第56話
第一声が「ケバいな」だった。
「いつもと顔が違う」
苦笑いで肩を竦めた王弟殿下へ無言を貫き、ルーヴァベルトはさっさと馬車へ乗り込んだ。続いて乗り込んできたランティスが、向かいに腰掛ける。
馬車の外でジーニアスが一礼し、それに倣って後ろに控えたミモザも首を垂れる。静かに扉が閉められると、ゆっくりと動き出した。
揺れる車内から、四角く切り取られた窓の外を見やる。随分日が長くなってきたため、空は白んだ水色。じんわりと染む夕陽の朱と、その向こうに夜の濃紺が迫っていた。
赤茶の視線を向かいに戻すと、灰青の双眸と目が合った。
相変わらず、猫が嗤うようなにんまり顔でこちらを見ている。着飾った姿がそんなに可笑しいか、と眉を潜めた。
(ええ、まぁ、あんたは非常に似合ってらっしゃいますけど)
じっとりと睨めつけた相手も、夜会仕様の装いである。暗い深紅の高襟の上着は、襟の部分だけ黒と金の刺繍がびっちりと施された豪奢なものだ。更に、普段は額に下した前髪を、今夜はきっちりと撫でつけ、綺麗に整った顔を出している。件の双眸もはっきりと露出しており、おかげで派手さが倍増だった。
これの隣に立つのか…些か萎えた気持ちを奮い立たせ、背筋を伸ばす。行く前から気後れしてどうする。これから行くのは、ある意味戦場なのだ。
「緊張しているのか」にんまり顔で、ランティスが問う。
「安心しろ、どうにかなる」
「何の説得力もないお言葉、感謝します」
「いやいや、本当だって」
「そうですか」
「信用がねぇなぁ」
そう唇を尖らせつつも、どこか楽しげな男の様子に、思わずため息をついた。同時に、「この男には頼れない」と気を引き締めた。
今夜が、ルーヴァベルトにとって初めての夜会。所謂社交界デビューと言うものだ。
二か月前、初めてこの屋敷に足を踏み入れてから今日まで、様々なものを叩き込まれてきた。全て、この日この夜に間に合うように、だ。
ダンスにマナー、教養、ドレスにヒール…どれもこれもルーヴァベルトの苦手分野で、よもやそれを武器とする日が来るとは思わなかった。今もそれは変わらない。
けれど。
(ここまで来たら、流石に投げ出せねぇわな)
車輪の動きに合わせ、馬車が揺れる。嵩張るドレスに埋もれた身体に伝わる振動は、座席に張られた柔らかなクッションで幾分緩和されていた。
「…本日の夜会は」
前触れなく口を開いたルーヴァベルトだったが、滑らかにランティスが言葉を継いだ。
「ユリウス・ガラドリアルの誕生パーティーだ。内輪で…との話だったが、まぁ、それなりに人が集まるだろうな」
内心、友達がいたのか、という感想を持った。そういえば一人…アンリがいたことを思い出す。今夜の主役も、個性的な相手かもしれない。
しかし、問題はそこではなかった。
ガラドリアル…フロース五家の一つである旧家である。
ジュジュの講義で何度も耳にし、ルーヴァベルトの頭にもこびり付いた家名。家紋は桔梗であり、その家紋が歴史書に描かれる場合、もう一つの紋章を共に並べ載ることが多い。
―――聖杯を模した、聖教会の紋章と共に。
ガラドリアル家は、永く国に仕える忠臣である。それと同時に、精霊王を妄信する「回帰主義者」なのだと教えられた。
正直、回帰主義者の家とランティスが懇意にしていることに、驚いた。
まさか王になりたいのか…そんな考えが頭を過ったが、この男がそんな素直な性質とは思えず、結局考えるのをやめた。何となく、違う気もした。
代りに、尋ねる。
「仲、良いんですか」
「ああ、親友だ」
「へぇ」
くしゃりと表情を崩し、ランティスが笑う。先程までの心を隠したにんまり顔ではなく、子供めいた笑顔。灰青の眦が柔く細まる。
ああ、そうか、と眼を瞬かせた。
その友人とやらは、ランティスにとって、「ガラドリアル家の息子」が先にあるわけではなく、結果「ガラドリアル家の息子」だった、ということなのだろう。
僅かに心が軽くなった。気負っていたものが、少しだけ。
「わかりました」無表情に頷いた。
「大切なご友人の前で粗相がないよう、気をつけます」
結い上げた髪に紛れ、銀の簪が、しゃらりと鳴く。
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