Kyrie 13

「……どうだった?」

 後ろから両手を回して緩く寄りかかられながら、レイ・ホウリュウ大佐は彼女に訓練の様子を聞いた。

「苛めちゃった。それも、こっぴどく」

 手先の爪を立てないように細心の注意を払っていることを気づかせないように、コギソ・フミコ曹長は官能的に囁いた。

「嫌な女だな、全く」

「あら、誰かさんより素直でいい性格だと思うけれど?」

「明日、第三部隊が全滅したらお前のせいだからな」

 ホウリュウ大佐はゆるく溜息をついて、フミコを見つめた。

 本当に、嫌な男。

 そう思いながら、フミコは彼に唇を重ねる。身体の奥に重たくて湿った熱が籠もっているのを感じて、彼女は目の前の男を爪で引き裂かないように、漆黒に覆われた両手をゆっくりと離した。

「そう言いながら、その第三部隊を『零式』に向かわせたのは誰かしら」

「仕方がないだろう。ハルカとセリナ、そして第一部隊をここから離れた場所で戦わせたくないんだよ」

「そう。——私はね、ハルカを特別扱いするのはいいし、私がその次に入っているのも別にいいの」

 しかし彼女の表情は厳しいまま、全く変わっていない。

「——そういう目をしていないが」

「してなくても言葉だけ聞きなさい、本当に嫌な男ねあなた」

 だから妙に安心するのね、きっと。

 そういう言葉はわざと言わないのが、フミコだった。

「けれど、今回、エレナを先遣させるのは、少し、酷いんじゃない?」

「さっきまで訓練で散々苛めといて、そんなことを言うのか?」

「私がエレナを大事に思っているという点では同じよ。ハルカが相手なら、そんなことしないわ。——もっとも、あの子は私と訓練などしないでしょうけれど」

「エレナは死なないで戻ってくるだろう。俺の予測では、第三部隊は半数を残して帰投するはずだ。そこには、エレナも残っている」

「相手は『零式』なのでしょう? そんな希望的観測が通用するかしら? スピードなら、向こうの方が上なのよ? それに、『零式』はあの子たちの故郷モスクワ・ステーションを葬っている。エレナとオリガが冷静に判断できるとは思えないわ」

 フミコは、あえて先の訓練の話をしないことにした。

「いや、エレナほど生存能力の高いものもいないだろう。彼女は、相手が手に負えるものではないことにすぐ気がつくはずだ。逃げる能力に関しては、部隊長もお墨付きの第三部隊が、文字通り適任だろう。お前だってわかるはずだ」

「あら、いやだ、会議であれだけ苦い顔していたくせに、全部計算ずくだったなんて」

 フミコはあくびをしながら白々しく言い放った。

「そうでなければ、この詰所ステーションは務まらん」

 ホウリュウ大佐はいたずらっぽく笑った。

 フミコはそれをみて少しむくれる。

「どうした?」

「お互い歳をとったな、と思って」

 フミコは彼に刻まれた皺を見て、小さく溜息をついた。

「そうだな。いつまでもその身体で、本当に羨ましいよ」

「それ、嫌味に聞こえるわよ」

「本当だよ。二十年経っても見た目も抱き心地も変わらない女なんか、他にいないだろう」

「あなたの周りに掃いて捨てるほどいるでしょう?」

 不適切言動セクハラとも取られかねない言葉でも表情を変えないまま、フミコはそう返した。

 ドラゴンの遺伝子を組み込まれた「V」は、人間に換算すると二十一歳の姿のまま、成長も老化もせず、そのままの身体を維持し続ける。落ち着いた雰囲気のフミコは、容貌としては二十代後半にも見られるような姿だが、実はホウリュウ大佐よりも年上だ。それでも、今なお現役で戦い続けているのは、彼女がそれだけ、彼と運命をともにしたいと考えているからである。

 その想いの強さを知っているのかいないのか、ホウリュウ大佐は表情をほとんど変えずにフミコに接している。そこから、何かを読みとるのは、二十年以上接しているフミコですらも難しいことがある。

「だが、出会ってから全く姿形を変えていないのは、フミコだけだ」

「そうかもしれないわ。出会った頃のあなた、なかなか尖っていて格好良かったのに」

 フミコは深く溜息をついた。なぜだか彼の前にいると、どうしても溜息が多くなるような気がした。

「お前は最初からずる賢かった」

「へえ、じゃあ、あなたがそうなったの、私のせいだってこと?」

「そうかもしれないな」

 ホウリュウ大佐は腕を組み、フミコを見つめる。フミコは彼から視線を逸らした。

「——さて、もう寝る時間だぞ」

「そうね」

 フミコは冷淡に切り上げ、踵を返した。

「いやに冷たいな。普段はしつこいくらい粘るくせに」

「駄目な時は駄目だって、学んだの」

 思ってもないことを言うの、得意になりたくなんてなかった。

 そんな子供じみたことを考えながら、フミコは司令室をあとにした。

 かつかつと、本当は履きたくもない無骨なブーツの足音だけが、時計の秒針のようにしっかりと響いていた。

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