【心】
とうとうこのコラムも、今回で最終回である。
以前、筆者による前書きはもう行わないと述べていたが、今回ばかりはさすがに書かざるを得ない。13回にも渡る取材の末にとうとう辿り着いた、最終回なのだから。
筆者はこれまで、数々の批判を受けてきた。
無理もない。人殺し、連続殺人鬼、精神病質者、社会病質者、サイコパスの言葉を、頼まれてもいないのに世間に届けてきたのだから。
だが、炎上に炎上を重ね、増えていく批判や中傷の声の中には、こんな声援も混じっていた。
”大変興味深い”、”彼らの事をよく知るきっかけになった”、”今まで彼らに対して誤解していたが、それが解けた”、”犯罪心理学を学ぶ上で、参考になる”。
多くの方々が不快に思っていたこのコラムにも、支持者はいたのである。
ライターとして、こんなにも光栄なことがあろうか。このコラムを、熱心に読んでくれている読者が少数ながらも存在したのだ。
上記の声は一部の抜粋に過ぎない。炎上人気と言われればそれまでだが、事実としてこのコラムは最終回まで行きつくほど、読者を獲得しているのだから。
ここまで読んで頂いた読者諸君に、感謝の念を申し上げる。
あなた方のおかげで、筆者はここまでやって来られた。
長い前置きはそろそろやめて、最後のサイコパス、13人目のサイコパスの紹介に入ろう。
13人目に紹介するサイコパスは、この男である。
このふざけた名前に、聞き覚えのある読者は恐らくいないだろう。だが、知る人ぞ知るこの男の悪行は、日本史上、いや、世界史上でも類を見ないものだ。
判明しているだけの犯罪歴を書き連ねよう。
・累計、約1000件にも及ぶ殺人罪と死体遺棄罪。
・94件の強盗殺人。
・57件の強盗強姦罪。
・351件の死体損壊罪。
・69件の誘拐罪。
・2度に及ぶ脱獄。
またしてもふざけているのかと思われそうな犯罪歴だが、これは紛れもなく現実に起こった事実である。
なぜ、この天道万事という男が世間に名を知られずに、これほどまでの罪を犯してこれたのか?
それは、彼が最強最悪のサイコパスであると同時に、一級品の殺人者だからである。
その殺人の手口は、悍ましいものであると同時に、実に鮮やかで手際よく、周到に練られたものだった。もしオリンピックに殺人という競技が存在していたとするならば、天道万事は間違いなく金メダルを手にするだろう。
こう表現したところで理解が追い付かないだろうか。では、天道万事とは、一体どういった存在なのか?それを明らかにしていこう。
日本が新世紀に突入し、二千円札が発行され、日本人史上2人目のノーベル化学賞受賞者が誕生した年の頃の事。
その悪夢は、
被害者は
その奇妙な痕跡とは、遺体の腹部に印されていた傷跡だった。それは防御創などではなく、意味不明な英語と数字の羅列を模した切り傷が、まるで魔法陣を描くように円形に残されていたのである。
傷跡は胸に突き立てられたナイフによって、生前付けられたものだと断定された。つまり、犯人は生きたまま、被害者の腹部に傷を付けたということである。
だが、奇妙なことに、遺体の顔は安らかな笑みを浮かべていた。
警察はその残忍な手口から、新興宗教などの何らかの組織が絡んだ犯罪だと睨み、その線で捜査を進めた。
しかし、遺体はおろか、ボートや湖畔周辺の地面に至るまで、一切の物的証拠が見つからなかった。それどころか、近辺をうろつく車や人間の目撃情報すら、得られなかったのである。
”まるで霧が彼女を殺した様だった”。
これは、当時の警察関係者がメディアの取材時に語った文言の抜粋である。
この一節が後に、この事件による犯人の俗称になると、誰が予想できただろうか。
その後、捜査が進展を見せないまま、2週間が経過したある日、警察関係者が驚愕する出来事が起こる。
佐間湖に再び死体が乗せられたボートが浮かんだのである。
2人目の遺体は
だが、1人目の遺体と唯一違う点があった。
それは、腹部の傷跡だった。生きたまま付けられた傷という点は同じだったが、今度は英数字の羅列ではなく、円形の奇妙な模様が、皮膚を剥ぎ取られて付けられていたのである。
それは、真円の中心に沿って伸びる幅2㎝ほどの線に幾つかの突起が付けられている、まるで丸い迷路図のような模様だった。
警察は最初の事件から僅か2週間後に2人目の犠牲者を出した挑発的な犯人に激昂し、捜査態勢を拡大したが、やはりひとつの物的証拠も目撃情報も上げられなかった。
”霧のように消えた殺人犯”。
メディアは犯人をこう呼称した。
警察は滞っていた捜査に焦りを感じていた。このままでは、再び犯人による挑発を受け、犠牲者が出てしまうのではないか。捜査に当たっていた警察関係者の全員がそれを危惧していた。警察は3度目の失態を防ぐ為、佐間湖周辺に人員を配置し、湖畔の警備に尽力して犠牲者を増やさないように努めた。
だが、犯人がとった行動は、そんな警察の努力を踏みにじり、嘲笑うようなものだった。
3人目の犠牲者は、
驚くことに、犯人は警察がうろつき、警戒区域と化していた佐間湖で、大胆にも警備に当たっていた警官を襲ったのである。
湖畔の水辺に寝かせられていた遺体には、やはり心臓に同じナイフが突き立てられていた。だが、遺体の顔は今までと違い、苦痛に歪んでいたという。
そして、腹部には模様ではなく、英単語が刻まれていた。
”SEETHROUGH”。
See through.
透かして見ろ。犯人からのメッセージだった。それを受け、1人の警察関係者がとあることに気が付いた。
犠牲者2人の腹部に刻まれた傷を紙に書き出し、透かして見ると、名倉茉莉に付けられていた円形の模様が、林田杏の腹部に刻まれていた、でたらめな英数字の羅列を覆い隠し、意味ある英文として解読可能になったのである。
”WASIDOUCITYSAMATOWN1-66”
鷲東市佐間町1-66。とある施設の住所だった。
まるで不出来な推理小説に出てくるような暗号を、犯人はわざと遺体に傷として残していたのである。
警察は半信半疑ながらも、その住所が示す施設に赴いた。暗号が示していた場所は、佐間市の郊外にある廃工場だった。
ひび割れたアスファルトから草が伸び放題になっていた敷地に入り、窓ガラスが割れた工場内部に踏み込んだ警察は、内部にてとある物を発見した。
それは、直径が3m、高さが6mほどもある大型の潤滑油タンクだった。錆びついていたそのバルブから、嗅いだこともない異様な臭いが漏れ出ていたことに気が付いた警官の1人が、よじ登って上部の開口を開けた瞬間、凄まじい臭気が工場内部に充満した。
なんと、内部に何十体もの死体がパンパンに詰め込まれていたのである。
タンクを開けた警官は凄まじい臭気にあてられ、その場で気を失った。廃工場は、あっという間に殺人事件の死体遺棄現場に変貌し、大勢の警官が押し寄せる事態になった。
警察は遺体の回収に当たる警官にガスマスクを支給し、タンク内部に詰め込まれていた死体群の引き揚げを行った。その作業は、難航を極めるものとなった。
大型のタンク内部に缶詰のように詰め込まれていた死体は、上部に重なっていたものほど腐敗しておらず、引き揚げも容易だったが、下層になればなるほど原型を留めていなかった。特に、タンクの高さの3分の1以下の層に溜まっていた死体は、腐敗に腐敗を重ね、スープと化していたのである。
液状化した死体は死体袋ではなく、衣類を元に大まかにひとりひとり推測され、ポリバケツへと掬い上げられていった。
回収作業に当たった警官の中には、あまりに凄惨な光景に、その場で辞職を申し出た者もいたという。
無理もない。正にそれは地獄と呼ぶにふさわしい光景だっただろう。
困難を極めた回収作業の果てに、警察は42体にも及ぶ死体をタンクから引き揚げた。原型を留めていた死体も、液状化していた死体も、警察は苦労の末、時間をかけて身元を特定した。
そのほとんどが、東日本の各地で行方不明になっていた人間だった。数人の身元不明な人間を除くと、ほとんどが消息不明になっていた行方不明者だったのである。
警察は困惑に困惑を重ねていた。3人の犠牲者を出した殺人事件を追っていたはずが、暗号めいたメッセージにおびき寄せられ、いつの間に大量の行方不明者の死体を発見したのである。無理もないだろう。
捜査の規模は市警を越え、県警を越えた。各地から出た犠牲者に捜査は混乱し、いつの間にか東日本一帯の警察を揺るがす規模になった。
”霧のように消えた殺人犯”。その存在は、まるで底知れぬ闇のようだった。最早、3人を殺害した連続殺人犯などという肩書など、消え失せていた。
犯人は一体何者なのか?当時、警察関係者は、困惑とも畏怖ともとれる感情を胸中に秘めていたという。
あまりに拡大した規模と、今までにない異様な犠牲者の数を考慮してか、警察は廃工場の件以降は、一連の事件の情報を伏せて捜査を続けた。
そして、ようやく一片の手掛かりを掴むことに成功した。
死体詰めのタンクが発見された廃工場の敷地内に、比較的新しいタイヤ痕を見つけたのである。その一角の地面はアスファルト塗装が剥がれており、そこに土が滞留していた為、敷地内で唯一タイヤ痕を検出することができた。
警察はようやく掴んだ手掛かりに歓喜し、捜査を続行した。そして、1人の人物が重要参考人として浮かび上がった。
警察は小畑博守に任意同行を持ちかけようと、見かけ上は2人だけの警官を装って接触を試みることにした。もし小畑博守が犯人だった場合を考慮して、自宅のすぐそばにある駐車場には大勢の警官を覆面パトカーに待機させていたという。
だが、いざ2人の警官が小畑家のインターホンを鳴らしても、反応はなかった。例の車両が車庫に停まっているのを見るにつけ、外出している可能性は低い。居留守を使っていると思い、警官の1人がドアを叩くと、なんと鍵が開いたままになっていた。
ここまで大勢の警官を動員しているのだから、引き下がるわけにもいかないと、警官2人は中へと踏み込んだ。
小畑博守は、確かに外出してはいなかった。だが、とてもその姿は、来客を応対できるようなものではなかった。
自室にて殺害されていたからである。
明らかに自殺ではなく、他殺だということは明らかだった。だが自室は、一体どういう殺し方をしたらこうなるのかと、疑問に思うほどの惨状だった。
小畑博守は、自室の部屋中に臓物を撒き散らして殺害されていたのである。
自室の中央に横たわっていた死体には、ほとんど目や舌、内臓、性器に至るまで、全ての臓器が毟り取られていた。それらはまるで破裂でもしたかのように細切れになって、壁や床に張り付いていた。
悍ましい光景に警官2人は思わず吐き気を催したが、内1名がさらに悍ましい事実に気が付いた。
壁の血が、渇いておらずに滴っていたのである。つまり、殺害されて間もないという事だった。恐らくは数時間の内に。
警察はすぐさま待機していた警官らに連絡を取り、周辺の捜索を開始した。まだ、近辺をうろついている可能性は高い。目の前に迫る挑発的な犯人に、警官たちは躍起になって捜索を開始した。
だが、それも不発に終わった。周辺一帯に警官を複数待機させていたにも関らず、不審人物の目撃情報や凶器等の物的証拠を見つけられなかったのである。
警察はまたしても、犯人に翻弄されるがまま、なす術無く弄ばれたかに見えた。
だが、当時捜査に当たっていた熟練の刑事、
熟練の刑事だった玉田は、殺害後間もない死体を目の前にして、とある考えが頭に浮かんでいた。
もしや、犯人は周辺ではなく、この家の中に潜んでいるのではないか?
最初に尋ねた警官2名は家の中を簡易的に捜索していたものの、細部まで徹底的に調べたわけではない。民家など、隠れようと思えばいくらでも人間の隠れるスペースが存在する。
玉田は自身の直感を信じ、応援にやってきた3名の警官が来訪すると同時に、改めて家の内部をくまなく捜索した。
床下に続く収納庫には人が入った形跡はなかった。となると、後はひとつしかない。天井裏の天袋である。
殺害現場の小畑博守の自室に併設されていたクローゼットに、天井裏に入る為の点検口を発見した玉田は、警官らを下に待機させた。そのうえで、自身が点検口から天井裏を検めることにした。
専用の金具で点検口を開け、よじ登って懐中電灯で照らした先にあったものは、直立すれば天井に頭が届くほどの天井高しかない隠し部屋だった。物置に使っていたのか、古めかしいダンボール箱が辺りに散らばっていた。
そして、その中央に、椅子に腰かけているらしき人影を発見した。
玉田は慌てて拳銃を取り出して構え、懐中電灯で照らしながら近付いて行った。呼びかけても、人影は一切返事をしなかった。
足元を照らすと、血まみれのレインコートがきちんと畳まれて置かれていた。足にはスリッパを履き、黒いズボンに黒いシャツ、黒いニット帽を身に着けたその人影はどうやら男のようだった。足を組み、膝の上に手を置いて、くつろいでいるかの様に座っている。
「・・・お前を小畑博守殺害の容疑で逮捕する!」
犯人と思しき男を目の前に、玉田は威嚇する様に凄んだが、当の人物からは、それを気にも留めていないような返事が返ってきた。
「・・やあ、見つかるとは思ってなかったよ。君たち、ヒントをたくさんあげたのに、僕を見つけられなかったからね。だから、こうしてサービス問題を出して、潜んでいてあげたんだよ」
男は微笑みを湛えながら、玉田に抵抗することなく、逮捕された。
謎が謎を呼んだ殺人事件が、ようやく幕を下ろしたかに見えた。
だが、男が警察にもたらしたのは、捜査の終焉や安堵ではなく、新たな悪夢の始まりだった。
逮捕後、鷲東警察署にて取り調べが行われたが、男は自身を”天道万事”と名乗る以外には、一切の供述をしなかった。無個性で中性的な顔立ちをした男は、どんな質問に対しても、穏やかに笑うばかりであり、強面の刑事が、いかに強い語気で迫ろうと、眉一つ動かさなかった。
警察は困惑しながらも、名前だけを頼りに男の身元を明らかにしようとしたが、驚くことに”天道万事”という名の人間は、日本に存在していなかった。
DNAや指紋が登録されている犯罪記録はおろか、戸籍すら見つけられなかったのである。
偽名を使っているのかと、警察は再度尋問に近い形で取り調べを行ったが、男はケロリとして動じず、やはり名前以外には何の情報も話さなかった。
その後も男の記録をありとあらゆる手段で調べたが、まるで存在していないかのように、男の情報は得られなかった。どこから来たのか、何者なのか、年齢すら、一切が謎のままに終わった。
結果として、唯一得られた本名とも分からない”天道万事”という名前が、男を指す名目となった。
天道万事は、警察が自身の背景について明らかにできないと悟るや否や、淡々と供述を開始した。
まずは最初の犠牲者、林田杏についてだった。
鷲東市内の喫茶店にて、偶然隣の席に居合わせた林田杏に天道万事は声をかけた。
「すいません、少し聞きたいことがあるのですが」
その後、会話を続けて彼女を説き伏せ、死んでもらいたいという自身の願いを聞き入れてもらい、腹部に傷を付けさせて佐間湖の湖畔にて殺害し、ボートを浮かべて湖に放ったという。
天道万事は続けて、名倉茉莉についても供述した。
鷲東市のショッピングモールの駐車場にて、荷物を落としたのに気が付かずに歩いていた名倉茉莉に、天道万事は声をかけた。
「すいません。これ、落とされましたよ」
その後、名倉茉莉に自宅へと案内してもらい、一夜を共にして彼女を同じように説き伏せ、朝方佐間湖に赴いて腹部に傷を付けさせ、殺害してからボートに寝かせて、湖に放ったという。
取り調べに当たっていた警官は、ふざけているのかと怒鳴り散らしたが、天道万事は飄々とした態度でこう言った。
「僕がお願いすると、みんな言うことを聞いてくれるんだよ」
その他にも、天道万事は使った凶器の購入先や足取り、犯行時の動向、手口など、事細かに供述を行った。
それらは、会って間もない者を説き伏せて死んでもらった、という馬鹿げた供述とは裏腹に、正確無比なものだった。
「信じられないのなら、ボートの船着き場の近くにある二股のモミジの木を調べてみなよ。2人目の子に、練習で同じ模様を半分書かせたんだ。あの子、その手前の藪で服を引っ掛けてたから、その繊維も見つかるんじゃないかなあ」
警察は半信半疑ながらも、佐間湖に赴いて調べると、確かに船着き場の近くに生えていたモミジの木の幹に、腹部に似た模様の傷が不格好に付けられていた。その手前のヤマツツジの枝からは、名倉茉莉が身に着けていたセーターの繊維が検出された。
その他にも、通ったという湖畔近辺の地面からは、落ち葉に隠れていた足跡が見つかり、車を停めていたという山道の脇道から、廃工場と同じタイヤ痕が見つかった。
天道万事の供述の真偽は、恐ろしいほど正確に一致していた状況によって事実だと証明されていった。
「警察の人を殺したのは、君たちがいつまで経っても僕の謎を解いてくれなかったから、しびれを切らしたんだよ。大大大ヒントさ。おかげで、僕に一歩近付いたでしょう?」
「どうしてあんなことをしたかって・・・、ふふ。実は、一回ああいうのやってみたかったんだよね。暗号謎解きなんて、ミステリードラマみたいで楽しかったでしょ?結果として、僕が手加減してあげたんだけど」
天道万事の自供は続いた。
「僕はあの日、車を借りていたおじさんに頼んだんだよ。もうすぐここに警察が来るから、どこか隠れ場所を教えてよって。おじさんはニコニコしながら教えてくれたよ。君みたいな子に殺されるのなら、悔いはないって言ってくれてさ。まあ、本当は僕の身体が目当てだったんだろうけどね、ふふ」
「おじさんをバラバラにしてから、一息ついて隠れたんだ。結構大変だったんだよ。素手で人間を細切れにするのって。車を貸してくれた恩があるから、ちゃんと僕の手で殺してあげないと悪いかなって思ってさ」
「刑事さんがやっと僕を見つけてくれたから、隠れた甲斐があったってものだね」
最早、供述に疑う余地はなかった。
小畑博守の遺体の司法解剖に当たった医師は、今までにない奇妙な痕跡に戸惑っていた。なぜ、内臓や皮膚が引きちぎったかのように捻じり切れているのか。
答えは単純そのものだった。実際に、凄まじい力によって腹部が捻じり壊されていたのだから。
警察は、天道万事の供述が正確無比なものだと分かる度に、薄ら寒さを覚えていた。対面してもなお、脳裏に浮かぶのは同じ疑問だった。
この男は、一体何者なのか?
そして、廃工場のタンクに詰め込まれていた大量の死体についての供述が始まると、警察にとっての、本当の悪夢が始まった。
「あのタンクはね、僕の引き出しみたいなものなんだよ」
やはり屈託のない調子で、供述は始まった。
「あの辺りの地方で殺した人はみんな、あのタンクに入れておいたんだ。あの廃工場は丁度良かったんだよね。車で乗り付けられるし、人目に付かないしね」
「ほら、せっかく自分で殺した人達なんだから、取っておきたいでしょ?引き出しにアルバムをしまうみたいにさ」
「なんで殺したかって・・・、そんなの分かんないよ。できたからやっただけだし、やりたかったから、やっただけだよ」
警察は諦め半分に、タンク内部にて保存されていた犠牲者の生前の顔写真を掲示し、ひとりひとりどうやって殺害したのか問いただした。
「ああ、この男の人はね、堤防で釣りをしてたんだ。話しかけたら、近寄るなって言われちゃってさ。酷いなあって思って、首を吊ってもらったんだよ」
「この子は、おつかい中だったんだよね。お父さんに頼まれて、アイスを買いにコンビニに行ってたんだ。話しかけたら、ソーダ味のアイスをくれたんだよ。だから、僕もお礼がしたくて、ジュースをあげたんだ。農薬入りの」
「この女の人は、2人子供がいるって言ってたっけ。それでもパチンコがやめられないって悩んでたから、腕を引きちぎって、やめさせてあげたんだ」
驚くことに、天道万事は全ての犠牲者をどうやって殺したか、完璧に把握していた。それは、犠牲者の服装や殺害方法、凶器、動向、その際の心情に至るまで、正確無比に語られた。
またしても警察は混乱することとなった。行方不明だと思われていた人間が、一挙に大量殺人の犠牲者となり、一件一件が殺人事件として立件されることになったのである。
そのあまりの物量に、事態を重く見た警察は、捜査の凍結を行った。ごく僅かの人員以外には、徹底的に緘口令を敷いて天道万事の存在を姿無き者にしたのである。
理由は正確には不明だが、恐らく警察は自身らが行方不明と断定した人間らが大量に殺人事件の犠牲者として発見された為、威信を保ちたかったのではないだろうか。
これにより、天道万事の存在は表舞台からは見えない、まさしく”霧のように消えた殺人犯”と成り得たのである。
天道万事はその後も粛々と自供を続けたが、取り調べに当たっていた警官らは、皆一様に同じ疑問を抱いていた。
この男に、心はあるのか?
喜怒哀楽の感情はある程度持ち合わせている様だったが、天道万事には決定的に欠けているところがあった。それは、共感性と良心の欠如である。
犠牲者らは老若男女、多岐に渡るが、共通点が一切ない。幸福だった者もいれば、不幸だった者もおり、悪人だった者さえいる。
強いて言うのならば、犠牲者らに共通していることは、日常生活を送っている最中、偶然、天道万事に遭遇してしまったという点だろうか。
まるで、天災に運悪く遭遇してしまったかのように、犠牲者らは殺されていった。
「理由は何回聞かれたって同じだよ。できるからそうしただけだし、やりたかったからやっただけさ。理由なんてないよ。僕には恨みもないし、快楽もないさ」
取り調べ中、天道万事は何度もこの言葉を口にした。最早、心神喪失という定義で測れる問題ではなかった。
天道万事という存在。それは、空虚な悪に他ならなかった。行為に、理念や信念、善意に良心という概念が存在しない、空っぽの人間。正にサイコパスだったのである。
そして、計21人の犠牲者についての自供が終わった頃、天道万事は最悪の行動をとった。
その日はいつものように、数時間にも渡る自供が控えていた朝のことだった。2人の警官が警察署の地下にある留置場に、天道万事を取調室に移動させようと赴いた。
だが、そこに天道万事の姿はなかった。
代わりに、天道万事が勾留されていた檻付きの居室の中には、留置場にて監視に当たっていた看守が、変わり果てた姿でぶら下がっていた。
看守は、留置場から与えられていたスウェットを引き裂いてロープ状にしたもので、磔のように檻に括り付けられていた。衣服は奪われたのか、全裸の状態だったが、着用していても意味はなかっただろう。
上半身と下半身が、引き離されていたのだから。
どちらも檻に括り付けられてはいたが、腹部の辺りで真っ二つにされていた。上下に別れた身体を繋ぐものは、床にすっかり零れ出ていた臓物のみだった。
遺体には刃物で切りつけたような痕跡はなかった。つまり、天道万事は凶器を使わずに、素手で人間を真っ二つに分けたという事である。
警官2名が惨状に狼狽えていると、留置場の入り口にある看守の机の上に一枚のメモ用紙が残されていることに気が付いた。
”警察の人たちへ。そろそろ話すのに飽きたから、ここを出るね。ここのごはん、あんまり美味しくないし。 天道万事。”
天道万事からのメッセージだった。
どうやって留置場から脱して看守を殺し、いかにして姿を消したのか、それは今も謎のままである。
天道万事の存在を知る警察関係者らは、言いようのない不安に襲われた。
無差別大量殺人犯が、世に解き放たれた。それは、また新たに大勢の犠牲者が出るという惨劇の始まりを予感させるものだった。
その後、5年の間、天道万事は姿を消した。時代は何事もなく進み、大量殺人犯の影など見当たらないように見えた。
だが、警察関係者は安堵などしていなかった。必ず、時代の静寂の裏に、天道万事が暗躍しているはずだと憂いていた。無論、その予感は的中することとなる。
再び天道万事が表舞台に(とはいっても、ごく一部の警察関係者のみの間)姿を現したのは、日本がアスベスト問題や建物の耐震偽装、万博に湧いていた頃のことだった。
警察に一通の手紙が届いた。
”久しぶり。今度は面倒くさいから、直接場所を教えるね。一杯になっちゃったから、片付けといて欲しいんだ。○○県○○市○○町〇-〇〇〇 天道万事”。
天道万事の存在を知っていたとある関係者は、手紙の文面を読むなり、嘔吐したという。それがどういう事態か、理解していたのだろう。
警察が記されていた住所に赴くと、そこはとある県の街外れにある、潰れた酒造メーカーの工場だった。
工場内部に入った警察が目にしたのは、直径が3m、高さが8mほどもある計3基の酒造タンクだった。
目の当たりにした関係者たちは一斉に、自分が今、何を目の前にしているのか悟り、肩を落としていた。
3基中、1基のタンクからは、女性の死体が。別の1基のタンクからは、男性の死体が。もう1基のタンクからは、子供の死体が、大量に発見された。
あえて大量と言葉を濁すが、こう記せばきちんと伝聞するだろうか。
それぞれのタンクには、満杯近くまで死体が詰め込まれていた。
犠牲者はやはり、日本の各地で行方不明になっていた者達だった。前回の比ではない、日本の行方不明者数の統計を狂わすほどの犠牲者の数に、警察関係者は悪寒を感じていた。
天道万事という人間は、もしや世界でも類を見ないレベルの最悪の犯罪者なのではないか?それは最早、殺人者という枠には収まらず、虐殺者とでも言うべき存在に至るほどの・・・。
この一件(それぞれ立件したのならば恐らくは100件以上になるだろうが)は、やはり警察の威信と混乱を防ぐ為に、秘密裏に処理された。逆説的に、天道万事に関わった者は極秘事項に触れたとして、職を辞するか、それなりの地位を約束されるかの二択を迫られたという。
関係者からすれば、天道万事は最悪の犯罪者だっただろうが、一部の人間にとっては出世を手助けした恩人でもあるのだろう。
無論、秘密裏に処理されたが、徹底的に捜査は行われた。現場となった工場はもちろん、大勢の犠牲者それぞれの行方不明時の状況を洗い出すなどして、手掛かりを掴もうとしたが、やはり一片の物的証拠も、目ぼしい情報も得られず、無意味に終わった。
関係者らの胸に去来していたのは、失意と諦観だった。
ここまで自分たちの努力が無意味なものに終わっていくのならば、天道万事は大規模な天災のような、防ぎきれない災厄なのではないか。
「今でも信じられない。行方不明者達がこぞって工場に集まり、タンク内に飛び込んで死んでいったとしか思えないほど、奴は影を落とさない」
当時、捜査に携わっていた者(本人の希望と諸事情により匿名)の言葉である。
「証拠は一切見つからなかった。日本には行方不明者なんていなくて、みんな奴が影でこっそり殺してるんじゃないかと、皆が疲れた顔で言い合ったよ。実際そうだろう。奴の悪行を公にしたなら、日本の犯罪のありとあらゆる統計が狂って、改めないとならなくなる」
「秘密裏にしていたからこそだが、奴が海外にいたなら、間違いなくFBIだの、CIAだのにマークされていただろう。いや、俺たちのような末端が知らなかっただけで、実際には目を付けられていたのかもしれないな」
「それならそれで、そっちに放り投げてしまいたかった。こう言っちゃ名折れだが、奴は俺たち日本の警察の手に負えるような存在じゃない。奴は、怪物だ。災厄が人の形をしてるようなもんだった」
場所は伏せるが、その後10年に渡り、各地で同じようなケースが相次いだ。
どういう事かというと、数年ごとに天道万事から便りが届き、指示された場所に赴くと、大量の死体が発見されるという悪夢のような出来事が止むこと無く続いたのである。まるで警察を、便利な死体処理業者とでも認識しているかのように。
面目もなく、警察は長い間、天道万事の凶行の後始末に追われることとなるが、後年、ようやく一連の捜査に進展を見せる出来事が起こる。
きっかけは警察に寄せられた1本の電話だった。
”ある男に殺されかけた。頼むから、自分を保護してほしい”。
事の真偽はともかく、警察は電話の主を保護して事情を聴くことにした。
警察署にやってきたのは、おどおどとした挙動不審な様子の男だった。
「ある男に誘拐され、殺人現場を目撃させられた。自分は解放されたが、やがて俺を殺すと言っていた。頼むから助けてくれ」
そう頼み込んできたのは、
瀬戸の証言によると、会社からの帰宅途中、突然背後から頭を殴られて気を失い、気が付くと見知らぬ場所に監禁されていたという。
目の前には自分と同じくらいの年代の男が倒れており、拘束をほどいてもらおうと声を荒げると、暗闇から別の男が現れた。
「やあ、ようこそ。僕の殺人ショーへ」
男はそう吐き捨てると、倒れていた男を叩き起こし、凌辱の限りを尽くして殺した。
全てが終わった直後、男は失禁して気絶寸前だった瀬戸に、「君は必ず殺すけど、今は見逃してあげるよ。僕の名前を警察に言ってごらん」と微笑みかけ、拘束を解いて逃げるように促した。言われるがまま、転がるように外へと飛び出し、命からがら走って逃げてきたのだという。
「頼むから、俺を助けてくれ。俺は間違いなくアイツに殺される。アイツは、アイツは・・・」
怯えながら証言する瀬戸に、警官は問いかけた。
「それで、その男の名前は?」
「て、天道万事って言ってた。警察は、自分の名前を知ってるはずだって」
警察に悪夢が再来した瞬間だった。
だが、警察は嫌な予感と同時に、絶好のチャンスが巡って来たのではないかと期待を抱いていた。
無理もない。初めて本人以外から、天道万事の名が飛び出したのである。状況の怪しさはともかく、史上初めて何かを掴めるのではないかと、関係者らは密かに湧いていた。
すぐさま捜査班の立ち上げが行われ、瀬戸の証言を頼りに監禁されていた場所に警官たちが赴いた。そこは、都市の郊外の山中にある廃病院だった。
同行を拒否する瀬戸を無理矢理付き添わせ、内部へ入り込むと、地下へと続く階段から微かに腐臭が漂っていた。
確かに、この先に監禁されていたはずだ。震えながら証言する瀬戸を尻目に、懐中電灯を携えて警官らが階段を降りていくと、地下にはいくつかの部屋が備えられていた。
割れたガラスや書類を踏みながら部屋をひとつひとつ検めていくと、一番奥の部屋から漂う腐臭が鼻を刺した。
ここだ。確信の元に、警官が半開きになっていたドアを開けると、そこはどうやら霊安室のようだった。不思議なことに、荒れ放題の廃病院の中で、その部屋だけが綺麗に整理されており、さながら存続中のようだったという。
そして、その中央には、瀬戸が拘束されていたであろう椅子と、腐りかけの肉塊が転がっていた。
肉塊と表現したのは、そうとしか言いようがないほどに、被害者が原型を留めていなかったからである。
「間違いない、奴のやり口だ」
そう言い放ったのは、捜査班の班長を一任されていた
肉塊には、刃物等で綺麗に切ったような痕跡はなく、肉片の全ては引きちぎられた様だった。素手で人間を細切れにする者など、この世に一人しかいない。
あの悪魔がここにいた。その場にいた捜査官全員が、そう確信した。
その後、死体が回収され、現場検証が行われた。瀬戸は精神的負担を考慮して同席させなかったが、概ね証言通りの惨劇が行われたのは、明らかだった。
細切れになっていたせいで被害者の身元は不明なままだったが、周囲に衣服も見つからなかったことから、計画的に誘拐されてきたのだろうと推測された。かろうじて回収できた被害者の歯形から、被害者の割り出しが少しずつ進められていった。
保木譲司は、胸中に諦観と同量の期待を抱いていた。今までの経験からして無意味に終わるかもしれないが、確実に天道万事に一歩近付いているということは確かだった。
だが、事の起こりから10日後、この一件は思わぬ展開を見せることになる。
捜査が僅かながらに進展を見せている最中、警察署の保護室にて保護されていた瀬戸が、忽然と姿を消したのである。
天道万事に関わった重要参考人として、外出など許しているはずもなく、一時退出記録も残されていなかった。保護室に就いていた警官も、出入りする様子を見ていない。
まるで霧のように消え去った瀬戸に、捜査班は悪寒を覚えた。
まさか、天道万事が現れて、瀬戸を攫っていったのではないか。
とても信じられなかったが、天道万事の過去を知る者は皆一様に、あり得ない話ではないと感じていた。
出入り口の映像記録にも姿が残されていなかった為、またしても警察署内部に潜んでいるのではないかと、天井裏やダクト内を検めたが、姿はなかった。
真っ先に疑いの目が向けられたのは、保護室に就いていた警官だった。天道万事は口先で人を惑わせ、操ることに長けている。催眠術をかけられたように、操られたのではないか。
そんな事実はないという弁明は聞き入れられず、警官はすぐさま拘留されることになった。
だが、警官を尋問し、真相を解明しようとしていた矢先、捜査班を揺るがす報が舞い込んでくる。
廃病院にて殺されていた死体の身元が判明したのである。バラバラにされていた歯を復元し、組み合わせて得られた歯形から治療痕を特定し、得られた結果だった。
なんと、廃病院にて殺されていた人間こそが、瀬戸統馬だったのである。
一報を聞いた瞬間、捜査班長の保木は最悪の想像をした。
まさか、天道万事は瀬戸に成りすまし、警察に保護されるふりをして既に内部に入り込んでいたのか?
戸惑っていると、保木の携帯が鳴った。
「やあ、ようやく気が付いたみたいだね。迎えに来てよ。あそこにいるからさ」
弄ばれていると気が付き、焦燥感に駆られながら捜査班が件の廃病院の地下に向かうと、そこには天道万事がいた。
そして、笑顔で椅子に座る天道万事の足元には、ひとつの死体が転がっていた。苦痛に悶えるような表情でこと切れていたその死体は、警察署の保護室に出入りしていた婦警だった。
「遅かったね。暇だったから、退屈しのぎに殺しちゃったよ」
微笑む天道万事に、思わず保木は殴りかかった。その場にいた全員が、保木を止めなかった。
だが、天道万事は大柄で体格も良く、柔道の有段者でもある保木を、完膚なきまでに叩きのめしたという。
「乱暴はやめてよ、刑事さん。僕も、ここ最近は暇だったからさ。また君たちと遊ぼうと思っただけなんだ。色々と募る話もあるから、帰ろうよ。警察署に」
保木の返り血を浴びて微笑む天道万事に、その場にいた誰もが、近付くことが出来なかった。
大人しく連行された天道万事に対して、誰も取り調べを行おうとはしなかった。捜査班の全員が、天道万事を恐怖に満ちた眼差しで見つめていた。
最早、天道万事に関わってしまった時点で、自分たちは殺されてしまう運命なのではないか。誰しもが、そう感じていた。
やがて、捜査班は天道万事に拘束衣を着せ、身動きの自由を奪ったうえでガラス越しに尋問を行うという奇策をとることにした。この設備の為に、警察署は留置場の一室を改造することになった。
かくして完成した特別取調室にて、取り調べが行われた。
「一体どうやって瀬戸に成りすましたんだ。特殊メイクか?それとも、顔の皮でも剥いでかぶったのか?」
「はは、映画じゃあるまいし、そんなことしないよ。僕の顔ってほら、無個性を絵に描いたみたいでしょう?この顔の便利な所はね、ちょっと表情を変えたり、髪型をいじるだけで、他人に成りすませるんだ」
「ふざけるな。そんなことがあってたまるか」
「しょうがないなあ・・。じゃあ、ほら。写真を撮ってよ。一枚ごとにモノマネしてあげるからさ。顔だけだから、レパートリーは狭まっちゃうけどね」
言われるがままに警察は、天道万事の顔を正面から複数枚撮影した。すると、驚くことに、確かに一枚ごとに、まるで別人が映り込んでいる様に、天道万事の顔は変貌していた。
凝視すれば、確かに天道万事と判別できるのだが、眉の位置や口元の含み具合、目つきなどが若干違っただけで、別人と言われれば、少し顔つきが似ている程度の別人に見えたのである。
「ね?嘘じゃなかったでしょう?今は動けないし、髪型を変えられないから、ここまでしかできないけどね。だから、僕にとって他人に成りすますなんてことは、不可能じゃないんだ。現に、君たちは騙されてたでしょ?僕のことを瀬戸統馬だと思い込んで、保護してくれてたじゃない。保護室って、ベッドは固いけど、留置場よりはマシだったね。ふふ」
「・・・声はどうした。今のお前は、瀬戸とは明らかに声色が違う。それも特技でごまかしたっていうのか」
「ふふ、・・・・”そうだよ”」
笑い声の後に発したその声は、在りし日の瀬戸(瀬戸に成りすましていた天道万事)そのものだった。
驚くことに、天道万事は声色すら自由に変えることができたのである。天道万事の声は、極めて中性的であり、低音とも高音ともとれぬ、男と言われれば男であり、女と言われれば女であるかのような、判別不可能な声色をしていた。その透き通るような声を発する喉は、まるで変声機のようだった。
「まるでカメレオンのようだった。一流の手品師に、マジックを見させられているように感じた」
捜査班に所属していた刑事、
「信じられないだろうが、あれを目の前にしたら誰しも納得するだろう。アイツは誰にでも成りすませるんだ。もし目撃者がいたとしても、誰もアイツをアイツだと認識できなかっただろうな」
「表情ひとつだ。それなのに、アイツの印象はクルクル変わるんだ。長時間向き合っていると、本当に同じ人間を見ているのか、自信が持てなくなってくる」
天道万事は捜査班を惑わせながら、自供を続けた。
「ここを出れたのは、婦警さんのおかげだよ。ちょっとお話したら、見張りの人が交代する時間を教えてくれたんだ。それどころか、親切に車で病院まで送ってくれたんだから、感謝だね」
「君らを待ってる時、あんまり僕の為に何かさせてくれって言うから、暇つぶしに殺してもいい?ってお願いしたんだ。そしたら、喜んで付き合ってくれたよ。暇つぶしに」
にわかには信じられないことだが、天道万事は教唆術にも長けていた。天道万事が初めて警察に接触した佐間湖の事件でも、似たような自供を行っていたが、それは紛れもなく真実だったのだろう。
「アイツの底の知れなさは、間違いなく口の上手さにある」
西尾登也は自身の手記にて、こう綴っている。
「いや、口が上手いって言葉で片付けられるもんじゃない。アイツの場合は最早、催眠術だ。口先だけで、人を操れるんだ。俺だって、アイツに目を付けられていたら、何かをしでかしていたかもしれない」
実際に、取り調べを行っていた際のことである。
2人体勢で行っていた取り調べの人員を交代しようと、西尾が特別取調室に向かうと、目を疑う光景が広がっていた。
なんと、捜査官2名が特別取調室の内部に入り、拘束衣によって身動きを奪われていた天道万事に、口元に缶をあてがってコーラを飲ませていたのである。
西尾は2名を一喝し、特別取調室から追い出した。
「一体あいつらに何をした!!」
声を荒げる西尾に対し、天道万事は飄々とした態度で言い放った。
「ちょっと喉が渇いたから、自販機がある?って聞いただけだよ。せっかく飲ませてくれてたのに、もったいないなあ」
天道万事は足元に転がる缶を見つめながら、あっけからんとして答えた。
西尾は2名に対し、何があったのか問いただした。すると、内1人の口から出たのは思いもよらぬ言葉だった。
「別にいいじゃないですか。ジュースくらいで固いこと言わないでくださいよ。あの人の為なんですから」
西尾が呆然としていると、もう1人の捜査官が狼狽えていた。
「ああああ・・・、自分は、自分はなんてことを」
「おい、一体こいつに何があったんだ」
「・・・奴は、・・天道は、自供の途中に世間話を始めたんです。それで、気が付いたら、自分は、自分は・・」
最初は何気ない世間話をしていたつもりが、いつの間にか旧知の親友と会話しているような感覚になり、気が付けば2人とも天道万事が犯罪者だということすら忘れ、まるで友人とふざけ合うように過ごしていたというのだ。
「そんな馬鹿な話があるか。何をどう勘違いしたら、そんなことになるんだ」
「自分は、自分はさっき気が付きました。とんでもないことをしていたと。自分は、自分は・・・」
「だから、そんなに固いこと言わないで。アイツが何をやったって言うんです。人を殺したくらいで」
西尾は正気に戻った1名も、正気に戻らなかったもう1名も、捜査班から除外した。
最早、捜査官の全員が天道万事に対し、近付こうとしなかった。
上記の出来事があって以来、自分も洗脳され、操られてしまうのではないかと恐れて、捜査班からの除名を申し出る者もいた。
保木が負傷していた為、事実上の捜査班長であった西尾は、頭を抱えていた。
このままでは、こちら側が持たない。手を打たなければ、捜査班の存続に関わる。いや、最早そんな規模の話ではない。
一刻も早く、あの大量殺人犯の息の根を止めなければ、いつまでも振り回されることになる。
西尾の脳裏には、暗い考えが浮かんでいた。だが、一刑事として、そんな決断は下せなかった。天道万事には、数百件にも及ぶ罪状が突きつけられている。裁判所送りにして、罪を償わせなければ、意味がない。
西尾は上層部に掛け合い、精神異常の犯罪者を収容する施設に天道万事を移送しようと試みた。警察署ではなく、精神異常者の扱いに長けた、対サイコパス用の特別な檻とでも言うべき施設にて、自供を引き出そうと考えたのである。
上層部の反応は、上々だった。とはいっても、恐らくは誰も天道万事に関わり合いたくはなかったのだろう。世界でも類を見ないほどの殺人者など、日本の警察にとっては恥部同然である。上層部は存在をひた隠しに出来れば、それで良かったのだろう。
かくして半壊した捜査班は、残った人員で着々と天道万事の移送の準備を始めた。取り調べを中断し、天道万事を留置場の中で拘束したまま相手にせず、表面上は何の進展も見せないまま、時間が過ぎていった。
西尾は捜査班の行きついた結果を苦々しく思いつつも、ようやく事がひと段落したと安堵していた。長年、警察関係者を苦しめ続けた犯罪者を、仮であろうが檻に放り込むことに成功したと、胸を撫でおろしていた。
だが、その安寧の瞬間も、すぐに破綻することになる。
いよいよ天道万事の移送を控えた前日、負傷していた捜査班長の保木が復帰した。身体の節々に未だ怪我が残る保木は、西尾に対して怒りに満ちた視線を向けていた。
「なぜ、アイツの処遇があんなに生ぬるいんだ」
保木の言い分は、天道万事が課せられた、自供の為に精神病棟で生かされるという処遇が不服だというものだった。
その言葉の真意を十分に理解していた西尾は保木をなだめたが、保木はどうやら怒りが収まらないようだった。
「自分だってやれるだけやったんです。でも、もうこれ以上犠牲者を出すわけにはいかない。コーヒーでも飲んで、落ち着いてください。買ってきますから」
西尾が上階の自販機に向かい、喫煙所にて一服してから戻るまで、5分も経過していなかっただろうか。
捜査班が利用していた特別対策室は、地獄と化していた。
部屋にいた捜査員、計8人の内、無傷で生存していたのは保木だけだった。
他の7人は、臓物を撒き散らして死亡している者、なぜか全裸の状態で胴体と首が離れた位置に転がっていた者、その首のない同僚を一心不乱に屍姦しながら舌を噛み切っていた者、自分で自分の手首に噛りついて食い千切っていた者、糞尿を漏らしながら腹から零れ出た自身の小腸で首を絞めていた者、高笑いしながら指で自分の目をグチュグチュと抉っていた者、絶叫しながらデスクの引き出しに頭を突っ込んで必死に首を打ちつけていた者など、全員が不自然な行為に及びながら死亡、もしくは死亡寸前と化していた。
その惨状と化した特別対策室の中央に、唯一血を一滴も流していない天道万事がいた。その傍らには、なぜか全裸の状態で肛門を犯されている保木の姿があった。保木の顔は、まるで一切の感情を失ってしまったかのように、恐ろしいほど無表情だった。
「やあ、西尾さん。ちょっと待っててね。もう少しで終わるから」
あまりに唐突な光景に、頭が真っ白になっていた西尾に、天道万事はいつもの調子でにこやかに微笑んだ。そのまま保木に打ちつけていた腰の速度を速めて射精した後、天道万事は服を整えながらくつろぐように椅子に座り、ひとつ背伸びをした。
「このスーツってさ、安物でしょ?この人、あんまり身だしなみに興味がないんだね。この時計も、並行輸入品の粗悪なやつだし」
西尾はようやく、天道万事が身に着けている服が保木のものだと理解した。
「あ・・・、ああ」
惨状を目の当たりにして、混乱しきっていた西尾の口から出たのは、か細い生返事だった。
「ふふ、まあいいけど。随分長い間こんなのを着させられてたからさ、ちょっとお洒落したくって。それで・・・」
「い、一体どうやって出た、お前がなぜ、ここにいる」
ようやく脳が回転しだした西尾をからかうように、天道万事はオフィスチェアーをくるくると回しながら答えた。
「なんでって、この人が僕の所に来て、殴ってきたんだよ。動けない相手に暴力を振るうなんて、警察として失格だと思わない?だから、ちょっと頑張ってここまで来たんだよ」
「ほら、君たちさ、僕に対して色々と酷いことしたでしょ?あれはもう取り調べじゃなくて拷問だよ。大人しくしておこうと思ってたんだけどね。どうせ出ていくんだから、ここの人たちに挨拶しておこうと思ってさ」
「でも、みんな心が弱いねえ。ちょっと挨拶しただけなのに、こんなになっちゃったよ」
西尾は震えながら、心底後悔していた。ほんの少し持ち場を離れただけで、このような事態に直面するとは思ってもみなかった。保木を抑えていれば、この惨劇は起こっていなかっただろうと。
「・・・ところでさ、西尾さん」
天道万事は立ち上がり、胸元のネクタイを緩めながら、西尾の元へと歩み寄ってきた。
「いいスーツ着てるね——」
その後、天道万事は9人の死体と共に、特別対策室にて発見され、拘束された。
「僕はさ、普通の人になりたいんだよ」
この施設に移送された後、精神鑑定や精神治療の過程で、天道万事は頻繁にこの文言を残している。
「昔から、何をやっても、何も感じないんだ。嬉しいとか、イライラするとか、哀しいとか、楽しいとかさ。感情があるじゃないかって言われるけど、あれは全部演技なんだよ。笑ってるのも、他の人みたいになりたくて、フリをしてるんだ。普通の人のね」
「ある人から言われたんだ。”君には心が無いね”って。それ以来、僕は心が欲しいんだ。嬉しくなったり、怒ったり、哀しくなったり、楽しくなったり、悔しくなったり、怖くなったり、苦しくなったり、驚いたり、気持ちよくなったり、悩んだり、好きになったり、嫌いになったり、殺したくなったりしたいんだ」
「でも、どんなに心を追い求めても、手に入らなかった。色んなことをしてきたけど、なんにも感じなかったんだよ。だから、僕は一番、人間の心を動かす方法を試すことにしたんだ。僕にだって心があるはずだってことを、証明したくてね」
「人間の持つ感情の中で、最も強いものって、一体なんだと思う?」
「これには諸説あるらしくてさ、今でも解明できていないらしいんだけど、僕は個人的にこう考えてるんだ。罪悪感が、最も強く人間の感情を揺り動かす」
「だから、僕は考えうる限りの罪を、悪行を、犯すことにしたんだよ。ケチな犯罪はしない。殺せる人を殺して、死体を弄んで、犯して、引きちぎって、切り刻んで、バラバラにして、生殺しにして、食べたこともあったっけ・・・」
「でも、やっぱり何も感じないんだ。どんなに酷いことをしても、罪悪感を感じないんだよ。僕はそれが、凄く嫌なんだ。僕だって、人間なことには違いないんだ。だから、僕にだって心はあるはずなんだよ」
「まだ、足りないのかなあ?もっと悪いことをすれば、僕の心は何かを感じ取れるのかなあ?」
天道万事は、この施設に収容されてからも、その手で犠牲者を増やし続けている。その数は、二桁に及ぶという。
対サイコパス用の特別な檻とでも言うべき場所においても、天道万事の毒牙は未だに衰えを見せず、心を手に入れるという信念の下に、罪を犯し続けているのである。
今回、筆者はかなり身構えて最後の取材に挑んだが、それは杞憂に終わった。
あまりに施設側が天道万事を危険視している為に、まともな取材が出来なかったのである。
対面した際、筆者は驚愕した。
天道万事は病室の中で、特別製の拘束衣を着せられていたうえに、椅子に縛り付けられており、頭部には目隠しを兼ねた、顎を開けないようにする為のマスクが取り付けられていたのである。食事や排泄、治療などの時間を除き、天道万事は常に視界と発声を奪われたままの状態で、拘束されているのだという。
発声を許可されている場では、必ず複数名の心得ある医師が担当、同伴し、危険が無い様に配慮されている。外部からの接触は、特別な例を除いて、固く禁じられているという。
恐るべき点は上記した通り、このような状態にあっても、未だにこの施設において犠牲者を増やし続けているという事である。
サイコパス。精神病質者を指す言葉である。
その最大の特徴は、良心の欠如であるという。他にも、極端な冷酷さ、共感性能力の欠如、罪悪感の欠如、言葉の巧みさ、表面的な愛想の良さなども、サイコパスの特徴とされている。
天道万事は、正にサイコパスを具現化したような存在だろう。それも、超一流の犯罪者、無類の殺人者、稀代の虐殺者と言っても過言ではないほど、天賦の才能をいくつも神から与えられた存在。
天道万事がもし心を伴って産まれてきたとしたら、いったいどれほどの大人物に成り得たであろうか。
それとも、それほどの才覚を与えられたからこそ、その代償として心を与えられなかったとでもいうのだろうか。
だが、自身に欠けている心を追い求めて藻掻くその生き様は、最も人間らしいとは言えないだろうか?
「あなたは、今でも心を追い求め続けているのですか?」
取材の終盤、筆者は拘束された天道万事に問いかけた。発声できない為、取材中に許可されている反応は、首を縦に振るか、横に振るか、だけである。
それまでは一切の反応がなく、まるでマネキンに話しかけているような取材だったが、その質問にだけ、天道万事は反応した。
首を、横に傾げたのである。
その後、取材は終了した。筆者は今も、その意味が理解できないでいる。
天道万事は心を追い求めることを断念したのだろうか?それとも、心が芽生え、今までの行いを悔いているとでも言うのだろうか?
それとも、現在は何か別の目的に向かっているとでも言うのだろうか?
真意は、謎のままである。
※諸注意 今回のコラムは、かなり推測で書いている部分が多く、集めた情報の信憑性も確かなものではない為、上記の事柄が真実かどうかは読者の判断に委ねたい。決して禁忌に触れたが故に、このような事を明記している訳ではないので、邪推は控えて頂きたいところである。
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