霊能カノジョはフィジカル思考

世楽 八九郎

持ち帰り片して幽霊に驚き太腿ムチムチして休日終わった。

「みっくん、やーい」

「うん?」


 俺を呼ぶカノジョの声にキーボードを叩く手を止めて振り返る。

 目の前のモニターと袖机に設置されたプリンター、踏み場の少ない床と酒瓶。それから視界の先に現れたベッドの上でパタパタと宙を掻く二本の脚。


「どうした、ゆう?」

「んー」


 用件を尋ねると気の抜けた返事が返ってくる。実家のオス猫だってエサをねだるときはもう少し甘えた声を出す。などど思っていると耳元で音ともつかない音が鳴り耳殻じかくを撫でた。

 左手を背後へ伸ばすと、すかさず空のグラスが手に収められた。手の甲をタップする仕草の言わんとするところは『ありがとう』ではなく『早くしろ』だ。

 椅子にかけたまま右手で床の酒瓶を拾い上げ開封してグラスへ注ぐ。頻繁に酒注ぎ要請されるのは困るが、ベッドでこぼされるのはもっと困るのでこれくらいで止めにしよう。


「はいよ。お待たせ」

「しましたー」


 椅子を旋回させながら右腕をゆっくり伸ばすと、真後ろのベッドでくつろぐカノジョがグラスを掻っ攫う。

 それだけ俊敏に動けるのに怠惰を謳歌しようという姿勢は猫そのものだ。とはいえ、椅子から全く離れず対応している自分も随分とものぐさだ。そんなことを思いながら外しかけた視線をカノジョの方へとやった。


「……ときに、みっくんよ」

「今度はなに?」

「尻ばかり見つめるでない」

「……左旋かーいっ」

「スケベめ」

「違いますー、配置の問題ですー、手狭ですいませーん」


 やんやんと尻を左右に振ってみせるカノジョを放置して画面に向き直る。

 この姿勢だと相手の顔よりもお尻に目が行くのは事実だ。でも、ちゃうねん。



 § §



「……よしっ! 持ち帰り、完了……っと!」

「…………」


 ファイルが閉じ終わったことを確認して背伸びする。デスクチェアが僅かに軋み声を上げると同時に肩甲骨の辺りがパキパキと鳴った。これで買い物と洗濯物の取り込みを済ませれば、あとは休日を謳歌するだけだ。


 カリカリカリカリ


 そんな感慨にふける俺の背後から硬質な不快音が鳴り始めた。恨めしさの籠もった忙しない音の正体はゆうが椅子の背を引っ掻く音だ。朝からひたすら横臥したまま酒を呷り、カレシに寝酒を注がせてなお募る恨み辛みとは何処から湧き出るのだろうか。


「どうしたんだい、須佐野夕利すさの ゆうりさんや?」

「先月の中程から申し上げていることなのですがね。み、く、り、や、さん?」

「あー、はいはいはい。ご提案いただいているぅ、引っ越しの件でしょうか?」

「はいはい言って営業口調にならないでください、尚和なおかずくーん」


 くそ、やっぱりそれだったか。この賃貸は色々と問題ありだが賃貸は安いし、会社から近いんだ。賃料は夕利と折半するとしても、物件があまりないこの界隈で部屋探しするのは大変なんだよ。

 などと思っていると夕利はいつもの調子の少し中性的な声で語りかけてきた。


「いいじゃないか、みっくん。ありのままを会社に伝えなよ? カノジョができました。引っ越します。家賃補助お願いしますって」

「更新して一年弱の賃貸をそれで引き払うのは……アリ、か?」

「……なら、みっくん。もっとありのままを会社に伝えなよ?」

「……いや、それこそナシではないでしょうか、須佐野さん?」

「……ホントに?」

「…………」


 不意に音がピタリと止み、急に部屋が冷えた気がしてきた。無音のなか左耳がなにかを捉え、その瞬間首筋が泡立った。

 背後からクククと夕利の笑い声が響く。


「いいじゃないか。幽霊が出るので引っ越します、真っ当な理由だと思うよ? 実際よく出るし、

「はっ? ぁぁ……ッ⁉」


 夕利の方へ振り返ろうとして見ないようにしていた窓際へ視線を向けてしまった。

 そこにソイツはいた。

 深い青色に半透明の色合いはゼリーのようだが、その姿はひたすらに悍ましい。

 苦悶の表情とか細いうめき声。

 落ち窪んだ眼窩がんかあごが外れてしまったような口内には何も入っておらず骨と皮で出来た人間の出来損ないのようだ。それでいて生前の面影を感じられることが心底気持ちが悪い。

 まるで目の前でその人を捻じりあげて作った臓腑ぞうふの塊と絞りカスを投げつけられたような感覚に胸のむかつきが止まらない。


 ァ、ァア、アアア、アッ、アァ……!


 反射的に避けようとするこちらに見向きもせずにソイツは歩くよりもゆっくりとした速度で空中を漂い進む。窓ガラスをすり抜け部屋に侵入するとそのまま真っすぐに進行を続ける。


「都度そんなに驚くなら普通引っ越すと思うけどな。おかしいね、みっくんは」

 

 異形の侵入者に物怖じせずクスクスと夕利が笑う。こっちは笑い事じゃないというのに悪いカノジョだ。


「半分くらいは……ゆうのせいじゃ、ないのかな? この状況は?」

「ええ~? それを言うかな、普通? それよりさぁ、みっくん?」


 ベッドからこちらを見上げる夕利と目が合う。綺麗に通った鼻筋、ぷりっとした唇を歪ませたニヤけた笑み。大きな瞳は挑発的な光を宿していた。

 見つめ合う俺たちを尻目に一般通過浮遊霊は部屋の出口を目指してふよふよと空中を進んでいく。


「この部屋を移りたくないのは元カノとの想い出とかがあるから、かな?」

「……いや?」

「…………」


 夕利の瞳孔が開き切ったような気がしたが真偽は定かではない。突然ベッドの上の彼女が跳びはねたのだ。ポルターガイストもかくやの謎の跳躍を見せた夕利だがその回転から鞭打つような蹴りが繰り出される。刹那、彼女の蹴りに刈り取られ幽霊の身体が砕け、その破片が熱のない炎に炙られ霧散していった。


「……除霊、完了」


 常人には触れることの叶わない異常の存在を捉え、破壊し滅してみせた彼女はしかしベッドに着地するとそのまま寝そべり、ふくれっ面で俺を睨んできた。色んな意味で可愛くない。いや、顔立ちは間違いなく可愛いんだが、二十歳過ぎでこの調子はいかがなものか。そう思いながらも俺は御機嫌取りに夕利の頭を撫でながら礼を口にするのだった。


「ありがとう。ゆう」

「うん、どういたしまして」



 § §



「やっぱり引っ越しするべきだよ、みっくん。それが嫌なら筋トレをしよう」

「筋肉付けたところで俺には除霊は出来ねぇよ……」

「恐れる心を御することは出来るようになる。精神の問題の大半は存外肉体の不調に由来する。そして肉体の問題はびっくりするくらい……」

「……筋肉で解決できる」

「それだよ、みっくん!」


 耳にタコが出来るくらい聞かされた台詞を俺が引き継ぐと夕利はガバリと起き上がってこちらを指さした。外でそうやって他人様を指さしていないか心配だ。いや、フィットネスジムっていうのはこういうノリなのかもしれない。一昔前に流行った軍隊式のフィットネスプログラムの映像が脳裏によぎった。アレは我が家では現役だ。夕利がテレビのなかの軍曹と掛け合いをする姿にはいまだに慣れない。

 霊能者でありながら夕利が信奉するのはフィジカル、もっと言えば筋肉だ。幽霊の類を当たり前に視認できる彼女はしかしジムのトレーナーとして市井の暮らしに根を降ろしているのだった。


「みっくん、ウチのジムに入会しなよ! キャンペーン入会がお得だよ!」

「遠慮する……」

「なんでさ⁉」


 いまにもスクワットでも始めそうな勢いの夕利を制止する。僅かにでも頷いてしまえば、ちょうどタンクトップに短パンという格好の彼女による筋肉プログラムが構築され始めてしまう。ただでさえ基礎代謝が高い彼女の熱量カロリーが跳ね上がる瞬間を想像すると恐ろしい。

 筋肉の信奉者だけあって夕利の身体つきはそれは見事なものだ。隈なく絞られていて無駄を感じさせず、高い密度の筋肉は呼吸の繰り返しだけでも熱と生気を発しているようにさえ見えてくる。肌艶は滑らかで張りがあり、関節や女性的な曲線は色っぽい光が宿っている。健康的に磨かれたその肉体は高いレベルで完成されている。シンプルで綺麗だ。


「もう、釣れないな。運動不足は自覚してるでしょう?」

「まあ、それは……」


 ちぇ、と漏らしてから夕利はグラスを呷った。その綺麗な脚に視線が吸い込まれる。先程幽霊を刈り取った異能を宿した肉体。その神聖な業と不釣り合いにも思える彼女の仕草は俺を感情の迷路に誘い込む。


「…………」

「……みっくん?」


 漠然とした不安と焦りが胸の内が染み出て広がり始める。夕利を見つめるほどにその染みは大きく深くなっていくのに目が離せない。このままではいけないと思っていると、おもむろに彼女の両手が腿へと伸びてきた。


「しょ~がないな~、みっくんは」

「……えっ?」


 無言の俺の視線をどう受け止めたのか。夕利はニヤけ面で豪快にパンツのボタンを外しジッパーを降ろしだした。


「みっくんはパーソナルレッスンをご希望なんだね。さっきから尻や腿をやたら見てるし……」

「…………」


 しゅるりと片脚を外すと、夕利はホットパンツを太腿とふくらはぎの辺りでくるくる回しながら宙を軽くキックして、それを俺に投げつけてきた。本人はセクシーで映画的な仕草のつもりなのだろう、世間知らずめ。

 生温かいパンツを慣れた手つきで折り畳む頃にはさっきまでの感情はすっかり色あせてしまった。酔うと服を脱ぎ散らかすのは夕利の悪い癖だ。

 ベッドから降りた立った夕利は空のグラスを振って見せてから机に置き、そのまま腕をこちらに絡ませキスしてきた。椅子が軋み抗議の声を上げる。


「ん? んん……⁉」

「……おすそ分け」


 キスは文字通り酒の味で刺激的だった。やられた。そういう演出はまだ続いていたか。色々と言いたいことはあるけど安酒の味と夕利の匂いで頭がくらくらする。


「みっくん……パーソナルレッスン、しないの?」


 夕利は直立状態で太腿を両の手で外側から持ち上げてみせる。張り艶のある左右の腿のお肉がせり上がり、内腿をしっとりとムチムチ鳴らした。

 

 結局、このあと滅茶苦茶ムチムチした。

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