任務完了
「え、そうなのかい、リリア?」
「いや、えーっと、まあできるっちゃできるんにゃけど、あんまり上手じゃにゃいから内緒にしてたにゃよ〜」
リリアはゴン太をキッと睨んだが、ゴン太はするりと視線を外した。
「オッドアイはできる猫が多いさかいな、当てずっぽうや。ええか、黒猫、子猫を見つけたら目くらましをかけるんや。一瞬動きが止められたらそれでええ。そこへメグが光を投げて、にいちゃんが蔦を飛ばせば成功率がグンと上がるやろ」
トゲトゲしいリリアと違い、史人はいたく感心した眼差しをゴン太に向けた。
「確かに、それなら僕もメグちゃんも狙いやすいよ。ありがとう、ゴン太君。リリア、よろしく頼むね」
「わかったにゃ。やるからにはバシバシ決めるにゃよ!」
そうして全ての準備が整い、いよいよリリアが床下に潜る時が来た。
「ええか、メグ、今回はリリアの姿や無うて、リリアの見た景色をそのまんまモニターに映すんやで。その方が史人が狙いやすいやろからな。それと時間無制限ってわけにはいかへんで。せやな、せいぜい持って三十分ってとこやろ。心してかかるんやで」
面白くなさそうなリリアを除いて、メグも史人も真顔で頷いた。
「さあ、始めるで!」
それを合図にリリアが床下に飛び降り、メグは全身にグッと力を込めてリリアの意識との同化を試みた。波長が合えばモニターにリリアの視界が映し出されるはずだ。
ところが、どんなに力んでもメグの脳裏にはなんの映像も浮かばなかった。当然パソコンの画面は暗いままだ。やがて静かに見守っていた人たちの間からヒソヒソと囁く声が漏れて、堪らずメグが目を開けると、リリアの厳しい顔が目に飛び込んできた。
メグにとって、遠視は卒業試験をクリアした得意な魔法のはずだった。できない理由がわからぬまま、メグはもう一度目を閉じ、歯を食いしばって集中しようとした。しかし焦れば焦るほど頭の中は闇に閉ざされた。
「やっぱりできない!」
突然メグが叫んだ。ゴン太が駆け寄る。
「メグ、落ち着くんや」
「無理よ! 何も見えないし、何も感じない! だから無理だって言ったのに!」
メグの両目から大粒の涙がこぼれ、膝から崩折れた。そして周囲のざわめきを遮るように両手で耳を塞いだ。
「メグちゃん」
史人がメグの横に跪きメグの肩にそっと手を添えた。ビクッと体を震わせて史人を見上げたメグは、溢れる涙をどうすることもできないでいた。史人はメグの体を自分の方へ向き直させるとその手を両手で包み込んだ。
「メグちゃん、まずは落ち着こう。ゆっくり深呼吸するんだ。できるかい?」
メグはしゃくり上げながら史人を見つめていたが、こくんと頷いて大きく息を吸い込んだ。
「よし、それでいい。ゆっくり呼吸しながら僕の言う通りにするんだ」
もう一度メグが頷いた。
「じゃあ、軽く目を閉じて。すぐに広い草原が見えてくるよ。すごく良い天気だ。気持ちのいい風が吹いてるからそれを全身で感じてみて。それから今度は足元を見るんだ。そこに苗木とスコップがあるから、それを植えてみてほしい」
言われるまま目を閉じると、すぐにメグの頭の中に三百六十度遮るもののないなだらかな丘陵が広がった。空は青く白い雲が浮かび、草が風にそよぐ爽やかな草原だ。そして史人の言う通り、足元に苗木とスコップが置かれていた。メグは戸惑いつつもスコップを手に取り穴を掘り始めた。間もなく余計なことは何も考えられなくなり、汗が滴るのも構わず無心で掘り進めた。掘った穴に苗木を置いて土をかぶせると、また次の苗木が現れた。メグは夢中で穴を掘り苗木を植え続けた。
やがて夕焼けが空を染める頃、メグは我に返った。天を仰ぐと満天の星が降り注ぎ、夜が明け、雨が降って、木枯らしが吹き荒れ、雪に覆われ、また春になった。早送りのビデオのように目まぐるしく変わる季節の中で、苗木はどんどんと成長し、見る間に大木となって蕾をつけた。
「さあ、次は花を咲かせよう。心を込めて祈るんだ。きれいに咲いたら僕たちにも見せてね」
メグは手を合わせて祈った。すると目の前でひとつの蕾がポンと音を立てて開いた。桜だ。それを合図に絨毯が広がるように一気に蕾がほころび、あっという間に辺り一面が桜色に染まった。
「きれい!」
メグの体から何かが溢れ出し、それと同時にパソコンの画面に満開の桜が映し出され、どよめきが起こった。その声につられてメグが目を開けると、目の前に今まで見ていた景色がそのまま流れていた。
「ほら、できたよ、メグちゃん。もう大丈夫。今の君なら何でもできるよ」
メグの目から熱い涙が吹き出した。
「史人さん、私、思い出せました! ありがとうございます! もう大丈夫です!」
史人が笑顔で頷いた。
「よっしゃ、仕切り直しや。こっからが本番やで」
「次も失敗したら引っ掻くにゃよ!」
「はいっ、頑張りますっ!」
そこからのメグは先程までの姿が嘘のように生き生きと役割をこなした。リリアは次々と子猫を見つけ、メグはその子猫に百発百中で光の玉を当て、史人が瞬時に絡め取ってあっという間に全ての子猫を捕獲した。
「ハァハァ、さすがに少し息が上がったにゃね」
「リリアさん、さっきはすみませんでした」
メグが深々と頭を下げた。
「リリアでいいにゃよ。なかなかうまいことやったにゃね。ま、全部ふみのお陰だけどにゃ」
「はい、本当に史人さんのお陰です。ありがとうございました」
今度は史人の方に向き直って頭を下げると、史人はこの上ない笑顔でメグを讃えた。
「素晴らしい魔法だったよ、メグちゃん。お疲れ様」
それをきっかけに周りの人たちがメグと史人をぐるりと取り囲み、口々に褒めそやした。やんややんやの賞賛の嵐は、なかなか止みそうになかった。
その脇で、リリアがゴン太に向かって顎をしゃくった。そしてそのまま屋根裏の梁へ舞い上がると、ゴン太もその後を追った。
「お前の主はなかなかやるやないか。さっきの魔法は、癒やしを与えて精神的なダメージを回復させつつ、同時に自信も取り戻させるっちゅう高等テクニックやな」
「このリリア様が仕える方にゃよ、あたりまえにゃ。あの高度な魔法を誰にも習わずできるんだから、ふみはほんとにすごい魔法使いにゃ。それにしても……」
リリアは梁に寝そべったゴン太のだらしない腹をまじまじと見つめながら言った。
「あんたはあたしが聞いてたのと随分違うにゃね」
今度はゴン太がリリアを穴の開くほど見つめた。
「やっぱり。お前はラスチェーニエのところの孫やな。オッドアイを見た時、嫌な予感がしたんや。うるさそうなとこが婆さんそっくりや」
「美しいところがそっくりの間違いにゃね。それと、ゴン太って、そのふざけた名前は何にゃ?」
「名前に関しては、多少リサーチの失敗があったけども、それなりに気に入っとるで」
「じゃあ、その喋り方は?」
「これはお笑いのビデオで日本語覚えたさかいこうなったんや」
「にゃにを今さら。日本語なら知ってるくせに」
ゴン太が真顔になった。
「何が言いたい?」
「そんにゃに怖い顔をするにゃよ。あんまり婆さまから聞いた話と違うから言ってみただけにゃ。ところで、これからメグをどうするつもりにゃ」
「どうもこうも、わしはバディやさかいサポートするんが仕事や」
「ほんとにそれだけにゃか?」
「どういう意味だ。お前は何を知ってる?」
「何も知らないにゃよ。それに婆さまもあたしも今さらあんたと争う気はないし、そんな時代でもないにゃ」
ゴン太は体を起こすとリリアの顔を覗き込んだ。
「何を聞いているか知らんが、俺はただの老いぼれで、小遣い稼ぎのためにここにいるだけだ。ただ俺は少々気が短い。怒らせるようなマネはするなよ」
「お〜、こわっ。ゴン爺さんがマジになったにゃよ。わかったわかった、せいぜいメグと仲良くさせてもらうにゃよ〜」
そう言い残すと、リリアはまだ興奮冷めやらぬ人々の輪の中へ下りていった。残されたゴン太は苦虫を噛み潰したような顔でそれを見送った。
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