第14話-2

 尚も小声でなにやら言い合っている二人をしり目に、ぐるりと室内を見回した。


 こじんまりした部屋だった。ルーヴァベルトに宛がわれた仰々しい部屋とは違い、床は板張り、壁は柔らかな印象を受ける白。置かれているのは、揺り椅子と二人掛け用のテーブルセット、壁際に箪笥と本棚だけだ。


 反対の壁に扉があった。どこへ続いているのか、とそちらを注視していると、気付いたマリーウェザーが教えてくれる。



「隣は寝室になっております」



 するりとそちらに歩み寄ると、扉を開けて中を見せてくれた。今いる部屋の、更に半分程度の小部屋で、中にはベッドが二つ並んでいた。



「一つは私のベッドです」


「え?」



 驚いて彼女を振り見ると、ヘーゼルグリーンの双眸を細めマリーウェザーが頷いた。「隣がばあやさんのベッドですよ」



 俄かに眼を見開いた。まさか。



「…一緒の部屋、なんですか」


「もちろんです。でないと、何かあった時に対処できないですから」



 至極当然と答えたメイドの言葉に、ルーヴァベルトは顔を歪めた。


 心配していたことだった。

 ばあやは、もう随分と歳だ。いつ、何があってもおかしくない。

 特に夜が不安で。

 痰が喉に絡んで息が出来なくなることもある。尿意が間に合わず、布団を濡らすこともあった。

 だから、同じ部屋にして欲しいと、そう願い出るつもりでこの部屋に来たのだけれど。



「お任せください」と、言葉に詰まるルーヴァベルトに、マリーウェザーが胸を張る。



「私、こちらにお勤めに出るまでは、ずっと実家で祖父母の世話をしていたんです。きっとばあやさんともうまくやっていきますから。この部屋も、ばあやさん用に改装したんですよ」



 隣が厨房になっているこの部屋は、元々メイドたちの休憩室だったらしい。ベッドが置いてある部屋は、夜勤者が仮眠をとる場所だったそうだ。



「ここだったら隣が厨房なので、大体誰かがいます。私が側に居なくても、扉を開けていたら皆が様子を確認できますし、人手がいる状況になった時助けが呼びやすいので」


「そんな、わざわざ…」


「いいえー。新しい休憩室も貰えたし、そっちの方が広くて皆喜んでます。ルーヴァベルト様が気にすることないですよ」



 それに、と付け加える。



「旦那様からも、重々言いつかっておりますので」


「…あの人から?」



 さっと脳裏をよぎるのは、軍服姿の赤毛の男。「そうそう、俺だ」と頭の中で自慢げに笑う姿が浮かび、思わず顔を顰めてしまった。



「ええ、旦那様から『こちらのご婦人は、俺の恋人の大事な方だ。くれぐれも丁重にお仕えするように』と、直接お言葉を頂きました」



 その時のことを思い出したのか、仄かに頬を上気させる。普段は滅多にお声掛けなんてないのに、と双眸を細めた。



「愛されていらっしゃるんですねぇ、ルーヴァベルト様」



 ため息交じりにそう呟いたマリーウェザーだったが、直後、ルーヴァベルトの表情にぎょっとする。



「え、何、その顔」



 思わず口調が崩れ、後ろからミモザが「マリー!」と諌めた。


 綺麗な化粧が施されたルーヴァベルトの顔から―――感情がごっそり消え失せていた。虚ろな赤茶の双眸は、死んだ魚の如く光が無い。



 愛してるって何だっけ。頭の片隅で、冷静な誰かの声がする。


 恋人って、何の話だ。何も考えずあのベッドに飛び込んで寝たい、と本能が叫ぶ。



 にやにや薄笑うランの顔が記憶の向こうでちらつき、段々と腹が立ってきた。



「マリーウェザーさん」


「どうぞ、マリーとお呼び下さい」


「はぁ…いや、ええと。私、こちらの旦那と恋人とかじゃないんで」



 口調もぞんざいに言い捨てた。腹立たしさに眉間に皺がより、気を沈めるために大きく息を吐いた。



「ついでに言えば、うちのクソ馬鹿兄貴の借金…みたいなもののカタで、婚約者のお仕事を受けさせて頂いただけですんで。全然、あの人と恋人とかじゃないですし、何より会ったのも今日が初めてですから」



 早口にまくし立てると、マリーウェザーは大きな眼を更に見開き、視線をミモザに向けた。彼女は表情を動かさぬまま、素知らぬ顔をしている。



「あらら…」口元に手をやり、ヘーゼルグリーンの双眸を瞬かせた。



「つまり…旦那様の、片思いってやつですか…」


「片思いも何も、だから今日初めて会って…」


「どっかで勝手に見初めて、素性調べて、手に入れるために罠を張って、逃げられないように追い込む…てことを、平気でやりますよ、うちの旦那様」



 さらりと言い放たれた言葉に、ぞっとする。

 正に、それに近いことをされたのは、つい先刻、午前中の話だ。



 見初めた云々は置いておいても、素性は完全に調べられていた。兄経由で罠にはめられたと言えばその通りであるし、甘言でまんまと話を受けてしまった。挙句、ジーニアスから聞いた「屋敷から出すな」発言。



 ―――真っ黒だ。



「可哀想に…」憐れみを含んだ視線がルーヴァベルトに向けられた。



「あの旦那様なら、ありえない速さで既成事実まで作りにきますよ」


「きっ…!」


「女癖悪くてあちこちで手ぇ出しまくってる旦那様が、家に女性を連れ込んだの、初めてですもん。絶対本気ですって」


「そ、そんなん知ら…」


「大丈夫ですわ、ルーヴァベルト様! 旦那様、お金だけは腐る程持ってらっしゃいますから! 世の中、お金さえあれば大概の苦労は乗り越えられますわ!」


「あ、それはわかる」



 思わず同意してしまったが、すぐにそこが問題ではないことに気付く。先程、マリーウェザーがさらりと零した「既成事実」発言だ。



(嘘だろ、おい…)



 眩暈がして倒れそうになったが、すぐにその場に踏ん張った。倒れている場合ではない。

 今日の今夜ですぐすぐそんな話になるはずがない、と信じたい。しかし、相手をよく知らない分、どんな行動に出るのかわからなかった。


 何より、自分より付き合いの長いメイドが「ありえない速さで既成事実まで作りにくる」と言っている。


 ぞわり、と怖気が走り、頭が痛くなった。ついでに足の痛みもぶり返した気がする。


 よろよろと揺り椅子へ歩み寄ると、しゃがみ込んでばあやの膝に頭を乗せた。



「今夜、ここで寝たい…」


「えー駄目ですよ。旦那様に怒られちゃいますもん、私が」



 小声で呟いた弱音も、明るく却下され、少しばかり傷ついた。



 あけすけなメイドだと思う。癖の強い髪と同じように、癖の強い人物なのだろう。けれど、彼女がばあやの面倒を見てくれるのは、正直安心できた。お任せください、と胸を張ったマリーウェザーは、とても頼もしかったから。



(でもそれも、あの人が、ちゃんとばあやのことを言ってくれたからなんだよなぁ)



 赤毛の、あのいけすかない軍人は、言葉通り、本当にルーヴァベルトの家族の面倒を見てくれる気があるらしい。

 それも、約束を取り付ける前、から。



 有難い話だ、と思う。


 同時に、怖気を感じた。



 あの男が―――ランが、自分に向ける執着の出所がわからなかった。


 灰青の瞳を思い出す。甘い言葉を囁きながらも、その視線は猛禽類のように鋭かった。獲物を刈り取る無慈悲な光が、硝子玉のような綺麗な双眸に宿っていた。



 だから絶対に、ランの思惑も、ラン自身の事も、知りたくないと思う。



 知ってしまって、あの男の人生に巻き込まれてしまうのは真っ平ごめんだ。



(…つっても、そうはいかないんだろうけどなぁ)



 ふにゃふにゃと柔らかな老婆の肌に額を押し付け、もう一つ、重く長い息を吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る