Ⅰ Kyrie

Kyrie 1

 かつかつと、明らかに卸したてとわかるほどに真新しいブーツが鋼鉄の階段を駆け上がる音を聞きながら、ハルカは初々しい彼女たちを懐かしげに見つめた。階下から上がってくる少女たちは、皆若々しい。放射線を知らない肌は、黒い対竜装フォースの隙間から青白く透き通るように輝いている。上階の手すりにもたれ掛かっているわたしたちとはまるで違う生き物だ、とハルカは思わず自分の腕を見た。

「若いよねえ」

 セリナは、隣でわざとらしくふああと息を漏らしながら伸びをしてみせた。その腕は緑色の鱗で覆われている。

「あの腕、食べちゃいたい」

 口元から緑色に輝く長い牙をのぞかせながら、彼女はいたずらっぽく笑みを漏らした。

「食べちゃダメ」

 抑揚のない声で諭されることも、わかっていた。

「はは、まさかあ」

「その言い方、本当に食べちゃいそう」

「そんなわけないっしょー、もう」

 セリナはハルカの腕を小突いた。ぱり、と小気味よい音を立てて、小さな茶色い鱗が砕けて飛んだ。破片は手すりを飛び越えて、階下へと落ちていく。くるくると転がりながら、鋼鉄の床に当たってかん、と甲高い音を立てた。

「あっちゃ、ごめん」

「大丈夫、すぐ生えてくるから」

 漆黒の長髪を微動だにさせず、ハルカは長身のセリナを見上げた。腫れぼったい一重まぶたの先にある真っ黒な瞳。セリナはその吸い込まれるような闇が苦手だった。

「う……」

「どうしたの?」

「な、なんでもない」

「そう」

 そう言ってハルカは視線を新兵たちに向けた。

 セリナは静かにため息を漏らす。

「さ、はじめっか」

 その言葉で、ふたりの目つきに僅かな緊張が生まれた。

 ふたりは新たなる狩人の前に、相対するように並んだ。二人よりもずっと新しい対竜装フォースは、漆で出来ているかのように艶があった。彼女たちは、迷いなく二人を見つめている。そのまなざしはほとんどが、羨望、もしくは憧憬と表現できる感情の現れであることを、ふたりは厭と言うほどよく知っている。

「確認しろ。我々は死を約束されている」

 凛としたセリナの声が響きわたる。

 少女たちの間には、わずかな逡巡も、意識の糸のほつれもなかった。

 彼女らを見つめるハルカの瞳は、仄暗く切ない輝きを秘めている。

 見てはいけない。

 ハルカは目をゆっくりとセリナに向ける。セリナはまっすぐに新兵たちを睨みつけ、小さな傷ばかりで艶がすっかりなくなってしまった対竜装フォースを拳で叩いた。

「だからこそ、あがく。それを忘れるな。——『V』に祝福があらんことを」

「はい!」

 セリナの言葉に重ねられた大きな返事に、彼女らの血は通っていない。漠然とした恐怖。しきたりを知らない新兵たちを支配した感情は、ごく単純なものだ。

 ハルカは黙って、彼女らに背を向け、出撃用の連絡孔へと繋がるエレベータのボタンを押した。ピー、と甲高い電子音が鳴って、重々しい鋼の扉が少女たちを迎えた。

「みんなにお願い」

 振り返ったハルカの瞳は黒く濡れている。

 セリナは思わず彼女から視線を逸らした。

「諦めないで。どんなにボロボロになったとしても、わたし、連れて帰るから」

 細く、けれども決然とした声は、少女たちを貫いた。彼女たちの顔に各々の決意が浮かび、そして消える。

 がたん、と大きな音を立てて扉が閉ざされた。巨大な箱は、彼女たちを放射線と敵の待つ戦場へと無慈悲に送り出す。安全を約束された地中から、遙かなる時空の中に置き去りにされてしまった地中への旅路は、ごくごく短い。

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