第9話 「彼等と会うことによって、僕は自分の手には、何も無かったってことが判ったんだ」
「それまでの戦場では、僕はどんな場所でもためらいはなかった。そこに居たのが運が悪いと思っていた。だってそうだろう。そこでそうしなかったら、今度は僕が、自軍から断罪される。僕は生きる目的は無かったけど、死にたくはなかった」
ナガノはあっさりと言う。そして私はあいづちにするべき言葉すら上手く見つからない。
「とは言え、死にたいと思ったところで、僕達の種族は、そう簡単には死ねない。そもそも僕達には、そういう感覚が抜けていた。疑問に思うことも無かった。僕達は、郷里ではそういうものであり、それが普通で、何の疑問も感じなかった。何せ六代上の先祖が、同じ位の外見で生きている。それが普通だった。逆に僕は、『老い』というものを、軍務で外の世界に出た時に初めて見て、驚いたくらいだ」
「そういうものかい」
「そういうものさ。逆に短命種だってそうだね。彼等は彼等で、若いうちに肉体が滅んでしまうから、老いというものを知らないだろう? まあそれはいい。とにかく、君達が僕達のことを奇妙と思う位には、僕達は君達のことを奇妙と感じていた訳さ。僕達には、それが普通だったからね。だから外の世界に出た時、何ってテンポの速い世界だ、と思ったよ」
「テンポが?」
「何でそんなにせかせかと動くんだろう、と思ったね。僕にはよく判らなかった」
彼は一度そこで言葉を止めた。そして改めて、繰り返した。
「僕には、よく判らなかったんだ」
乱れた黒い前髪をかきあげ、彼は口を湿した。
「その戦場で、僕はある一つのアパァトメントに飛び込んだ。人の気配がしたからね。僕への命令は、その地区のクリーン・アップだった。何って言い方だろうね。だけど当時はそれが普通だった。効率よく、その場に生命反応をなくせ。それが命令だった。僕は使い慣れたソードをつけ、銃を肩にかけ、気配のする方へ、入り込んでは、容赦なく『清掃』して行った。一体その時に、どんな人間がそこに居たなんて、憶えてはいない。その頃の僕が、いちいち憶えている様なマトモな心を持っていたなら、とうの昔に僕は発狂してる。だけどそうならなかった。何故なら僕にとって、その時斬り倒したり撃ち殺していたものは、人間じゃあなかったからだ」
淡々と、彼は話す。その口調はまるで自分のことではないかの様な調子さえ感じる。だがやはりその中に居るのは、自分自身なのだ。
「ところが、ある一つの部屋に入った時、僕は混乱した。そこは、フロア全体の壁を取っ払った様な部屋で、真ん中で、ひどく大きな机に向かって、一人の男が、これまたひどく大きな紙に向かって、何か作業をしていた」
「紙に?」
画家か何かだったのだろうか。
「僕は何を彼がしているのか判らなかった。いや、その時はさっぱり判らなかったと言ってもいい。彼は僕が扉を蹴破って入ってきた時、それでもその作業を続けていた。信じられるかい? 既にその地区は、平穏という言葉とは無縁だった。その男の部屋も、所々、割れたガラスをテープで仮止めしてある様な状態だったよ。ロクな照明もない。なのに、その男ときたら、大きな天板を色んな角度に動かして、何やら描いていた。いや、線を引っ張っていた。僕は何故かそのまま銃の引き金を引くことができなかった」
「できなかった?」
「はっきり言って、その男はそんなことに興味も何も無かったんだ。それで言ったね。『うるさいから早く出てってくれ』僕はさすがにその時、怒るより前に、訳が判らなかったね」
確かにそれでは、そこに居たのが私でも訳が判らないだろう。
「その男はこうも言った。『気が散るからさっさと出てってくれ』銃もソードも持った、あのカーキの軍服を着た僕に向かって、顔色一つ変えずに、そう言ったんだよ? 僕はさすがに訳が判らなくなって、その男に詰め寄ったね。あんたは何を描いてるんだ、と。すると男は、『見て判らんのか』こうだ」
……さすがに私でもそれは呆れた。
「しかもこう続けたんだよ。『最近の若者は、こんなものも知らないのか』とね。大きな紙。そう、君の持つノートブックの、倍の倍の倍。その紙に、男は線を書き込んでいた。絵画ではないことは、さすがに僕にも判った。どうやらそれは製図らしかった。細かい図だった。細かい装飾がつきそうだと簡単に考えられるような、建物の図だった」
「だけど、そんな所でどうして」
「僕にもそれがさっぱり判らなかった。だってそうだ。既にその街には、人は消え失せていた。そんな建物を依頼するようなスポンサーは、その街からは消えていた。そんなことをしていたところで、何にもならない」
そうだ、確かに。建築というのは、普通の芸術と違って、個人だけでは成立しないのだ。自宅を建てるとかいう以外、依頼する側があって、初めて成立するものなのだ。
「僕はとうとう、その男に銃を向けることはできなかった。その他の生存者に、そのあとでも、銃を向けることができたんだよ? なのに、どうしても、その男にそうすることはできなかった。そして僕はその時初めて疑問を持った。いや、その時には、疑問という形を持ってはいなかった。ただ、その訳の判らない行動に、ひどくあたったんだ」
「あたった?」
「情けないことに、帰還してすぐ、熱を出したよ。それは知恵熱みたいなものでね。別に病原体のようなものではないから、僕等でもかかることはある。……僕は、たぶん、その時、そういう、僕等の種族以外の人間の持つ、訳の判らない熱情のようなものに、あてられてしまったんだよ」
私はふと苦笑した。この男が、知恵熱とは。
「でもそれから、やっぱり…… と言っては何だが、僕は自分の行動に疑問を持つようになってしまった。行動に疑問を持てば、動きにそれは現れる。僕はそれでも、自分が変わったとは思ってはいなかった。しばらくのうちは。……だけど、次第にそれは積もり積もって行き…… とうとう僕は、ある戦場の、困難な場所を利用して、脱走したんだ」
「困難な場所?」
「つまり、普通なら、生きているはずはない、という所さ」
息を呑む。戦場には出たことの無い私には、とても想像ができない所だった。
「……まあ、でも君が思う程滅茶苦茶にひどい訳じゃあない」
「私が思うことが判るというのか?」
「君も結構顔に出てるしね」
そして彼は手をふっと伸ばす。私は触れられた所が熱くなるのを感じる。
「とんでもない崖っぷちから落ちたことにしたのさ。さすがにそこまで高いと、まず僕達でも死ぬだろう、という所でね。無論落ちはしなかった。崖のくぼみに身体を置いて、しばらくの間そこで息をひそめていた。完全に周囲に軍の気配が無くなった、と感じた時に、やっと僕はそこから降り、……いや昇ったのかな? もうかなり昔のことだ。とにかくそこから出て、後は、ひたすら逃げ回っていた」
「それで、傭兵にもなった?」
「最初のうちはね。それと、ごく最近。……最初は、本当に、自分にできる、生きてくための日銭を稼ぐ仕事が考えつかなかったんだ。そして最近は、やりたいことが見つかって、そのためのまとまった金が必要だったから。そしてその間は…… 色んなことをしていた。色んな所で、色んなものを見て、色んな人間と会って…… まあ一所に数年居られたらいいところだったけど、その間僕は楽しかった。いや、楽しいということが、初めて判ったんだ」
「……え」
「生まれてからずっと、楽しいなんて感じたことが無かった。だけど、脱走して……」
ナガノはふと口ごもる。
「……サーティン、傭兵を雇うのは、決して裕福な星系国家ではない。国家が自軍をきちんと持って、兵隊を養成するだけの時間も金も無いから、雇うんだ。死んだ時の補償も必要はない。そして雇われる側も、決して引く手あまたの傭兵じゃあない。正直言えば、素人に毛の生えたようなものだった。一緒に行動すると、こっちが危険になることすらあった」
「そういうものなのか?」
「そういうものさ。例えば君、この会社で、どれだけ『いいひと』であったとしても、足を引っ張る奴ってのは居るだろう?」
私はうなづいた。
「戦場でなければ、それでもいいんだよ。無能だって、ムード・メイカーであればいい。それで生きられるのが、平和であるということなんだ。そして僕はその中で、自分が彼等にとって、どういう者であるのか思い知ったし、また、彼等がそれだからこそ、時には、僕なんかには思いもつかない方法で生き残っていくのも見てきた」
「そういう意味では、私など、平和ぼけしているといえるだろうな」
「君は、切磋琢磨しているじゃないか、サーティン。しかも君は四面楚歌の中でやってきた」
「性分なんだ」
私は目を伏せ、首を横に振る。
「皆が期待して、私に対して、必要以上の夢を見てしまうこと程、嫌なものはないよ。それに比べれば、誰も味方などいない状況で、自分の夢を形にすることを見つめていたほうがいい。甘いかもしれないけど」
そこまで言って、私は言い直した。
「……いや、甘いんだ。期待する相手を利用してやるくらいでないといけないのかもしれない。だけど、私にはそれしかできない」
彼はうなづいた。それが肯定の意味なのか、ただのあいづちなのか、私にはよくは判らなかった。
「僕は、そんな中で色んな奴と出会って来た。中には、本当に『出稼ぎ』で傭兵をやってる奴も居た。郷里に妻子を残してる、とか妹の学費が、とか、事情も色々だった。僕には無い、色んなものを彼等は持っていた」
そして彼は自分の両手をじっと見る。
「僕には、何も無かったってことが、その時判ったんだ。守りたい何かもないし、したい何かも無かったし、身体も命も、無くして惜しいなんて思うことも無かった。それが当然だった。だけど、彼等と会うことによって、僕は自分の手には、何も無かったってことが判ったんだ」
私はつられるように、自分の手をもちらと見る。……何か。私には、何か、あるだろうか。自問する。ある、と私の中の私は答える。
「私にとっては、ここが、そうなのかもしれない」
「僕も、そう思う。君にとっては、ここだ。この会社が、君の手の中にはある」
そう言って彼は、私の手を取った。
「大切な、ものだ」
手の甲に口づける。
「だけど僕には何も無かった」
そして彼はその手を握りしめた。
「僕は欲しかった。自分の手の中に、何かが。それが守るべきものなのか、それとも別のものなのか、その時の僕には、それすらも判らなかったけど、それでも、何か、が欲しかった。だから僕は戦場から降りた。……戦場は、それまでの僕にとっては、居ることが難しくはない場所だった。もしくは、そこしか、無いのかもしれない。所詮僕は、あの『優秀な兵士』天使種の一つのコマでしかないのかもしれない。それ以上にもそれ以下にもなれないのかもしれない。だけど、その時の僕では、そうでしかないのか、それも判らない。僕は焦った。時間なんか有り余るくらいあるのに、僕は焦った」
「そして、色々なことをしたのかい?」
「ああ」
彼はうなづいた。
「優秀な兵士、だなんて言っても、その肩書きも能力も関係ないところでは、僕なんか、そこではただの使えない男に過ぎなかった。色々、本当に色々やったよ、僕は」
ふらりと彼は目を閉じる。
「食事は支給されるものじゃない。自分で稼いで、自分で手に入れなくてはいけない。買うにしろ、作るにしろ、僕はそれをどうやって口に入る状態にするかすら、よく判ってなかった。そりゃあ色んな『知識』はあったさ。だけど時にはそれを隠さなくてはならなかった。そんなものを持っていると邪魔になることも多かった。いや違う、それを黙って使うのはいいさ。だけど口に出してはいけない。そんなことも多かったんだ」
「何で……」
「そこにそんな知識を持ってる奴が居ること自体、不審がられる、ということもあったからね。そういう時には、できるだけ上手く、ものを知らないフリをしたさ。下手なプライドなんて、全く意味を持たない。逆に下手にそういう知識や行動それこそ、地下工場の期間限定掃除から、食品産業の工場やら、乗り物を使う関係、時には頭を使う関係もやったさ。色んなところで色んな人達と出会った。出会った人達から、色んなことを聞いた。その話の中で、興味を持ったものを、あれこれ見てみた。試してみた。……そんな時に、僕は輸送会社に勤めていたのだけど」
「輸送会社?」
「星間輸送さ。ライセンス自体は別の惑星で偽の籍で取得したけれど、まあ腕は確かだったからね。あちこちの惑星へ、それで出かけた。そうこうするうちに、その時の相棒が、どうも、元大学の講師だったみたいでね。仕事自体はまあ可もなく不可もなく、という感じだったけど、話がひどく上手いんだ。と言うか、熱を持って話す。僕はそいつの話っぷりを聞いて、あの街で見た製図を引いていた男を思い出したね」
「結局、その製図を引いていた男のことは判ったのかい?」
ああ、と彼はうなづいた。
「あの図面に載っていた建物に、僕はその輸送業についてる時に、お目に掛かったんだ」
へえ、と私は声を上げた。
「見覚えのある形だ、とその建物の前を通りかかった時、思ったんだ」
こんな形がね、と指は空中に緩やかなカーブを描く。
「入り口の車寄せに、描かれていたのを僕は憶えていた。通りがかりだったよ。本当に。相棒は、買い物の途中でいきなり立ち止まって柵の向こうの建物に目を奪われた僕にひどく不思議そうな顔をして、そして彼が知っている程度の話をしてくれたんだ」
「……話」
「そう、話。その建物が現在は何であるとか、その惑星に行けば、その建物について判るとか、そういうこと。僕はその元講師と一緒に、その建物の内部に入ることができた。だってそうだろう、そこは公会堂だった。その街に住む人々の集う場所。何であの時の男が、こんなところのものを、と僕は思ったね」
「実際、どうだったんだい?」
「その図面を書いていた男が居た惑星から、そこはずいぶん離れていたね。だから余計に僕は判らなかった。相棒は僕の混乱を知ってか知らずか、さくさくと情報を収集してくれた。そういうことには彼は慣れていたらしい。……そして判ったんだよ。その設計していたのが、まだ若い頃のキュア・ファミだ」
「え」
私は思わず声を立てていた。
「LB大劇場を作ったのもキュア・ファミだとすると、もうあれは彼の最後の作品くらいと考えてもおかしくはないね。だけどその公会堂は、どうも彼の初期の作品らしかった。今から考えると」
「でも君の外見よりは、その時上に見えたんだろう? 最初に見た時は」
うん、と彼はうなづく。
「芽が出るのが遅かったんだ。彼は」
「確か、君以前言ったな。ウェネイクを中退したって……」
「そう。だから僕が後で調べたところによると、僕が彼のその姿を見たのは、彼の修行時代じゃないか、って思うんだ。時間的には合うんだ。その公会堂は、公開コンベで設計者が決まったんだ。彼はそれを契機に、新たなつながりとか、ウェネイクの派閥とは関係ない、自分自身の力で渡っていく足がかりを掴むんだ」
「そして、故郷には決して足を踏み入れなかった?」
そう、と彼はうなづく。
「どれだけ彼の名がその業界で売れるようになっても、彼は決してウェネイクの関係からの依頼は受けなかったし、その対応に憤ったウェネイクの業界は、彼とは絶縁宣言のようなこともした。……でもまあ、ウェネイクが力を持っていたとしても、所詮全星域まで力をふるえる訳じゃない。彼は彼を待つ人の場所で、思う存分仕事をして、一生を飛び回って生きたんだ」
「……もう亡くなった……」
「そう。亡くなった場所は、ウェネイクの連中から見たら、大辺境とも言える所だね。もう星域の端も端。まだ僕がその公会堂を見た時には生きていたけど。結構僕は見たなあ。あれから、彼の建物はあちこち追った。判るかいサーティン? たとえその建物が、その場所に合うことだけを追求していったとしても、そこには作った奴の個性ってのが出るんだ」
「うん、それは判る」
LB大劇場の中で感じた、全体と部分の雰囲気の差異。建築には全く詳しくない私でも露骨に判るほどの。
「僕はそれから、その講師と結構長いこと組んでいて、ものごとのそういう見方があることに気付いた。何って言うか……僕は初めて、それを『面白い』と感じたんだ」
「面白い」
「興味深い、知りたい、見たい、……何って言うんだろう。とにかく、そういうものが、僕の中に湧いてきた」
彼は両手を広げて、それを軽く握りしめた。
「だけどまだ、それはちょっと気を抜くと、この手からはすり抜けていくようなもので、僕はおそらく、その時、その掴みかけたものを、形のあるものとして捉えたくて必死だったに違いない」
そしてぐっと握りしめる。
「そしてそんな風に色んな建物を見ているうちに、僕はある一つの惑星に行ったんだけど…… それが、コヴィエだった。講師の話も聞いていたし、フォートも色々見ていた。僕は正直言って楽しみだった」
「確か、植民初期の建築物が残っていたって、君、言ったね。最初に会った時」
「そう。それが結構ひとかたまりになってある地区にあるというので、僕はそれを見るのが楽しみだった。だいたいの惑星は、仕事ついでに行ったものだけど、そこばかりは、『観光』で行ったんだ。……ところが、僕は一足遅かった」
「核が使われた」
「そう。ひどいものだった。フォートで見たその街の面影は全く無かった。僕はからからに乾いた地面の上に立って、冗談じゃない、と繰り返しののしっていた」
……ののしって…… ちょっとそれは想像がつかなかった。そんな私の怪訝そうな顔に気付いたのか、彼は苦笑すると、付け足した。
「僕も、さすがにその時は自分に呆れたくらいだった。自分の中から、こんな言葉が出てくるとは思いもしなかった。だって、実際その時には、本当に僕は悔しかったんだ。そう、悔しかった。何でここにもっと早く来れなかったとか、どうしてこの美しい街を焼き払う気になんかなれるんだ、ともうその時の僕の持ちうる悪態という悪態を使って地面だか空だかもう、何処にこの訳の判らない感情をぶつけたらいいんだ、って感じで、僕はもうわめき散らしたよ。講師が慌てて僕を羽交い締めにしたくらいだ。僕はまあ、そこで彼を突き飛ばしたり何だりすると、きっと彼がケガする、と理性が何とか働いてくれたおかげで、感情も何とかセーヴできたんだけど……何だかもう、どうしようもない気持ちで一杯だった」
「それは……」
「講師は僕をなだめるつもりだったのか、とにかく残っている建物を探そう、と僕の先に立って歩き出したんだ」
「放射能の心配は無かったのか?」
「学術研究の目的、と講師が旅行許可を取ったから、それなりの予防措置は取ったけどね。まあ僕には大した関係は無かったんだけど。病原菌も放射能も効きはしない」
そうなのか、と私は乾いた声で答えた。だがその時、どうしたのだろう。私の口からは、別の質問が、滑り出していた。
「君は、そういうものが効く身体になりたいと思ったことがあるのか? ナガノ……」
「何」
「時間が止まることもなく、病気にもケガにもきちんと反応し、治癒力が恐ろしく弱い人間の身体というものに」
ナガノはやや驚いた様に私の顔を見つめた。
「何でそう思う? サーティン」
私は口ごもる。何、という確たる理由がある訳ではないのだ。ただ、何となくそう思えたのだ。彼の話を聞いているうちに。
だが彼は私の返答を待っているように思えた。だったら私は答えなくてはならない。それが言葉として上手く伝えられなくとも。
「はっきりとしたことは判らない。だけど、何となく、そう思える。君は、我々のような、君達と違う種族に会って、その不便な身体に対して、そう思ったんじゃないか、と」
「そう不便。確かに不便だ。その証拠に君は、今ひどく疲れている。僕は疲れていない。多少の疲労などすぐに回復する。損なわれるものはさほどに無い。……だけど、そこに何があるんだろう…… 餓えたことの無い人間に、本当のものの美味しさが判らないように、僕は、この身体であったことで、生きてくことに何の楽しさも見いだせなかった。あんなつまらない日々だったら、いつ捨てても良かった。なのにこの身体は、それを捨てることすら許さなかった」
「……」
「でも今は、僕はこの身体は気に入っている。だってそうだろう? 知っているかいサーティン? 僕らの様な、学術調査のフィールドワーカーは、体力勝負なんだ」
ああ、と私は顔を軽く上げた。しかしそれなら、戦場の方が、よっぽどそうではないだろうか。彼は苦笑すると、私の顔の前で、手をひらひらと振った。
「君の言いたいことは判るよ。でもそういうことを言いたいのではない。そう、今なら、戦場だってそうだ。だって今の僕なら、そのフィールドワークのために、戦場へ出てその資金を稼ぐこともできる。その時にこの身体は便利だ」
なるほど、と私はうなづいた。彼は両手で自分の腕を抱きしめる。
「僕は初めてこの身体に感謝したよ。調べたいものは山ほどある。僕が君らのような身体だったら、絶対に調べ尽くせない程の建築物がたくさんある。対象物だけじゃあない。その背後関係やらを調べようと思ったらもう、時間も何もかも、個人でするには無理がある。だけど僕にはできる。やろうと思えば。できるんだよ?」
話し方に熱が入る。私は思わずその調子に呑まれている自分に気付いていた。
「でもさすがに、個人で調べているだけでは、ちょっとばかり僕は限界を感じた。何せ僕は、基礎知識が足りなかった。確かに郷里でもある程度の学問は教えられる。だけどそれは、決して専門知識じゃない。どちらかというと、現実的に、優秀な兵士となるためのものだ。実際の戦闘で必要なものを詰め込まれるだけで、決してそれ自体が楽しみであるような、そんな学問の世界とは無縁なんだ」
「じゃあ君は、郷里でどんなことを?」
「体術は無論だね。射撃や剣術、マシーナリイの操縦関係全般とか、その緊急時の修理をこなせるような、一般物理化学知識とか。逆に破壊工作に必要な化学知識とかもね。社会科学的な面なものと言えば、やっぱり攻め込む惑星の各々の成立状況とか、文化的な特徴とか。言語もある程度やったな。確かに現在は共通語みたいなものがあるけれど、各地の方言のようなものがあるだろう? 所によっては、系統が違う言語が共通語になっている星系もある。それも一通りさらった。……そうだね。君達の軍事教練より、長い時間をかけている。何せ、物心ついた時から、皆でする遊びの中にもそれは組み込まれていたからね」
「そんな子供の頃から?」
「僕らの種族は、本当に子供が少ない。例えば僕とヴィー…… ヴィヴィエンヌは同世代だが、同じ歳じゃない。一年に十人、生まれればいい位だ。上が滅多に死なないから、僕達の種族は、だいたいいつも同じ数を保ってきたんだ。だから、子供の教育は、全体が行う。皆家族。皆きょうだい。男も女も無い。確かに子供は女からしか生まれないけれど、だからと言って、女を特別視することもない。ただ交渉が多ければ、それは子供の生まれる確率の上昇に結びつくから、交渉は奨励されていたね。誰も何も言わないけれど、本当に子供の頃から、好きになったら、そういうことは、するものだ、と。そこにも性別は関係ない。強制して、生まれにくい子供が生まれやすくなるという訳でもない。だからまあ、これも外に出てから驚いたんだけどね、君達は時々実にタブー視するじゃないか」
「皮肉かい?」
「いや。平和だなあ、と思った」
へいわ、と私は思わず繰り返す。私はよほど奇妙な顔をしていたに違いない。彼はそんな私の頬に再び触れると、今度は顔を寄せた。私は目を閉じた。
目を開けた時には、それまで斜め前に居た彼が、横に座っていた。何気なく触れている腕から、彼の体温が伝わっている。
「君のそういうところが、僕はとても好きだよ」
私はそう言われてまた言葉を無くす。
「そういうことが悩みになる様な世界の平和さが、僕はとても好きだよ。だから僕は、戦争が嫌いになった。収入の話とは別だ。……あの核にやられたコヴィエで、僕達は、あちこちを歩いていた。さすがに講師は、途中でリタイヤしたね。それは放射能がどうとか、ではなく、単に僕の強行軍に彼の身体がついていかなかっただけなんだが…… 僕は地図とリストを片手に、通りだった所を歩いた。いや所によっては、地上車も使ったが、この頃のそこでは、絶対的台数が足りなかった。僕はあくまで講師の助手という立場で来ていた。贅沢はできなかった。疲れることのあまりない身体ではあったけど、その時には、さすがに気分が落ち込んでいた。大地に座り込んで、太陽の光ばかりが、ぎらぎらと照りつけて、目の奥がだるくなっていた。だから地図とリストを確かめながら、この日はこれでよそう、と一つの建物に印を付けて、立ち上がったんだ」
ところが、と彼は言った。
「ところがその時、立ち上がった僕の視界に、妙なものが飛び込んできたんだ。地図と方角を確かめてみると、確かにそこには何か建物がある。僕が探していた、植民初期のものではないけれど、建物だった」
「残っていた……?」
「僕は走り出していた。何でそんな行動に出たのか、よく判らなかった。だけどそうせずにはいられなかった。……核はあるタイプの建物は焼き尽くしたはずだった。だけど、焼き尽くせなかったものもあったんだ」
私は思わず彼の方を見る。視線は天井から、もっと向こうのものを見ているかのようだった。
「最近の建物は、中の人間だけを死なせても生き残っていた。植民初期の建物は、人間を多少守って死んでいった。そして、僕の目の前には、そんな建物の、骨があった」
「骨?」
私は目を丸くした。
「思わず僕は、その前で立ちつくした」
彼は両手を固く合わせ、握り込んだ。
「乾いた大地の上に、それはただ立っていた。大して大きな建物ではなかった。おそらくは、植民中期に立てられたホールのようなものだったろう。高さもそうない。だけど、それは、そこに在ったんだ」
彼は握り込んだ手を、自分の膝に強く降ろす。
「ただ、在った。それだけなんだ。鉄の骨組みだけを、強烈な日射しの中に、残して、ただそこに立っていたんだ。僕は思わずそれを見上げて、眩暈がした。そんなことは初めてだった。背中に寒気がした。あの時、キュア・ファミを見つけた時の感覚にも似ていたけど、もっとその時の衝撃は強かった」
降ろした手を、さらにぐっと強く握りしめる。
「僕はおそるおそる、その骨の囲う、内部だった所へと入っていった。焼けただれた鉄の表面、錆止めの塗料は一度どろりと動いたあとに固まっていた。どうしてそれでもこれが残っているのか、不思議だった。でも確かに、それは、そこに、在った。僕はそのまま進んで行った。すると、何やら光の具合が違うところを見つけた。どうもそこは、その中では比較的被害の少ない所だったらしい。外壁の破損がまだ少ないほうだった。もっとも、それはあくまで比較的だったけど。階段室だったらしい。丸い屋根が、ついていたらしい。でも屋根はもう無かった。僕は差し込む光にひかれるように、空をふりあおいだ」
一瞬の、間が空く。
「何だろう、と僕は思った」
天井に視線を向けたまま、彼の唇から、そんな言葉が漏れる。
「丸い天井から、光が差し込んでいた。強い、透明な日射しが、建物の骨の間を通り抜けて、僕の上に降り注いでいた」
彼は目を閉じた。そのまぶたの裏には、その時の光が満ちているのだろうか。
「何って言ったらいいんだろう……」
それまでの雄弁が嘘の様に、彼は急に言葉を探し始めた。ああでもないこうでもない、と軽く首を振りながら、やがてあきらめたように口を開く。
「とにかく、それまでに僕が感じたことの無い感覚が、全身を通り抜けた。痺れる? 寒気? 快楽? 何だろう? そんなもので言い表せない。ひどく圧倒的なものだった。僕は時間が過ぎるのも忘れて、その中で、時間が経つにつれて、動いていく光を眺めていた。……気がついたのは、陽が沈み、心配した講師が、通信を入れてきた時だった。僕はそれまでずっと、その場に座り込んで、その光景を眺めていたんだ」
「その建物は、何だったんだい?」
「戻って、講師と一緒に地図とリストを突き合わせた結果、それは、何のことはない、この都市の産業展示館だった。僕はそれにも驚かされたね。だって、その建物の生前の姿は、格別に僕に感銘を与えるものではなかった。講師は資料フォートを見せてくれたんだけど、それはドームが二つばかりついた、ごくごくありふれた形の、植民初期でもない、当たり前に使われている建物だったんだ。なのに」
「その骨は…… 君を何かの渦の中に投げ込んだ?」
「そう。そういう感じだった」
彼は大きくうなづく。
「強烈だった。強烈という言葉では言い尽くせない程、それは僕にとって強烈だったんだ。……しばらくは、その衝撃だけで、頭も心もいっぱいになっていた。だからどうしよう、ということすら、その時の僕に浮かばなかった。だがその熱が治まった時、僕の中に、別の衝動が起こったんだ」
「別の」
「そう別の。……僕も、そんなものを、作ってみたい」
「作りたい?」
「作りたい。僕という人間が作ったということが、後々の人間達にも、強烈な印象を残すようなものを」
……どのくらい私達は黙っていただろうか。私は彼の言葉の続きを待った。だが彼はなかなかそれを口にする気配はない。結局口火を切ったのは私のほうだった。
「それで、ウェネイク大に入ったのかい?」
「そう。皮肉なことだけど、僕はキュア・ファミが見捨てた場所へと、やってきた訳だ」
「それはやっぱり、あの場所が良かった、ということかい?」
「歴史がある。歴史があれば、それだけの積み重ねがある。文献も、先人の研究したものも多い。正規の学生としては入りにくいから、一般の社会人が入りやすい研究生、という形でね。それでも多少以上は、身元隠蔽工作は行ったけど」
「ナガノ・ユヘイという名は、君の本当の名ではないんだな」
すると彼はそう、と軽く首を傾げてみせた。
「確かにそれは僕の名前ではない」
「本当の名は、何っていうんだ?」
「知りたい?」
「知りたい」
「駄目なんだ」
彼は首を横に振った。何故、と私は訊ねた。
「僕達、天使種の本当の名は、天使種でないと発音できない」
「発音が?」
そんな話は聞いたことがない。
「しかも、正確に発音すると、空間が歪むんだ」
「空間が?」
思わず私は問い返していた。……それは普通の「人間」のすることではない。
「そんな馬鹿な……」
「そんな馬鹿な、と言われてもそれが事実だよ、サーティン。だから僕達には、それぞれ本当の名と同時に、『呼び名』が与えられる。それは、その生まれた時期で一つの傾向があって」
「傾向?」
「例えば花の名、とか鳥の名、とか」
ああ、と私はうなづいた。
「そういう呼び名なら僕にもある。だけど、それはあまり聞きたいものではない。その呼び名は、軍に居た時のことを思い出す」
そういうものなのだろうか、と私は思う。
「呼び名は記号のようなものだ。どんな世代の、どの時期に生まれたのを指し示すための。僕達は、その名前に縛られていた。僕達は上の世代には逆らえない。世代が下れば下る程、僕達の種族の持つ能力は劣っていく」
「能力…… それは、傷がすぐ治るとかそういうものでは、ないのか?」
「説明がしにくいな」
彼は横目で私を見ると、軽く苦笑する。
「エネルギーの量が違うのかもしれない、とも言われているし、実際のところ、僕達にもよくは判らないんだ。ただ、上の世代である程、君達のいわゆる超能力、というものが強い。テレパシイとか……」
「君は?」
「僕? 僕にあるのは、……何だろうね。ああそうだ。ちょっとした言葉の端に、暗示を絡ませることができる。これは結構便利だ。滅多に使いたくはないけどね」
「……」
私は言葉に詰まった。そう言った彼の表情は、ひどく重かったのだ。
「できれば、使いたくはないね。僕は天使種であるより先に、人間だ。確かにこれが個性だ、と言ってしまえば終わりだし、確かに便利は便利だよ。実際ウェネイクに入る時には、実によく活用させてもらった。書類を作る段で、無いはずの僕の戸籍があったりする。そういうのはいいんだ。だけど、それをいつもしてしまう、というのは違うんだよ」
彼は語気を強めた。
「だから、それ以来、その力は使っていない。ウェネイクに入る時を最後に、僕はその力を使うのを止した。少なくとも、僕の意志でコントロールできる部分は」
「じゃあウェネイクで君が人気あったのは」
「あああれは、僕がいきなり突拍子もなく行動するからだと思うよ。見た目と行動が一致しない、って彼等は言ってたな。ミンホウと知り合ったのもそうだよ。何かやけに僕と似た様なパターンで休暇を取る奴が居るな、と思ったら、結構遠い所であった住宅博覧会で、奴の姿を見た時、思わず僕は額を叩いたね。何だこいつは僕の同類か、と」
何となくその図が私には想像できた。何であんたこんなところに居るんだ、と指さすナガノと、それはこっちの言う言葉だ、とパンフレット片手に怒鳴るミンホウと。
「僕はだから、ウェネイクという場所自体には、学問をしやすい場所という以外に価値は感じないけれど、そこでの出会いは、貴重だと思ってる。いや貴重だよ。僕はそこで、ナガノ・ユヘイである間が、ひどく幸せだったんだ」
だった……?
私はその彼の言葉に、急に胸騒ぎを覚えた。
「過去形で、話すのか?」
「だって君にとっては、僕はもう、ただのウェネイクの研究生だった、君の部下ではないだろう。確かに立場としてはそうかもしれないけど、僕がそう言ってしまったからには」
私は首を横を振る。
「サーティン?」
彼は私の方を見る。
「それを決めるのは、私だ。君は君だ。私にとっては、君は君でしかない。最初から、出会った時の、ナガノでしかないんだ。君が天使種であろうが、脱走兵であろうが、私にとっては、ウェネイクで建築を学んだ、一人の男に過ぎない。そうだろう? そうじゃないのか?」
突然声を高めた私に、彼は驚いた視線を投げる。
「遊園地を作ろう」
私はこちらを向いた彼に、視線を合わせる。
「後世の建築を見る誰もが、君の作品ということが判るくらいの、強烈な印象のある、そんなものであふれた、遊園地のコロニーを作ろう」
私は立てた膝の上に乗っていた彼の手を思わず強く掴んでいた。綺麗な手だ。そうだこの手は、傷が無い訳じゃない。傷は無数に受けてきたのだ。ただそれは、治さないことにはやっていけないものなのだ。
跡形もなく、傷の存在すら忘れるくらいの時間の中を生きていくならば。
「だけどまた、言われるんじゃないのかな? 社長はああいうこと言って、所詮はワンマンなのだと」
「言いたい奴には言わせておけばいい。彼等はそれを望んでいる。だったらそれを逆手に取ろう。その中で反感が出る様だったら、その時がその時だ。彼等を立ち上がらせればいい」
強引だな、と彼は笑った。
でも本気だ、と私は笑わずに言った。
「だから、作ろう、ナガノ」
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