ぞっとするほど抱きしめて

長尾大輔

第1話 具体的な感傷

何一つ具体的でない日々を送る中で気がついたことがある。

私はこの世界の人間ではないのだと。


最初にそれに気がついたのは、高校生3年生1学期終わりの頃だ。やれ受験だのやれ就職だの周りの連中が変わろうとしている中で私は疎外感を感じていた。

別に1人だけ留年が確定しているとか、早くも推薦で進学が決まっているなどというわけではない。私だって連中と同じ高校3年生だ。社会的に見ればそんな肩書きだ。

「ねえ、結局あなたはどっちなの?」

担任の萩原が問いかけて来たのは期末テスト最終日の朝だった。梅雨の時期らしく表は雨だ。ジメジメと湿気が多い。

何もこんなタイミングで聞かんでも、と内心思ったが、この空気の読めなさが彼女のアイデンティティなのだと3年間言い聞かせて来た自分にも同時に気がつく。

彼女が私に聞いているのは進路のことである。すなわち進学か就職か。

県内でも中途半端なランクに位置する我が高校では卒業生のほぼ半々が進学と就職に分かれていた。しかし当然、卒業時にパッと決めるものでもなく、だいたい3年生の始まり頃には進路の選択ははっきりさせるのが通常だ。

「わかんないっす。」

だが、私にはそれをはっきりさせることができていなかった。だいたいそんなもの自分のタイミングで決めるものではないのか?周りに合わせて無理やり決めたものでその後の自分は納得できるものなのか?

私にはそんな真似はできない。

「またそんなこと言って。決まってないのはあなただけなのよ。」


出た、同調圧力。


連中が決められたからと言って私にも同じことができるはずが無いではないか。

そんな簡単なことも分からないのか、馬鹿なのかこの教師は。

「・・・・・・考えときます。」

これ以上連中と並べて見られるのは辛い。毎度のことながらの同じセリフで逃げの手を打つ。


担任萩原の声を雨音に消しながらその場を後にした私は1時間目のテストの準備にロッカーへ急いだ。彼女のお陰で試験前の神聖な時間を無駄にした。まあ、悪いのは自分なのだろう。


進路、か。


そんなもの急いで決めなくてもそのうち決まるものではないの?


漠然とそんなことを考えているうちにテスト最終日は終わった。もちろん手応えはない。ははは。

さて下校だと昇降口に歩を進める。遠くでは吹奏楽部の練習が聞こえる。日ごろの鬱憤を音で晴らせていいな、君たちは。


下履に履き替えて表に出ると雨は止んでいた。足元には水たまりが点々と見えた。その中を何も考えず、何も感じず歩き始める。


どこか、無性に退屈だった。先のことも決めず、今は何も行わず。過去に積み重ねて来たものもない。毎日を具体的に過ごすことができない私は何者なのだろう。言葉にもならない想いが胸のあたりに充満していった。


退屈。


そうか、私は退屈なのか。

空を反射する水面を横目に気がついた。これは退屈という具体的な感傷なのだ。


それに気がついて少し気も晴れた。

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