第6の鍵 ―異変―



「では、あと5日、ご滞在なさるのですね」


執事は顔色ひとつ変えなかった。

部屋係もだ。

僕の言ったことを、言葉を変えて静かに復唱しただけだ。


金の間シャンブル・ドオルのお客様には、金曜日まで居ていただく” と。


僕は、指示をしたのだ。

日曜の夕方―――ネットサーフィンナヴィガスィオン・スュー・ル・ウェブに没頭しているルイを書斎に残して―――使用人たちを予備室に集めて。


そんなこと……この役割を引き受けて以来、初めてだ。

それでも彼らは文句ひとつ言わない。


「あのぅ、では、なんと……お呼びすればよろしいのでしょう?」


小間使い見習い―――ここでは “研修生スタジエール” と呼ぶのだが―――のひとりが放った質問。

僕はどう答えればいい?

わからない。



彼らがルイに声をかけなければならない時には、ごく自然に “マダム” と呼んでいたらしい。

だが、部屋係がそれを禁じたのだと言う。



そりゃぁ、僕と一緒にいる時に彼女を “マダム” と呼んだら、夫婦だということになってしまうから……

かといって、“マドモアゼル” は、本人が嫌がったし……



おずおずと、手が上がった。


「ルイSANさん、では?」


そう言ったのは、若い給仕のひとりだった。


「……さきほど、日本のお方だと伺いました。私の友人の同僚が日本人で、彼はその同僚を呼ぶとき、名前のあとに “SANさん” をつけているんです」


異論を唱える者は、いない。

僕にも他にアイディアなんてない。

僕が黙ってうなずくのを見て、執事がひとつ、手を叩いた。


「では “お呼び名” の件はそれで良し。みんなしっかり。食材の手配、あと、お身の回りのお世話も」



―――全員解散。

皆、さっさと持ち場に戻って行く。

僕はと言えば、書斎に戻りながら、ひとり、ある符合を面白がっていた。


そういえば、人を呼ぶ時の日本語を、聞いたことはある。

その時も思った。

SANさんは英語のSUNと同じ発音だと。


そして “SUN KING” つまりルイ14世の初恋の女性……それが、あの “マリ”。


その “マリ” と同じ顔、太陽王と同じ発音の名を持つルイが、太陽王の英語名をくっつけて呼ばれる。


そんなのはただの言葉遊び。

だが、。単純に。


……そんな、愚にもつかないことを考えながら食堂を抜け、僕は、『第6の鍵』の部屋……彼女の出入りのためにドアを開けたままにしておいた書斎……に足を踏み入れた。



“―――?”



僕は、バクン、と、波打つのを感じた。自分の心臓が。



ルイの姿はない。見回しても。


「……ルイ?」


返事もない。


だが……ぼんやりとした光を感じた。書き物机ビューローの辺りに。


机に近づいてみて、ギョッとした。

机の上に……のだ。ルイが。


「ルイ!?」


ただ寝ているというのとは、違う。

それはすぐに判った。



モニターは点いたまま。サングラスは床に落ちている。

突っ伏した頭のどこかがキーボードを押している。

画面いっぱいに、“qqqqq……” という表示が……



ルイは……その肌は、真っ赤だ。

首すじから耳……頬まで。


唇から漏れている息は、早く、そして荒い。


僕は「失礼」と言ってから、ルイの額に手を当てた。


―――熱い!


それは、尋常な熱さではなかった。

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