第25話



――キタルファ王国 3000年前――



キタルファ王国の美しい王都の広場、その男は一人歩いていた。



艶やかな黒髪に黒曜石の瞳、誰もが振り返る美しいその顔には憂うような表情を乗せて、男は疲れたように歩いていた。



くまの酷いどこか陰気な雰囲気を纏った背の高い男は、貴族の着る美しい縫製の服を身にまとい、王城へ向かって進んでいる。




……見て、勇者様よ……



……最近見かけなかったのに、何かあったのかしら……





彼は勇者であった。



街の人々は彼を見つけるとたちまち囁き始める。


じろじろと見られているのも意に介さず、彼は重い足取りで王城へ向かう。


門へ辿り着くと、接触時間を少しでも短くしたいのか、城の門番は彼を急いで中に通した。



城の中、彼の通る道には人がいなかった。彼を恐れるように、城の使用人達は勇者を敬いながらも彼を避けていた。



彼は王のいる応接間の扉の前で、無骨な手袋をはめ直す。それを見た案内をしている使用人はほっと息をついて扉を開けた。



応接間の中、王は重々しい表情で彼を迎えた。



「よく来てくれた、死の勇者よ。」



「……お元気そうで何よりです、陛下。」



彼が陰気な顔でそう言うと、王はソファに座るよう命じた。



「お主も知っておろうがこの国では今、流行病が蔓延しておる。医者に見せても、学者にみせてもわからぬという。ならばと呪いの解呪を専門にする魔術師に見せても効果がない。癒しの祝福を持つものはいない。小さな子供が先日死んだらしい、このままでは死者が増えるばかりだ。」



王は沈痛な面持ちで彼を見た。



「異世界人である死の勇者殿。此度の流行病、何か知っておらぬか。」



彼は拳を少し握りしめ、暗い表情で言った。



「……わかりません。医学の知識はあまり……お力になれず、申し訳ございません。」



王はそうか、と呟くと、ソファに体を寄りかからせた。

王は高齢で、今回の流行病にかかったらひとたまりもないだろう。



彼は申し訳なさそうに俯いた。



「……他者の命を奪うだけの身です。何か策がないか、帰ってもう一度考えてみましょう。」



「お主が頑張っていることは知っておる、お主は優しい子だ。……すまないな。」



彼は応接間から去ると、ぼんやりと廊下を歩いていた。



背の高い彼に曲がり角を走っていた城の若い使用人がぶつかり、持っていた花が床に散らばる。


使用人は迷惑そうに彼を見た。彼がしゃがんで花を拾おうとすると、若い使用人を追いかけてきた老齢の執事が声を上げた。



「……ひっ!死の勇者様!も、申し訳ございません!」



老齢の執事がおののくように非礼を詫びると、若い使用人は顔を真っ青にして床にひれ伏した。



「し、死の勇者様とは知らず、失礼をおかけしました!な、何卒!お許しください!」



花を拾おうとした彼の手は空を掴み、彼は静かにその場を立ち去った。



王城を出て、広場を抜けようと街を進んだ彼を、人は皆避けるように道の端へ寄った。




……死の勇者よ、不吉だわ……



……最近の流行病は、もしかしたら死の勇者の仕業かもしれないぞ……




彼は噂を黙って聞きながら、街のはずれへと戻っていった。



街のはずれに住む彼の屋敷は、勇者が住むにしては随分と小さなものだった。それもそのはず、彼は高貴な身分であるものの使用人を雇わなかったからである。


彼は小さな門から家に入ると、ほっと息をついて手袋を外した。




彼は勇者だった。



彼の手に触れた生物はたちまち命を失う。

植物、動物、あるゆる生きているものは、彼の手に触れられると毒を取り込んだように死ぬ。



異世界より来た彼は、その力で魔物を退治し、王国を守護していた。戦争があれば敵兵を屠り、魔物に襲われている街があれば飛んでいって街を守った。彼は王国の英雄であった。



それでも、人々は彼の強い力を恐れていた。

自分達を守る死の勇者を、その強大な力を怖がった人々は、彼を自分達から遠ざけようとした。



人々は彼を恐れ、“死の勇者”と彼を呼んだ。



彼は暗い人物であったが、心根の優しい、穏やかな人柄であった。王は人々に疎まれる彼を大層哀れみ、せめて彼が心穏やかに暮らせるように、街の外れに屋敷を用意し、何不自由なく暮らせるように手配していた。



彼はいつもの様に窓を開けて、紅茶を用意してひとりきりのお茶会をしていた。



王が手配した庭師によって整えられた植物を見ながら、彼は静かにお茶を飲んでいた。



すると、迷い込んできたのか、植物の茂みから月長石のような薄青がかった瞳の月兎が顔を出す。



月兎はぴょんとテーブルに飛び乗ると、彼の顔を見て首を少し傾げた。手には何かの木の実を抱えている。



不思議な色の月兎に驚いていると、月兎は庭の隅にかけていき、器用に穴を掘り始めた。


そして、持っていた木の実を穴に放り込み、また器用に土をかぶせた。

月兎はぴょんと飛んで茂みの中へ戻り、二度と姿を現さなかった。



他の動物は、自分を恐れて近寄ってこない。彼は月兎が現れたことに少し嬉しくなり、家の中へ入っていった。




夜、美しく輝く満月を見ていた彼は、ふと庭を覗くと昼間月兎が木の実を植えた場所に、

小さな木が生えていることに気づいた。



彼は庭におりて木に近づいた。



すると、どこからか光を纏ったカラスが飛んでくる。煌めく金色の目のカラスは、くちばしに美しい木の枝を咥えていた。


カラスは彼の手に木の枝をぽとりと落とすと、自分の羽を1本抜き、また彼の手に持たせた。カラスは彼の目をじっと見て、一声カア、と鳴くとすうっと消えていった。カラスのいた場所には光の煌めきが残っていた。



不思議な出来事に呆然としていると、目の前の木は満月の光を浴びて不思議に輝いた。


木は歌のような、人の話し声のような不思議な音を奏でながら光を纏った。



彼の持つ美しい宝石のような木の枝も、満月の光を受けてしゃらりと音を立て、キラキラと輝きを増した。



木は、美しく音を立てながら彼に語りかけた。彼は不思議と驚かずに、木と会話をすると、木が落とした水音のする実を拾いあげ、家の中へ入っていった。




家の中は、不思議な静けさに包まれていた。


彼は満月の光がいっとう当たる場所に移動する。



彼は棚から美しい模様の瓶を取り出した。

そして、月兎の木の実からなった、不思議な木が落とした水音の実を割った。



『海に月明かりあれ 風は灯りをともせ』



月の模様の瓶に、美しい海のような液体が注がれる。海のような液体に、月の模様が映った。彼はカラスの羽で13回、液体をかき混ぜた。



次に、光り輝く木の枝の美しい葉をむしると、木の枝ですり潰した。



『太陽は地に影を 風は闇を祓え』



彼はその時、木が金で、実は真珠であることに気づいた。



「……かぐや姫の、蓬莱の玉の枝……」



彼はそう呟くと、すり潰した葉を太陽の模様の瓶に入れて、月の模様の瓶の液体を12回に分けて注いだ。カラスの羽でそれをかき混ぜ、彼は歌うように、静かに言葉を紡いだ。



『月に道を 太陽に梯子を 地に沈み 海に灯り 風に囁け 月兎と金烏に選ばれし者』



光が瓶を覆い、それが収まるとそこには光の粒のような小さな個体がたくさんあった。



彼はそれを静かに布に包むと、暗い夜道を走り、王城をめざして駆け抜けた。



王城は皆が寝静まっていると思っていたが、思いのほか城は騒がしかった。胸騒ぎのした彼は、そばを通りがかったメイドに声をかけた。



「どうしてこんなに忙しい?」



メイドは城に勇者が現れたことに驚きながらも言った。



「陛下がお隠れになられました。」



勇者は走り出すと、王の寝室へ飛び込んだ。



広い室内のベッドには、昼間、彼と話をしていたはずの王が静かに眠っていた。王の周りにはたくさんの人がいて、彼の眠りを悲しんでいた。



王の一番そばで泣いていた王の一番目の息子が立ち上がると、放心してドアのそばで突っ立っている彼を怒りを抑えられないように睨みつけた。



「……死の勇者。お前が現れなければ、父上は死ななかった。お前がいたから、お前がいたから!!死の勇者、お前のせいで父は死んだのだ!」



王が死んだのは、彼のせいでは決してなかった。しかし、理不尽なその追求を周りの人々は止めなかった。彼らもまた、死の勇者のせいにしたい王子の気持ちを痛いほどわかったからだった。



彼は王の顔を見ようとベッドに近づいた。

王は苦悶の表情で死んでいて、国の未来を憂うような顔だった。



呆然と座り込んだ彼の手から、先程作った薬の粒が布から転がり出てくる。



怒り狂った王子には、その薬の粒の煌めきが、毒薬の怪しい輝きのように見えた。



王子は抜刀して、王のそばに座り込んでいる死の勇者の頭をはねた。



その瞬間、薬の粒はきらきらと光の粒子になって宙に溶けていった。




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ぷつり、と目の前が暗闇に包まれる。



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満月の輝く夜空を、美しい長い黒髪をはためかせた女がひとり寂しく眺めていた。



ぱっちりと大きな目に、月が揺らめいて映っている。この世のものとは思えないほど美しいその女は、泣き出しそうに月を見ていた。



「かぐや姫。何をそんなに悲しんでいるのですか?」



翁は美しい女をかぐや姫と呼んだ。



かぐや姫は、首を振って何も答えなかった。



( 誰とも結婚なんて出来ないわ。私は月に帰らなければいけないもの。)



翁や嫗にはたくさんの愛情を注いでもらったが、かぐや姫は本当のところ、翁と媼と分かり合えることは無かった。



( 理解されないことも多かったわ。それでも、恩返しをしたい。)



かぐや姫はその次の満月、月に帰る日に、翁に薬を渡した。どんな難病も治る不思議な月の仙薬だった。



翁と媼は、その価値がとても高いものだと気づいてしまった。翁や嫗は、かぐや姫が来てからの優雅な生活が忘れられず、欲に溺れ、少量の仙薬で悩める民から莫大な金を巻き上げた。



かぐや姫はたいそう悲しがった。



かぐや姫は月に帰るとき、空から落し物をしてしまった。皇子が作った偽物の蓬莱の玉の枝でなく、本物の蓬莱の玉の枝を。



蓬莱の玉の枝は時空の狭間に吸い込まれてしまい、かぐや姫が取り戻すことは難しかった。



かぐや姫はため息をついて、そばにいた月長石の瞳の月兎と、空を飛んでいた金目の金烏にお願いをした。



「……どこかで病気が流行ったら、あなた達が導いてあげなさい。月兎、あなたには海の実を。金烏、あなたにはその美しい羽に魔法を。」



かぐや姫がそう言うと、月兎と金烏は時の彼方へ飛んでいった。



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死の勇者は私の方へ振り返った。






“間違えるな”



“今回こそは”




“皆を”




かぐや姫は悲しそうに笑った。



“間違えないで”



“今度こそは”




“あなたが”




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