Kyrie 12

 連絡坑の中は、ところどころ小さく明かりがついていて、そのおかげで彼女たちは互いの姿を確認することができる。

「……フミコ」

 エレナのか細い声が、後ろから聞こえるのを、フミコは背を向けたまま聞く。

「なぜ、サエグサは、あんなに強いのかしら。第一部隊長ということは、フミコよりも強いのでしょう?」

「——半人前チェラヴィエクなのに、あなたや私よりも強いのはどうしてか、ということ?」

 フミコの言葉に、エレナは無言のままだった。

「確かに、サエグサ・ハルカは『V』としての能力は私たちに大きく劣るわ。飛行速度が早いわけでもないし、一度鱗を失うと再生するまでに何日もかかる。力もさほど強いわけでもない。どれも、あなたの方がずっと上。力や回復力であなたに勝る者は、この東東京詰所イースト・トウキョウ・ステーションには存在しないでしょう」

 フミコは、エレナに構わず続ける。

「けれど、あの子は第一部隊の長を、もう十年以上務めている」

 第一部隊長は、事実上、詰所ステーションの中で最も戦力の高い「V」が務める。続いて第二、第三——となる場合がほとんどで、この詰所ステーションも例外ではなかった。

「その理由は——竜化トランスを無限に行えるということもあるのだけれど、一番の理由は——私たちには持ち得ないもの」

 フミコは淡々と、歩みを進めた。

「あの子が、下の子たちにどう呼ばれているか、知ってるでしょう?」

「——『神風カミカゼ』」

 噛んで含むように、エレナはつぶやく。

「その意味も、あなたなら知っているはず」

 カミカゼ。

 かつて存在した、日本語をもとにした言葉。転じて、命を棄てて、敵に切り込む行為を意味したという。

 しかし、エレナはこの言葉が示す意味も、ハルカの戦い方もよくわからなかった。戦いというのは生きるために行うもので、自分が生きていなければ、それは勝ちとは呼べない。

 死んでしまったら、その時点で負けだ。

「あの子は、自分を守らない。守る必要がないと考えているの」

「よく、わからないわ。なぜ、自分を守らないことが、強さに繋がるのかしら?」

 エレナは、心からの疑問を空虚に放った。

「私たちの考えは、まず自分を守る、そして仲間、最後に組織——という風になっているわね。これは、おそらく生まれながらにしてそうなっている。あなたの言う——正騎士ルィッツァリが先天的に条件付けを施されている結果、そういう思考に必ずなっているというわけ。これは、何十年も前、私たちのような混合人間キメラ・ヒューマンを作り出す技術が確立されつつあるときに、当時の人権派が生み出した条約——ロンドン条約によって規定されているわ。わたしたちは人道上、そうプログラムされているということ」

「つまり、サエグサとオノは——半人前チェラヴィエクであるからこそ、その条件付けの縛りがない、ということ? そんなのってある?」

 エレナは怪訝そうな顔をしている。

「もっとも、それ以前に、人間というのは普通、自分の身を守ることを最優先に思考するようになっているわ。だから、どんな兵士でも、まず生き延びることを先に考える」

「当たり前じゃない。あたしたちはより多くのドラコンを倒すためにできるだけ生き続けなくちゃならないでしょ! サエグサはそうではないというの!」

「その通りよ。あの子はそういう思考をしない。目の前のドラゴンを確実に殺すことしか考えていない。——いえ、ドラゴンを殺すことしか考えられなくなってしまったの。だから、あの子は強い。私たちに数舜のためらいが生じるような状況でも、あの子は全くためらわず、より多くのドラゴンを殺すために戦う。だからこそ、あれだけ強い」

 ふと、さきほどのハルカの残像が、エレナに飛び込んできた。数日前に新兵の初戦チュートリアルをこなしたために鱗が一枚剥がれ、負った傷が今日になっても治らなかったという。

 鱗すらろくに治せない半人前チェラヴィエクか、と思っていたが、確かに、治療までに数日を要する鱗一枚を犠牲にしたからこそ、ハルカは初戦チュートリアルを無犠牲かつ五人の配属確定という異常なまでの高成績を残せたのだ。エレナと副長のオリガがどれだけ新兵に気と力を遣っても、初戦チュートリアルで配属確定を五人出すには、ひとりかふたりの犠牲を覚悟する必要がある。それも、相手が竜段レベル1だけの小規模編成であればの話で、竜段レベル2が出てきたらその計画すらほぼ無理な目標ミッションになってしまう。自分の命を守るために、どうしてもどちらかは捨てながら戦うしかなくなるのだ。

 ようやく、エレナはハルカの得体の知れない強さの片鱗を見いだした。

「だから、エレナ。さっき、ハルカが言っていたけれど。——あなたは、確実に生きて帰る必要があるのよ」

 フミコは、振り向いて、はっきりとエレナに向き合い、そう言った。

「そんなことを言ったって、今のを聞いたら、なおさら死んでも討ち取らなくてはならないじゃないの!」

 ああ、その顔。

 かわいらしい。ここなのよ。この、顔。

 エレナの少しむくれた顔を見て、フミコは顔を綻ばせないように細心の注意を払った。

「違うわ。あなたはハルカの戦い方を真似できない。あなたと私は同じ——自分の身だけを守る戦いをする必要がある」

「自分の身だけ? そんな身勝手な戦い、出来る訳ないでしょう!」

「いいえ、できるかできないかではないわ。やるしかないの。だから、あなたは自分だけを守りなさい」

 まっすぐな、厳しい目がエレナを見つめていた。紫色に彩られた、特殊な境遇にある者の瞳。毎日鏡で見ているはずのその色は、なぜか今のエレナを落ち着かない気分にさせた。

「あたしは、あたしのやり方で部隊を導くわ。誰の指図も受けたりしない」

 フミコの視線を振り切るように、エレナは目をそらした。

「そう、それでいいの。あなたは、あなたの思うままに、自分を生きていけばいい。

——どうせ、簡単に死ねる運命さだめにはないのだから」

 フミコは踵を返し、そのまま早足で歩き始めた。

 エレナはしっかりと、その足取りについていった。


「ありがとう、フミコ」

「いえ、楽しかったわ」

「楽しかったの?」

「ええ」

 そうは見えなかったけど。

 エレナはそれが余計な一言だと知っているので、口にしないで済んだ。

「じゃあね。——絶対に生きて還ってくるのよ」

 フミコは機嫌よく、作戦司令室へ向かっていった。訓練場の鍵を返すだけではないことをエレナはもう知っている。

「当たり前でしょ!」

 正騎士ルィッツァリですもの、とは言えなかった。

 なぜか、言うことができなかった。

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