Sanctus 4

「大変な子を引き受けてしまった」

「まったくだ」

 ぽっかりと空いた穴からは、今日も銀色の月が底まで瓦礫とハルカたちを照らしている。

 墓標代わりに立てたアヤノの剣の前で、ハルカはいつものように報告を済ませると、いつになくセリナの方を向いて、

「少し、休もう」

 と言った。

 セリナはそれがとても珍しいことだと知っているので、一瞬目を丸くしたが、素直に首を縦に振った。かつては床だった、コンクリートの欠片に腰をかけ、煙草に火をつける。

「まだ、やめてないの?」

「もう、やめられないよ」

 言葉と煙を器用に吐き出して、セリナはハルカを見上げる。

 無神経な質問にも慣れた。合理化が進んでいくうちに廃れてしまった嗜好品など、嗜むだけ不経済だと知ってもいる。けれど、やめることなど、とうの昔に諦めていた。

「あたしには、これしか残っていないんだから」

「そう」

 ハルカは短く答え、セリナの隣に腰掛けた。

「臭いが移るから、あんまり近づかない方がいいんじゃないの」

「別に、僕は煙草が嫌いなわけじゃないよ」

「そうなの? いつもやめろって言ってるくせに?」

「うん。吸うと寿命が短くなるらしいから、セリナには吸って欲しくないけど、臭いとかは気にしてないよ」

 ハルカは淡々と、そう言った。

「だいたい、コギソさんも吸ってるじゃない」

「そう言われてみれば……」

 訓練や戦闘の前に煙草を吸うのはよくないわよ。

 そんな小言を少し前に言われた。力が弱まり、生存する確率が下がると説明された気がする。自分が吸いたい時に吸えればいいセリナにとっては、記憶の端にひっかかっている程度のことだった。

 小指ほどの太さの紙巻き煙草を、緑色に硬化した掌でもみ消した。

「明日だね」

「うん」

「——死ぬなよ」

 思いのほか低かったセリナの言葉に、ハルカは一瞬だけ、その黒い瞳を震わせた。

「たとえ、あいつと戦うことになっても、絶対死なないで——ってあんたいつも言ってるじゃん」

「それは、そうだけど……」

「だから、今日はあたしが言う番。勝手に死んだら、絶対に許さないから」

 呪詛にも似た、暗く重たい言葉に、ハルカはただ見つめ返すことしかできなかった。

「置いていかれるの嫌いだって、何度も言ってるよね」

「ごめん」

「まあ、うん——もういいや」

 セリナは大きくのびをして、立ち上がった。

「ちょっと言い過ぎた。ごめんね」

 心にも思っていないことを言うのにも慣れてきてしまった。そんな感覚が嫌だったことも、もう忘れかけている。

「そろそろ寝ようよ、明日、あいつを倒しにいくんだからさ」

 少し弾ませるように、セリナはそう言って、ハルカの手をとった。

「どうしたの?」

 ふふ、とハルカは軽い笑みを浮かべる。

「オリガのまね」

「似合ってない」

「ちぇー」

 セリナは口をとがらせた。

「帰ろっか」

「うん」

 ゆっくりと詰所ステーションへ戻る二人を、柔らかな月の光が照らしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る