第24話
晩夏、翌日 俺はCM撮影のため京都市は左京区 貴船神社に訪れていた。国家の重大事、天変地異の時などに朝廷から奉幣を受けた、二十二社のひとつとして数えられるこの神社は石段と灯篭が織り成す四季折々の景色の変化が美しい神社として有名だ。
石段が連なる表参道、灯篭階段を登った先にある本宮は水神を祀る木目の美しい社であり運氣隆昌、えんむすび、諸願成就のご利益があることから連日参拝客が後を絶たない。
そんな歴史ある美しい神社でCMを撮影するために、朝早くに集められた我々は神様に『撮影させてもらいます』という旨を伝えるべく手を合わせることにした。
もちろん蒲田さんも一緒で、朝早くにも関わらず神社周辺では彼女のファンと思わしき若者がチラホラとこちらの様子を伺っていた。
祈祷が済んだところで一息つくため一旦石段をおり近場のお店で朝食を摂ることになった。
「今更だけど、久しぶりだね」
「はい、数週間ぶりですかね」
「うん、そう言えば最近すごくテレビ出てるよね、厳島くんは売れるなぁって思ってたから想像通りになって嬉しい限りだよ」
「いえいえ、そちらもお変わりなく忙しいようで」
仕事が増えることは嬉しい悲鳴である。ただデビューしたての俺が嘆くほどの仕事量のさらにその倍に等しい量を平然とやってのける蒲田さんには心底頭が上がらない。
その無尽蔵のスタミナが彼女をトップアイドルたらしめる所以であろう。
そんな彼女とのCM撮影は朝9時からで、その時間までしばし待機することにした。
24
「正直に言うと、君の歌声がこれから上手くなるという保証は出来ないし、今の状況から鑑みて到底この曲を完璧に歌うことは不可能だと私は思う」
「...え?」
手に握られた譜面を見ながら私は放心する他なかった。厳島さんからの楽曲提供に伴い、歌唱力の向上を目指すため事務所に頼み込んでボイストレーニングをさせてもらうことになった。
ただ、たった今目の前で突きつけられた言葉は耳を疑うどころか何処か私を納得させる節があり、隙をつかれたような感覚に陥った。
ピアノの椅子に座るボイストレーナーの先生は、私の歌声を聞くなり演奏を中断しその言葉を放ったのだ。
「君は売れているとは言い難い、それは同年代のアイドルの子を見る限り明らかなことでしょう?」
「……はい」
「その理由はもちろん他の子が凄すぎるというのもあるけど、君の歌声が圧倒的に質の低いものだから」
「質が...低い」
自然と傷はつかなかった。ただ、心の中でどこか思っていたことを言い当てられたような、そんな気がした。
「歌手というのは最低限歌が上手ければあとは曲の出来次第で善し悪しが決まる訳なんだけど、君の場合は曲を悪くしてしまっている、キツくいえばどんな名曲でさえも君が歌うと酷い有様になる」
「...」
「だから人一倍練習するべきだ、人間努力すれば大抵の事は出来るようになる。その努力をしようと思う覚悟と向上心こそが君に試される最も重要な部分だと私は思う」
「先生...」
「なんだい」
「レコーディングが始まるまでの数日で私...どこまで歌、上手くなれますか」
「それは神のみぞ知るよ、ただ頑張れば3日で様になるように形成することは可能だ」
「それじゃダメです、様になる程度じゃ…」
「君、かなりストイックだね...そうさね、なら5日間くれ、必ず上手くしてみせる」
幸い時間はたっぷりある、私はその日から一日のほとんどの時間をボイストレーニングや自主練に費やすことにした。日を追う事に自らの能力が向上していることを薄々感じつつも、その結果があからさまに現れたのは本番のレコーディングだった。そして数日が経ち、その時は来た。
「今日はよろしくお願いします」
「お願いします」
厳島さんはいつも腰が低い。
これだけ素晴らしい曲を作る天才的な頭脳と聴くものの心に沁みるような歌詞を書くのに全く偉ぶらないどころか、逆に我々に常に気を配ってくれるという紳士を通り越して完璧人間とも言えるような人格者であった。
彼はこの場に緊張を流さないように取り繕いつつもレコーディング前のミーティングではスタッフに向けてわかりやすく淡々と説明をした。
目標は予定より1時間巻き、そう言い切ると彼はさぁ始めましょうと手を二度叩いた。――――――
久方ぶりに会った水谷さんの雰囲気は全く違っていた。ピンクパンチ大回転の現場でお会いした時の第一印象は、普通の女子と言った感じでアイドルらしく見た目は可憐でありつつもどこか素朴で品のある従順さが感じられた。
ただ、今回 再会した時の第一印象は『大人になった』と言った感じだった。とても同年代とは思えない、20代後半から30代前半あたりの頼れるお姉さんといった雰囲気は男を引きつける魅力として溢れんばかりに彼女を取り巻いていた。
それこそ、蒲田清子さんの清楚な雰囲気に負けず劣らず、言うなれば「キャラが立っていた」のである。
これはもしや売れるかもしれない、恐らくこの場にいる誰もがそう思うほどに今の彼女は魅力の塊そのものだった。
そんな彼女がレコーディングのためブースに入ると、とりあえずデモのため一番から二番にかけての半分を歌うことになった。
片耳にイヤホンを付けマイクの音を確認する、音響スタッフさんのOK合図が出されたところでスタジオ内にイントロがなり始めた。
実の所、今回の曲は彼女に果たして歌うことが出来るのか心配な節があった。そもそも自分自身が他人のために曲を作るということが初めてで、しかもそれが異性なわけであるからして、いくら女性的な歌詞を書いたとしても、どうしても男目線な部分が入ってしまうことは否めない。
結果自分の実力不足 故に歌詞が抽象的かつメロディの抑揚が激しいような曲が出来上がってしまった。
ただもう一度作り直す余裕もなかった、曲の納入期間には定めがあるためそれを決して破ることは出来ないわけである、あとは彼女の実力次第と無責任にもテープと歌詞を封筒で送り付けた俺はその後すぐさま京都へと向かうことになった。
ただ、
今彼女の歌声を微かに聞いただけで確信した。俺はなんと失礼なことを悩んでいたのかと自分を責めた、結果なにも問題はなかったわけである。どころか彼女はその高い歌唱力をわずか一小節だけで叩きつけるように我々に痛感させた。
彼女のマネージャーさんから聞くに、このレコーディングに向けて彼女は考えられないほどの努力を短期間で積み上げたという。ならここまで素晴らしい歌声を発せられるのは納得せざるを得ないと思わず頷く俺、人間努力をすれば必ずその結果は回ってくるとよく言うものだが、彼女の今の歌声を聞く限り以下のほどにその努力を積み重ねたのかを耳から聞こえるその声で実感した。
レコーディングは1時間巻きどころか2時間近い午前10時半頃に終了した。
「チキン南蛮定食で……水谷さんはどうします」
「んー、迷います 生姜焼きもいいし...かといってカルボナーラも捨てがたい...んー、オムライスで」
「え、生姜焼きは?カルボナーラは?」
「えーっと、その2つの間にオムライスがあったので」
確かにメニュー欄を見てみると生姜焼き定食とカルボナーラの間にちょうどオムライスが記されていた。たったそれしきの事で食べたいメニューを変えるとは実に面白い方だ。
俺はチキン南蛮とオムライスを一品ずつ注文した。
「しかし...こんな所に洋食屋さんがあるなんて、よく知ってましたね厳島さん」
「デビュー曲を録音した後にマネージャーの紹介でここに来たことがありまして…何せスタジオから一番近い食事処がここなもんで」
「でも、私こういう雰囲気好きですよなんかポっと現れた洋食屋って絵本の中みたいで可愛いじゃないですか」
「か、可愛いですかねぇ…?」
現在俺と水谷さんはW&Pの所有するレコーディングスタジオからほど近い洋食屋に来ていた、以前俺も宇治正さんにここに連れられて来ており、ここのオムライスを食べると大成するという噂を聞いたことは今でも深く頭の中に残っている。
奇遇にも先程水谷さんは実に不思議な選び方でそのオムライスを見事数多のメニューの中から引き当て注文した。これで はたして彼女が芸能界で売れるかどうかというのは確定した訳では無いが、先程まで行っていたレコーディングを聴く限りとてもいい仕上がりになっていたので後世に名盤として語り継がれることは確定だろう。
「そう言えば厳島さんって、同い年でしたよね」
「はい」
「やっぱり……あの、ご両親は反対されなかったんですか」
「いや、うちの家庭は結構そういうのに寛容で、自分の夢を尊重してくれる両親なんで特に反対されるようなことは無かったです」
「そ、そうなんですか……」
彼女は下を俯き、やけに暗い表情を浮かばせた。
「どうかしました?」
「あ、いや別に...そういったことは...」
「……ご両親に反対…されてるんですか」
「いや、違います両親じゃなくて」
彼女の表情と雰囲気からどうやら深刻な状況にあることは感じ取ることが出来た。
「自分でよければ…相談にのりますよ」
返事はなかった。やがて時間が経過し、注文した品が到着した。
「いただきます」
「……ます」
彼女はどこか暗い顔をしながらオムライスを頬張った。
そんな彼女をどうにかして救ってやりたいという願いが芸能界に入って第一の大きな山場を迎える機会になるとはこの時の俺は微塵も思っていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます