第71話-2

「それが、ファーファル家の女性…だ、と」



 表情を強張らせ、アーデルはアンリへ視線をやった。亜麻色の髪を指先で遊ばせていた男は、視線に気づき、曖昧な笑みを浮かべる。



「ファーファルは王家へ娘たちを差し出し、代わりに地位を確約される。ウチがフロース五家ではないのに、彼らと同じ程度の権力を持つ大家でいられるのは、全て彼女らの命によるものなのよ」


「じゃ、じゃぁ、マリシュカ嬢は」


「ルーヴァベルトの毒見…『花』だ」



 さらりと言い放った王弟殿下へ、血の気が引いて真っ白な顔を補佐官が向けた。何か言おうと、口がもごもごと動いている。その表情には、困惑と恐れ、同時に怒りが入り混じり、酷く歪んでいる。

 ランティスは笑っていた。いつも通りの、にんまりとした底の見えない笑い。

 その下に、一体どんな心が隠れているのか―――アーベルには、計り知れず。

 アンリは黙ったままだ。不機嫌そうだが、怒りは見えなかった。

 自分の中でぐちゃぐちゃに混ざり合った想いを飲み込み、睫毛を震わせる。次に青い瞳を開いた時は、幾分落ち着いた様子で、ゆっくりと問うた。



「マリシュカ嬢は、婚約者様と面識がお有りなのですか?」


「ええ。先日の夜会で引き合わせたわ。そして、あの娘自身が、ルーヴァベルト嬢を選んだの」



 そっと瞼を閉じると、あの夜の出来事が蘇る。

 傷だらけの少女と、取り乱す妹の姿。

 そして、誰もいなくなった夜闇のバルコニーで、彼女が放った言葉。



 

 ―――もし、万が一、恐ろしさで逃げ出そうとすることがあれば…お兄様が、叱咤してくださいませ



 

(けれどアナタは、逃げ出さないでしょうね)



 きっと、絶対。

 そうと決めたらやり通す娘。頑なに、背筋を伸ばし、己の道を真っ直ぐに進む。その先に茨が敷き詰められていようと、俯くことすらしないだろう。


 彼女を誇りに思う。

 同時に、哀しくもなった。

 マリシュカは、アンリの妹だから。


 徐にソファから腰を上げると、「帰るわ」と告げた。



「今日はそのことを話に来ただけなの。先に私からランへ伝えとこうと思ってたのに、あの娘、昨晩急に『明日ルーヴァベルト様の所に行きます』とか言い出すんだもの。だから慌てて来たんだけど…補佐官君には、とんだ災難だったわね」



 襟元を正し、上着の乱れを整えると、いつも通りの柔和な表情を浮かべる。そこに、先程までの硬い感情は見取れなかった。

 未だお盆を抱きしめたままのアーベルは、青い眼をぱちくりとさせ、アンリの言葉に不安げな視線を送る。それに、とびきりの笑みを返した。



「ファーファルの花の話は、第一級秘匿案件。王家に近しいものと、フロース五家しか知らないわ」


「げっ」


「ランは本気で君を逃がさないつもりみたいね。ご愁傷様」


「おい、お前こそ、うちの可愛い補佐官を苛めるなよ」



 言葉とは裏腹に、ランティスも悪戯っぽい笑みでくっくと喉を鳴らした。



「まぁ、折角秘密の共有も出来た事だ。アーベルには益々頑張って働いて頂くしかないな!」


「ひ、ひぃい!」



 悲鳴は空しくも笑い声にかき消され、めでたく青年の仕事は増える未来が決定した。

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