第22話
「今やうちの大学のヒーロー様やんか! いやぁ、カッコええなぁ。俺がかわりたいくらいくらいやわ」
等と、隣りに座った保が、バシバシと遠慮無く背中を叩いた。
うっ。い、痛いから。
「よく飛び込んだよなぁ。どんな感じだったんだ?」
斜め前に座っている及川が、期待に満ちた瞳を向けていた。
いや、及川君、どんな感じと言われましても。
そんな及川の横では相変わらず近藤が「まあ、遠慮せずに食え」と、繰り返す。
「やっぱり駄目だ!」
そう言い、持たされたばかりの箸をトレイに置くと、三人を見回した。いや、正確に言えば睨んだ、だ。
「さっきからお前等何言ってんだ? さっぱり訳が分かんねぇよ。俺がヒーロー? 特撮じゃあるまいし! 飛び込んだ? 最近、プールにも行ってねぇよ!」
一気に捲し立てると、及川が恐る恐る言った。
「カタやん、もしかして……心当たりねぇのか?」
「無い!」
きっぱりと即答で答えると、正面に座っていた近藤は、俺からトンカツ定食の載ったトレイを取り上げた。
訳も分からず奢られるのも気味が悪いが、一度見せられたご馳走を取り上げられるのは、金欠の胃に多大なダメージを与える物らしい。
近藤は、自分の分と元俺のトンカツ定食を前に、旺盛な食欲を見せて食べ始めた。
……嗚呼、俺のトンカツー!
「おっかしいなぁ。昨日辺りから小耳に挟んでた話なんだけどな。お前が人助けで、ひょっとしたら表彰されるかもしれない、って話。……本当に知らないのか?」
「人助け?」
「正しくは人命救助! ここに来ればいると思ったんだよ。私って、名探偵?――なんてね。はい、これ読んでみて」
と、突然現れた岩久間さんが及川の後を続けると、俺の背後から新聞を差し出した。彼女は俺の隣りの席に鞄を置き「私も何か買ってこよう」と、さっさと券売機へと行ってしまった。
益々訳が分からず惚けていると、近藤が身を乗り出し箸を銜えたまま新聞を取り上げ広げた。そして目的のページ開くと、再び先程のようなB5サイズ程にまで畳み、俺に見ろと言わんばかりに新聞を差し出した。
「ここ、ここ。読んでみろ」
そう言って、とある記事を指差した。
『親切な大学生』
見出しには大きくそう書かれていた。どうやら先日、線路内に落ちた吉元さんを俺が助けた時の事を書かれているようだった。
「ああ、その事か」
思わず口を突いて出た俺の言葉に、近藤はまだ手を付けていなかった元俺のトレイを俺の前に押し戻した。
「何や、やっぱり覚えがあるんやんか」
そう言って保は破顔した。
「だよな。昨日から女バス――女子バスケット部――の連中が噂してたんだよ。しかも連中『及川君、片瀬君と友達なんでしょ? 私達にも紹介してよ』ってな」
及川は箸を持ったまま両手を祈るように組むと、妙な科を作り、声色を変えて言った。
及川君、それってひょっとして女バス女子の物真似ですか? そんな女子なら、丁重にご紹介をお断りさせて頂きます。
「まあ、そう二人共興奮するなよぉ。カタやん、冷めるぞぉ。遠慮せずに食え」
口一杯に飯を頬張りながら近藤は口を挟んだのだった。
一度お預けをくらっていた為か、何時も以上の空腹感を訴えている胃を宥める為に、今度は有り難く近藤の言葉に従う事にした。さっと手を合わせると、掻き込むかの如くな勢いで食べ始める。心の内では、後で金を返せと言っても絶対返さないぞ、と呟きながら。
「やだ、何、もう皆食べ終わったの?」
学食の受け取りカウンターが時間帯的に混雑していたせいなのか、はたまたただ単に俺達が早食いだっただけなのか。岩久間さんがピラフを持って席に戻って来る頃には、俺達四人全員、空のトレイを前にしていた。
「はい、新聞。返しておくよ」
俺は元通りに畳み直した新聞を彼女に差し出すと言った。
けれど俺の横の席に着いた岩久間さんは、記念にどうぞ、と言って受け取らなかった。
「なぁ、カタやん、名乗り出るんだろ?」
及川が頬杖を突いて言った。
確かにお節介と言えなくも無いが、及川達が気になる気持ちも分からないでは無い。
しかし、あの日、俺は名乗らなかった。なのに新聞には名前は出なかったが、どうやら俺だとバレてしまっているようだった。
うちの大学の人間が、どうやらあの場に居合わせていたらしく、『市内の大学に通う男子学生』と新聞では報じられていた。流石に勝手に名前を出すのは控えてくれたようだが。
「いや、名乗る気は無いよ」
そう言ってコップに残っていた水を飲み干した。
根っからの転校生気質というのもあるのだろうが、今考えると子供の頃に誘拐された事によるトラウマもまだ残っているのだろう。褒められる事ですら、目立ちたいとはやはり思えなかった。
「表彰してくれるって話はいいのか?」
尚も納得出来ないという体で、及川が言った。
「うーん、表彰されたくて助けた訳じゃないし。いいよ、別に」
「何で!? 勿体ないよ! 折角の晴れ舞台だよ。くれるって言うんなら、素直に貰っておけばいいのに」
岩久間さんがスプーンを振り回しながら息巻いた。
「いらないって」
そんな彼女に、思わず煩そうに手で遮る。かなり不機嫌な顔もしていたのだろう。一同に気不味い空気が流れた。
「そっか、そうやな。未だ貰えるって決まったもんでもないしな。こんなトコで勝手に取らぬ狸の皮算用しとってもしゃーないもんな。持って来てくれたら来てくれた時のこっちゃな」
いや、持って来られても――とは思ったものの、意外にもフォローしてくれたのは、保だった。お祭り好きの保にしては珍しく、そう言ってその場の空気を和ませようとしてくれていた。
「……うん。まあ、そうだね。片瀬君、騒いじゃってごめんね。友達に凄い人が出た!――なんて、嬉しくなっちゃってつい、ね」
保の言葉に、シュンとした岩久間さんが謝った。俺が気にしてないと言うと、もう一度謝ってから、ふと思い出したのだとでもいうように言った。
「そう言えば、片瀬君が助けたっていう娘は大丈夫だったの?」
「ああ、俺も気になってたんだけど、未だ連絡がつかないんだ。大丈夫だったとは思うんだけど」
どうやって連絡をとればいいものやら、と続けた。
「助けたのって、うちの大学の一年なんだって? 名前は確か……」
「吉元さんでしょ?」
及川は岩久間さんの言葉にそうそう、と大きく頷いて手を叩いた。
……って、彼女の名前も新聞には掲載されていなかったにもかかわらず、俺同様既に知られていたらしい。
「吉元さんって、例のあの娘か?」
片眉を上げて、俺と岩久間さんに目配せをした近藤にそうだと答えると、今朝姿を見掛けたと告げた。
「学校に来てたのか?」
「ああ、見たぞぉ。別に怪我なんかして無かったみたいだぞ」
心配するな、と言った。
「そっか……良かった」
「ねえねえ」
岩久間さんが俺の服の袖をチョイチョイと引っ張って耳元で囁いた。
「その日って、私がゴールポストに挟まれた日だよね?」
俺が頷くと、彼女はちょっと気になったんだけど、と言った。
「あの日、吉元さんも私達と一緒に新山君と話してたよね。やっぱり、何か関係があるのかな?」
俺は彼女の質問に言葉を失った。
保に関係が有るのか無いのかは言い切る事は出来ないが、何かしら目に見えない存在が関係しているのは間違いないのだ。
俺が答えに窮していると、偶然にも助け船が出された。
「あ、やっぱりここにいた」
先程の岩久間さんと似たような台詞に振り向くと、米倉さんが立っていた。
彼女の視線の先には、保がいた。しかし残念ながら、当の本人である保は気付いていないようだった。
俺がその事を教えてやろうと保の肩に触れようとする前に、米倉さん自ら、保の肩に触れた。触れられた保は、見ているこちらが驚く程にビクリとすると、肩に掛かった手を振り払いながら振り向いた。
「……ああ、米倉さんやったんか。ごめん、何?」
「え? ああ、気にしないで」
保らしくない仕草に戸惑う様子を見せた米倉さんだったが、直ぐに立ち直ると持っていた鞄から数枚の用紙を取り出した。
「これ、この間新山君に頼まれていた商法のノートのコピー。遅くなってごめんね」
そう言ってコピー用紙を差し出した。
「うわぁ、助かるわ。コピー代払うわな。ちょっと待ったって」
そう言い慌ててズボンのポケットから財布を取り出そうとした。
「やだ、いらないって。じゃあね」
保の申し出を断り、皆に手を振ると、さっそうと米倉さんは立ち去った。
……米倉さん、格好良過ぎ。
「何、それ、米倉さんの商法総則のノート?」
及川は保がテーブルの上に投げ出した用紙に手を伸ばすと、興味津々な様子で見始めた。
「あ、俺もこのコピー欲しいなぁ」
横から用紙を覗き込みながら、近藤が言った。
気になり俺も一枚見せて貰うと、流石、当大学一の才女と言われるだけあるノートだった。
「ちょっと待ったって。米倉さんにお前等にもコピーとらせたっていいか、今、聞いたるから」
そう言って、ノロノロと立ち上がると、学食の外へ米倉さんを追い掛けて出て行った。硝子張りの学食内から二人が話している姿が見える。
「あいつ、なかなかやるな」
そう及川が呟いたのと、保が振り向いたのはほぼ同時だった。保は微かに笑って両腕で大きく丸を作った。
「ヨシッ!」
それを見た俺達四人は、口々に声を上げた。
……って、岩久間さん、あんたまで。
「未だ昼休み、時間あるな。俺、今からコピーとって来るけど要る人間は?」
及川の言葉に、近藤、岩久間さん、俺の三人は、素早く手を挙げた。
「りょーかい。んじゃ、保に昼からの講義で直接返すって伝えておいてくれ」
そう言うとリュックを背負いコピー用紙と食べ終わったトレイを片手に立ち上がった。
「俺もそろそろ行くわ。一度部室に荷物を放り込んできたいからなぁ」
立ち上がった近藤は、クラブで使用する道具が入っているのであろうと思われる巨大な鞄を持って立ち上がった。
「ああ、私もちょっと部室に行かなくちゃならないから一緒に行こうよ」
自分が食べ終えたトレイを持とうとしていた近藤を遮ると、岩久間さんが自分の分と二人分のトレイを持ち立ち上がった。
三人が立ち去った後、戻って来た保は、ヨッコラショ、と大儀そうに元いた椅子に腰掛けた。何時もの保に比べると、どうも一々動作が鈍く感じられる。しかも若干、温度が低くなったような気さえする。
……気のせいだろうか?
「及川が次の講義の時に米倉さんのノートのコピー、返すって。今皆の分のコピーをとりに行ってる。……って、おい、保大丈夫か?」
テーブルにうっ伏した保の顔を覗き込み言った。
「んー? あんまし大丈夫やないかも……」
よくよく見ると、保の額からは、粒状の汗が吹き出していた。顔色も先程とは明らかに変わって。土色に変わっていた。
「だ、大丈夫か、保!?」
慌てて保の背中に手を掛けると、静電気が起きたかのように弾かれた。
……また、なのか?
保を見詰めたまま息を殺し、掛けていた眼鏡を外す。すると、そこにはあの黒い影が背後から抱き付くように保にしがみ付いていた。
……やっぱり。
大きく溜め息を一つ吐くと、意を決し再び保に触れようとした。
しかし、触れようと何度か試みてみたものの、全て触れるまでに弾き飛ばされてしまった。
これって、マジでヤバいんじゃねぇの?
俺は落ち着こうと二三度深呼吸をしてみた。
午後からの講義が近付いて来たのか、さっきまで賑わっていた学食も、かなり閑散としてきている。
最後の手段として、俺達がいる長テーブルの上にある味塩の瓶を手に取ると、その蓋を開けようとした。が、残念ながら、その蓋は俺を嘲笑うかの如く、ピクリとも動かなかった。
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