第72話

 卓上に置かれた小箱の中で、簪はぬるい銀に煌めいた。



「本当に申し訳ありません」


 丁寧な謝罪に、慌ててルーヴァベルトは首を横に振った。


「そんな…こちらこそ、わざわざ有難うございます」



 にこり、とマリシュカが微笑む。香るような表情に、思わず作り笑いが引きつりそうになった。


 日中の光の中で見ても、この客人はまるで精巧な細工物ように美しい。陶器の肌に、色づいた唇。絹糸に似た柔らかな亜麻色の髪と、菫の花の瞳。金持ちが好む御伽噺の挿絵から抜け出て来たのかと見まごう。

 



(何と言うか…とんでもない美人だな)



 ぼんやり考えながら、ふと相手の胸元に目が行った。ゆったりとしたシンプルなワンピース姿でも、その下に隠れる柔らかなふくらみがわかる。かなり豊満な胸元らしい。

 意図せず、ソムニウムの女たちを思い出す。皆が皆ではなかったが、商売柄、豊かな肉体をした者が多かった。化粧と、香水と、酒の匂いのする女たち。

 今目の前にいる相手とは、まるで対極。



「よろしければ、ルーヴァベルト様ご自身で確認して頂けますか? 出来る限り似たものを探したのですけれど…」



 顎に手をやり小首を傾げたマリシュカに、はっと我に返る。改めて笑顔を作り直し、小さく頷いた。


 卓上の小箱に手を伸ばし、中の簪を手に取る。しゃらりと鳴いた飾りに、縁だけ赤く塗られた花の細工。

 エーサンに贈られたものとよく似た簪が、その中に納まっていた。

 綺麗に磨き上げられた銀の簪を指先で撫ぜる。冷たい銀を、肌が感じた。


 あの晩、失くしてしまった簪。

 ルーヴァベルト達が立ち去った後のバルコニーを、マリシュカが探してくれたのだが、どうしても見つからなかったらしい。

 それならそれで仕方がないと思っていたが、どうやら責任を感じた様子のマリシュカは、記憶を辿り似通った簪を探し出して持参したのだ。ルーヴァベルトからすれば、彼女にそこまでして貰う謂れはない。どういうつもりなのかと勘ぐってしまう。

 丁重にお断りしようとしたのだが、相手も頑として譲らなかった。

頑なに「こちらの気が済みません」と押し通し、最後には泣き落としまでくらいそうになり、結局ルーヴァベルトが折れた。



 それにしても、本当によく似た簪だ。よく見つけてきたものだ、と感心する。

もしかしたら、同じ意匠の作なのやもしれない。その辺りに疎いルーヴァベルトにははっきりとわからないが、今手元にあるものの方が、少し花の造りが大ぶりに思えた。

よく似た簪。

よく似ているけれど、結局これは、違う簪。

冷え冷えとした考えが、手元のそれに違和感を落とした。精巧につくられた偽物は、本物と同じく美しいけれど、同じにはなりえない。どこまでも別の品なのだ。

マリシュカには申し訳ない思う。

だからせめて、目いっぱい嬉しげな顔を作って、礼を述べよう…そう顔を上げた時だった。


「大切なお品でしたのね」不意に投げられた言葉に、ルーヴァベルトが赤茶の猫目を瞬かせた。



「誰かからの贈り物ですの?」



 問いかけに対するルーヴァベルトの反応は固かった。

 苦笑い…むしろ引きつった笑みで必死に取り繕う様子で、視線を左右に泳がせる。

 あまりの素直さに、マリシュカは思わず口元を抑えた。そこに浮かぶ笑いを、彼女に悟られたくなかった。

 微笑んでいる振りをして、口を噤む。ルーヴァベルトの反応からすると、きっとランティスから贈られたものではないのだろう。そうであれば、もっと当たり障りない、淡白な反応をするはずだ。



(他の方から、ということですわね)



 それをわざわざ先の夜会につけてきたルーヴァベルト。果たして王弟殿下は、それをご存じなのか。



 知るわけないだろう、とほくそ笑む。



 夜会の場で、あれ程の独占欲を見せた赤髪の男。婚約者殿に対して余裕などなさげだった彼が、自分の贈ったもの以外を身につけることを許すだろうか。



(…ないですわね)



 マリシュカは、王弟殿下を知っている。兄の学友であった頃から、知っている。

 いつか、自分が「花」として献上されるべき相手の、夫として。


 改めてまじまじとルーヴァベルトを見た。


 長い黒髪が艶やかな、これといって秀でた造形ではない少女。赤茶の猫目は、簪を見た瞬間のみ煌めいたが、それ以外は全く何にも興味を示した様子が無い。

義務的に、マリシュカの相手をしている―――そう感じられた。



 首筋から肩にかけて、ぞくりと走るものがある。その感情の名を、どう呼べばよいかマリシュカにはわからない。



 けれどそれは心地よく、手放しがたいものだった。



 擦れた青のワンピースに、化粧っ気のない顔。そこに、先の夜会でのルーヴァベルトの姿が重なった。灰青のドレス、赤の石で飾った彼女は、向けられる害意を無表情で迎え撃った。

 その身体に、どれだけの傷を負おうと厭わずに。

 …今はもう、頬の赤味も、手に巻かれた包帯もない。掌の傷が完治しているのかは、生憎確かめることは出来なかった。



「ありがとうございます」



ぎこちない礼と共に、ルーヴァベルトはいそいそと小箱の中に簪を戻した。

彼女は目の前の相手の頭の中身など露知らず、静かに蓋を閉めると、もう一度作り笑いを浮かべた。



「お言葉に甘え、頂戴致します」



 話はこれで終わりだと、軽く頭を下げた。


 それに乗ってやったのは、印象を悪くしたくなかったからだ。張り付けた笑みで閉ざされた彼女の心を、そんなやり方でこじ開けたくはない。


 何せ、これから長い付き合いになるのだから。

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