第32話

「大丈夫みたいです。ちゃんと呪詛は解除されて、器としての機能も壊されているみたいですよ」 

 俺が自分の携帯を畳むと、そう言って返して来た。 

「でもこれ、どうしたんですか? まさか、本人から呪詛が解除されたか確認するように頼まれた訳じゃないですよね?」 

 小首を傾げ、不思議そうな表情を向けた。 

「んな馬鹿な」 

 その幼い表情に破顔しつつ、単なる忘れ物なのだ、と告げた。 

「そうなんですか。私はてっきり、また片瀬君が呪詛の最中に呪詛者から取り上げて来たのかと思いましたよ」 

 驚いて立ち止まると、彼女は、冗談ですよ、と、真顔で言った。 

 樹って風もよく分からんが、榊田さん自身も、よく分からない娘だと、しみじみ思ったのだった。 



 その夜、ちょっと贅沢して惣菜屋の弁当と、インスタントの味噌汁を食っていると、耳慣れないくぐもった音が、俺の部屋の何処かから聞こえた。何処からだろうと耳を澄ますと、鞄の中から聞こえていた。あの、忘れ物の携帯電話だった。 

 かなり長い間呼び出し音が鳴っていた為、着信者名も確認せずに慌てて電話に出る。 

「はい、もしもし」 

『あの、すみません。どなたか存じませんが、その電話、あの、えっと、私のなんです。あの、今、何処にありますか?』 

 電話の向こうで彼女――電話の持ち主が一気に喋った。電話を通しても、彼女がかなり緊張しているのが分かる。 

 俺は彼女を落ち着かせようと、大学のコンピュータ自習室で携帯を拾った旨を丁寧に説明した。 

『ああ、新山君と一緒にいた!』 

 やはりこの携帯の持ち主は、あの時保のパソコンを復旧してくれた彼女だったようだ。 

 それにしても、彼女は保の名前を知ってはいても、俺の名前は分からないらしい。俺が彼女の事を知らなかったという事はこの際棚上げにして考える。 

 成る程。偽石の持ち主と言う事は、保のファンでもあると言う事か。自分で立てた仮説だったとはいえ、まさかこんな形で実感する事になろうとは……。 

「どうする? 今から何処かに持って行こうか?」 

 とは言ってみたものの、壁に掛かっているアナログ時計は、午後八時を回ろうとしていた。 

『いえ、そんな、悪いですから……』 

 そうは言ったが、本当は今直ぐにでも携帯を取り戻したいに違いない。 

 一応、本人と確認がとれないものかと、保と二人して中を確認してはみたが、全ての機能にロックが掛かっており、どうする事も出来なかった事から考えても、彼女がこの携帯の情報をかなり秘密にしたがっているのが見て取れた。 

「俺は別に構わないけど。君、どの辺に住んでるの?」 

『私ですか? 私は……』 

 彼女の告げた町名は、俺の住んでいる場所から歩いて十五分程のエリアだった。 

 俺も自分が住んでいる町名を告げ、丁度真ん中辺りに位置する、ファミレスで会わないか、と提案した。 

『そんな、悪いですから』 

 そう、何度も彼女は断ったが、強引に三十分後に会う約束をして電話を切ったのだった。 



 四十分が過ぎようとした頃、ようやく俺は約束のファミレスに到着した。 

 あれから飯を急いで掻き込み、部屋を出ようとしたら、タイミング悪く家庭教師先の生徒から、電話が入った。学校で出された数学の宿題で、どうしても分からない所があるのだという。普段、こういった電話等して来る子ではないので、今は時間が無いからと電話を切る訳にもいかず、結局、遅刻するに至った。 

 店に入ると、窓際の席に、ポツンと所在無げな様子で、彼女は待っていた。 

「遅れてごめん。かなり待ったよね」 

 そう言いながら椅子に座ると、そんな事は無いと、小さく彼女は首を振った。 

 しかし、そう言う彼女の前に置かれたグラスの中には、氷で薄まったオレンジジュースらしき液体が少量残っているだけだった。 

「ご注文は何になさいます?」 

 呼んでもいないのに、ウエイトレスが入力機を片手に待ち構えていた。 

 飯を食ったばかりな上に、全力疾走をしてきた為、先程食った物が、むしろ口から出そうな状態の俺は、ドリンクバーを頼むと、彼女に断って立ち上がった。 

 結局、彼女と同じオレンジジュースを持って席に戻ると、早速彼女に携帯電話を差し出した。 

「ありがとうございます! わざわざすみませんでした」 

 恐縮する彼女に、気にしないように言ったが、無駄だった。 

 仕方がないので、強引に話題を変えてみた。 

「そうそう、名前、まだ聞いて無かったよね。俺は……」 

「片瀬君ですよね? よく新山君と一緒にいるのを見掛けますよ」 

 そう言って、微かに笑った。 

「川原です。私も片瀬君と同じ法学部の二年です。余り目立たない方だから、知らなくて当然ですが」 

 と、自嘲するかのように笑った。 

 言われて記憶を手繰ってみると、確かに彼女とは幾つか講義が重なっている記憶がある。 

「ああ、思い出した。幾つか同じ講義を受講してたよね。ごめん。俺、女友達少ないから」 

 そう言って、笑ってみせた。 

「あ、保がパソコンの事、感謝してたよ。川原さん、保の友達?」 

 別に他意の無い質問だった。 

 だがそれは彼女にとって、聞かれたくない質問であったようだ。黙り込み、俯いてしまった。 

「違います」 

 気不味い沈黙の後、彼女は僅かに聞き取れるくらいの音量で呟いた。 

 俺はと言うと、自分の発した考え無しの言葉が起こした気不味さを、何とか打開すべく、次の言葉を探している最中だった為、一瞬、聞き間違えたのかと思った程だった。 

「私、特に新山君と親しい訳じゃ、無いです」 

 あわわわわ!? な、泣く? 泣くの!? 

 涙目になる彼女に気付き、慌ててフォローの言葉を考える。しかし、フォローしようと思えば思う程、何を言えばいいのか、さっぱり分からなくなる。 

 ま、まずい、まずいよ、俺。悪気が無かったとはいえ、んな事聞くなんて、俺って本当に気が利かねぇ。 

「あの、私、片瀬君にお礼を言わないといけないと思ってたんです」 

 参った、参った、どうすればいいんだ? ……って? 

「はい?」 

 聞き返すと、先日俺が彼女を庇ったのだと言うのだ。 

 益々訳が分からずにぽかんとしていると、彼女は先日保が学食で苛々して殴ろうとした相手だと言った。 

「え? マジで? ……あ!」 

 無意識口にしてから、またしても失言した事に気付く。 

 嗚呼、考えてから口にする様になれよ、俺。 

「あ、気にしないで下さい。自分でも自覚してますから」 

 彼女の言葉にほっと胸を撫で下ろすも、どことなく不自然な物を感じていた。 

「本当にありがとうございました」 

「あ、いやいや。こっちの方こそ、悪かったな。保の奴、あの日体調が悪くてかなり苛々してたから。川原さんに対して腹を立てていた訳じゃないから」 

「いえ、私の方こそ悪かったんです。行き成り初対面に近い私なんかが余計な事をしようとしたから」 

 そう言う今の彼女の様子を見ていると、どう考えても、あの日、押し付けがましいくらいの自信に満ち溢れていた彼女とは真逆なタイプに見える。今日の自習室での彼女も、今の彼女同様、かなり内気な感じがした。あの時と今の彼女の服装が全く違う事を省き、彼女の様子だけとってみても、俺にはあの日の彼女と今目の前にいる彼女が同一人物だと見分ける自信がない。それ程彼女は変わっていた。 

「こんな事言っちゃあれだけど、川原さんって、変わった?」 

「ええ、変わったと言うより、戻ったと言った方がいいかもしれませんね」 

 そう、苦笑いした。 

「自分で言うのも変なんですけど、最近の私って、別人だった気がします」 

「別人?」 

「ええ。夢の中にいたみたい、とでも言えばいいのかも。普段の私ならしないような事をしていた気がします」 

 余り記憶もはっきりしないんですけど、と。 

 あの大胆な服装や言動も、偽石のせいだったのだろうか? 

 しょんぼりしている彼女を気の毒に思いながら、彼女の携帯についていた偽石の事を尋ねてみた。 

「え? この石のストラップですか?」 

 テーブルの上に置かれた携帯のストラップの中から、偽石が付いたそれを取り出し、指先で転がした。 

「欲しいんですか? でも、片瀬君には必要ない物だと思いますよ」 

「え? 何で?」 

 また恋愛云々のお守りだからとでも言われるのかと身構えていると、彼女はくすりと笑った。 

「自分に自信が持てるようになるお守りですから。片瀬君みたいなひとには、必要無いでしょう?」 

 と、笑った顔は自然だった。 

 自信を持てるといいと思って購入したにもかかわらず、気が付けば場違いの勘違い女になっていた気がする、と。 

「今は、何とも無いんですけど」 

 と。 

「ねぇ、興味本位で聞くんだけど、それってインターネットで買ったの?」 

「ええ。よく知ってますね。嶋野さんに教えて貰ったんですけどね。嶋野さんって、知ってます?」 



     * 



 翌日、大学に着くと、早速嶋野さんを捜して回った。 

 昨日、川原さんの話を聞いてから、家に帰って思い出してみても、柊さん達が見付け出した偽石の持ち主の中に、嶋野さんの名前が無かったという結果に至った。 

 川原さんが言う嶋野さんは、以前、保の周囲でよく見掛けていた派手な感じの彼女だった。確か保を映画に誘って珍しく断られていた娘だった筈。 

「あ、ごめんなさい」 

 キョロキョロと余所見をしながら歩いていたら、廊下で一人の女子にぶつかった。 

 どう考えてもぶつかった俺の方が悪いのであるが、先に謝ったのは彼女の方だった。 

「あ、こっちこそごめん」 

 慌てて謝る視線の先には、以前見た事のある鞄があった。それにはあのピンクがかった石――偽石がぶら下がっていた。 

 ……三浦さん? 

 前に会った時は、彼女の方がぶつかってきたにもかかわらず、反対に俺の方が怒られてしまったと言うのに、何だ、この変わりようは!? 

 服装も以前とはまるで違い、地味と言ってもいい部類になっていた為、一瞬、誰だか分からなかった。 

 しかしよくよく考えると、こっちの姿の彼女とは幾つか講義が被っており、川原さん同様、元に戻った、と言えるのかもしれない。 

「あ、ねぇ、変な事聞くけど、そのキーホルダー、何処で買ったの?」 

 行きかけた彼女の腕をとり、引き止める。 

 聞かれて立ち止まった彼女は、一瞬何を尋ねられたのか分からないといった風だったが、俺が鞄にぶら下がっていた石を手に取ると、ああ、と小さく笑った。 

「これですか? ネットで買ったんですよ。欲しいんですか?」 

 と、含み笑いをした。 

「いや、まあ……」 

 言葉に詰まっていると彼女は言った。 

「私に聞くより嶋野さんに聞いた方がいいかも。これ、手に入り難いらしいから」 

 と、彼女は言った。 

 彼女の話によると、彼女に教えて貰ったURLに直接アクセスすると、確実に手に入れられるのだという。 

「じゃあ、そのURLを教えて貰えない?」 

 俺の問いに彼女は首を振った。 

「URLがよく変わるみたいで、私も次にアクセスした時には繋がらなかったんですよ」 

 と、言った。 



 その後、一日中構内を歩き回ったが、結局、嶋野さんを見付ける事は出来なかった。 

 その代わり何人かの偽石の持ち主に、直接偽石の入手法を聞く事が出来た。皆、一様に嶋野さんから情報を得ているとの事だった。しかも、皆、打ち合わせをしたかのように、以前見た派手な装いから地味な身形に変化していた。 

「あ、片瀬さん!」 

 今日分かった事を、少しでも早く柊さんに知らせようと携帯電話を開いた所で、吉元さんに声を掛けられた。 

「この間はありがとうございました!」 

 ペコリと頭を下げると、鞄をゴソゴソと探り、中からリボンのかかった箱を取り出した。 

「遅くなったんですけど、これ、お礼です」 

 そう言って、俯いたまま箱を差し出した。 

「え? そんな気を遣わなくてもいいのに」 

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