第45話-2
同じく紅茶を受け取った友人をみやり、何でもないように口を開いた。
「婚約者殿の件、随分噂になっているわね」
ぐいと一気に飲み干したランティスは、空になったカップをアーデルへ差し出しながら、にんまりと口で弧を描く。
「仕立て屋が、良い働きをしたからな」
「本当に彼は、口が軽いわね」
独特なセンスを持つ口髭の男を思い出し、ゆっくりと頭を振った。上流階級御用達でありながら、彼の仕立て屋は随分お喋りなのだ。顧客先で見聞きした話は口外しない、などという概念は彼の中に存在せず、見聞きしたものを見聞きしたまま、余所であけすけに話してしまう。良いことも、悪いことも、だ。
しかし、デジニア自身に、全く他意はない。あの仕立て屋は、真に仕事に関しては優秀で、いつ誰にどんな衣装を仕立てたかは事細やかに覚えているのだが、どこの家とどこの家がどんな関係であるか等には全く関心がなく、そのようなことは露とも考えぬらしい。結果、乞われれば乞われるままに、見聞きしたあれこれを余所で話してしまうわけである。
彼を疎ましく思う貴族も一定数いる。が、それでも彼が未だ多くの顧客を抱える仕立て屋であるのは、デジニアの腕が素晴らしいと同時に、割り切って利用する者が多いからであろう。上手くすれば、デジニアは蓋のない情報の宝庫だからだ。
上司へ二杯目の紅茶を注いでいたアーデルが、「それ、僕も聞きました」とカップを差し出した。
「社交界デビュー前の婚約者様は、闇を溶かした漆黒の髪を持つ儚げな美少女で、口数少なく控えめな深窓の令嬢だとか。殿下は婚約者様にべた惚れで、既に殿下のお側に住まわせ、常に傍から離さず、深い愛情に満ち満ちた御様子である…と」
斜め上を見上げ、聞いた話を思い出すように目を瞬かせた部下に、ぶっと大きく吹きだしたのは、ランティスだ。腹を抱えて笑いだした王弟殿下とは反対に、アンリは白けたように菫の双眸を細めた。
「どんだけ話盛ってんのよ…」
「は、儚げ…ぶふっ!」
ひいひいと声を上げるランティスの姿に、青年は眉尻を下げる。困った様子でアンリを見た。
「あれ…違うんですか?」
答えず、肩を竦めた。代わりに涙を拭いながら、赤髪の男が口を開いた。
「違うと言うか…うん、違うな。全然違うわ」
「ええっ?」
「儚さも控えめさも奥ゆかしさも、そういった大人しい女じゃない」
「え、どういう…」
「人様の玄関先で兄貴をぶん殴るような女だ」
「えっ!」
「ちなみに俺は、もう少しで顎を砕かれるところだった」
「どういうことですか!」
途端、真っ青な顔色になった部下に、にんまりと口元を引き上げて笑みを向けた。
「俺がべた惚れってのは、間違いなく事実だが」
目を白黒させながら、助けを乞うように再度自分を振り返ったアーデルに、やれやれと首を振った。
「だから、虐めるのはやめなさいって」
正直、アンリもまた驚いてはいたものの、顔には出さず、もう一口、紅茶へ口をつける。
柔らかな味わいに、小さく息を吐いた。普段もっぱら珈琲を嗜むアンリだが、ランティスと一緒の時だけは、彼に合わせミルクティーを飲む。
思えば、紅茶を飲むようになったのも、この友人と出会ってからだ。幼い時分から何となしに珈琲ばかり口にしてきたが、今では割とよく飲んでいる。不思議なものだな、と心の内で独りごちた。
学生時代からの付き合いであるこの友人は、昔から傍若無人。そのくせ、腹の底が見えない人物で、手を焼かされたことが何度もある。面倒ごとを起こしては、巻き込まれ、最終的に押し付けられた時もあった。
それでも縁が切れなかったのは、きっと、何だかんだでランティスのことを気に入っているからだろう。
腹の底は見えないけれど、決して、濁った嘘を平気で投げつけてくる男ではない、から。
ルーヴァベルトは、そんな友が選んだ、相手。
カップとソーサーを卓上へ置くと、彼らへ視線を投げた。相変わらず困惑の表情であわあわとしているアーデルを、にやにやとランティスが笑っている。
「本気なのよね」と、言葉を投げた。
「ルーヴァベルト嬢のこと」
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