第76話

自分自身、恋愛に億劫であることは察しが着いている。特に何かきっかけがあったとかではなく、思春期をこじらせていた中学生の頃から、恋愛に対する恐怖心等が芽生え始めた。相手を好きでいること自体が、申し訳なく思えるほどに、恋というものに対して偏見に等しい価値観を持っていた。


そんな中でも、今まで好きになった女性は2人ほどいる。いずれも小学生の頃だったが、人生において人に恋愛感情を込めて好きになったことが、その二回程度しかないため、かなり貴重な経験と言えるだろう。


自分の将来が、独り身で終わることは既に受け入れている。きっと、癒しを求めてペットでも飼いだすに違いない。上辺では満たされていると感じているものの、心の奥底では恋愛という感情がすっぽりと抜け落ちている。

タキシードに身を包み、誓いの言葉を唱えることも、生まれた子供を可愛がることも、家族に線香をあげてもらうことも、一生無いのだろう。そう思っていた。


初めてだ、気付かぬうちに相手を好きになっていたことは。その相手は言わずもがな。


相手もこんな自分を好きでいてくれる。これは言わば両思いというやつだ。ならとっとと告白してしまえばいいじゃないか、と思うかもしれないが。この仕事をしている上で、恋愛という名のゴシップは機密事項に等しい。週刊誌の目をかいくぐり、お互いの愛を継続させていかなければならない。


初めて本気で好きになった人と付き合えそうな仲なのに。関係解消待ったナシの過酷な環境で花を見つけたことに、恋愛の神はなんて意地悪なんだと、心のどこかで悪態を着いている今日この頃である。






76






小学生の頃、東京の八王子から福岡に越した。父と母は東京に残り、私と数人の兄弟のみで母方の祖父母の家に預けられることになった。理由は分からないものの、大人の事情がある事は幼いながらに察していた。


慣れない地方に最初は戸惑いはしたものの、幸い越した先が博多という福岡の中でもかなりの都会だったため、不便することは無かった。ただおかげで完全に博多弁が染み付いてしまった。


初めての恋は小学生の頃、と言っても私が好きになったのではなく告白されたのが小学校高学年の頃だった。相手は同学年のかっこいい男の子。名前は佐川くんといった。

南海ホークスファンで、地元のスポーツ少年団にも入っている生粋の野球男児だった。


結果は残念ながらお断りの言葉を伝えて幕を閉じた。佐川くんの名誉のためにその日、その場所で告白があったことは記憶の片隅に追いやり、何事も無かったように翌日から接することにした。


中学二年生の頃、私たち兄弟は東京に戻ることになった。両親の経営していたお店の利益が立ち直ったらしい。このとき初めて、祖父母の家に引っ越した理由が経済的理由であることを知った。


ただでさえ私の家は兄弟が多い、7人兄弟だ。大勢を養うのは街の小さな八百屋のみでは無理だったのだろう。ある程度貯金が溜まり、贅沢しなければ多少は暮らしていける頃合を見計らっていたらしい。

今まで苦労してきた両親を少しでも楽にしてあげたいと思った私は、一か八かでスター降臨のオーディションを受けてみることにした。


参加資格はハガキで要項を記入してポストに投函するだけなので、お金もそれほど必要とはしなかった。


初めてのスター降臨、結果は準決勝で敗退。一度はそこで諦めがついたものの、翌年にまた応募し、また敗退した。このままではいけないと一念発起し、学校の音楽の先生に頼み込んでボイストレーニングに勤しんだ。先生は元々音大の声楽科を卒業していたため、音楽の授業では抜群の歌唱力を披露していたことで有名だった。


中学を卒業するまでの約数ヶ月間、付きっきりでトレーニングしてくださった先生には頭が上がらない。受験勉強と両立しつつ、トレーニングを続け、中学を卒業。家から自転車で通える距離の高校に進学した私は、入学早々にスター降臨に応募し、決勝に進出。なんと、優勝することが出来た。


ここで浮上したのが、通う予定の高校だった。芸能界に入る時、事務所のマネージャーさんから、高校は転校か辞めるように言われた。これから仕事をしていく傍ら、学業と仕事を両立することは不可能になるという真っ当な理由だった。


せっかく合格した高校をわずか1ヶ月程度で辞めるのは名残惜しかったが、事務所を辞める選択肢はなかったために、10代の青春と決別することにした。


高校を辞めたあとは、事務所が契約したボイストレーナーにレッスンを受けたり、デビュー曲の候補を何度も歌ったり、レコードのジャケット撮影のために海外へ向かったりと、かなり忙しなかった。


そして、1982年の春頃。

デビュー曲の発売を機に、正式にデビューした。初めて人前で歌ったのは、都内の百貨店の屋上だった。いわゆる屋上遊園地と言われる場所。

小さなステージで、お客さんもまばらだった。


ほとんどの人が、スター降臨で私を見てくれたという、古参の方ばかりで、少ないながらもファンがいることが当時の私にとってはかなり嬉しい事だった。


デビュー曲の売り上げはまずまずで、新人賞レースやテレビ番組の歌コーナー、アイドル水泳大会等で歌う機会もあった。水泳大会に関しては、小さいワイプで歌唱する姿がほんの少し映るくらいだったけど、当時の私にとって憧れの番組に出演できたことに対する喜びは大変に大きく、かなりの不遇でも内心満足していた。


次第に増えていくファン、仕事で埋まるスケジュール。日々、成長を実感出来る指標を体感出来るこのアイドルという仕事は、私にとっては天職も同然だった。


次曲『Aヒロイン』の発表を機に、今までにないほど人気が跳ね上がった。恐れ多くも、ポスト山口百子なんて言われてる。どうやら、歌の少しツッパったイメージが当時の百子さんの強い女性を彷彿とさせるらしい。


事務所の方はこの機会を逃すまいと、かつての山口百子ファンを取り入れるべく、次なる曲の制作に取り掛かっていた。何もかも順調、そう思っていたのも束の間、彼がやってきた。


顔もいい、スタイルもいい、オマケに天才的な作詞作曲能力。高い歌唱力、独特のオーラ。

デビュー前から非公式のファンクラブが作られるほどの存在感。


伝説の誕生だった。


どうやっても勝てない。ランキング・テンで、順位こそ彼の曲を上回ることはあるものの、売上枚数や、世間の人気は圧倒的に彼が独走状態だった。


「数少ない男性アイドルなんだから、多少人気なのは当たり前だろう。」なんて楽観的に考えられる相手じゃなかった、技術や才能等、彼自身の持つ能力は82年組の中でもひとつ抜きん出ていた。


追い越したいのに、追いつくことすら出来ない相手。一時的に上回ることがあっても、さらに加速され一気に距離を離される。どう足掻いても勝つことが出来ない天才。多分、今後日本の音楽史に名を連ねることは確実だろう。


もしかしたら、本格的な海外進出を成し遂げ、グラミー賞を獲得する可能性すらありうる。


そんな凄い人に、恋をするなんて...。

無謀だ。




1983年7月9日。七夕が過ぎ、夏の兆しがちらつき始めた今日。雑誌の取材で都内の神社へと訪れた私は、撮影の合間の休憩時間におみくじを引くことにした。


「凶だったら...どうします」


「それ以上、下がることはないから...まぁいいんじゃない」


「逆に吉だったら...」


「それは単純に、いいと思う」


どちらにせよ『良い』に変わりないじゃないか。と文句を言いたくなるけど、ポジティブ思考の碁石さんにとって、おみくじの凶は案外悪いものでもないらしい。


私は、巫女さんに数百円支払うと番号の出てくる筒をフリフリした。やがて、小さい穴から36番と書かれた棒が出てきたので、36番の棚から一枚のおみくじを引いた。


包みを剥がし、紙を広げる。


「...吉。」


「しっくり来ない結果だな...」


「そうですね」


微妙な結果。一番反応に困るやつだ。


「待ち人...来る.....恋愛...叶う。」


吉は反応に困るけど、書かれている事柄は前向きなことばかりだった。特に恋愛に関しては、恋みくじとて捉えるなら十分な結果と言える。


正直、おみくじがそこまで当たるとは思えないけれど。今現在、恋をしている自分にとって恋愛の項目が極めて良いものであったことは心の救いである。


「...いずれは私から」


そう野望を抱く心中には、彼の姿が映っていた。



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