第23話

強く打ち付けるような衝撃を感じた。

物理的に、ではなくその曲を聴いた時に感じた印象をそのまま述べただけで、そうであるにも関わらずその衝撃はたとえ何十トンのトラックに追突されたとしても凌駕するほどのものであった。


ここ数日、私が暇を持て余している間 彼 厳島裕二くんは何日もの労力を費やして楽曲制作および録音に挑んでいたという。

想像も絶するほどの絶え間ない努力が譜面を見る限り語りかけてくるように感じた。特別な才能だけではない、このような名曲を生み出せる原動力は彼自身のたゆまぬ努力からくるものであると悟った。


なら私だって。


私は全ての思考や悩みを置き去りにして譜面に書かれた歌詞に没頭した。小説を読むように、深く没入することで歌詞とメロディを頭に叩き込んでいる。彼の努力に比べればちっぽけなものかもしれないが、録音までにはできるだけ彼の理想に近づけなければならない、その努力はどんなに時間を使ってでもやらなければならないと覚悟を決めた。





23





楽曲が完成した。

水谷きみえさんへの提供曲『君が読む小説はむずかしい』恋を抱いた少女が相手への気遣いや忖度から解放され新たな一歩を踏み出すという、ポジティブを全面に押し出した失恋ソングだ。


この曲は女性が歌うことによって共感性が初めて得られるような歌詞になっており、まさに今回の楽曲提供でこの曲を歌う水谷きみえさんに最適であると言える。


ここ数日、テレビ番組への出演やラジオ、雑誌の取材を受けたりとかなり多忙なスケジュールだったため、残念ながら録音作業に携わることは出来なかったが宇治正さん手動の元、5日間で完成させることが出来たことに安堵するばかりだ。


既に完成した楽曲に歌詞が書かれた紙を同封して水谷さんの事務所に送ってある、相手側の準備が出来次第すぐさまレコーディングに取り掛かるつもりだ。


無事作曲作業は終了し、ようやく一息つけると思ったその矢先、俺はなぜか京都へ向かうことになった。―――――――――






「厳島裕二さんですよね、いつも見てます」


「あ、ありがとうございます」


「厳島さんサインください」


「あ、はい」


「厳島さん握手お願いしてもいいですか」


「い、いいですよ……」



ここ最近、ただでさえ街中で気が付かれるようになったのに、こうして人が集まるような駅のど真ん中に降り立つなんて自殺行為に等しいと言える。その証拠に、今こうして俺の周りには多くの若者が男女問わず集まっており、とても身動きの取れる状態ではなかった。


一応同行してくれた数名の事務所スタッフが抑えてはくれているものの、こうしてゴンズイ玉のごとく集られているわけだから、かなり目立つのは当然のことで それを見た他の方々も追随するように集まってくる始末、一向にこの状況が止む気配はなかった。


全ての人に対処していると埒が明かないのでキリの良いタイミングを見計らって我々は京都駅を飛び出し、タクシーへと乗り込むことにした。

乗車してもなお、走って追いかけてくるような熱心なファンもおり、これが有名人たる人間の苦労かと苦虫を潰したかの如く渋い表情をしながら改めて実感したのは無理からぬ話だ。


京都駅での一難も過ぎ去り、我々は宿泊先の旅館 渡月亭へと向かうことにした。



桂川を跨ぐ渡月橋と渡月小橋を進んだ先にある老舗旅館 渡月亭は明治創業とかなり重厚な歴史を有する老舗旅館だ、旅行雑誌などにも多数掲載され、多くの観光客が連日とめどなく宿泊していくというまさに京都を代表する宿泊施設の一つと言っても過言ではないだろう。


もちろんそれなりに料金も良く、最高のサービスと嵐山温泉を堪能出来る個室についた露天風呂をのびのびと使えるのだから妥当と言える値段だろう、ただ我が事務所は現在経営的にも良好とは言い難いものでとてもこのような高級旅館に泊まれるほどの予算はなかった。

であるからして、今回なんと太っ腹に仕事の依頼主側が宿泊料金や食事代もろもろを負担してくれることとなった。というか最初からそうだった。


言うのが遅れたが、ここ京都に来た理由はCM撮影のためである。俺単体のものではなく、蒲田清子さんとの共演ということで、スポンサー側も蒲田さんに気を使っているからしてこうして諸々の料金を負担してくれているのだろうと俺は推察した。


肝心のCM撮影日は明日ということなので本日は京都市内を観光がてらぐるりと回ることにした。

何か楽曲作りに新たなインスピレーションを受けられるかもしれないと思った俺は古いお寺ばかりを巡ることを来る前から決めていた。


古きものから新しきを学ぶとよく言ったもので、終始豪華絢爛な仏像の数々や歴史を感じられる建物に唖然とするばかりだった。


三十三間堂の千手観音像に圧倒された後、我々は近場の食事処で腹を満たすことにした。



「そう言えば厳島くんさ」



注文した料理が運ばれてくるまで待っている時、宇治正さんが思い出したように話を切り出した。傍らの南部風鈴が風に揺られ心地よい音を鳴らす。


宇治正さんの顔はいつもと違ってやけに真剣な形相だった。



「この業界で最も重要視することはなにか、分かるかい?」


「重要視...ですか?」



いつになく真面目な話に思わずたじろぐ、宇治正さんは時たまこういう真面目な話を唐突にしだすのでいつになっても慣れない節がある。



「……キャラクター、ですかね」


「その心は?」


「なんか、芸能人って顔とかあとは話術とかで売ってるような、言わば容姿や能力を番組が雇用しているわけじゃないですか...だからそれを引っ括めてその人のキャラクターが大事なのかと」


「確かに…それも大事だけど、一番重要なのはお金だよ」


「なんかゲスな話ですね」


「仕方の無いことさ、そもそもこの業界で仕事をしている子は憧れとか夢とか以前にお金目的で入ってくる子が大半だからね、厳島くんはこの業界に入ると決めた時、お金のことは考えた?」


「多少なりとも……でもそこまで重要視してませんよ、そもそも自分の曲を世に知ってもらいたくて入った訳ですから、この業界には」


「なるほどね……じゃあ厳島くんに問題です、芸能界においてお金を稼げる人と稼げない人の違いを述べよ」


「え…会話の流れからして、普通にお金のことを考えてる人が稼げるんじゃないんですか」


「残念」



全く話が読めない。先程まで一番重要な事柄がお金だと言っていたのに今度はそれが違うと...矛盾である。



「たしかに一番重要なのはお金だよ、重要だけどお金のことばかり考えてる人は将来的にまず落ちこぼれるだろうね」


「どういうことです?」


「今活躍しているアイドルや俳優、タレントさんはほとんどお金は二の次、仕事の質やパフォーマンスを第一に見ている。つまるところより良い仕事をしようとしているわけ」


「なるほど…良い仕事をすることで次の仕事に繋がりやすくなる…番組側もそういった人を多く起用したいから自然とその人には仕事も増え比例するように収入も上がる、そういうことですよね」


「あ、先言われた…」


「で、なぜこんな昼下がりに似合わないような話をここで?」


「たしかにこういった話は高級レストランで会食をしながらするのが適当だけど...うん、そんなことはどうでもいいんだ、今までの話忘れてくれて構わないよ」


「えぇ…」



話が全く見えてこない。今までの時間はなんだったんだとツッコミを入れたくなる。



「いや、この話をしたのはお金に関する前説としてだね…まぁいい、唐突に言うけど 厳島くん君の今月分の収入を開示するけど構わないよね」


「いや唐突ですね、そういうことですか今まで金の話をしてたのは」


「察してくれた?」


「その…前説必要でした?」


「うん、もう掘り返さないでくれ…偉そうに金の話をしていた自分が今となっては恥ずかしいから」



宇治正さんは何やら持ってきていたバックから一枚の紙を取り出した。



「これ、給与明細…事務所の取り分とかレコードとか楽曲の使用料に関する印税とかも諸々書いてあるからここに書いてある金額が君の今月分の収入の総和ってわけ」


「見てもいいですか」



茶封筒から三つ折りにされた紙を取り出す。

幸い、ここは個室 他の客に見られる心配もない。


紙を恐る恐る広げ中を確認する。

合計金額をなるたけ見ないように上から順に利益を見ていく。こういう時に商業高校に通っていた知識が役に立つのか、暗算で計算していくことができた。


そして最後、合計金額に達する頃には俺の手は震えていた。



「100万...」


「うん...手、震えてるよ?」


「多分、親父よりも全然稼いでる気が...」


「そっか…だからさっきから神妙な顔をしてるのか」


「一体全体なんでこんな金額に..他の、例えば蒲田さんだったり、今泉さんだったりも同じような収入なんですか」


「いや君だけだよ、そんな稼いでるの」


「なんでですか」



ここまで桁が大きいと逆に怖い、事務所脱税してるんじゃないかって思うほどに恐怖を感じた。



「厳島くんの収入が他よりも多い理由は、まぁ近頃メディアに引っ張りだこってとこもあるかもしれないけど、そのほとんどが印税だよね、明細見てみ?」


「あ、ほんとだ」



給与明細にある『印税(著察権利用料も含む)』という欄だけ全体の70%を占めるほどの金額が記されていた。



「君のレコード初週売上は7万枚その後、徐々に右肩上がりになってその分印税も比例するように上がっていったってわけ」


「でも、蒲田さんとかのほうが全然売上枚数は多いわけじゃないですか」


「それは君が他のアイドルの子らとは決定的に違うことをしているから」


「違うこと...作詞、作曲ですか」


「正解、実はレコードの印税ってのは作った側にケチな部分があってね50%というかなりの取り分をレコード会社に持っていかれ、その他小売店とかプレス会社とかに30%程、作詞作曲者、歌ってる当の本人には1%ずつしかはいらない。だけど君の場合はその3つを全てこなしているわけだからほかの子らよりも収入は大きいっていうカラクリ」


「でもたった1%でこんな収入行きます?」


「著作権使用料ってものがあってね、曲を例えばラジオ番組とか番組とかで流す度に入る利益のことなんだけど、その印税率はかなり甘めになってる」


「どういうことです?」


「レコード会社に50%入るのは変わらないけどその他のほとんどは作詞作曲者に入るってわけ」


「なるほど、つまり歌番組に出演した際に生じる出演料のほかにその著作権使用料も入って来るってわけですね」


「そういうこと、だから君は他のアイドルの子よりも収入が多い」


「...これ、今後も上がる可能性は十分にありますよね」


「そりゃもちろん、レコード発売から一ヶ月なんてまだまだ初動に過ぎないからね、レコードの売上も番組の出演も右肩上がりだからどんどん収入は上がるよ」


「もう両親に合わせる顔がないです…」


「はは、親孝行してやりな」



何かドッと疲れた。深呼吸をしながら再び給与明細を封筒に戻す。



「高校一年生が月に100万稼ぐなんて...」


「その...お金の使い道は自由だけど、決して金銭感覚を狂わせないようにね、私の周りにいた大人もそうだけど お金を持つことで破滅を招いた人間もいる、君は高校生でまだ若い 私は君のような若者にそういった思いはして欲しくないんだよ」


「承知してますよ」



注文していた昼食が届いたところでお金の話は中断となった。俺は運ばれてきた天せいろを眺めながら、100万あればこれが何杯食えるのかという妄想を繰り広げていた。












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