第37話

 直ぐに届いたそれに触れると、手にしっくり馴染んだ。 

 これは、私の物。 

 このこに言われるまま、暇さえあれば、彼の写真を撮った。 

 部屋には彼が溢れた。何時も私を見てくれている彼を感じ、今までの人生で感じた事の無い安心感に包まれる。 

 このこのお蔭で、私には無かった安らかな眠りまでもが訪れるようになった。 

 全ては、この子……守護石のお蔭で。 


 ――石? ……守護石? 


 彼の事は、何でも知っている。 

 お父さんは公務員、お母さんは有名ブランドのデザイナー。彼のお母さんの事を知ってからは、クローゼットの中は全てそのブランドになった。 

 好きな食べ物はラーメン。ラーメンマップを作るのが夢。それくらい好き。そのクセ、猫舌。 

 好きなスポーツはサッカー。Jリーグではなく、日本代表が好き。 

 でも自分がやっていたスポーツは柔道。高校時代、小柄ながらなかなか強かったみたい。 

 そして彼の一番好きな物は映画。古今東西、映画なら何でも大好き。以前から公開されたら観たいと言っていた映画の試写会のチケットを、インターネットのオークションで見付けた。人気俳優が舞台挨拶に来るとあって、かなりな高値になっていた。 

 そして石が私に言った。買えば彼が喜ぶよ、と。 

「あ、新山君」 

 学食の入口で、彼を見付けた。 

「ねえねえ、今度の土曜、予定ある?」 

「んにゃ」 

「じゃあ、一緒に映画に行かない? 試写会のチケットがあるんだけど」 

「え? 何の映画?」 

 彼は嬉しそうに問い返した。 

 良かった。やっぱり、石の言う通り。喜ぶ彼の顔が見られた。直ぐに一緒に行く予定を立てた。 

 私は石に感謝した。心から。 

「ごめん! 折角誘ってもうた映画やねんけど、やっぱし行かれへんわ」 

 私のウキウキとした気分が、音を立てて崩れた。 

 何? 何が起こっているの!? 

 問い返す間も無く、彼は自分の言いたい事だけを言うと、立ち去ろうとした。 

 待って。意味が分からない。 

 気が付いたら、私は彼の腕を掴んでいた。耳鳴りがして、彼の言っている事が理解出来ない。 

「ねえ、観たいって言っていた映画だよ」 

 私じゃない誰かが、私の口を使い、彼の耳元で告げる。 

 一緒にご飯を食べていた男達が、好奇の目で見ているのを感じる。けれど、彼等にどう思われようと、どうでも良かった。彼等の事等、一度たりとも友達だなんて思った事すらなかった。 

 私の友達は、彼だけ。 

 私が欲しいのも、彼だけ。どうして分かってくれないの? 


 ――彼女……ナノカ? 


 理由も告げず、一方的に映画の誘いを彼が断った後、放課後、私は彼を余り見掛けなくなった。 

 折角買ったチケットは、結局単なる紙屑になった。 

 そんな中、彼が麒翔館大に出入りしていると耳にした。 

 いったい、何の為に? 

 疑問に思って彼を捜して学食を通り掛かった。 

 彼とよく一緒にいるのを見掛ける男子達が話していた。特に気にする事もなく、通り過ぎようとしたら、彼の名前が聞こえて来た。どうやら、麒翔館大に通っている理由を一人の男子がからかわれているようだった。その大学に、からかわれている男子の初恋の人がいるらしい。 

 彼に関係の無い話だと、早々に立ち去ろうとしたら、聞こえて来た。信じられない言葉が。 

「違うって! 俺じゃないって! た・も・つ! 新山保の初恋の人なんだって!」 

 彼は噛んで含むように言った。 

 何、今の。 

 けれど男子の目は真剣で、嘘を言っているようには見えなかった。 

『貴女の居場所がなくなるね』 

 石が言った。 

 何? どういう事? 

『居場所を取られるくらいなら、貴女が取っちゃえばいいのに』 

 石が私に囁いた。 

 胸元に吊したネックレスの先のペンダントトップを手で握る。 

 冷たかったそれが、直ぐに熱を帯び、熱いくらいに感じた。 

『取られるくらいなら、貴女だけの物にしちゃいなよ』 

 掌の中で、石がそう言った。 

 私には、何だって出来る! そう思った。 



『君が彼女と同調してどうするんだ!』 

 桂氏に怒鳴りつけられ、我に返る。 

 倒れ込んでいた俺が、両腕を突いて頭を上げると、今や周りは逃げ惑う人々の悲鳴と、風達に捕らえられ恍惚とした表情で光と共に消えゆく人々とで、混沌と化していた。 

 ……正に、地獄絵図。 

『樹に感謝しなよ。彼が君を取り出したんだから』 

 と、俺の背後に立つ、男を顎でしゃくった。 

 無表情に逃げ惑う霊を掴んではその首に歯を立てている男がいた。あの、夢で見た男だった。 

『魔と同化しようとしている彼女と、君が同調してどうするんだい』 

 呆れたように言いながら、彼もまた逃げる霊を一人捕まえては、その腕の中で光と共に消し去って行く。 

『嶋野さんは?』 

 視界の隅には、折り重なるように倒れている嶋野さんと俺が見えた。 

『かなりまずい状況だね。がっちりと魔に捕らわれちまったままだ』 

 横にいた風の一人が、代わって答えた。 

『このまま続けたら、彼女はどうなるんですか?』 

 心配になり誰とはなしに尋ねる。 

 俺の身体の下にある嶋野さんの身体からは、今尚、無数の霊体が溢れ出していた。 

『魔(やつ)も必死だからね。自分だけは何としても助かろうとしてるのさ』 

 俺の視線の先を追い、桂氏が言った。 


 ――……オ願……イ。 


 彼女の声が聞こえた。 

 すると突然、目の前に周りにいる霊体とは明らかに違う少年が姿を現した。 

《お兄ちゃん、あの女性(ひと)、泣いてるよ》 

 お前は、誰だ? 

 けれど何故か、初めて会った筈なのに、初めて会った気がしない。 

《僕もね、独りで怖かったんだ。だから分かるんだ。だからあの女性を助けてあげて》 

『何とかしないと……』 

 気が付くと、俺はそう呟いていた。 

 何故か力の入らない身体を無理矢理動かし、歩き出す。 

『おい、何処へ行くつもりだい?』 

 慌てて俺を引き止めようと、桂氏が俺の肩に手を掛けた。 

 普段なら、擦り抜けて行くであろうその手の感触に、俺もまた、自分が今、意識だけの――風や霊のような存在であると認識する。 


 ――オ願イ……私ヲ一人ニシナイデ。 


 彼女が泣いている。 

《お願い、助けてあげて!》 

『助けないと』 

 彼女は自分の居場所を求めていただけ。 

《あの女の人も、独りぼっちで不安なんだよ。怖いんだよ》 

『お前は一度失敗しているんだ。諦めろ』 

 風の一人が、捕らえた魂を光に包みながら言う。 

『だったら、あんた達の誰かが助けに行ってくれるのか?』 

 誰も答えようとしなかったが、俺には彼等の答えが分かっていた。 

 皆、俺から目を逸らし、自分の仕事――嶋野さんの中にいた霊体達を本来いるべき場所へと送る仕事を無言で繰り返す。 


 ――オ願イ。 


《助けてあげて》 

『俺が行かないと。……助けないと』 

 桂氏の腕を肩を揺すって外す。そして前へと、嶋野さんや俺の身体のある場所へと歩いて行く。 

『無理だ! もう、諦めるんだ!』 

 また別の風が俺の腕を掴む。 


 ――助ケテ。 


《お兄ちゃん!》 

 俺は掴まれた腕を振り払い、歩き出し、早足になり、最後には駆け出した。 

『彼を止めろ!』 

 桂氏が背後で叫んでいる。 

 その声を合図に、四方八方から、風が俺に向かって飛び掛かって来た。その側では霊達が叫び声を上げ、嵐が渦巻くが如く飛び交っている。 

『ボウヤ、諦めなさい』 

 風の一人――女が、俺の右腕を掴む。 

 別の風が、左肩を掴み、耳元で怒鳴る。 

『往生際が悪過ぎるぞ』 

 また別の風は、背後から俺の腰を抱き、動けないようにする。 

 次から次へと、風達が俺を取り囲み、俺を行かせまいと捕まえる。 


 ――イヤァァァ!! 


《お願い!!》 

『うおぉぉぉ!!』 

 今まで生きて来た中で、これ程までに自分の力を出しただろうか。 

 俺は、身体を掴んでいる風という風を投げ倒していた。正に、火事場の馬鹿力。遅れて来た桂氏が、俺の肩を背後から掴むに至っては、その手を掴み、無意識に背負い投げていた。 

 今の俺には、信じられないくらいの力が溢れていた。絶好調の試合の時よりも更に上を行く力。自分でも怖いくらいだった。 

 嶋野さんの身体に辿り着いてもまだ尚、彼女の身体からは、彼女に憑いていた霊体達が彼女を隠すかのように湧き出していた。 

 そこで問題が一つ発生。 

 意識だけの存在になり、一度は嶋野さんの身体の中――意識の中に入ったものの、それだって俺が自力で出来た事ではない。 

 なぎ倒して来た風に、今更どんな顔して頼めるだろうか。 

 ……いや、無理だ。 

 困っていると肩を叩かれた。文字通り。 

 振り向いた俺が見たのは、榊田さんの風でもある樹だった。 

 樹は、俺を見た後、その視線をチラリと嶋野さんの身体へと向けた。 

 たったそれだけの仕草にもかかわらず、何故か俺には彼の言わんとしている事の意味が理解出来た。俺が大きく頷くのを確認すると、片手を挙げ空に何やら文字のような物を書き始めた。 

 引き止めようとしていた風達は、そんな樹に気付くと、動きを止めた。 

 樹は、そんな事等何処吹く風だという風に、全く気付いていないのか、サラサラと空に文字を書いて行く。空に浮かぶその光の文字は、以前、桂氏が守護石を作る時に見たのと同じような紋様だったが、俺の記憶が正しければ、明らかに違うそれ。 

 最後に四角と菱形の図形で囲むと、それを両腕で大きく引き伸ばす動作の後、本当に大きく――人が通り抜けられる程、俺のような長身の人間ですらも楽に通り抜けられる程大きく引き伸ばされた。 

 樹は相変わらず何も言わなかったが、出来上がったそれを目で指し示し、俺にそこを通るよう、促した。 

『ありがとう』 

 俺はそれだけ言うと、ゆっくりと歩き出した。 

 今度は、誰一人として俺を止めようとはしなかった。 



 樹の描いた輪を通り抜けると、世界は一変した。 

 先程いた場所――結界の中が嘘のように静まり返っている。辺りは墨を流したかのように、自分の手さえ見えない暗闇だった。 

 さて、入ったはいいが、何処を捜せばいいのやら……。 

《お兄ちゃん、そっちじゃないよ。お姉ちゃんはこっちにいるよ》 

 適当に足を踏み出すと、背後から声がした。 

 振り向くと、先程見た少年だった。暗闇の中、少年はぼんやりと浮かび上がって見えた。 

 参った。さっきあそこを通り抜ける際、この少年もついて来てしまったのだろうか? 

 慌てて捕まえようとしたら、軽く躱された。 

《早く。急がないと、お姉ちゃんがお姉ちゃんでなくなっちゃう!》 

 言いながら、どんどん先に行ってしまう。 

 お姉ちゃんがお姉ちゃんでなくなる? ひょっとして、魔との同化が進んでいるとでも言いたいのだろうか? もし、彼女が完全に魔と同化してしまったら? 

 少年(あいつ)を助けるのは後だ。 

 俺は彼の後を追った。 



 どれくらい走ったのだろう。 

 時間と距離の感覚が、本来あるべき物とは違うという事だけは、辛うじて理解出来た。 

 途中、有り得ない事だが、先を行っていた少年の姿を見失ってしまっていた。それでも、彼が走って行った方向に、感覚のみで走った。 

 そして、相変わらずの暗闇の中、彼女を見付けた。 

『嶋野……さん?』 

 彼女は俺達と同じく真っ暗な闇の中にいる筈なのに、その姿をはっきりととらえる事が出来た。 

 彼女は、ただいただけではなかった。彼女は、箱の中で横たわっていた。透明の硝子ケースのような正方形の箱の中、膝を抱え、横たわっていた。 

『嶋野さん! 嶋野さん!』 

 俺が力一杯何度叩いても、箱はビクともしなかった。 

『くそっ! 開けって!』 

 ドンドンと、箱に己の拳を叩き付ける。 

 肉体の無い魂だけの存在だというのに、その拳からは、激しい痛みを感じ、血が吹き出す程、何度も叩く。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る