、遊園地の美しい全景を、空を飛びながら眺めることができるのだ。

 忙しい合間にも、私達は顔を合わせ、身体をも合わせながら、そんなことばかりを話していた。

 それは私にとって、ひどく楽しい時間だった。

 これまでになく、楽しい時間だった。

 誰かと一対一で付き合う時に、こんなに楽しい時間は、今までに無かった。種族も生きてきた場所も、生きてきた年月も違う。

 だけど、今この時点で見ている夢は同じだった。

 確かに現在私は彼の雇用主という形はとっているが、私にとって彼は、同じ夢を実現させるため、同等な存在だった。それは彼の種族的な意識のせいかもしれない。私よりもずっと長く、様々な場を渡り歩いてきたというキャリアのせいかもしれない。彼は私に立場を感じさせなかった。

 そして自分が、何故今まで、付き合ってきた女性達に、同じ様な別れ方をされてきたのか、判ったような気がした。

 もしも彼女達が、彼の様に、同じ夢を実現させようと、私に対等な立場を取ろうとしてきたなら、もしかしたら、彼女達は私の記憶に残ったのかもしれない。

 出会いの瞬間から、そこに性差の無い、何か強烈なものを裡に持ったまま、友達となれたなら、そこから進んだのかもしれない。

 だがそれは無かった。彼女達は私を最初から「男」として、もしくは「社長」としてしか見なかったのだ。

 いや、私の目が曇っていたのかもしれない。それは結局、私の離れようとした、あの故郷の、小さな頃からの、染みついた習慣のせいなのだろう。私自身が、そういう女ばかりを近づけてしまったのかもしれない。

 でも今は、違う。同じ夢を見て、実行できる人間と、全てさらけ出したつき合いができるというのは、何って心地よいことなのだろう?

 それだけに、不安が生まれてしまうのだ。

 彼は決して遠くない未来、私のもとを離れるだろう。そして私はその時、黙って彼を見送ることができるのだろうか?

 私は、私の立場を決して捨てることはできないだろう。それはよく判っている。私は私の作り上げたものが大事だ。それは、どれだけ彼のことを思っていたとしても、どうしようもないことだった。

 そして彼もそうだ。彼は彼であることから逃げない。彼は彼で在り続けようとする。誰も彼を止めることはできないのだ。

 なのに。

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