第48話
「ちょっとお待ち頂けますか」と、困り顔が朗らかに微笑む。
「すぐに終わらせますので」
そう言うと、組み敷いた男の胸倉を掴み、その画面に拳を叩き込んだ。ゴッと鈍い音がし、男の口からドロリと赤黒い血が吐き出される。
既に意識を失っているのだろう。がくりと力なく頭が垂れたが、終ることをハルは赦さない。
尚も拳を振り下ろす庭師の姿に、俄かに茫然としていたルーヴァベルトだったが、我に返ると猛然と声を上げた。
「ちょっ、もうっ! もうやめとけ!」
それ以上は死ぬぞ、と言ったルーヴァベルトに、彼は酷く不思議そうな顔をする。くるりとうねる前髪の奥の、澄んだ碧眼をぱちくりとさせ、小首を傾げた。
「けど、この人…ルーヴァベルト様を殴りました」
「そ、だけど…」
「死んで然るべきです」
空が青いです、と、まるで感想を述べるような調子で淡々と続ける。「己の仕出かした責任は、きちんと取らなければ」
再度男に向き直ると、利き手に拳を握った。男の顔は、赤一色に染まり、白目すらも血で黒く塗られている。
ぞっと背中に冷たいものが走る。
少年は、本気だ。
「ま、待て待て待て待て!」
ありったけの声を張り上げると、裏がって擦れた。口内が切れているため、喋るだけで痛むが、そんなことを言っている場合ではない。
「殺すな!」
投げられた言葉に、ハルはきょとんとした顔をする。
「何故ですか」
「こ、殺したら、こいつらの目的、わかんないだろ」
「大丈夫です。一人は生かします」
「んんッ! そうきたか!」
「とりあえず、ルーヴァベルト様に手を上げたこの人は許せません」
「いやいやいやいや、待って待って!」
ハルの言葉は筋が通っていないわけではない。彼の道理は、ルーヴァベルトのそれとはかけ離れているけれど。
しかし、だからと言って「仕方ないね」と見過ごせるはずはなかった。
ルーヴァベルトも、つい先程までは、男たちを殺すつもりでいた。相手が自分の命を奪おうとするのであるから、当然の話だろう。
が、今は違う。既に敵である全員が、戦意を喪失しているのだ。
「ハル!」と、名前を呼んだ。男の胸倉を掴んだまま、少年の動きが止まる。けれど、もう、ルーヴァベルトを見ようとはしない。
止めるつもりがない彼へ、言葉を選びながら、ゆっくりと、告げた。
「私は、そいつを、殺して欲しくない」
くるりと首を捻ったハルは、眼をまん丸くして、ルーヴァベルトを見つめる。透き通る硝子玉のような青を離さぬように、少女は彼の瞳を睨めつけた。
「わかる? 殴られた私が、そいつを殺すなって言ってるんだ」
「ですが…」
「殺すんだったら、自分でやる。勝手に人の尻拭いすんな」
低く唸る様に言うと、一度眼を瞬かせた庭師は、やがて顔を青くし、俄かに慌てはじめた。
「そんな…僕は…」
オロオロと瞳を左右に揺らし、放るように男の胸倉から手を離す。自由になった男の頭は、地面に落ちて、そのまま動かなくなった。
対してハルは男の上から飛び退くと、怯えたように口元を手で覆った。
「す、すみません!」と、ひっくり返った声で謝罪する。
「僕、そんなつもりじゃ…そうですよね、勝手なことしたら駄目ですよね! ルーヴァベルト様に命じられたわけじゃないのに、勝手に判断してしまって…」
と、突然その場に平伏すと、額を地にこすり付けた。
「すみませんすみません、ルーヴァベルト様、本当に申し訳ありません!」
「え、いや…」
「どうぞ罰をお与え下さい! お気の済むまで罰を…」
「待て待て待て!」
口まで土につける勢いで平伏する少年に気圧されつつも、四つん這いにハルの側まで寄った。
震える肩をそっと撫ぜ、顔を上げる様に頼む。しかし、嫌々と頭を振った。その度、額が擦れて、じゃりじゃりと音がする。
ルーヴァベルトは途方に暮れた。
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