第16話

 宛がわれた自室で、エヴァラントは頭を抱えていた。

 

 

(どうしよう…)

 

 

 戻ったら話をする、なんて恰好つけたのはいいが、正直、何をどう話せばいいか、考えはまとまっていない。無表情な妹の横顔は、明らかに怒りを孕んでいた。それが頭の中でぐるぐると巡り、更に気分を落ち込ませた。

 

 ベッドの脇に置かれた机に突っ伏したエヴァラントは、深く深くため息をついた。ゆるりとチラつくランプの灯りを吸い込んだ瓶底眼鏡は、卓上で淡く光る。両手で目元を覆うと、乱暴にこすった。

 

 

 部屋には一つだけ窓がある。外は薄闇と共に夜の訪れを待ち、灰色に似た空には白い月と宵の星。遠くに朱色の夕陽が、昼の余韻と共に仄かに空を染める。けれどそれも、後僅かで夜へと消えるだろう。

 

 窓とベッドの周り以外、部屋の壁は一面本で埋め尽くされていた。天井まで続く本棚は、エヴァラントの好む古書がぎっちりと詰まっている。ランが用意したのだろうか。彼が最初に持ち出した本を思い出す。

 

 

 青緑色をした、革表紙。



 エヴァラントを釣るためにわざわざあの本を用意したならば、部屋いっぱいに彼の好む古書を用意することなど、造作もないだろう。きっと、随分調べたのだろうから。


 用事を済ませ、屋敷に戻り初めてこの部屋に通された時、ぼんやりとそんなことを考えた。

 普段通りのエヴァラントであれば、狂喜乱舞し、本棚にとびついて、そのまま何時間でも古書に向き合い続けたであろう。

 けれど、流石にそんな気にはなれなかった。


 今、向き合わなければならないのは。



「…はー…」



 脳裏に浮かぶのは、意志の強そうな赤茶の双眸。長い黒髪を一つに束ね、自分のお下がりを着た男装の少女。



 大切な、大切な、たった一人の、妹。



(怒ってる…よ、なぁ…)



 いや、間違いなく怒っている。

 しかも、多分、激怒、だ。


 玄関先で横っ面を張られたことを思い出した。未だに顔が痛いし、少し腫れている。あの時、灰髪の執事が止めに入らなければ、後数発は殴られていた気がする。

 ルーヴァベルトは世界一可愛い妹だが、あの手の速さだけは少し我慢できるようになればいいのだけど、と思う。



 顔を上げ、部屋をぐるりと見回した。


 みっちりと本が詰め込まれた本棚。その中に、一か所、本一冊分の空白がある。

 件の、青緑の本を収めるための場所。

 未だ踏ん切りがつかず、鞄の中にしまったまま、取り出せもしない古書。

 重いため息を、細長く、吐いた。



 その時。



 バタン、と大きな音を響かせ、部屋の扉が開け放たれた。ぎょっとして振り向いたエヴァラントは、途端、視界に飛び込んできた濃紺に驚いた。

 次いで、左の頬に振動と…一拍遅れて、痛みを感じる。

 勢いよく椅子から転げ落ちたエヴァラントは、床に倒れたまま茫然と目の前を見つめていた。何が起こったのかわからない、その視界を、またもや濃紺が覆う。

 ボサボサの前髪の奥で、眼を瞬かせた。


 重たげな布地に優美な地紋が浮いている。裾からは白いレースがちらりと覗き、それがドレスなのだと気付いた。

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