夜の街を駆ける
午後のミズ
夜の街を駆ける 前編
公園のベンチに座り、温まろうと買った缶コーヒーを新しく買ってもらったコートのポケットに入れてボーっと空を眺めた。牡丹雪が降っている。12月も半ばになり比較的南に位置する私の住む街でもとうとう雪が降り始めた。
「ふぅ……」
息を吐くと最近の鬱屈とした気持ちが白くなって空へと消えていく。
コツン
何かが足に当たった。見ると水色のゴムボールだった。公園で遊んでいた男の子がこちらへ走って来る。
「すみませーん、ボール取って下さい」
私はボールを拾い上げて男の子へと差し出す。
「ありがとう、お姉ちゃん」
男の子はボールを受け取ると友達の所へと戻っていく。
私、お姉ちゃんじゃないんだけどな……。
お姉ちゃんと言われるのにも無理はない。私の見た目は女性に見えるだろう。見た目が女性なら中身は女性とも限らないのだけど、あの男の子にはまだちょっと早いか。
「どうしようかなー」
夜の仕事の時間までやることがない。いつもは街をぶらついているんだけど、今月は早くも金欠になり始めているため遊びにも行かずに公園で暇をつぶしている。
飲み終わった缶の飲み口を噛みながら夜までどうしようか考えていると、
「ねえ、お姉さん? 今暇? 俺と遊びに行かない?」
いかにもな口説き文句で若いチャラ男が後ろから話しかけてきた。
振り返って一瞬息をのむ。
「っ!」
声を掛けてきた奴は同じ大学のチャラ男とその取り巻きだった。
「ご、ごめんなさい。待ち合わせしてるので……」
できるだけ声を高くして、顔を下に向けてなんとかバレないようにする。直接的な面識はないが少なからず大学内で顔を見られているだろうからこんな女装趣味みたいなことはバレないようにしないと。
「そんなこと言ってー、遊ぼうぜー」
取り巻きも「かわいそうだろー」とか言って茶化している。
クッソー、どうしようか。走って逃げようかな。と思い始めると、
「おーい、美雪ちゃんだよね?」
スーツを着たおじさんが近づいてきて声を掛けてきた。チャラ男達はおじさんが来たことに一瞬ギョッとしてから、舌打ちをして去っていった。
「助かりましたー。ありがとうございます。岩倉さん」
「いやー、偶然公園の前を通りかかったら美幸ちゃんが男の子達に絡まれてるの見つけちゃって困ってるみたいだったから」
おじさんは少し嬉しそうにして言った。岩倉さんはいつも私のことを指名してくれるおじさんだ。よくしてくれるのでおじさんだけど嫌いではない。
「じゃあ、仕事あるから、また今度」
そう言って岩倉さんは去っていった。
その後は知り合いのいなさそうな所をぶらぶらして気づいたら夜になっていた。
夜7時
「おつかれさまでーす」
私の勤める店の裏口から控室の扉を開け、いつも通りに挨拶をする。
「おつかれー」「おーっす」
私と同じような美形な青年達が女装をして、各々、好きなことをしていた。
同じ店の仲間でもあり、お客さんを取り合うライバルでもある。私はそこまで人気でもないし、シビアに考えてはいないが何人かは指名数を気にしていたりする奴もいる。
「あれ? ミカは?」
私と仲のいいミカがいない。
リーダー的な存在のレイラさんが返事をした。レイラさんは黒髪のロングで如何にも清楚そうな見た目をしていて人気も高い。
「ミカなら昨日で辞めたよ」
レイラさんはなんでもないかのように言う。この業界では人が辞めることなんて茶飯事だが、私と同じく何人かレイラさんの方を見る娘もいる。
私はしばらく休みだったからミカとは会っていないし、何も聞かされていない。
「どうしてですか?」
「さあ……」
興味ないとでも言うように首を少し傾けて言う。この人はそういう人だ。他人への興味などまるでなく、自分の道をストイックに突き詰めていく。だからこそ美しい。
「そうですか……。わかりました。自分で連絡とってみます」
手近な椅子に座り、メッセージアプリでミカに連絡を取ろうとするがいくら探してもない。アカウントが消えている……。
この業界に関わっていた証拠や記憶を残しておきたくないと、完全に断ち切ってしまったようだ。こうなってしまってはどうしようもない。面倒なしがらみは必要ないと考えるのは私も同じだ。
しばらくすると待機室にいた娘たちは次々に指名されていく。
その日も私の指名はなかった……。
「はぁ~」
私は終電少し前の電車に乗り込み溜息を吐いた。
最近は何もうまくいかない。家に帰るのが嫌だ。仕事もうまくいかない。そして今日、人間関係もうまくいかなくなった。
終電間際の電車内は人がまばらだ。同業者、酔ったサラリーマン、学生、普通の人。この中に幸せで、現実が充実している人はいるのだろうか? 深夜にフラフラしている時点で幸せではないのかもしれない。分からないが、幸せは主観で決まるのだから。少なくとも自分はそう思った。自分を含めて。
家の最寄り駅で降り、自宅へと向かう。私は実家暮らしで、会社員の父と専業主婦の母、高校生の妹と同居している。家に帰ると現実が待っている。親がいるということ、大学生だということ、子だということ。そして、男だということ。それらを演じなければならない。
時間は深夜0時を過ぎている。もうみんな寝ているといいのだが……。
家の扉を開けると廊下にリビングの明かりが漏れている。誰か起きているのだろうか。
ゆっくり静かに玄関の扉を閉め、廊下を歩き、リビングの扉へと手を掛け開ける。
リビングには父と母がいた。父はソファーで新聞を読んでいる。母は台所にいた。
「おかえり」
母は私がリビングに入るのを見て言った。父は私のことを一瞥しただけだった。
「ただいま」
私は少し俯いて言う。私は扉の前でただ立っている。
「晩御飯は食べてきたの?」
「まだ……」
母は私のことをよく心配した様子で聞いてきた。私のことが心配なんだろう。女装をし始めた時も、なにか悩み事でもあるのかと聞いてくれて、無理にやめさせようとはしなかった。対して父は――
「
私の方を見て言った。口癖のようなもので、私が女装をしていることを恥だと思っているようだ。このことでしょっちゅう説教をされる。だが、女装を辞めるつもりはない。私はそのせいで家にいるのが嫌なのだ。
まだ父は続ける。
「どうしてお前は辞めないんだ。身体も心も男なんだろ? それなのに何故女の格好をするんだ? 俺にはそんなことやっている意味が分からない」
怒気と呆れの混ざった父の声だけがリビングに響く。母は悲痛な面持ちで固まっている。私はもう何も言えない。言いたくない。反論しても聞く耳など持ってくれないのだから。
何も言わずリビングの扉を閉め、二階の自室へと向かう。自室にはクローゼット、ベット、本棚、勉強机、姿見の鏡があり、床は服が山となり、机の上は化粧道具などで散らかっている。男子大学生の部屋とは到底言えない部屋になっていた。
床に鞄を投げ出し、コートを床に捨て、ベットへと倒れ込む。
もう何もうまくいかない。
あの日から私の人生の歯車は狂ってしまった。
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