第30話

 ……って、言ってやれたらどれだけ気分が良いだろう。当事者とは言え、何も知らない間に呪いの対象にされてしまっている保に対して、正直八つ当たりな感情を抱いてしまった。 

 先日、夢の話を柊さん達にして以来、俺達は、俺の持っている偽石の元の持ち主を最優先事項として捜していた。こうなって来ると、もう影見師には力不足という事で、風達が風師と共に連夜、石の持ち主を捜して街を徘徊しているとの事だった。 

 俺はと言うと、他の影見師と同様、そのような力が無い為、深夜の捜索には加わる事は無かったが、相変わらず連日、あの悪夢に悩まされていた。しかし、毎夜見る夢は、さして変化する事も無く、ただただ彼女等が保を欲しているという事を思い知らされるだけだった。 

「お前は呑気でいいなぁ」 

 半眼で睨み付けると、さっさと保の背後の席に座る。 

「俺の横に来たらええやんけ」 

 冗談とも本気ともつかない口調で言う。 

 悪いがお前を監視する為には、お前の横じゃ役に立たねぇんだよ。 

 ……と、思ったが、それも言葉を飲み込んだ。 

 嗚呼、ストレスが溜まるー! 



 その日の昼、久々に近藤、及川、保、そして俺の四人は、一緒に昼をとる事になった。 

 近頃では保に関わっても事故に遭う人間が減った為、保絡みの噂もかなり聞かなくなっていた。実はその辺の事に関して、事故が起きる前に影を蹴散らしている俺の努力があるのだが、この際その話は割愛する事にする。 

 そんな俺達が他愛無い話で盛り上がっている所へ、一人の女子が近付いて来た。確か彼女も偽石を持っている一人だった筈。 

 ボンヤリと頭の隅で考えていると、彼女は保に声を掛けてきた。 

「新山君、憲法の講義とってたわよね」 

 ああ、止めて。 

 俺の心の中の制止の声が彼女の耳に届く筈も無く、彼女は当然のように保の横の席に着くと、腕に触れてきた。 

 嗚呼、なんてこったい、兎さん。 

 だいたい、何時もこのパターンで保の体調が悪くなり、接触して来た女子が事故に遭うのだ、これまでの経験上。まあ、彼女が偽石の持ち主の一人である以上、彼女が事故に遭うとは考え難いのだが。 

「あ? 何?」 

 しかし、驚いた事に、保にしては珍しくつっけんどんな口調で答えた。 

 それでも彼女はめげずに保に話し掛けている。 

「この間、講義を休んでいたでしょう? 良かったら私のノート、貸してあげようと思って」 

 そう言った彼女に振り向いた保の目は、俺が今まで見た事の無いものだった。 

 不機嫌、というのではない。単に冷たいというのでもない。無関心を極めるとこうなるのかと思える目。愛想の良さの塊と言っていいくらいの普段の保からは、到底想像すら出来ない物だった。 

「五月蝿いな。俺に構うなや」 

 ボソリと言った言葉が聞こえなかったのか、彼女はもう既に鞄から自分のノートを取り出そうとしていた。 

「この間、あの先生、今度テストをするって言っていたから、一応、目を通していた方がいいと思って」 

 はい、これ、と満面の笑顔を湛え、ノートを差し出した。 

「うっさいって、言うとるやろーがっ!」 

 立ち上がりざま、差し出されたノートを手で払い飛ばすと、保が怒鳴りつけた。 

 それまでざわついていた食堂内が、一瞬にして凍り付いた。 

 よく見ると、保の身体は、今まで見た事の無い程の影が身体を覆っていた。 

 これのせいで、保の人格が変わった? 

 意味も無く苛々する――以前、保が言っていた言葉が頭の中で蘇る。 

 これも影のせいなのか!? 

 シンと静まり返った食堂内で、クスクスと笑う幾つもの声が耳につく。さっと周囲を見回すと、他の学生達にまじって、偽石の持ち主達が何人もこちらを見ていた。 

 笑っていたのは彼女達だったのか。 

「さっさと消えろや!」 

 保の声に我に返る。 

 保は今にも掴み掛からんばかりの剣幕で彼女を睨み付けていた。 

「おい、落ち着けって。何苛々してんだよ」 

 保の横に座っていた及川が、茫然自失の状態から立ち直ると保の肩を掴んだ。だが、影に操られ、自我を消失している今の保にその言葉は聞こえないようだった。 

 掴まれた肩を揺すって及川の手を振り払うと、何を思ったのか彼女に殴り掛かろうとした。 

「保、冗談はよせ!」 

 間一髪、テーブルを飛び越え、保に体当たりした。 

 俺が飛び掛かり、小柄な保は俺の下で伸びているように思えたが、未だ元気に下で罵声を発している。そう考えると、ダメージ的には俺の方が大きいかもしれない。 

 保に触れた部分から刺すような痛みを感じ、耳には夢で聞き慣れた女達の叫び声が大絶叫で耳鳴りの如く響いている。 

「おい、二人共ぉ、大丈夫かぁ?」 

 慌てて手を差し延べようとする近藤と及川に軽く首を振ると、俺はジーンズの後ろポケットに入れてあった剥き出しの石を取り出した。それをしっかりと握ったまま、保の腹を軽く殴りつけた。 

「カ、カタやん?」 

 先程まで俺の下で暴れ、叫び声を上げていた保が、急に大人しくなった事を心配したらしい及川が、何が起きたのだと問いた気に、俺を呼んだ。 

「何でもない。ちょっと悪ふざけが過ぎただけだ」 

 片手で保を引っ張り上げると、呆れた事に、スースーと気持ち良さそうに寝息を立てていた。 

 椅子に座らせ頬を軽く叩くと、驚いた様子で目を開けた。 

「え? 何? あれ?」 

「おいおい、お前、何寝たフリしてるんだよ。さっきの騒ぎは何だったんだ?」 

 及川がヤレヤレとばかりに、呆れたように言った。 

 何時の間にか、食堂内も先程の騒動等無かったかのように、何時ものざわめきを取り戻していた。 

 先程、保に怒鳴りつけられた彼女の姿は、もうそこには無かった。 



 放課後、未だ昼の尋常で無い保の様子が気になった俺は、何だかんだと理由を付けて、保と一緒に帰る事にした。 

「なあ、カタやん、俺、やっぱし病気なんやろか」 

 保にしては珍しく、酷く落ち込んだ様子だった。 

「何でまた」 

 そう思うんだ、と言おうとしたが、保の真剣な表情に、言葉が途切れた。 

 あの後、散々冗談にしても趣味が悪過ぎると及川や近藤に説教された保だったが、どうやら余り覚えていないらしい。 

「俺、知ってんねん。俺に関わったら災難に遭うっちゅう噂」 

 と、保は自嘲気味に笑った。 

「カタやんも知っとんやろ?」 

 聞かれて俺は曖昧に頷く事しか出来なかった。 

「まさかな、なんて思っとってん、最初はな。そやから気にせんようにしとったんやわ。せやけど、何や俺と関わった娘ぉ等、皆災難におうてはるから、最近は自分からはなるべく関わらんようにしとってん。……けど」 

 と、うなだれた。 

「前に急に意味無く苛々するって言うとったやろ? 今日の事かて、俺、最初は俺に関わらんといて、って気持ちしか無かってん。せやのに気ぃ付いたら、彼女を殴ろうとしとったんや。……何でなんやろなぁ」 

 泣き出しそうな顔の保を見ていると、心底、保に妙な恋心を抱いている人間に、怒りを覚えた。 

 何で、普通に好意を表さないんだ。 

 俺は黙って保の肩を叩いたのだった。 



 その夜、日課になっていた定期連絡を入れる際、柊さんに昼間の保の様子を話した。 

『そう。そんな事があったの』 

 彼女は気の毒そうな声音で言った。 

「あの、まだ例の偽石の持ち主は見付からないんですか?」 

 俺は苛々しているのを故意に隠さなかった。すると柊さんはごめんなさいと謝った。 

『君の大学周辺も毎晩皆で手分けして捜してはいるんだけどね、それらしい気配が見付からないのよ』 

 何せ風が動けるのは、夜だけだから、と言い訳した。 

「榊田さんには頼めないんですか?」 

 昼、唯一動けるらしい風の樹とやらを呼び出せれば事は簡単なのではないか、そう思った。 

 しかし、事はそう単純な話ではないらしい。実は俺は気付いていなかったのだが、榊田さん自身、毎日のように、講義をサボってはうちの大学内を風と共に捜してくれていたらしい。 

 その間、彼女の身体は無防備になってしまう為、うちの学生のフリをして大教室に紛れ込み、講義を受けるフリをするという、涙ぐましい努力までしてくれているのだと言う。 

『でも、そろそろ次の手を打った方がいいかもしれないわね』 

 電話越しに彼女が言った。 

 どうやら、俺達が捜している呪詛の大元である呪詛者が見付からないかわりに、次々と新しい偽石の持ち主が現れているのだという。結果、偽石の数が日を追うごとに増えており、呪詛の力も更に増して来ているのだと言うのだ。 

 石が石を呼んでいる――ある風は、そう言ったのだそうだ。 

『本当は、現状のままの方が、呪詛者が安心して何時かはボロを出すと思っていたんだけど……』 

 そうも言っていられないようね、と。 

 上の者達の決定を仰いでからにはなるが、派生してしまった偽石の呪詛を全て解除すると同時に、壊そうと思っているのだ、と言った。 

「壊すって、本人の許可をわざわざ取ってですか? って言うか、取れるんですか?」 

 俺の問いに、柊さんは声を立てて笑った。 

『壊すと言っても、実際に壊す訳じゃなく、もう二度と呪詛が掛けられないように見えない細工を施すつもりなの。桂に相談したら、見た目はそのままに、呪詛を行う媒体としての機能を無くしてしまう事は可能らしいから』 

「単なる石にしてしまう、という事ですか?」 

『平たく言うと、そう言う事になるわね。でもそうなると、一気に偽石の数を減らす為に、私達が捜している呪詛者までもが中継されて来る力を受け取れなくなってしまう訳だから、一緒に姿を消してくれるかもしれないし、もしかしたら……』 

 そこまで話して、不意に彼女は言葉を飲み込んだ。 

「柊さん?」 

『え? ああ、ごめんなさい。何でもないわ。気にしないで』 

 慌てて言ったが、全く説得力の無い台詞だった。 

 彼女はいったい何を言おうとしたんだ? 

 彼女に尋ねようとしたが、質問されるのを避けるように、急いで次の言葉を継いだ。 

『兎に角、君の説だと新山保君が、呪詛者のターゲットなのよね? 君には今以上にしっかり彼をガードして貰わないといけなくなるわ。本当は、影見師にこういう仕事をさせるのは本意じゃないんだけど、悪いわね』 

「それは一向に構わないですよ。任せて下さい」 

 俺が安請け合いすると、その言葉が信用ならなかったのか、彼女は何度も俺に念を押した後、本当は言いたくは無かったんだけど、と前置きをして付け足した。 

『自分に集まって来ていた力を受け取れなくなった場合、もしかしたら呪詛者が自暴自棄になる事も考えられなくは無いの。何をしでかすか分からないから、本当に用心してね』 

 彼女の言葉に、俺は聞かなきゃよかったと、心の底から後悔したのだった。 



     * 



「うえ!? パソコンが固まってもうた!!」 

 ただ今、コンピュータ自習室。 

 前期試験の代わりとして出されたレポートをプリントアウトするという保に付き合い俺は小説片手にぼんやりと窓の外を眺めていた。 

 柊さんが偽石に対して呪詛の解除と機能の破壊を行うと言ってから、既に一週間は経過していた。実際、話した次の日にはもう上の人間に許可を貰ったからと、深夜、前もって住所を調べておいた偽石の持ち主達の元へ赴き、風達が術を施し始めた。 

 その効果が上がっているのか否か……。 

「カタやん、カタやん、ど、ど、ど、どないしたらええん?」 

「電源を切って再始動」 

 首を巡らし、適当に返事をする。 

 自習室の中には、俺達の他にも十名強の学生達がいた。皆、パソコンに向かって黙々と作業をこなしている。中にはゲームサイトに接続して遊んでいる輩もいるようではあったが。 

「ええっ!? そんなんしてもうたら、入力したデータが、全部飛んでしまうやん!!」 

 何を言うんだ、と、言わんばかりの剣幕で反論された。 

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